聖書の人物 主の兄弟ユダ

生涯、名前の意味、人生の教訓

要約

ユダは、ナザレの人々がヤコブ、ヨセ、シモンとともに名を挙げたイエスの兄弟の一人です。イエスの宣教の間、兄弟たちはまだイエスを信じていませんでした。後にユダは、自分をイエス・キリストのしもべ、ヤコブの兄弟と紹介し、主との血縁を誇ることはありません。彼はユダの手紙を書き、聖徒たちに一度だけ伝えられた信仰のために戦うよう勧め、神が信じる者をつまずかないように守ってくださる確信で手紙を結んでいます。

主の兄弟ユダという名前の意味

ユダは、ギリシア語のイウダスの日本語形で、ヘブル語のイェフダー(ユダ)に当たります。この名は一般に賛美の意味と結びつけられ、族長ユダが生まれたとき、母が主をほめたたえようと言いました(創世記29章35節)。

主の兄弟ユダの時代背景

ユダは一世紀、福音書と使徒行伝が描く世界に生きた人物です。ガリラヤのナザレで、マリヤ、ヤコブ、ヨセ、シモン、そして名前の記されていない姉妹たちとともに、イエスの家族の一員として育ちました。福音書によれば、イエスの公の働きの間、兄弟たちはイエスを信じていませんでした。しかし復活の後、使徒行伝は彼らがエルサレムで弟子たちやマリヤとともに祈っている姿を伝えます。パウロはこの町で主の兄弟ヤコブに会い、別の箇所では主の兄弟たちが妻を連れて旅をする権利にも触れています。ユダはこうした環境の中にいて、自分をヤコブの兄弟と名乗ります。彼の手紙は、教会に紛れ込み、神の恵みを放縦の口実に変える人々という具体的な危険に答えるものです。宛先も年代も記されておらず、一世紀の書簡とされること以上は分かりません。著者は旧約聖書に通じ、荒野、ソドム、カイン、バラム、コラの例を挙げて読者に警告し、信仰を堅く守るよう励まします。

主の兄弟ユダの生涯

  1. ナザレにいたイエスの兄弟

    マルコ6章1〜6節

    イエスは郷里に帰り、安息日に会堂で教え始められます。聞いた人々はその知恵と奇跡に驚きますが、あまりによく知っているために、この人は大工ではないか、マリヤの子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないかと口にします。姉妹たちも同じ町に住んでいました。こうしてユダは、それ以上の説明なしに、イエスの家族の一人として登場します。イエスは、預言者が敬われないのは郷里と親族と家の中だけだと答え、人々の不信仰に驚かれました。

  2. 信じなかった兄弟たち

    ヨハネ7章1〜10節

    仮庵の祭が近づいています。イエスはユダヤ人が殺そうとしているため、ユダヤには行かずガリラヤを巡っておられました。兄弟たちは、弟子たちがあなたの業を見られるようユダヤへ行きなさい、世に知られたいなら隠れて事をする人はいない、と勧めます。ヨハネは重い一言を添えます。兄弟たちもイエスを信じていなかったのです。イエスは、自分の時はまだ来ていないが、あなたがたの時はいつでもある、と答えます。兄弟たちが先に祭へ上り、イエスは公にではなく、ひそかに上られました。本文はユダの名を挙げませんが、兄弟たちの態度を描いています。

  3. マリヤとともに二階座敷で祈る

    使徒行伝1章12〜14節

    イエスの昇天の後、弟子たちはエルサレムに戻り、いつも集まっていた二階座敷に上ります。ルカは十一人の使徒の名を挙げ、彼らは女たちや、イエスの母マリヤ、またイエスの兄弟たちとともに、心を合わせてひたすら祈っていたと記します。働きの間に疑っていた人たちが、今は信じる者の中にいるのです。本文はその歩みを詳しく語らず、兄弟たちの名も挙げません。そのため、誰がその場にいたかは言えません。ただ変化ははっきりしています。イエスの家族が、今は教会とともに祈っているのです。

  4. イエス・キリストのしもべ

    ユダ1章1〜2節

    手紙はごく控えめな自己紹介で始まります。イエス・キリストのしもべ、ヤコブの兄弟ユダ。イエスの家で育った人が、血縁を誇らず、仕える者として名乗ります。宛先は、召された人々、父なる神に愛され、イエス・キリストのために守られている人々です。召された、愛された、守られたという三つの言葉は、救いが神の働きかけに基づくことを示します。ユダは彼らに、あわれみと平安と愛が豊かに加えられるよう願います。この手紙は論争である前に、牧会の言葉として始まっています。

