聖書 — 口語訳 (1955)

イザヤ書 30

概要

イザヤ書30章で、神はユダがご自身に尋ねることなくエジプトに避け所を求めていることを責められます。その助けはむなしいものです。民は預言者の言葉を聞こうとせず、耳に聞きよい言葉を好みます。それでも神は恵みを施そうと待っておられます。救いは落ち着きと信頼によって与えられ、神は叫ぶ者に答え、声をもって導いてくださいます。章の終わりでは、民の癒やしと、アッスリヤへのさばきが告げられます。

この章の4つの区分

  1. 1-7節わざわいなるかな、神に尋ねずエジプトに避け所を求める者
  2. 8-17節聞こうとしない民:落ち着きと信頼を退ける
  3. 18-26節神は恵みを施そうと待ち、導き、癒やされる
  4. 27-33節主はアッスリヤに立ち向かわれる

1主は言われる、「そむける子らはわざわいだ、彼らは計りごとを行うけれども、わたしによってではない。彼らは同盟を結ぶけれども、わが霊によってではない、罪に罪を加えるためだ。

2彼らはわが言葉を求めず、エジプトへ下っていって、パロの保護にたより、エジプトの陰に隠れようとする。

3それゆえ、パロの保護は かえってあなたがたの恥となり、エジプトの陰に隠れることは あなたがたのはずかしめとなる。

4たとい、彼の君たちがゾアンにあり、彼の使者たちがハネスに来ても、

5彼らは皆おのれを益することのできない民により、すなわち助けとならず、益とならず、かえって恥となり、はずかしめとなる民によって、恥をかくからである」。

6ネゲブの獣についての託宣。彼らはその富を若いろばの背に負わせ、その宝をらくだの背に負わせて、雌じし、雄じし、まむしおよび飛びかけるへびの出る 悩みと苦しみの国を通って、おのれを益することのできない民に行く。

7そのエジプトの助けは無益であって、むなしい。それゆえ、わたしはこれを「休んでいるラハブ」と呼んだ。

8いま行って、これを彼らの前で札にしるし、書物に載せ、後の世に伝えて、とこしえにあかしとせよ。

9彼らはそむける民、偽りを言う子ら、主の教を聞こうとしない子らだ。

10彼らは先見者にむかって「見るな」と言い、預言者にむかっては「正しい事をわれわれに預言するな、耳に聞きよいことを語れ、迷わしごとを預言せよ。

11大路を去り、小路をはなれ、イスラエルの聖者について語り聞かすな」と言う。

12それゆえ、イスラエルの聖者はこう言われる、「あなたがたはこの言葉を侮り、しえたげと、よこしまとを頼み、これにたよるがゆえに、

13この不義はあなたがたには 突き出て、くずれ落ちようとする高い石がきの 破れのようであって、その倒壊はにわかに、またたくまに来る。

14その破れることは陶器師の器を破るように 惜しむことなく打ち砕き、その砕けのなかには、炉から火を取り、池から水をくめるほどの、ひとかけらさえ 見いだされない」。

15主なる神、イスラエルの聖者はこう言われた、「あなたがたは立ち返って、落ち着いているならば救われ、穏やかにして信頼しているならば力を得る」。しかし、あなたがたはこの事を好まなかった。

16かえって、あなたがたは言った、「否、われわれは馬に乗って、とんで行こう」と。それゆえ、あなたがたはとんで帰る。また言った、「われらは速い馬に乗ろう」と。それゆえ、あなたがたを追う者は速い。

17ひとりの威嚇によって千人は逃げ、五人の威嚇によってあなたがたは逃げて、その残る者はわずかに 山の頂にある旗ざおのように、丘の上にある旗のようになる。

18それゆえ、主は待っていて、あなたがたに恵を施される。それゆえ、主は立ちあがって、あなたがたをあわれまれる。主は公平の神でいらせられる。すべて主を待ち望む者はさいわいである。

19シオンにおり、エルサレムに住む民よ、あなたはもはや泣くことはない。主はあなたの呼ばわる声に応じて、必ずあなたに恵みを施される。主がそれを聞かれるとき、直ちに答えられる。

