神の御旨に関する聖書の言葉20選

読了時間 1分

はじめに

神の御旨を知ることは、一部の特別な人だけに許された謎ではありません。神はみことばの中で語り、本当に求める者を導くと約束しておられます。口語訳で引用したこの20の聖句は、この探求の5つの側面をたどります。祈りの中でそれを求めること、それを見分けるために自らが変えられること、神の導きに一歩ずつ従うこと、イエスご自身が生きられたとおりに生きること、そして試練の中でさえそれに身をゆだねることです。あなたが今直面している決断に応じて読んでください。

神に御旨を示してくださるよう求める

1. 詩篇143篇10節

「あなたのみむねを行うことを教えてください。あなたはわが神です。恵みふかい、みたまをもって わたしを平らかな道に導いてください。」

ダビデは追われ、苦しみの中で祈っていますが、その願いはすぐに救い出されることではなく、教えられることです。自分なりの善悪の考えを求めているのではありません。神の「恵みふかい、みたま」が自分を「平らかな道」へと導いてくださるよう願っています。この祈りは、どんな決断の前にも、あなたの祈りとなり得ます。 詩篇143篇を全文で読む。

2. 詩篇25篇4-5節

「主よ、あなたの大路をわたしに知らせ、あなたの道をわたしに教えてください。 あなたのまことをもって、わたしを導き、わたしを教えてください。あなたはわが救の神です。わたしはひねもすあなたを待ち望みます。」

ダビデはこの詩篇を、自分の道を思いつきで進むのではなく、神の道を知りたいというシンプルな願いから始めます。「教えて」まことをもって導いてほしいと願い、「ひねもす」神を待ち望みます。神の御旨を求めることは、しばしば学ぶことを受け入れるこの謙遜さから始まります。 詩篇25篇を全文で読む。

3. コロサイ人への手紙1章9-10節

「そういうわけで、これらの事を耳にして以来、わたしたちも絶えずあなたがたのために祈り求めているのは、あなたがたがあらゆる霊的な知恵と理解力とをもって、神の御旨を深く知り、 主のみこころにかなった生活をして真に主を喜ばせ、あらゆる良いわざを行って実を結び、神を知る知識をいよいよ増し加えるに至ることである。」

パウロは一度も会ったことのない信者たちのために祈っていますが、その第一の願いは健康でも成功でもありません。「神の御旨を深く知り」満たされることです。この知識は、「主のみこころにかなった生活」をして実を結ぶために役立ちます。 コロサイ人への手紙1章を全文で読む。

4. 箴言16章3節

「あなたのなすべき事を主にゆだねよ、そうすれば、あなたの計るところは必ず成る。」

この箴言は、行動する前のシンプルな方法を示します。「あなたのなすべき事を主にゆだねよ」、つまり突き進む前にそれを神に委ねるのです。続く約束「あなたの計るところは必ず成る」は、すべてが予定どおりに進むという保証ではなく、委ねたことに神が関わり続けてくださるという約束です。 箴言16章を全文で読む。

見分けるために変えられる

5. ローマ人への手紙12章2節

「あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである。」

パウロは神のあわれみについて語ったばかりで、そこから実践的な結論を導き出します。この世と妥協せず、「心を新たにすることによって、造りかえられ」ることです。孤立した意志の努力ではなく、この刷新こそが、神が本当に望まれることを「わきまえ知る」ことを可能にします。 ローマ人への手紙12章を全文で読む。

6. エペソ人への手紙5章17節

「だから、愚かな者にならないで、主の御旨がなんであるかを悟りなさい。」

パウロは、その場の習慣に流され、考えずに生きる誘惑にある信者たちを戒めます。何も考えずに行動するのではなく、「主の御旨がなんであるかを悟り」なさいと呼びかけます。神の導きを求めることは、良い意図だけでなく、意識的な注意を必要とします。 エペソ人への手紙5章を全文で読む。

