はじめに
あなたのイエス・キリストへの信仰は、今どこに根ざしているでしょうか。それは神との生き生きとした親密な関係の中にあなたをとどめる信仰でしょうか。それとも「はい、私は信じています、キリストを知っています」と言うだけで満足してしまう信仰でしょうか。これは良いクリスチャンか悪いクリスチャンかという問題ではありません。状態の問題です。今、あなたの信仰はどのような状態にあり、どうすればそれが成長し、本当に永遠のいのちにつながり続けることができるのか、という問題なのです。
ヨハネは、一つの筋を通して福音書を書いています。イエスは神の子であり、キリストであり、信じるすべての人に永遠のいのちを与えてくださる、という筋です。2章は、まったく異なる二つの場面(カナでの婚礼と、エルサレム神殿への訪問)へと私たちを導きますが、示されているのは同じ一つの真理です。イエスにつながり続けることによってこそ、あなたの信仰は成長し、実を結ぶのです。
記事の構成
1. カナ:ぶどう酒が尽きたとき、あなたはこの状況を誰に委ねるか
三日目、イエスは弟子たちとともに、ガリラヤのカナでの婚礼に招かれます。母マリアはすでにそこにいて、おそらく祝宴の準備に関わっていました。ところが、食事の最中にぶどう酒が尽きてしまいます(ヨハネ2:1-3)。
ユダヤの文化において、ぶどう酒は喜びの象徴です。結婚式には欠かせないものでした。ぶどう酒を用意することは、花嫁の家族の責任でした。祝宴の真っ最中にぶどう酒が尽きることは、その家族全体に刻まれる公の恥となります。状況は深刻でした。
マリアはイエスのところへ行きます。彼女はイエスに命令しません。「何かしてちょうだい」とさえ言いません。ただ問題をイエスの前に差し出すだけです。「ぶどう酒がなくなりました。」それから彼女は召使いたちのほうを向いてこう言います。「あの方が言われることは、何でもそのとおりにしてください」(ヨハネ2:5)。
これは信仰の見事な姿です。マリアはもはや、自分がコントロールする息子としてではなく、自分が信頼するキリストとしてイエスに語りかけています。彼女は問題を手放します。イエスが何をするのか、そもそも何かをするのかどうかさえ分かりません。しかし彼女は下地を整えます。もしイエスが召使いたちに何かを言われれば、彼らはそれに従うだろう、と。
イエスは、清めの儀式のために置かれていた六つの大きな石の水がめに水を満たすよう命じられます。それぞれ80から120リットルほど入るものでした。そして、その中身を宴会の世話役のもとに運ばせます。すると水はぶどう酒に変わっていました。それも、宴の最初に出されたものよりも優れた、上質のぶどう酒でした(ヨハネ2:6-10)。
およそ600リットルのぶどう酒です。これは、ささやかで目立たない祝福ではありません。キリストのあふれるばかりの豊かさです。あなたが自分の危機的な状況をイエスに委ねるとき、イエスは応急処置だけで済ませたりはしません。あなたのありふれた日常のただ中に、あふれるほどの喜びを与えてくださいます。水(あなたが持っているもの、あなたが生きている現実、あなたの平凡な日々)を、イエスはぶどう酒に、本物の喜びに変えることがおできになるのです。
ヨハネはこう付け加えます。「イエスは、ガリラヤのカナで最初のこのしるしを行って、ご自分の栄光を現された。それで弟子たちはイエスを信じた」(ヨハネ2:11)。この細部は重要です。弟子たちはすでに1章でイエスを信じていました。ピリポとナタナエルは、イエスが神の子、イスラエルの王であるとすでに告白していたのです。それなのに、ここで彼らは再び信じるのです。信仰はゴールではありません。それは成長するものです。強められるものです。あなたがイエスの働きを自分の人生の中に見るたびに、深められていくものなのです。
2. 神殿:あなたの動機が清められるべきとき
その後まもなく、イエスは過越の祭りのためにエルサレムに上られます。神殿の中で、イエスは牛や羊、鳩を売る者たちと、座って両替をする者たちを見つけられます。イエスは縄でむちを作り、彼らを皆追い出し、両替人の台を倒し、こう言われます。「わたしの父の家を商売の家としてはならない」(ヨハネ2:13-16)。
何が起きていたのでしょうか。神は、民が神殿でいけにえとする動物を持って来ることを定めておられました。祭司たちには、その動物に欠陥がないかを確認する務めがありました。もともとの意図は、それほど悪いものではなかったかもしれません。遠方から来る人々を助けるために、その場で動物を売る仕組みが作られたのです。ローマの貨幣にはカエサルの肖像が刻まれており、神殿の中では使うことができませんでした。そこで両替の仕組みが設けられたのです。
しかし、人間の理屈が優位に立ちました。「こうしたほうが効率がいい」「少し稼げるじゃないか」。少しずつ、神が定められた仕組みは迂回され、置き換えられ、利用されていきました。礼拝の場は市場になってしまいました。神が礼拝として定められたものが、商売に変わってしまったのです。
神殿でのこの出来事は、まず教会運営についての教訓ではありません。それはあなたの心に向けられた鏡です。あなたが肉に従って、「そのほうが早い」「そのほうが得だ」「神は分かってくださるだろう」と考え始めるとき、あなたは神が定められたことを迂回しているのです。そして少しずつ、肉が礼拝の場所を奪っていくのです。
そこでユダヤ人たちは、そのようなことをする権威のしるしをイエスに求めます。イエスはこう答えられます。「この神殿を壊してみなさい。わたしは三日でそれを起こします」(ヨハネ2:19)。
