はじめに
ある日曜日、イースターまであと数日というとき、ある説教者が聖書を詩篇22篇に開きました。福音書に記された十字架の記事ではありません。ダビデが書いた詩篇、イエス様が十字架に上げられるおよそ千年も前に書かれたものです。それでも、一節一節を読んでいくと、そこには苦しみ、祈り、望みを抱き、そして勝利するキリストの声が聞こえてきます。
この詩篇は、イエス様の内なる祈りそのものです。木に釘打たれている間も、着物を分けるためにくじが引かれている間も、骨がはずれていく間も、イエス様は千年前にダビデが書いたこの言葉を心に抱いていました。もし今、あなたが苦しみや悲しみ、孤独の季節を過ごしているなら、この詩篇はあなたにも関わりがあります。なぜなら、イエス様が耐え忍ばれたのは、あなたのためだったからです。
説教の構成
1. 十字架の千年前に書かれた詩篇
詩篇22篇はメシア預言的な詩篇です。ダビデはキリストが来られるおよそ千年前にこれを書きました。旧約聖書にはイエス様に関する三百以上の預言が含まれており、そのすべてが文字通り成就しています。この詩篇には、そのうちの特に精密なものがいくつも含まれています。
ダビデはイエス様の先祖であり、メシアの予表でもありました。彼は不完全で、いくつもの罪を犯しましたが、神様のみこころに従おうとしました。イエス様はその完全な成就です。この詩篇は、聖書の中で最も胸を引き裂くような叫びから始まります。「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」まさにイエス様が十字架の上でアラム語で叫ばれた言葉です。
2. 苦しみの真っただ中でのイエス様の祈り
十字架の上で、イエス様はいつものように神様を「父よ」とは呼ばれませんでした。ただ「わが神」と言われたのです。その瞬間、イエス様はあなたの罪に対する神様の怒りのすべてをご自分の身に引き受けられました。それが、あなたが赦されるために支払われなければならなかった代価でした。
ダビデは、イエス様が肉体的に経験することを前もって描写しています。「わたしの力は水のように注ぎ出され、骨はことごとくはずれてしまいました。わたしの心は、ろうのように、内で溶けています。」そして、当時としては信じがたい一文が続きます。「彼らはわたしの手足を突き刺しました。」十字架刑がローマの処刑方法となるより、千年も前に書かれた言葉です。
「彼らはわたしの着物を分け合い、わたしの衣服のためにくじを引きます。」ヨハネの福音書が伝えるとおり、ローマ兵は十字架のふもとでまさにそのとおりのことをしました。イエス様は、木曜の夜のゲツセマネから金曜の夜まで長く続く苦しみを味わい、六時間以上も木に釘づけにされていました。あざける者たちが求めたように、十字架から降りることもできたはずです。しかし、そうはされませんでした。この十字架がなければ、わたしたちの誰一人として、今日神様の御前に立つことはできなかったからです。
3. 復活:イエス様が兄弟たちを父のもとに集められる
詩篇はその中ほどで大きく転換します。苦しみは勝利へと道を譲ります。「わたしはあなたの御名を、わたしの兄弟たちに語り告げます。集会の中であなたをほめたたえます。」この集会とは、教会のことです。ヘブル人への手紙の著者は、この言葉が復活されたキリストのものであることを確認しています。
復活によって、イエス様は神様の御前で義とされました。重い石と番兵にもかかわらず空になった墓は、この犠牲が公に証明されたしるしです。キリスト教はすべて、この出来事の上に築かれており、幾世紀にもわたって何百万というクリスチャンが、そのために命をささげる覚悟をしてきました。
そして、この詩篇はさらに視野を広げます。「地の果てのすべての者は、思い出して主に立ち返り、諸国のすべての民族は、御前にひれ伏します。」今日、どこであろうと、クリスチャンの群れが集まるたびに、この預言はあなたの目の前で成就しているのです。
覚えておきたいポイント
- 神様の御前でのあなたの価値は計り知れません。 神様はあなたをあまりに愛しておられるので、ご自分の御子を渡されました。
- 神様は愛であり、また義であられます。 十字架において、その愛と義とが出会いました。
- イエス様が見捨てられることを味わわれたのは、あなたが決してそれを経験しなくてよいためです。 神様はあなたをさげすまず、退けず、御顔を隠されません。
- 復活がすべてを証明しています。 墓が空になったことで、あなたの罪の赦しは完全に確かなものとなりました。
- あなたも預言の成就の一部です。 あなたが父なる神様を礼拝するとき、詩篇22篇の約束が実現しているのです。
あなた自身への適用
- 今あなたが通っている試練は何ですか。イエス様の「わが神、わが神」という叫びは、それを生きるあなたの姿勢にどのような変化をもたらしますか。
- 今週、十分間の時間を取って、イエス様が十字架の上でこれを祈っておられる姿を思い浮かべながら、詩篇22篇をゆっくり読んでみてください。あなたの中に何が呼び覚まされますか。
- あなたの人生の中で、神様に見捨てられたと感じる場所はありますか。「主は苦しむ者の悩みをさげすまず、忌み嫌われない」という約束は、どのようにあなたに語りかけますか。
- 「わたしはあなたの御名を、わたしの兄弟たちに語り告げます」に倣って、今週、誰にイエス様があなたのためにしてくださったことを伝えることができますか。
- 日曜日の礼拝への参加が、三千年前の預言の成就であると気づくとき、その意味はどのように変わりますか。
説教で引用された聖句
- 詩篇22篇(口語訳) · メシア預言の詩篇全体
- ピリピ 2:2-7 · キリストのへりくだり
- レビ記 23:3 · 集いの日である安息日
- ヘブル 2:9-12 · イエス様はすべての人のために死を味わわれた
- ヨハネ 17:23 · 神様は御子を愛されたように、わたしたちを愛される
よくある質問
詩篇22篇は本当にイエス様についての預言ですか。
はい、そうです。ダビデがイエス様のおよそ千年前に書いたもので、その中にはダビデ自身の生涯には当てはまらない細部がいくつもあります。突き刺された手足、分けられた着物、公然とさらされた体、すべての民への救いの告知などです。イエス様ご自身が十字架の上でこれを引用されました。福音書は、十字架の日にこれらの細部の多くが文字通り成就したことを示しています。
イエス様が神であるなら、なぜ「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と言われたのですか。
十字架の上で、イエス様は世の罪を負われました。まさにその瞬間、イエス様はいつものように神様を「父よ」とは呼ばれず、「わが神」と呼ばれています。それは、罪に対する神様の怒りのすべてをご自分の身に引き受けられたからです。それが、あなたの赦しのために支払われなければならなかった代価でした。父と子との完全な交わりは、すべてが成し遂げられたときの最後の言葉で回復されます。
この詩篇は、今日苦しんでいる人に何を語りかけていますか。
この詩篇ははっきりと約束しています。神様は「苦しむ者の悩みをさげすまず、忌み嫌われず、御顔を隠すことなく、助けを求めて叫ぶときに聞いてくださる」のです。イエス様が十字架の上で見捨てられることを経験されたのは、あなたが決してそれを経験しなくてよいためです。今日のあなたの祈りは、確かに聞かれています。
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