はじめに
ヨハネ5章では、二つの世界がベテスダの池の前で交差します。一方には人間の迷信があります:水が動くと、最初に飛び込んだ人が癒やされると信じられていました。もう一方には、イエス・キリストの力があります。イエス様は病人たちの群れを抜けて、38年間も横たわっていた一人の男性のもとに歩み寄り、語りかけられます。
ニースのアリアーヌ教会の牧師、サミュエル・マブー先生は、この箇所からたった一つの問いを投げかけます。今夜、あなたは癒やされたいですか。それは体だけの話ではありません。あなたの魂も、心も、あまりに長く抱えてきたその苦しみもです。
このメッセージは、イエス様が迷信の神ではないことを思い出させてくれます。イエス様はあなたの名前を知っておられ、あなたが苦しんできた年数も知っておられます。そして、一時的な癒やし以上のもの、永遠のいのちを差し出してくださっているのです。
説教の流れ
1. 二つの世界の対決:迷信とイエス様の力
本文は印象的な場面から始まります。エルサレムの羊の門の近くに、ヘブライ語でベテスダと呼ばれる池がありました。五つの回廊があり、そこには大勢の病人、目の見えない人、足の不自由な人、体の麻痺した人たちが集まっていました。皆、水が動くのを待ち望み、最初に水に入った者が癒やされると信じていたのです。
サミュエル・マブー先生はこう強調します。この考え方は聖書的ではありません。神学者たちは、この考えでは神を不公平な方にしてしまう、つまり一番速い人しか癒やさない神になってしまうと指摘しています。歴史家によれば、これはおそらく間欠的に湧き出る水源が池を揺らしていたもので、そこに地域の迷信が結びついたのだろうということです。
神様は数珠にも、物にも、人間の儀式にもおられません。神様は霊的で聖なる方です。そして神様ご自身が、この絶望の場所に、わざわざ一人の人を訪ねてくださるのです。
2. イエス様はあなた自身よりもあなたを知っておられる
イエス様はこの男性が横たわっているのをご覧になり、彼が長い間病気であることを知っておられました。この情報はどこにも書かれていませんでした。「もうすぐ40年病気です」という看板などありません。それでもイエス様は知っておられたのです。
牧師はこう強調します。神様はあなたを、あなたのお母さんよりも、配偶者よりも、あなた自身よりもよくご存じです。神様はあなたが苦しんできた年数を知っておられます。その痛みの原因も知っておられます。あなたが自分の病気に気づく前から、その病気さえも知っておられます。そして、神様は行動を起こしたいと願っておられるのです。
38年間、おそらく足が麻痺していたこの男性は、時間通りに水にたどり着くことができませんでした。腕で這うようにして、まるで塵を食べるようにして、決して手に入らない癒やしに触れようとしていました。彼は、いちばん弱い者だからいつも最後になるという、恐ろしい不公平を生きていたのです。しかし主のもとでは逆です。最後の者が最初になるのです。
3. ベテスダ:あわれみの家が今夜あなたを迎える
ベテスダという名前は「あわれみの家」「恵みの家」「善意の家」という意味です。サミュエル・マブー先生はこう思い出させてくれます。歌う人がいるから、説教者がそこにいるからあわれみがあるのではありません。イエス・キリストご自身がそこにおられるから、あわれみがあるのです。
神様は、あなたが一生涯優しかったからという理由で恵みを与えてくださるのではありません。神様が善い方だから、恵みを与えてくださるのです。アーメン。もしあなたがこのあわれみの家に来るなら、神様は不思議な、まるで場違いにも思える質問をされます。「よくなりたいか」(ヨハネ5章6節)。
38年経った後では、答えは当たり前のように思えるので、不思議な質問です。しかし主は、いつもあなたの同意を必要とされます。あなたからの「はい」という一言が、主の御業を引き起こすのです。神様は誰も無理強いなさいません。あなたの同意を待っておられるのです。
4. 池よりも高いところに目を上げなさい
この男性は下ばかり見ていました。すでに底にあるその池の水面に、地面を這っている自分自身をも重ねながら、じっと見つめていたのです。牧師はこう招きます。山に向かって目を上げなさい、助けは主から来るのです(詩篇121篇)。
解決策はこの地上にはありません。この世界は、私たちの体と同じように老いていきます。世の終わりは近づいています。それは災害映画のセリフとしてではなく、聖書的な現実としてです。主の再臨は戸口まで来ています。サミュエル・マブー先生は、死の床にあった友人ロジェさんのことを語ります。祈りながら手を握り、こう伝えたそうです。「あなたの神に会う備えをしなさい」(アモス4章12節)。今日、御声を聞くなら、心をかたくなにしてはいけません(ヘブル人への手紙3章15節)。
ゆらめく水に、裏切る人間に、組織に、あなたの信頼を置いてはいけません。あなたのいのちを、動かない、変わらない、いつの時代も存在し続けてこられた、代々の岩の上に築きなさい。
5. 起き上がりなさい:イエス様の言葉は水以上のことをなす
イエス様は言われます。「起きて、床を取り上げ、歩きなさい」(ヨハネ5章8節)。するとすぐに、その人は癒やされ、床を取り上げて歩き出しました。世がこの世界に あなたを打ちのめしたところで、罪があなたに塵を食べさせたところで、主はあなたを起き上がらせたいと願っておられます。
