2025年5月18日、マルセイユのシャペル・デュ・ロワ・デスパーニュで行われた日曜礼拝での説教です。語り手はジャン=クロード・ダテヴィ。使徒の働き27章9節から44節までです。
はじめに:あなたの人生という船とパウロの航海
使徒の働き27章には、パウロのローマへの旅が記されています。これは決して楽しい旅ではありませんでした。パウロは囚人であり、ユダヤ人たちに捕らえられ、皇帝の前で自分の弁明をすることを願い出ていました。主はパウロにこう約束されました。「安心しなさい……あなたはローマでもあかしをしなければならない」(使徒の働き23:11、口語訳)。船はクレタ島を出発してイタリアへ向かいます。時期は9月末から10月初め、冬が近づき、航海の条件は悪くなっていきました。パウロは船の責任者たちに、この航海は危険だと警告しました。
この場面は、あなたの人生という船について語っています。あなたの計画は何でしょうか。あなたの目標は何でしょうか。それはパウロのように、神様に認められたものでしょうか。あなたは人生の決断を誰に委ねているでしょうか。使徒の働き27章は、今朝ご一緒にたどりたい五つの段階を示しています。無関心、自分自身の努力、御言葉に聞くこと、信仰の実践、そしてキリストにある命です。
メッセージの構成
1. 神様の警告に対する無関心(9~13節)
パウロは乗組員たちに警告しました。「この航海は難船を伴い、積荷や船体ばかりでなく、われわれの命さえも危険にさらすものと思われます」(使徒の働き27:10、口語訳)。しかし誰も耳を貸しませんでした。百人隊長は水先案内人や船主の言葉を選びました。そして何よりも、彼らは多数決を取りました。多数派の意見が、神の人の言葉に勝ってしまったのです。
そして「南風が静かに吹いてきたので、彼らは、じぶんの思うつぼにはいったと思い、いかりを上げて」出航しました(使徒の働き27:13、口語訳)。すべての状況が好都合に見えました。天候、乗組員の多数派、プロの船乗りたちの技術。これらすべては、それ自体は良いものかもしれません。しかし一つだけ、欠けているものがありました。神様です。
これは、エリコでの勝利の後、アイの町を攻めに行ったイスラエルの民の物語を思い起こさせます。戦いの経験に自信を持っていた彼らは、三千人で十分だと判断しました。主に伺いを立てなかったのです。その結果は手痛い敗北でした。ローマの兵士たちや乗組員の態度もまた、船と積荷を失うという結果を招くことになります。
2. 嵐が襲うときの自分自身の努力(14~20節)
状況はあっという間に一変しました。穏やかだった風は激しい暴風に変わり、船は沖へと流されていきました。自分の運命を自分で決めていると思っていた者たちが、今や流されるがままです。彼らの技術はもはや何の役にも立ちません。
あらゆる努力にもかかわらず、彼らはついに希望を失うに至ります。彼らの奮闘は何日も続きました。あらゆることを試みました。綱で船体を締め固め、上陸を試み、積荷を海に投げ捨て、水深を測りました。しかし、どれも功を奏しませんでした。テキストははっきりとこう記しています。「幾日ものあいだ、太陽も星も見えず、暴風はいよいよ激しく吹きすさぶので、わたしたちの助かる望みは、ついに全く絶えてしまった」(使徒の働き27:20、口語訳)。
あなた自身の努力、あなた自身の能力、あなた自身の持てるものには限りがあります。嵐はいつも最終的に、それを明らかにするのです。
3. 神の御言葉に聞くこと(21~26節)
「わが助けはどこから来るであろうか。わが助けは天地を造られた主から来る」(詩篇121:1-2、口語訳)。この時、パウロが乗組員たちの真ん中に立ち上がります。この場面は、嵐に怯える弟子たちの真ん中で立ち上がられたイエス様を思い起こさせます。パウロは神の御言葉を告げます。自分がなぜここにいるのかを思い起こさせます。神様が自分にしてくださった約束を思い起こさせます。「わたしの仕えている神の御使が、昨夜わたしのそばに立って言った、『パウロよ、恐れるな』」(使徒の働き27:23-24、口語訳)。そしてパウロは仲間たちに、この全能の神様を信じるようにと励まします。