彼らは呆然とします。ヘロデの神殿は、すでに46年間も建設が続けられていました。それは紀元前およそ20年に始まった巨大な工事であり、完成するのは西暦64年になってからのことです(そしてその後、70年に破壊されることになります)。それを三日で建て直す。不可能なことです。
「しかし、イエスはご自分のからだという神殿のことを言われたのである。それゆえ、イエスが死人の中からよみがえられたとき、弟子たちは、イエスがこう言われたことを思い出し、聖書とイエスが話されたことばとを信じた」(ヨハネ2:21-22)。ここでも再び、彼らは信じるのです。イエスが誰であるかを見て理解するたびに、彼らの信仰は成長し続けたのです。
3. 多くの人が信じたが、イエスはご自分を彼らに委ねなかった
この章の終わりに、ヨハネは気になることを記しています。エルサレムで、祭りの間、多くの人々がイエスの行われるしるしを見て、その名を信じました。それでも、「イエスご自身は、彼らに御自分をお任せにならなかった。それは、彼がすべての人を知っておられ……人のうちにあるものを、ご自分でよく知っておられたからである」(ヨハネ2:23-25)。
彼らは信じていました。その信仰は本物でした。しかしそれは脆く、表面的で、根を持っていませんでした。少し揺さぶられれば、たちまち揺らいでしまうものでした。イエスは、まだ彼らに信頼を委ねることができなかったのです。
これは種蒔きのたとえを思い起こさせます。種は良いものですが、すべては土地次第です。もしあなたの心が踏み固められた道のようなら、鳥(敵)がやって来てそのことばを持ち去ってしまいます。もし岩地のようなら、芽は出ても、少しの困難ですぐに枯れてしまいます。もし世の思い煩いや富への欲望でふさがれているなら、芽は少し育っても実を結びません。
実を結ぶ信仰とは、イエスにつながり続ける信仰です。それは、父との関係のうちにとどまり続ける信仰です。果実がぶどうの木につながっていなければ熟すことができないように、あなたの信仰も、永遠のいのちに、つまり神との生き生きとした、日々の、誠実な関係につながり続けていなければ、成長することはできないのです。
覚えておきたいポイント
- あなたの信仰は「良い」か「悪い」かで判断されるものではありません。本当の問いは、それが神との生き生きとした関係につながっているのか、それとも単なる頭の知識にとどまっているのか、ということです。
- カナでのマリアのように、信仰は要求せず、指図せずに状況をイエスに委ね、イエスが言われることを行う備えをします。
- あなたが自分の危機をキリストに委ねるとき、キリストはあなたの水をぶどう酒に変えてくださいます。キリストが与える喜びは、あなたが求めることをはるかに超えています。
- 肉はいつも、従順を犠牲にしてでも効率を求めます。生きた信仰は、たとえそれが実用的に見えなくても、神の道を受け入れます。
- 信仰は段階を経て成長します。今日信じることはゴールではありません。キリストとのそれぞれの経験が、あなたをより深く、新たに信じさせるのです。
- 教会に通った年数は、あなたの信仰の成熟度を測るものではありません。それを測るのは、日々の神との実際のつながりです。
個人への適用
- 今あなたが一人で対処しようとしている状況は何ですか。マリアのように、解決策を指図せずに、ただそれをイエスの前に差し出すことができますか。
- あなたの人生の中に、神への従順を「そのほうが効率的だから」というものに置き換えてしまった領域はありませんか。神が定められたことに立ち返るなら、何が起こるでしょうか。
- この12か月を振り返るとき、あなたの信仰はどこで成長しましたか。どこで止まったままでしたか。
- あなたと神との関係は、日曜日だけのものですか。それとも、あなたの日々の平凡な生活をも養っていますか。
- 今日、あなたの信仰には喜びがありますか。もしないなら、あなたはイエスにどんな「ぶどう酒」を与えていただきたいと願っていますか。
引用された聖句
- ヨハネ2:1-11 ・ カナの婚礼
- ヨハネ2:13-22 ・ 神殿の宮清め
- ヨハネ2:23-25 ・ まだ脆い信仰
- ヨハネ1:49 ・「あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です」
よくある質問
「永遠のいのちにつながる」とはどういう意味ですか。
ヨハネの福音書において、永遠のいのちとは、単に死後のいのちのことではありません。それは、神とイエス・キリストを親しく知ることです(ヨハネ17:3)。永遠のいのちにつながるとは、キリストを通して、日々、父との生き生きとした関係の中にとどまることです。
なぜイエスは、ご自分を信じた人々に信頼を委ねられなかったのですか。
彼らの信仰は本物ではあっても、表面的で根を持っていなかったからです。彼らはしるしを見たから信じていましたが、その心はまだ試練を通り抜ける備えができていませんでした。人の心を知っておられるイエスは、その信仰が成長するのを待ってから、完全に信頼を委ねる必要があることをご存じでした。
教会に何年も通ってきた後でも、私の信仰は成長できますか。
はい、もちろんできます。教会に通った時間の長さが成熟を決めるのではありません。それを決めるのは、日々の神とのつながりです。神とのつながりが薄い信仰歴30年のクリスチャンは、キリストに深く結びついている新しく信じたばかりの人よりも、小さな信仰しか持っていないこともあり得ます。
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