要約
ミカエルは神の僕である御使いで、ユダの手紙は彼を「御使のかしらミカエル」と呼びます。ダニエル書では、天使の長のひとりとして、またダニエルの民を守る大いなる君として登場します。ユダの手紙には、モーセの死体について悪魔と論じ争った時も、相手をののしらず、ただ主に裁きをゆだねたとあります。黙示録ではミカエルと御使たちが龍と戦います。勝利は神から来ることが心に残ります。
御使いのかしらミカエルという名前の意味
ミカエルはヘブル語の名で、一般に「だれが神のようであろうか」という問いの形に解されます。聖書はその意味を説明していませんが、すべての権威を主に帰する御使いの姿と調和します。
御使いのかしらミカエルの生涯
ミカエルが助けに来る
ダニエル書10章12-14節三週のあいだ悲しんだダニエルに、亜麻布の衣を着た人が、あなたの言葉は初めの日から聞かれたと告げます。しかしペルシャの国の君が二十一日のあいだ立ちふさがり、天使の長のひとりであるミカエルが来て助けたのだと言います。祈りへの答えの陰に、目に見えない戦いがありました。
あなたがたの君ミカエル
ダニエル書10章20-21節使者は、これからペルシャの君と戦いに戻り、そのあとギリシヤの君があらわれると告げます。そして「わたしを助けて、彼らと戦う者は、あなたがたの君ミカエルのほかにはありません」と言います。本文は、諸国の歴史に結びつく見えない戦いを示しますが、その詳細は語りません。
民を守る大いなる君
ダニエル書12章1-3節終りの時に、あなたの民を守っている大いなる君ミカエルが立ちあがります。国が始まってから例のない悩みの時が来ますが、その時、あの書に名をしるされた者は皆救われます。この箇所は、地のちりの中に眠る者の復活も告げています。永遠の生命にいたる者と、恥辱をうける者がいます。
悪魔に対するミカエルの態度
ユダの手紙1章9節ユダは、御使のかしらミカエルが、モーセの死体について悪魔と論じ争った時、相手をののしりさばくことはあえてせず、ただ「主がおまえを戒めて下さるように」と言っただけだったと記します。ユダはこれを、権威ある者を軽んじ、知りもしないことをそしる人々への戒めとして引きます。
天での戦い
黙示録12章7-11節ヨハネの幻では、天で戦いが起こり、ミカエルとその御使たちが龍と戦います。悪魔とかサタンとか呼ばれる巨大な龍は、その使たちとともに地に投げ落されます。天の大きな声は、救と力と国が現れたと宣言します。兄弟たちは、小羊の血と彼らのあかしの言葉とによって彼にうち勝ちました。
御使いのかしらミカエルから学ぶこと
- ミカエルは神の僕です。悪に対する勝利は主のものであり、礼拝されるべきは主ただおひとりです。
- 悪魔に対するふさわしい態度は、ののしることではなく、主の権威を信頼することです。
- 霊的な戦いは現実ですが、神はご自分の民を見守っておられ、祈りは決して無駄になりません。
- サタンはすでに敗れた敵です。信者は小羊の血とあかしの言葉によって勝利します。
- 神の民は、名が書にしるされた者は救われるという望みをもって、悩みの時を通ることができます。
鍵となる聖句
ミカエルは、ダニエルの民を守る大いなる君として示されます。かつてない悩みの時にも、書に名をしるされた者は救われます。
御使のかしらミカエルでさえ、悪魔をののしりさばくことをせず、裁きを主にゆだねました。霊的な戦いにおける謙遜の教えです。
ミカエルとその御使たちは龍と戦い、龍は地に投げ落されます。全世界を惑わす悪魔には、もはや天に居場所がありません。
御使いのかしらミカエルについての説教
よくある質問
御使いのかしらミカエルはイエスですか。
いいえ。聖書はミカエルを御使いとして示します。ユダは彼を御使のかしらと呼び、ダニエル書は天使の長のひとりと記します。ミカエルは、すべての御使が拝する神の御子イエスと混同してはなりません(ヘブル人への手紙1章6節)。ミカエルは悪魔を裁かず主にゆだねますが、キリストはすべての権威を受けておられます。
ミカエルという名は何を意味しますか。
ミカエルはヘブル語に由来し、一般に「だれが神のようであろうか」という問いの形に解されます。聖書はこの名を注解していませんが、ミカエルについて語られることはすべて、神に仕え、悪魔に対しては主に裁きをゆだねる姿を示しています。
御使いのかしらミカエルは聖書のどこに出てきますか。
ミカエルの名は五回出てきます。ダニエル書10章13節、10章21節、12章1節では神の民を守り、ユダの手紙1章9節では悪魔と論じ争い、黙示録12章7節では龍と戦います。背景として、ダニエル書10章から12章と、黙示録12章を読むとよいでしょう。