謙遜は神が最も誉れを与え、世が最も理解しない徳です。「おおよそ、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」(マタイ23章12節)。それは自分を卑下することではなく、自分を思う回数を減らし、「互に人を自分よりすぐれた者と」することです(ピリピ2章3節)。
その絶対的な模範はキリストです。十字架に至るまで「おのれを低くして」くださいました(ピリピ2章)。そして約束は変わりません。「主のみまえにへりくだれ。そうすれば、主は、あなたがたを高くして下さるであろう」(ヤコブ4章10節)。神の国では、上への道は下を通ります。
謙遜に関する聖書の言葉
« 何事も党派心や虚栄からするのでなく、へりくだった心をもって互に人を自分よりすぐれた者としなさい。 »
« 主のみまえにへりくだれ。そうすれば、主は、あなたがたを高くして下さるであろう。 »
« 謙遜と主を恐れることとの報いは、富と誉と命とである。 »
« だから、あなたがたは、神の力強い御手の下に、自らを低くしなさい。時が来れば神はあなたがたを高くして下さるであろう。 »
« 人よ、彼はさきによい事のなんであるかを あなたに告げられた。主のあなたに求められることは、ただ公義をおこない、いつくしみを愛し、へりくだってあなたの神と共に歩むことではないか。 »
« だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう。 »
« 高ぶりは滅びにさきだち、誇る心は倒れにさきだつ。 »
« だから、あなたがたは、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者であるから、あわれみの心、慈愛、謙そん、柔和、寛容を身に着けなさい。 »
謙遜に関するよくある質問
謙遜とは自分を低く評価することですか?
いいえ — 自分を卑下するのも、まだ自分を見つめることです。聖書の謙遜は自分への視線から解放します。自分の価値(神に愛されている)を知っているので、証明する必要がなくなるのです。
どうすればもっと謙遜になれますか?
内省よりも実践によってです。見られずに仕える、語る前に聴く、他者の成功を祝う、指摘を受け入れる。そしてキリストを見つめること — 高慢は十字架のふもと以外では溶けにくいのです。
なぜ神は高ぶる者を退けられるのですか?
高慢は神を必要としない罪だからです。「神は高ぶる者をしりぞけ、へりくだる者に恵みを賜う」(ヤコブ4章6節)。恵みは開かれた手しか満たせません。