聖書 — 口語訳 (1955)
ガラテヤ人への手紙 3
概要
ガラテヤ人への手紙3章で、パウロは、御霊によって始めながら律法の行いに向かおうとしているキリスト者を、激しく戒めます。彼らが御霊を受けたのは信じたときであり、アブラハムが神を信じ、それが義と認められたのと同じだと思い起こさせます。真のアブラハムの子とは信仰による人々であり、律法より前の約束は取り消されることがありません。律法はキリストへ導く養育係の役割を果たしました。章は、キリストにあるすべての人の平等と、約束の相続人であることで終わります。
この章の5つの区分
1ああ、物わかりのわるいガラテヤ人よ。十字架につけられたイエス・キリストが、あなたがたの目の前に描き出されたのに、いったい、だれがあなたがたを惑わしたのか。
2わたしは、ただこの一つの事を、あなたがたに聞いてみたい。あなたがたが御霊を受けたのは、律法を行ったからか、それとも、聞いて信じたからか。
3あなたがたは、そんなに物わかりがわるいのか。御霊で始めたのに、今になって肉で仕上げるというのか。
4あれほどの大きな経験をしたことは、むだであったのか。まさか、むだではあるまい。
5すると、あなたがたに御霊を賜い、力あるわざをあなたがたの間でなされたのは、律法を行ったからか、それとも、聞いて信じたからか。
6このように、アブラハムは「神を信じた。それによって、彼は義と認められた」のである。
7だから、信仰による者こそアブラハムの子であることを、知るべきである。
8聖書は、神が異邦人を信仰によって義とされることを、あらかじめ知って、アブラハムに、「あなたによって、すべての国民は祝福されるであろう」との良い知らせを、予告したのである。
9このように、信仰による者は、信仰の人アブラハムと共に、祝福を受けるのである。
10いったい、律法の行いによる者は、皆のろいの下にある。「律法の書に書いてあるいっさいのことを守らず、これを行わない者は、皆のろわれる」と書いてあるからである。
11そこで、律法によっては、神のみまえに義とされる者はひとりもないことが、明らかである。なぜなら、「信仰による義人は生きる」からである。
12律法は信仰に基いているものではない。かえって、「律法を行う者は律法によって生きる」のである。
13キリストは、わたしたちのためにのろいとなって、わたしたちを律法ののろいからあがない出して下さった。聖書に、「木にかけられる者は、すべてのろわれる」と書いてある。
14それは、アブラハムの受けた祝福が、イエス・キリストにあって異邦人に及ぶためであり、約束された御霊を、わたしたちが信仰によって受けるためである。
15兄弟たちよ。世のならわしを例にとって言おう。人間の遺言でさえ、いったん作成されたら、これを無効にしたり、これに付け加えたりすることは、だれにもできない。
16さて、約束は、アブラハムと彼の子孫とに対してなされたのである。それは、多数をさして「子孫たちとに」と言わずに、ひとりをさして「あなたの子孫とに」と言っている。これは、キリストのことである。
17わたしの言う意味は、こうである。神によってあらかじめ立てられた契約が、四百三十年の後にできた律法によって破棄されて、その約束がむなしくなるようなことはない。
18もし相続が、律法に基いてなされるとすれば、もはや約束に基いたものではない。ところが事実、神は約束によって、相続の恵みをアブラハムに賜わったのである。
19それでは、律法はなんであるか。それは違反を促すため、あとから加えられたのであって、約束されていた子孫が来るまで存続するだけのものであり、かつ、天使たちをとおし、仲介者の手によって制定されたものにすぎない。
20仲介者なるものは、一方だけに属する者ではない。しかし、神はひとりである。
21では、律法は神の約束と相いれないものか。断じてそうではない。もし人を生かす力のある律法が与えられていたとすれば、義はたしかに律法によって実現されたであろう。
22しかし、約束が、信じる人々にイエス・キリストに対する信仰によって与えられるために、聖書はすべての人を罪の下に閉じ込めたのである。
23しかし、信仰が現れる前には、わたしたちは律法の下で監視されており、やがて啓示される信仰の時まで閉じ込められていた。