サミュエル・マブー先生は、個人的な思い出を語ります。10代の頃、彼は不安に押しつぶされて立つこともできず、1週間も浴室で過ごしたことがありました。そこまでの不安があり得るとは、思ってもいなかったそうです。彼は主に叫び求め、神様は彼を起き上がらせてくださいました。心に平安と喜びを満たしてくださったのです。このような解放を、あなたも味わうことができます。
たとえあなたが疑いでいっぱいでも、信仰が足りなくても、主はあなたを新しくすることができます。信仰は一直線ではありません。上がったり下がったりするものです。時には山をも動かせるほどになり、時には床にへたり込んでしまうこともあります。弟子たちでさえ、こう願いました。「主よ、私たちの信仰を増してください」。今日、あなたもこの祈りをしてみてください。
6. 神様には宗教がない、神様には民がおられる
ユダヤ人たちは、癒やされた男性が安息日に床を持ち運んだことを非難します(ヨハネ5章10節)。サミュエル・マブー先生は、こう警告します。神様の恵みを生きることを妨げるような宗教とは、距離を置かなければなりません。ある特定の曜日だからといって、神の子が奇跡を行えないなどということが、あり得るでしょうか。
神様には、福音派もカトリックもユダヤ教もありません。神様には民がおられます。神様には信者ではなく、子どもたちがおられるのです。今夜、神様はアリアーヌに一つの民を求めておられます。そして、ニースに大勢の民が起こされることを信じておられます。
その後、イエス様はこの男性を見つけて言われます。「もう罪を犯してはいけない。もっと悪いことが起こらないように」(ヨハネ5章14節)。これは脅しではありません。イエス様は恐怖の中におられる方ではないのです。これは警告です。この地上での最悪の苦しみでさえ、地獄に比べれば何でもありません。聖書は、歯ぎしりのこと、消えない火のことを語っています。あなたの前には二つの道があります。いのちか、死かです。いのちを選びなさい。それによってあなたが生きるためです(申命記30章19節)。
覚えておきたいポイント
- ベテスダは、人間の迷信とイエス様の力を対比させています。神様は儀式の中ではなく、個人的な出会いの中におられます。
- イエス様は、あなたが口にする前から、あなたが苦しんできた年数を正確に知っておられます。
- ベテスダとは「あわれみの家」という意味です。今夜あなたが立っているその場所に、神様の恵みが用意されています。
- イエス様は、あなたの「はい」という返事を待っておられます。誰も無理強いなさいませんが、こう問いかけられます。「よくなりたいか」。
- 霊的な癒やしは、肉体的な癒やしに先立ちます。神様はまず、あなたの罪を赦し、あなたを救いたいと願っておられます。
- 自分の池よりも高いところに目を上げなさい。助けはこの世の水からではなく、主から来るのです。
個人への適用
- あなたは何年間、誰にも言えない苦しみを抱えていますか。今、神様の前でその苦しみに名前をつけてみましょう。
- もしイエス様が「よくなりたいか」と問いかけられたら、あなたは本当のところ何と答えますか。
- 主に目を上げる代わりに、あなたはどんな池(仕事、人間関係、計画など)に望みを置いていますか。
- あなたはイエス・キリストを主、救い主として受け入れましたか。それとも、その決断を先延ばしにしていますか。
- 神様があなたの信仰を増し加え、倒れているところから起き上がらせてくださるように、今夜どんな祈りをしますか。
引用された聖句
- ヨハネ 5:1-15、ベテスダの池での癒やし
- 詩篇 121篇、助けは主から来る
- アモス 4:12、あなたの神に会う備えをしなさい
- ヘブル人への手紙 3:15、御声を聞くなら心をかたくなにしてはいけない
- 申命記 30:19、いのちを選びなさい、それによってあなたが生きるために
よくある質問
ベテスダという名前にはどんな意味があり、なぜ重要なのですか。
ベテスダとはヘブライ語で「あわれみの家」「恵みの家」という意味です。サミュエル・マブー先生はこの点を強調します。イエス様が体の麻痺した男性に近づかれたこの場所は、魔法のような癒やしのセンターではありません。人間が絶望する場所にこそ、神様が立っておられることを思い出させる場所なのです。あわれみは、あなたの功績によるものではなく、神様の善意によるものです。
なぜイエス様は、38年間病気だった男性に「よくなりたいか」と尋ねられたのですか。
この質問は不合理に思えますが、実はとても重要です。主は決して誰にも無理強いなさいません。行動される前に、あなたの「はい」、あなたの同意を待っておられるのです。この質問は、あなたに諦めから抜け出させ、体の癒やしだけでなく、何よりも霊的な救いへの本当の願いを言葉にさせるためのものです。
このメッセージで語られている癒やしや救いを受け取るには、どうすればよいですか。
まず、神様がすでにあなた自身よりもあなたを知っておられることを認めることから始めましょう。あなたの罪を悔い改め、イエス・キリストを主、救い主として受け入れましょう。この世の揺れ動く水にではなく、代々の岩の上に信頼を置きましょう。そして、もし信仰が足りないと感じるなら、ただこう祈ってください。「主よ、私の信仰を増してください」。神様は、一つの祈りの距離ほど、あなたのすぐそばにおられます。
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