  5. 信仰のために戦う

    ユダ1章3〜4節

    ユダは、なぜ予定を変えたのかを説明します。本当は共通の救いについて書きたかったのですが、聖徒たちにひとたび伝えられた信仰のために戦うよう勧める必要を感じたのです。ここでの信仰は個人の意見ではなく、受け取った完全な教えであり、守るべきものです。危険は内側から来ます。ある人々が忍び込んで来たからです。彼らは神の恵みを放縦に変え、ただ一人の主であるイエス・キリストを否定しています。彼らの過ちは二重です。恵みの名で罪を言い訳することと、イエスの権威を拒むことです。

  6. 聖書から引かれる実例

    ユダ1章5〜16節

    ユダは読者に、すでに知っていることを思い起こさせます。主はエジプトから民を救い出した後、信じない者たちを滅ぼされました。自分の地位を守らなかった御使いたちはさばきの日まで閉じ込められ、ソドムとゴモラは見せしめとされています。大天使ミカエルは悪魔に対して、ののしってさばくことをせず、主があなたを戒めてくださるように、と言いました。続いて、カインの道、バラムの迷い、コラの反逆を挙げ、エノクが不敬虔な者へのさばきを預言したことにも触れます。最後に、水のない雲、実のない木、荒れ狂う波という比喩で彼らを描きます。

  7. 堅く立ち、ほかの人を助ける

    ユダ1章17〜23節

    警告の後、ユダは語調を変えます。愛する者たちよ、わたしたちの主イエス・キリストの使徒たちが前もって語った言葉を思い出しなさい、と。終わりの時にあざける者たちが現れ、分裂を引き起こすと告げられていました。踏みとどまるために、三つのことが示されます。最も聖なる信仰の上に自分を築き上げること、聖霊によって祈ること、神の愛の中にとどまり、永遠のいのちに至るイエス・キリストのあわれみを待ち望むことです。さらに他の人への行動も勧められます。疑う人を戒め、火の中から引き出して救い、恐れをもってあわれむのです。

  8. 賛美による結び

    ユダ1章24〜25節

    手紙は脅しではなく賛美で終わります。あなたがたをつまずかないように守り、傷のない者として喜びのうちに栄光の前に立たせることのできる方、わたしたちの救主である唯一の神に、わたしたちの主イエス・キリストを通して、栄光と威厳と権力と権威があるように、とユダは記します。信仰のために戦うよう呼びかけた人が、最後にすべてを神に帰しています。守りは信じる者だけの働きではなく、始めから栄光まで神が守ってくださるのです。ナザレで大工の子と見られた兄弟が、ここでは主と告白されています。

主の兄弟ユダの家族

母
マリヤ マルコ6章3節
兄
イエス マルコ6章3節
兄弟
ヤコブ ユダ1章1節
兄弟
ヨセ(ヨセフ) マタイ13章55節
兄弟
シモン マルコ6章3節

主の兄弟ユダから学ぶこと

  • イエスのそばにいることは、個人の信仰の代わりにはなりません。イエスの兄弟たちも初めは疑いましたが、神は信じない心をも変えることができます。
  • 真のしもべは、家族のつながりや肩書きを誇る必要がありません。自分をイエス・キリストのしもべと紹介します。
  • 信仰を守ることは、神がすべての信者に求められる戦いです。福音の真理のために、また恵みを罪の口実に変えるものに対して立ちます。
  • 自分の信仰を築き、聖霊によって祈り、神の愛のうちにとどまることが、迷いから守る最良の備えです。
  • 信者は自分の力だけで立つよう召されているのではありません。つまずかないように守ってくださるのは神です。

鍵となる聖句

ヨハネの福音書7章5節

福音書記者は、イエスの兄弟たちがイエスを信じていなかったと記します。信仰は家族や近さからではなく、キリストとの個人的な出会いから生まれることを思い起こさせます。

ユダの手紙1章3節

ユダは、聖徒たちに一度だけ伝えられた信仰のために戦うよう勧めます。福音のメッセージは受け継いだ宝であり、変えたり手放したりしてはなりません。

ユダの手紙1章20-21節

ユダは具体的な道を示します。いと聖なる信仰の上に自分を築き、聖霊によって祈り、永遠のいのちに至らせるイエス・キリストのあわれみを待ちつつ、神の愛のうちに自分を保つことです。

ユダの手紙1章24-25節

手紙は、救い主なるただ一人の神への賛美で終わります。神は、御前に傷なく喜びをもって立たせ、つまずかないように守ることのできる方です。

主の兄弟ユダについての説教

よくある質問

手紙の著者ユダは、イエスの兄弟ですか。

著者は、イエス・キリストのしもべ、ヤコブの兄弟ユダと名乗っています。マルコの福音書6章3節がヤコブとユダをイエスの兄弟に数えているため、一般にこのユダと同一人物とされます。ただし手紙の中でその血縁を主張してはいません。