20たとい主はあなたがたに悩みのパンと苦しみの水を与えられても、あなたの師は再び隠れることはなく、あなたの目はあなたの師を見る。

21また、あなたが右に行き、あるいは左に行く時、そのうしろで「これは道だ、これに歩め」と言う言葉を耳に聞く。

22その時、あなたがたはしろがねをおおった刻んだ像と、こがねを張った鋳た像とを汚し、これをきたない物のようにまき散らして、これに「去れ」と言う。

23主はあなたが地にまく種に雨を与え、地の産物なる穀物をくださる。それはおびただしく、かつ豊かである。その日あなたの家畜は広い牧場で草を食べ、

24地を耕す牛と、ろばは、シャベルと、くまででより分けて塩を加えた飼料を食べる。

25大いなる虐殺の日、やぐらの倒れる時、すべてのそびえたつ山と、すべての高い丘に水の流れる川がある。

26さらに主がその民の傷を包み、その打たれた傷をいやされる日には、月の光は日の光のようになり、日の光は七倍となり、七つの日の光のようにになる。

27見よ、主の名は遠い所から 燃える怒りと、立ちあがる濃い煙をもって来る。そのくちびるは憤りで満ち、その舌は焼きつくす火のごとく、

28その息はあふれて首にまで達する 流れのようであって、滅びのふるいをもってもろもろの国をふるい、また惑わす手綱を もろもろの民のあごにつけるために来る。

29あなたがたは、聖なる祭を守る夜のように歌をうたう。また笛をならして主の山にきたり、イスラエルの岩なる主にまみえる時のように心に喜ぶ。

30主はその威厳ある声を聞かせ、激しい怒りと、焼きつくす火の炎と、豪雨と、暴風と、ひょうとをもってその腕の下ることを示される。

31主がそのむちをもって打たれる時、アッスリヤの人々は主の声によって恐れおののく。

32主が懲らしめのつえを彼らの上に加えられるごとに鼓を鳴らし、琴をひく。主は腕を振りかざして、彼らと戦われる。

33焼き場はすでに設けられた。しかも王のために深く広く備えられ、火と多くのたきぎが積まれてある。主の息はこれを硫黄の流れのように燃やす。

鍵となる聖句

15節
主なる神、イスラエルの聖者はこう言われた、「あなたがたは立ち返って、落ち着いているならば救われ、穏やかにして信頼しているならば力を得る」。しかし、あなたがたはこの事を好まなかった。

救いは慌ただしさからではなく、落ち着きと信頼から来ます。神は、民がそれを好まなかったことを責め、民が選んだ速い馬には、彼らを救う力がないとされます。

18節
それゆえ、主は待っていて、あなたがたに恵を施される。それゆえ、主は立ちあがって、あなたがたをあわれまれる。主は公平の神でいらせられる。すべて主を待ち望む者はさいわいである。

責めたあとで、神は恵みを施そうと待っておられ、立ち上がってあわれんでくださいます。主を待ち望む者はさいわいです。待つことは、無駄な時間ではありません。

19節
シオンにおり、エルサレムに住む民よ、あなたはもはや泣くことはない。主はあなたの呼ばわる声に応じて、必ずあなたに恵みを施される。主がそれを聞かれるとき、直ちに答えられる。

神は、民が叫ぶとき恵みを施し、聞かれるとすぐに答えてくださいます。約束はまずエルサレムに向けられたものですが、神がどのように聞いてくださる方かを表しています。

21節
また、あなたが右に行き、あるいは左に行く時、そのうしろで「これは道だ、これに歩め」と言う言葉を耳に聞く。

右に行くか左に行くか迷うとき、うしろから道を示す声がします。クリスチャンはここに、神が与えてくださる導きの姿を見ます。それは神の言葉に照らして確かめるものです。

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説教が語っていること

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イザヤ書30章についてよくある質問

イザヤ書30章15節はどういう意味ですか

救いと力は、慌ただしさや人間の同盟からではなく、落ち着きと信頼から来るということです。神は、ユダが馬に乗ってエジプトへ急ぐことを好んだのを責めておられます。今日の信仰者にとっては、立ち止まり、自分の解決策ではなく神に信頼するようにとの招きです。

これは道だ、これに歩めという声(イザヤ書30章21節)とは、どういう意味ですか

神が、道を示す声をもって民を導き、右にも左にもそれないようにしてくださるという約束です。クリスチャンはここに、神の御霊の導きを見ます。それは聖書に照らし、教会の中で耳を傾けながら確かめるものです。

なぜ神はユダがエジプトに向かうことを責めるのですか

民は主に尋ねることなく、パロに保護を求めているからです。神は、エジプトには助けも益もないので、この同盟はむなしいと見ておられます。責められているのは、置き場所を誤った信頼です。目に見える力を、神の真実より好んでいるのです。それでも神は、恵みを施そうと待っておられます。

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