約束は明確です。彼らのうち誰一人として命を失うことはありません。神様は恵みを与えてくださいます。失われるのは物だけです。この約束は、今日のあなたにも与えられています。イエス様はあなたのために死なれました。一度限り、代価を支払われました。ここにいる私たち皆を、イエス様は解放してくださったのです。「こういうわけで、今やキリスト・イエスにある者は罪に定められることがない」(ローマ人への手紙8:1、口語訳)。「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」(ヨハネ 3:16、口語訳)。
4. 信仰の実践(30~32節)
この約束には条件が伴っていました。数人の水夫たちが、船首の錨を打とうとする口実で、小舟を海に降ろして逃げようとしました。そこでパウロは百人隊長と兵士たちにこう言いました。「この人たちが船にとどまっていないなら、あなたがたは助からない」(使徒の働き27:31、口語訳)。すると、最初はパウロの言葉に耳を貸さなかったこの士官が、今度は信頼を寄せます。彼は命令を出します。兵士たちは小舟の綱を切って、それを落としました。もはや人間的な手段で切り抜ける方法はありません。プランBはもうないのです。主は皆を、共に、同じ船の中で見守っておられます。
船にとどまるとはどういうことでしょうか。それは、神様への、私たちの救い主イエス・キリストへの信頼を保ち続けることです。自分自身で、自分の行いによって自分を救おうとしないことです。あなたが神様とその御子イエス・キリストを信じない口実は何でしょうか。誰も完全な人はいません。すべての人が罪を犯しました、私が真っ先にそうです。しかし、私たちが船の中にいるのは恵みによってです。私たちが救われるのは恵みによってなのです。
この実践される信仰は、アブラハムの信仰でもあります。「わたしたちの先祖アブラハムは、その子イサクを祭壇の上にささげた時、その行為によって義とされたのではないか」(ヤコブの手紙2:21、口語訳)。神様ご自身がアブラハムを止められました。しかしそこには全面的な従順がありました。信仰とは頭の中にとどめておく考えではなく、たとえその決断が無謀に思えても、手を使って下す決断なのです。
私自身、この証しができます。まさにこの説教を準備していたとき、ヨットに乗らないかと誘われました。私は思いました。分かった、信頼しよう、と。船が傾くたびに、妻を見てこう言いました。「大丈夫、私たちは皆無事だ、主が見守ってくださっている」と。海岸沿いに沖へと進んでいくと、本当に風が強くなってきました。その瞬間、陸にいたほうがよかったのではと思いました。これは、あなたの人生の中で嵐(病、落胆)があるとき、まさにそのときこそ、私たちを造られたがゆえに私たちを理解できるただ一人の方、私たちの救い主であり良き整備士であるイエス・キリストに寄りかからなければならない、ということを伝えたかったのです。
5. 無事に到着するためのキリストにある命(33~44節)
約束を確認し、小舟の綱を切るよう促した後、パウロは皆に力を取り戻すようにと励まします。どうやって信仰を養えばよいのでしょうか。「そう言って、パウロはパンを取り、みんなの前で神に感謝し、それをさいて食べはじめた」(使徒の働き27:35、口語訳)。
この表現は、別の場面を思い起こさせます。キリストは、渡される夜に、パンを取り、感謝をささげ、それを裂いてこう言われました。「これは、あなたがたのための、わたしのからだである。わたしを記念するため、このように行いなさい」(コリント人への第一の手紙11:24、口語訳)。聖餐にあずかることは、十字架でのキリストの犠牲を思い起こし、その再臨を待ち望むことです。「わたしは天から下ってきた生けるパンである。だれでもこのパンを食べるならば、永遠に生きるであろう」(ヨハネ 6:51、口語訳)。イエス様こそ命です。「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである」(マタイによる福音書4:4、口語訳)。力を取り戻すためには、御言葉を読み、黙想し、互いに励まし合うことによって、御言葉を糧としなければなりません。