24このようにして律法は、信仰によって義とされるために、わたしたちをキリストに連れて行く養育掛となったのである。
25しかし、いったん信仰が現れた以上、わたしたちは、もはや養育掛のもとにはいない。
26あなたがたはみな、キリスト・イエスにある信仰によって、神の子なのである。
27キリストに合うバプテスマを受けたあなたがたは、皆キリストを着たのである。
28もはや、ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もない。あなたがたは皆、キリスト・イエスにあって一つだからである。
29もしキリストのものであるなら、あなたがたはアブラハムの子孫であり、約束による相続人なのである。
鍵となる聖句
わたしは、ただこの一つの事を、あなたがたに聞いてみたい。あなたがたが御霊を受けたのは、律法を行ったからか、それとも、聞いて信じたからか。
パウロは、彼ら自身の経験に立ち返らせる単純な問いを投げかけます。御霊を受けたのは、律法を行ったからか、それとも、聞いて信じたからか。キリスト者の歩みの出発点は、稼いだ報酬ではなく、受けた賜物です。
そこで、律法によっては、神のみまえに義とされる者はひとりもないことが、明らかである。なぜなら、「信仰による義人は生きる」からである。
パウロは旧約聖書を引きます。義人は信仰によって生きる。律法を守ることによって神の前で義とされる人はおらず、神がなされたことへの信頼によって義とされます。この節はローマ人への手紙とヘブル人への手紙でも引かれています。
キリストは、わたしたちのためにのろいとなって、わたしたちを律法ののろいからあがない出して下さった。聖書に、「木にかけられる者は、すべてのろわれる」と書いてある。
キリストは、律法のすべてを成し遂げることのできない人々の上にあった呪いを、ご自身で引き受けられました。パウロは、私たちの代わりに支払われた代価としての、あがないを語ります。この節は、十字架を解放の行為として説明しています。
このようにして律法は、信仰によって義とされるために、わたしたちをキリストに連れて行く養育掛となったのである。
律法は、子供を学校へ連れて行く奴隷である養育係にたとえられています。律法は目的ではなく、救い主の必要を示し、信仰によって義とされるキリストへと導きます。
もはや、ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もない。あなたがたは皆、キリスト・イエスにあって一つだからである。
キリストにあっては、ユダヤ人と異邦人、奴隷と自由人、男と女の壁は、神に近づくうえでもはや問題になりません。教会での役割にこの節がどう及ぶかについてはキリスト者の間で議論がありますが、神の前での平等ではだれもが一致しています。
説教が語っていること
ガラテヤ人への手紙3章についてよくある質問
ガラテヤ人への手紙3章11節の義人は信仰によって生きるとはどういう意味ですか
パウロはハバクク書を引き、神が義と認めた人は、律法によって神の承認を得ようとするのではなく、神を信頼して生きると述べます。信仰は追加の努力ではなく、神がイエス・キリストにおいてすでになされたことへの応答です。
ガラテヤ人への手紙3章で律法は何のためにありますか
パウロは、律法は違反を促すために約束のあとに加えられ、キリストが来られるまで養育係の役割を果たしたと説明します。律法はいのちを与えることはできませんが、罪と救い主の必要を示します。律法は神の約束に反するものではありません。
キリストにあってはユダヤ人もギリシヤ人もなく、男も女もないとはどういう意味ですか
28節でパウロは、すべての信者がキリスト・イエスにあって一つであり、出身や身分によって神への近づきやすさに差はないと述べます。教会での役割にこれが何を意味するかについてはキリスト教の伝統によって見解が異なりますが、救いにおいて神の前ですべての人が平等であることはどれも認めています。
ガラテヤ人への手紙3章のアブラハムの子とはだれですか
パウロは、アブラハムが神を信じたように、信仰を持つ人々だと答えます。すべての国民への祝福の約束は、ユダヤ人であってもなくても、信じる人々に開かれており、彼らは約束による相続人です。
ガラテヤ人への手紙 3を引用している記事
口語訳(1955年)— パブリックドメイン。