7. ペテロの第一の手紙4章2節

「それは、肉における残りの生涯を、もはや人間の欲情によらず、神の御旨によって過ごすためである。」

ペテロは、以前の習慣に戻りたい誘惑にある信者たちに書き送ります。残された生涯を「人間の欲情によらず」、「神の御旨によって」過ごすよう呼びかけます。この選択は一度きりではなく、日々新たにされるものです。 ペテロの第一の手紙4章を全文で読む。

8. ヨハネによる福音書7章17節

「神のみこころを行おうと思う者であれば、だれでも、わたしの語っているこの教が神からのものか、それとも、わたし自身から出たものか、わかるであろう。」

イエスは、その教えを疑う聴衆に答えます。彼は通常の論理を逆転させます。考えることが従順へと導くのではなく、従おうとする姿勢こそが理解への扉を開くのです。「神のみこころを行おうと思う者」は、その教えがどこから来たかを知るでしょう。 ヨハネによる福音書7章を全文で読む。

神の導きに一歩ずつ従う

9. 箴言16章9節

「人は心に自分の道を考え計る、しかし、その歩みを導く者は主である。」

この箴言は、ふたつの現実を並べて示します。人は「心に自分の道を考え計る」が、結局その歩みを導くのは主です。計画すること自体は無駄ではありませんが、最終的な方向づけは神に属します。計画を立てながらも、神がそれを方向転換されることに対して開かれていることができます。 箴言16章を全文で読む。

10. 詩篇32篇8節

「わたしはあなたを教え、あなたの行くべき道を示し、わたしの目をあなたにとめて、さとすであろう。」

この詩篇では神ご自身が語られ、個人的な導きを約束されます。「わたしはあなたを教え」「あなたの行くべき道を示し」あなたにとめて、さとそう。これはあらかじめ与えられた地図ではなく、一歩一歩の伴走であり、神の目が各段階であなたに注がれています。 詩篇32篇を全文で読む。

11. イザヤ書30章21節

「また、あなたが右に行き、あるいは左に行く時、そのうしろで「これは道だ、これに歩め」と言う言葉を耳に聞く。」

イザヤは、しばしば道を見失う民に対して具体的な約束を告げます。うしろから「これは道だ、これに歩め」と言う声が聞こえる、右に行くときも左に行くときも、です。神の御旨を求めることは、この、適切な時に軌道を正してくれる声を聞き分けることを学ぶことでもあります。 イザヤ書30章を全文で読む。

12. 詩篇37篇23節

「人の歩みは主によって定められる。主はその行く道を喜ばれる。」

この短い聖句はふたつのことを同時に語ります。人の歩みは主によって「定められる」こと、そして神はその行く道を「喜ばれる」ことです。神の導きに従うことは、遠くから課される重荷ではなく、あなたが歩む姿を神が喜んでくださる道なのです。 詩篇37篇を全文で読む。

御父の御旨のとおりに生きる

13. マタイによる福音書6章10節

「御国がきますように。みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。」

イエスは、弟子たちに与える祈りの中心でこの言葉を教えられます。「みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように」と願うことは、あきらめではありません。神のなさり方があなた自身の人生の中に目に見える形で現れることを積極的に願うことなのです。 マタイによる福音書6章を全文で読む。

14. マタイによる福音書7章21節

「わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。」

イエスは、言葉と従順を混同する人々に警告されます。「主よ、主よ」と言うだけでは十分ではありません。大切なのは御父の「御旨を行う」ことです。神の導きを求めることは、それを発見することで終わりません。次に何を選んで行うかによって証しされるのです。 マタイによる福音書7章を全文で読む。

15. ヨハネによる福音書6章38節

「わたしが天から下ってきたのは、自分のこころのままを行うためではなく、わたしをつかわされたかたのみこころを行うためである。」

イエスは、なぜ天から下って来られたのかを説明されます。「自分のこころのままを行うためではなく」、「わたしをつかわされたかたのみこころを行うため」です。これは非常に具体的な模範を与えます。御子でさえ、ご自分の好みに従うのではなく、御父に自分を合わせることを選ばれたのです。 ヨハネによる福音書6章を全文で読む。

