神の慈愛が反逆する心を新しく生まれ変わらせるとき

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はじめに

ある友人がカフェに入り、エスプレッソを注文して財布を取り出しました。すると店主はこう答えました。「これは無料です。数分前にいらしたお客様が、次の20杯分を払っていかれたんですよ」。友人はその人を探しましたが、もう店を出た後でした。二週間後、その出来事に心を動かされた彼女は同じカフェに戻り、自分のコーヒー代を払うと同時に、次の4杯分のお金を置いて、周りの反応を待つことなく店を出て行きました。

これは、エドゥアール・ネルソンがテトスへの手紙3章4〜11節の説教の冒頭で語ったたとえです。人の心を本当に変えるものは何でしょうか。状況でしょうか。それとも動機でしょうか。あるいは、思いがけない親切との出会いでしょうか。使徒パウロはテトスへの手紙3章でこう答えます。人を新しく生まれ変わらせ、変え、動かすのは、神の慈愛なのです。

説教の構成

1. 出発点:反逆する者、奴隷、迷える者

パウロは元の状態を率直に描いています。「私たちも以前は、愚かで、不従順で、迷っており、様々な欲望と快楽の奴隷になっていました。悪意とねたみの中に生き、人に憎まれ、互いに憎み合っていました」(テトス 3:3)。この「私たち」という言葉が重要です。パウロは他人のことを語っているのではありません。自分自身のこと、つまり熱心なパリサイ人として神に仕え、宗教的な行いに励んでいた自分のことを語っているのです。

エドゥアール・ネルソンはこう強調します。人はとても宗教的でありながら、神から遠く離れていることがあり得るのです、と。目に見える形で神を拒むことよりも、宗教的な実践の陰に隠れた、礼儀正しく体裁の良い反逆のほうが、かえって見抜きにくいことがあります。しかし、目に見えても見えなくても、心の反逆そのものは変わりません。人の心とは、人を奴隷にしてしまう欲望の住みかです。子どもには一つのことを教えながら、数時間後には自分がその反対のことをしてしまう。他人の悪を指摘しながら、自分自身がそれを行っている。これが私たちの生まれながらの姿なのです。

2. 転換点:神の慈愛が現れる

「けれども、私たちの救い主である神の慈愛と、人への愛が現れたとき、神は私たちを救ってくださいました」(テトス 3:4-5)。神の慈愛が現れるとき、すべてが変わります。それは決して、私たちにふさわしいから起こった転換ではありません。パウロはこう念を押します。「それは私たちが行った義の行いによるのではなく、神ご自身のあわれみによるのです」(テトス 3:5)。

イエス様は反逆する者たちを探しに来られました。娼婦たち、盗人たち、取税人たち、そして宗教熱心なパリサイ人たちを救うために来られたのです。自分に害を加えてくる人々に、進んで良いことをするために来られたのです。エドゥアール・ネルソンは分かりやすいたとえを用います。感じの良い隣人に親切にするのは、それほど大きな犠牲を要しません。しかし、あなたの顔につばを吐きかけてくるような隣人のところへ行くのは、話が違います。それでもイエス様がなさったのは、まさにそのことでした。迫害者サウロのところへ行かれたように、情熱と反逆にまみれた私たちのところへも来てくださるのです。

3. 新生:新しい誕生の洗い

「神は私たちを救ってくださいました。……新しい誕生の洗いと、聖霊による刷新によって。神は私たちの救い主イエス・キリストを通して、聖霊を豊かに私たちに注いでくださいました。それは、私たちが神の恵みによって義と認められ、永遠のいのちの望みを持つ相続人となるためです」(テトス 3:5-7)。

ここでパウロは、救いを聖霊の体験として定義しています。すなわち、深い刷新、新しい誕生です。イエス様は反逆する者たちを取り、彼らを相続人へと造り変えてくださいます。この神の慈愛は、単に赦すだけのものではありません。それは創造する慈愛です。新しいいのち、新しい見方、新しい願いを生み出します。これは、パウロが前の章で語っていることとも重なります。「すべての人に救いをもたらす神の恵みが現れました。この恵みは、私たちが不敬虔とこの世の欲を捨て、慎み深く、正しく、敬虔に、この世を生きるように教えているのです」(テトス 2:11-12)。

4. 教え方:律法で打つのではなく、恵みを強調する

「このことばは真実です。私は、神を信じた人々が良い行いに励むように、あなたがこれらのことを力強く言い張ってほしいのです」(テトス 3:8)。人々が神を信じ、良い行いに励むようになるには、どうすればよいのでしょうか。人を打つことではありません。「力強く言い張る」とありますが、何について言い張るのでしょうか。7節にある恵みについてです。