物語の続きは、皆が無事に陸にたどり着いたことを示しています(使徒の働き27:44)。彼らの職業上の経験はそのとき役に立ちましたが、それはもはや自分自身の判断のためではなく、主に仕えるためでした。誰があなたに知恵を与えてくださるのでしょうか。誰があなたに富を与えてくださるのでしょうか。誰があなたに技術を与えてくださるのでしょうか。それは創造主です。自分の分野での知識がどれほどあっても、あなたの信仰はイエス・キリストに集中していなければなりません。「この名のほかに、わたしたちが救われるべき名は、天下のだれにも与えられていない」(使徒の働き4:12、口語訳)。
心に留めておきたいこと
- 神様の警告は嵐に先立って与えられます。それをブレーキと勘違いしないでください、それは愛のしるしです。
- あなたの努力には限りがあります。神様の力には限りがありません。嵐は、あなたが実際にどこに信頼を置いているかを明らかにします。
- パウロが立ち上がるとき、すべてが変わります。ふさわしい時に告げられる御言葉は、沈みかけていた人々を立ち上がらせます。
- 小舟の綱を切ることは、信仰の行為です。神様に頼ることを免除してくれるプランBを手放してください。
- 聖餐と御言葉は、嵐の中でのあなたの糧です。それがなければ、航海の途中で魂は飢え死にしてしまいます。
個人への適用
- 今あなたが避けて通ろうとしている、神様からの警告は何でしょうか。
- 今年、人生の大きな決断の舵を、あなたは誰に(あるいは何に)委ねてきたでしょうか。
- 主がまず立ち上がって御言葉に聞くようにと招いておられるのに、あなたが増やそうとしている自分自身の努力は何でしょうか。
- キリストに全面的に委ねるために、あなたが切り捨てるべき「救命ボート」(プランB、逃げ道)はあるでしょうか。
- 今週、あなたはどのように信仰を養っていますか。聖餐、御言葉の読書、兄弟姉妹との交わりを通してでしょうか。
引用聖句
- 使徒の働き 27:9-44(口語訳) · パウロの航海と難破
- 使徒の働き 23:11(口語訳) · 「安心しなさい……あなたはローマでもあかしをしなければならない」
- 詩篇 121:1-2(口語訳) · 「わが助けはどこから来るであろうか」
- ヨハネ 3:16(口語訳) · 「神はそのひとり子を賜わったほどに」
- ローマ人への手紙 8:1(口語訳) · 「今やキリスト・イエスにある者は罪に定められることがない」
- ヤコブの手紙 2:21(口語訳) · 実践されたアブラハムの信仰
- コリント人への第一の手紙 11:24(口語訳) · 聖餐の制定
- ヨハネ 6:51(口語訳) · 「わたしは天から下ってきた生けるパンである」
- マタイによる福音書 4:4(口語訳) · 「人はパンだけで生きるものではなく」
- 使徒の働き 4:12(口語訳) · 「この名のほかに救われるべき名はない」
- ヘブル人への手紙 11:1(口語訳) · 「信仰は堅く信じて疑わないこと」
よくある質問
人生の大切な決断を誰に委ねればいいのでしょうか
専門家や多数派、自分の能力よりも先に、まず神様に委ねましょう。使徒の働き27章の百人隊長は、パウロの言葉よりも水先案内人や船主の言葉を信じました。その結果は難破でした。主に相談することは、考えることの代わりにはなりませんが、その考えを正しい方向に導いてくれます。錨を上げる前に、自分の計画を主の前に置く習慣を持ちましょう。
嵐が長引くとき、どうやって信仰を養えばいいのでしょうか
主の食卓と御言葉によって力を取り戻すことです。パウロは難破の前に276人の乗客の前でパンを裂き、聖餐を先取りしました。キリストの犠牲を思い起こし、御言葉を読み、黙想し、他の信者たちと励まし合いましょう。神の御言葉は、周りのすべてが揺れ動くときにも、あなたの魂を生かし続けるパンです。
人生において「綱を切る」とはどういう意味でしょうか
それは、あなたを神から遠ざけてしまうプランBを手放すことです。パウロの命令で、兵士たちは小舟の綱を切りました。もはや救命ボートはなく、逃げ道もなく、残るのは神の約束への信頼だけです。あなたの人生においてそれは、「万が一のために」取っておく逃げ道であり、それがあなたをキリストに全面的に委ねることを妨げているものです。
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