16. ヘブル人への手紙13章20-21節

「永遠の契約の血による羊の大牧者、わたしたちの主イエスを、死人の中から引き上げられた平和の神が、 イエス・キリストによって、みこころにかなうことをわたしたちにして下さり、あなたがたが御旨を行うために、すべての良きものを備えて下さるようにこい願う。栄光が、世々限りなく神にあるように、アァメン。」

この祝福の言葉は、祈りの形をとってヘブル人への手紙を締めくくります。著者は、神が信じる者たちを「御旨を行うために」あらゆる良いものをもって整えてくださるよう願います。神の御旨を行うことは、単なる人間の努力ではなく、神ご自身があなたのうちに成し遂げてくださるみわざでもあるのです。 ヘブル人への手紙13章を全文で読む。

試練の中でも神の御旨に身をゆだねる

17. ルカによる福音書22章42節

「「父よ、みこころならば、どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、みこころが成るようにしてください」。」

イエスは、逮捕される直前、大きな試練を前にしてこの言葉を祈られます。杯を取りのけてくださるよう願うことをためらわれませんが、最後には完全な明け渡しで結ばれます。「わたしの思いではなく、みこころが成るようにしてください」。この祈りは、あなたの意志と神の御旨がぶつかり合うように思えるときの模範であり続けます。 ルカによる福音書22章を全文で読む。

18. テサロニケ人への第一の手紙5章16-18節

「いつも喜んでいなさい。 絶えず祈りなさい。 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。」

パウロはここで、短くも厳しい三つの勧めを与えます。いつも喜ぶこと、絶えず祈ること、すべてのことについて感謝することです。これが読者にとって「神があなたがたに求めておられること」だと明言します。神の導きを求めることは、正確な答えを待つだけでなく、今すでにこのように生きることなのです。 テサロニケ人への第一の手紙5章を全文で読む。

19. 使徒行伝22章14節

「彼は言った、『わたしたちの先祖の神が、あなたを選んでみ旨を知らせ、かの義人を見させ、その口から声をお聞かせになった。」

アナニヤは、ダマスコへの道でイエスと出会って動揺しているパウロに語りかけます。彼が「み旨を知らせ」るために選ばれたことを思い起こさせます。この召命は一瞬にして押しつけられたのではなく、ひとつの出会い、そして人を通した伴走を通して明らかにされていったのです。 使徒行伝22章を全文で読む。

20. ヤコブの手紙4章15節

「むしろ、あなたがたは「主のみこころであれば、わたしは生きながらえもし、あの事この事もしよう」と言うべきである。」

ヤコブは、将来の計画に自信を持ちすぎる信者たちを正します。彼は未来について語る別の言い方を提案します。「主のみこころであれば、わたしは生きながらえもし、あの事この事もしよう」。神の御旨に身をゆだねることは、明日が何をもたらすかに対するこのシンプルな謙遜さから始まります。 ヤコブの手紙4章を全文で読む。

あわせて読みたい

よくある質問

ある決断が神の御旨に一致しているかどうか、どうすればわかりますか。

聖書は魔法の公式を与えませんが、三つの指標を示しています。導きを求める祈り、決して矛盾しないみことば、そして答えを知る前から従う備えのある心です。この三つが揃うことで、最も難しい決断であっても、その多くを照らし出してくれます。

神の御旨は神の戒めと同じものですか。

部分的にはそうです。隣人を愛すること、偽りを避けることなど、はっきりと書かれている面もあり、そこでは従うだけで十分です。しかし職業や住む場所の選択のような決断には、祈りと知恵がさらに必要であり、ひとつの聖句だけに出来合いの答えが書かれているわけではありません。

神からの明確な導きを何も感じられないときはどうすればよいですか。

すぐに答えがないことは、見捨てられたことを意味しません。それを待つ間、聖書はすでに明らかなことに従い続け、忍耐をもって祈り、他の信者に助言を求めるよう勧めています。多くの場合、神の導きは最初の一歩を踏み出す前ではなく、歩みながら明確になっていきます。

メモを取ったり質問したりするにはサインインしてください。

関連記事

説教の公開元 Efficient Church. 説教全体を見る のチャンネルで.

← ブログに戻る

神の御旨に関する聖書の言葉20選 | Efficient Church