聖書 — 口語訳 (1955)
箴言 30
概要
箴言30章は、ヤケの子アグルのことばを集めています。彼は自分に知恵が足りないことを認めることから始め、創造主についての問いを投げかけ、神のことばはすべて試されたものだと告げます。続いて祈りをささげます。貧しさも富も与えず、必要な糧だけを与えてください、と。この章は、高ぶる世代や親を敬わない世代を非難し、理解するにはあまりに不思議なもの、また耐えがたいものを数え上げ、続いて小さくて賢い四つの生き物、堂々とした四つの歩み、そして高ぶりに対する一つの勧めを示します。
この章の6つの区分
1マッサの人ヤケの子アグルの言葉。その人はイテエルに向かって言った、すなわちイテエルと、ウカルとに向かって言った、
2わたしは確かに人よりも愚かであり、わたしには人の悟りがない。
3わたしはまだ知恵をならうことができず、また、聖なる者を悟ることもできない。
4天にのぼったり、下ったりしたのはだれか、風をこぶしの中に集めたのはだれか、水を着物に包んだのはだれか、地のすべての限界を定めた者はだれか、その名は何か、その子の名は何か、あなたは確かにそれを知っている。
5神の言葉はみな真実である、神は彼に寄り頼む者の盾である。
6その言葉に付け加えてはならない、彼があなたを責め、あなたを偽り者とされないためだ。
7わたしは二つのことをあなたに求めます、わたしの死なないうちに、これをかなえてください。
8うそ、偽りをわたしから遠ざけ、貧しくもなく、また富みもせず、ただなくてならぬ食物でわたしを養ってください。
9飽き足りて、あなたを知らないといい、「主とはだれか」と言うことのないため、また貧しくて盗みをし、わたしの神の名を汚すことのないためです。
10あなたは、しもべのことをその主人に、あしざまにいってはならない、そうでないと彼はあなたをのろい、あなたは罪をきせられる。
11世には父をのろったり、母を祝福しない者がある。
12世には自分の目にみずからを清い者として、なおその汚れを洗われないものがある。
13世にはまた、このような人がある―― ああ、その目のいかに高きことよ、またそのまぶたのいかにつりあがっていることよ。
14世にはまたつるぎのような歯をもち、刀のようなきばをもって、貧しい者を地の上から、乏しい者を人の中から食い滅ぼすものがある。
15蛭にふたりの娘があって、「与えよ、与えよ」という。飽くことを知らないものが三つある、いや、四つあって、皆「もう、たくさんです」と言わない。
16すなわち陰府、不妊の胎、水にかわく地、「もう、たくさんだ」といわない火がそれである。
17自分の父をあざけり、母に従うのを卑しいこととする目は、谷のからすがこれをつつき出し、はげたかがこれを食べる。
18わたしにとって不思議にたえないことが三つある、いや、四つあって、わたしには悟ることができない。
19すなわち空を飛ぶはげたかの道、岩の上を這うへびの道、海をはしる舟の道、男の女にあう道がそれである。
20遊女の道もまたそうだ、彼女は食べて、その口をぬぐって、「わたしは何もわるいことはしない」と言う。
21地は三つのことによって震う、いや、四つのことによって、耐えることができない。
22すなわち奴隷たる者が王となり、愚かな者が食物に飽き、
23忌みきらわれた女が嫁に行き、はしためが女主人のあとにすわることである。
24この地上に、小さいけれども、非常に賢いものが四つある。
25ありは力のない種類だが、その食糧を夏のうちに備える。
26岩だぬきは強くない種類だが、その家を岩につくる。
27いなごは王がないけれども、みな隊を組んでいで立つ。
28やもりは手でつかまえられるが、王の宮殿におる。
29歩きぶりの堂々たる者が三つある、いや、四つあって、みな堂々と歩く。
30すなわち獣のうちでもっとも強く、何ものの前にも退かない、しし、
31尾を立てて歩くおんどり、雄やぎ、その民の前をいばって歩く王がそれである。
32あなたがもし愚かであって自ら高ぶり、あるいは悪事を計ったならば、あなたの手を口に当てるがよい。
33乳をしめれば凝乳が出る、鼻をしめれば血がでる、怒りをしめれば争いが起る。
鍵となる聖句
神の言葉はみな真実である、神は彼に寄り頼む者の盾である。 その言葉に付け加えてはならない、彼があなたを責め、あなたを偽り者とされないためだ。
神のことばはすべて試されたもので、神は、ご自身に身を寄せる人々の盾です。次の節は、そのことばに何かを加えることを禁じ、聖書に人間による補足は必要ないことを思い起こさせます。
うそ、偽りをわたしから遠ざけ、貧しくもなく、また富みもせず、ただなくてならぬ食物でわたしを養ってください。 飽き足りて、あなたを知らないといい、「主とはだれか」と言うことのないため、また貧しくて盗みをし、わたしの神の名を汚すことのないためです。
アグルは、必要な糧だけを求めます。豊かさは神を否む原因となり、貧しさは盗みに至らせることがあるからです。この祈りは、貧困も贅沢も退け、蓄えることではなく、ほどよい分を求めています。
世には自分の目にみずからを清い者として、なおその汚れを洗われないものがある。 世にはまた、このような人がある―― ああ、その目のいかに高きことよ、またそのまぶたのいかにつりあがっていることよ。
アグルは、自分は清いと思い込みながら、汚れを洗われていない世代、高ぶった目をした世代を描きます。危険なのは、自分にきよめが必要なことに気づかないことです。
蛭にふたりの娘があって、「与えよ、与えよ」という。飽くことを知らないものが三つある、いや、四つあって、皆「もう、たくさんです」と言わない。
蛭には二人の娘がいて、ちょうだい、ちょうだいと繰り返します。説教者たちは、配偶者や持ち物にすべてを期待する人は、決して満たされないとここから語ります。
この地上に、小さいけれども、非常に賢いものが四つある。 ありは力のない種類だが、その食糧を夏のうちに備える。 岩だぬきは強くない種類だが、その家を岩につくる。 いなごは王がないけれども、みな隊を組んでいで立つ。 やもりは手でつかまえられるが、王の宮殿におる。
小さいのに非常に賢いとされる生き物が四つあります。食べ物を備えるあり、いわたぬき、いなご、やもりです。知恵は、大きさや力では測れません。
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箴言30章についてよくある質問
箴言30章8節から9節はどういう意味ですか
アグルは神に、偽りを自分から遠ざけ、貧しさも富も与えず、ただ必要な糧だけを与えてくださいと願います。豊かさの中では神を否むかもしれず、貧しさの中では盗むかもしれないからです。この祈りは、ほどよい分と神への依存へと招いており、貧しさを美徳にするものではありません。
箴言30章のアグルとは誰ですか
アグルは、ヤケの子であること、イティエルとウカルにことばを向けていること以外、ほとんど何も知られていない知者です。彼は自分の限界を認め、神のことばに身を寄せます。その謙遜は、のちに彼が戒める高ぶりと対照をなしています。
箴言30章の中心的なメッセージは何ですか
この章は、神とそのことばの前での謙遜、持ち物におけるほどよさ、そして高ぶりについての冷静な見極めを呼びかけています。数え上げのことばや自然からのたとえを用いて観察することを教え、小さくても賢い生き物に学ぶこと、そして高ぶりが愚かさへと駆り立てるときに、手を口に当てることを勧めています。
箴言 30を引用している記事
口語訳(1955年)— パブリックドメイン。