ユダという名前の意味は何ですか。

ユダはギリシア語イウダスの日本語形で、ヘブル語のイェフダー、つまりユダに当たります。名は一般に賛美と結びつけられ、レアは息子をユダと名づけて主をほめたたえようと言いました(創世記29章35節)。聖書はこのユダ自身の名について説明していません。

ユダの物語は聖書のどこにありますか。

ユダがイエスの兄弟として挙げられるのは、マタイの福音書13章55節とマルコの福音書6章3節です。兄弟たちの態度はヨハネの福音書7章1-10節に記されています。彼のメッセージは、黙示録の前にある全1章25節のユダの手紙にあります。

イエスの兄弟たちはいつイエスを信じるようになったのですか。

ヨハネ7章5節は、兄弟たちがイエスを信じていなかったと記し、マルコ6章3節は、イエスに驚くナザレの人々の中に彼らがいたことを示します。しかし使徒行伝1章14節は、昇天の後、彼らが弟子たちやマリヤとともに祈っている姿を伝えます。本文は変化の正確な時期も、その経緯も説明していません。言えるのは結果だけで、信じなかった身近な人が信じる者になったということです。家族のために祈る人にとって、これは励ましです。近くにいても開かれなかった心に、神は届くことができるからです。

兄弟ユダは十二使徒の一人ですか。

聖書はそうは述べていません。使徒行伝1章13節の十一人の中にヤコブの子ユダがいますが、手紙の著者は自分を、イエス・キリストのしもべ、ヤコブの兄弟と呼び、使徒とは名乗っていません。17節では、使徒たちを自分とは別の人々として語り、使徒たちが前もって語った言葉を思い出すよう勧めています。一方マルコ6章3節は、ユダをイエスの兄弟の中に数えています。ですから二人は区別して考えるのがよく、本文の沈黙を、聖書がしていない同一視で埋めるべきではありません。

ユダとヤコブにはどんな関係がありますか。

著者は自分をヤコブの兄弟と呼びます(ユダ1章1節)。マルコ6章3節はヤコブとユダをイエスの兄弟に数え、ガラテヤ1章19節は、パウロがエルサレムで会った主の兄弟ヤコブについて語ります。のちにパウロはヤコブを訪ね、そこに長老たちが集まっていました(使徒行伝21章18節)。ヤコブは教会でよく知られ、敬われた人でした。ユダは自分をイエスとの関係ではなく、ヤコブとの関係で示しています。二人の年齢や生活、互いの関係については、聖書はこれ以上何も語っていません。

ユダはなぜ大天使ミカエルやエノクを引いているのですか。

9節でユダは、大天使ミカエルがモーセのからだについて悪魔と争ったとき、ののしってさばくことをせず、主があなたを戒めてくださるように、と言ったことを伝えます。知らないことをののしる人々との対比です。14、15節では、アダムから七代目のエノクが、不敬虔な者へのさばきについて預言したと述べます。ユダはこれらの話をどこから得たのかを示していませんので、何かを付け加えるのは控えるべきでしょう。大切なのは用い方です。ユダはこれらを警告のために用い、神のさばきが確かであることを思い出させているのです。

ユダの言う「信仰のために戦う」とはどういう意味ですか。

3節は、聖徒たちにひとたび伝えられた信仰について語ります。戦うとは、人を攻撃することではありません。ユダ自身が、大天使ミカエルでさえののしってさばかなかったと述べています。それは、恵みを放縦に変え、イエス・キリストを否定する人々に対して、福音の中身を守ることです(4節)。その手立ては後で示されます。最も聖なる信仰の上に自分を築き上げ、聖霊によって祈り、神の愛の中にとどまること(20、21節)、そして戒め、救い、あわれむこと(22、23節)です。ですからこの戦いは、まず忠実さと愛なのです。

ユダは結婚していたのですか。宣教師だったのですか。

ユダ個人については、聖書は答えていません。パウロは第一コリント9章5節で、ほかの使徒たちや主の兄弟たちやケパのように、信者である妻を連れて歩く権利がないのか、と問います。この言葉は主の兄弟たち一般について語っており、彼らの中に結婚して福音のために旅をする人がいたことを示唆します。しかしユダの名は挙がらず、彼が何をしたか、どこに住んだか、どのように生涯を終えたかは、この箇所からは言えません。これらの節を超える物語は、聖書の範囲の外にあります。

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