エドゥアール・ネルソンはこう強調します。良いことをしようという動機は、自分を責め立てることからは生まれません。それは、自分がただで受け取ったのだと気づくときに生まれるのです。彼は信号機のたとえを用います。人は警察が怖いから交通ルールを守ることもできます。しかし、交通ルールが毎年何千もの命を救っている贈り物なのだと気づいたその日から、それに従うことは感謝と喜びの行為になります。クリスチャン生活も同じです。神の慈愛を繰り返し発見していくことこそが、自由で長続きする従順を生み出すのです。

5. 警戒:実りのない争いを避ける

「しかし、愚かな議論や、系図、争い、律法についての言い争いは避けなさい。それらは無益で空しいものだからです。分裂を引き起こす人には、一度、二度と警告した後、かかわりを持たないようにしなさい」(テトス 3:9-10)。新しいいのちがもたらす最初の実りの一つは、無益な争いを拒むことです。エドゥアール・ネルソンは、大げさにすることなく、SNSで見られる状況に触れます。投稿する前に、それが本当に役立つものなのか、それとも実りのないただの言い争いに過ぎないのかを自分に問いかけてみることです。福音によって形づくられた共同体は、受けた恵みのゆえに、一致を保つように召されています。

覚えておきたいポイント

  1. 私たちの出発点は、決して中立ではありません。反逆が目に見えるものであれ、宗教の陰に隠れたものであれ、それは現実のものです。パウロは、他人よりも先に、自分自身についてそう語っています。
  2. 神の慈愛は、報酬ではありません。それは、反逆する者たちのもとに届く贈り物です。私たちの義の行いをきっかけに与えられるものでは決してありません。
  3. 新生は、聖霊のみわざです。「新しい誕生の洗い」は、新しいいのち、新しい見方、新しい動機を生み出します。
  4. 長続きする従順を生むのは、恐れではなく恵みです。自分を責め立てることでやる気は生まれません。日々、イエス様がしてくださったことを思い返すことでやる気が生まれるのです。
  5. 実りのない争いを避けることも、良い行いの一つです。無益な対立から身を引くこと自体が、すでに恵みが教えることを実践していることになります。

個人への適用

  1. 私は今なお、キリストと出会う前のパウロ、つまり外面は宗教的でありながら、内面は頑なで、ねたみ深く、いらだちやすいという点で、彼に似ているところがあるでしょうか。
  2. 私は自分の努力によって神の慈愛にふさわしくなろうとしているでしょうか。それとも、それを日々、ただの贈り物として受け取っているでしょうか。
  3. 良いことをする気力が湧かないとき、私の最初の反応はどちらでしょうか。自分を責め立てることでしょうか、それともイエス様が自分のためにしてくださったことを思い出すことでしょうか。
  4. 私の周りに、隣人や同僚、家族の中に、あのカフェの人物のように、良くしてあげられる「難しい」相手はいないでしょうか。
  5. SNS上で、実りがなく、ただ人を分断させるだけの議論に、自分が引き込まれてしまっているものはないでしょうか。

引用聖句

よくある質問

テトス 3:5にある「新しい誕生の洗い」とは、具体的にどういう意味ですか。

この表現はバプテスマのイメージを想起させますが、パウロがここで語っているのは聖霊の内的なみわざです。すなわち、本当に新しいいのちをもたらす深い刷新のことです。これは単なる道徳的な修正ではなく、一つの始まりなのです。

エドゥアール・ネルソンは、なぜ宗教的な反逆のほうが見えにくいことがあると言うのでしょうか。

それは、体裁の良い実践の陰に隠れてしまうからです。パウロは回心する前、パリサイ人として神に熱心に仕えていました。それでもパウロ自身は、自分を「愚かで、迷い、奴隷になっていた」と表現しています。誠実な信仰心が、神から離れた心と同居してしまうことがあるため、それに気づくまでには時間がかかるのです。

「愚かな議論を避けなさい」(テトス 3:9)という御言葉を、具体的にどう実践すればよいですか。

エドゥアール・ネルソンは、特にオンラインでの議論に加わる前に、シンプルな習慣を提案しています。これから言おうとしていることが本当に役立つものなのか、それとも、何も生み出さずただ分断を招くだけの争いなのかを、自分に問いかけてみることです。そのような議論から身を引くこと自体が、すでにテトス3章に従うことになります。

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