聖書 — 口語訳 (1955)
詩篇 18
概要
詩篇18篇は、ダビデがすべての敵とサウルの手から救い出されたあとに作った、長い賛歌です。岩であり砦である主への愛の叫びで始まります。続いて、苦難、助けを求める叫び、神の目を見張る介入、ダビデの正しさ、戦いのために受けた力、そして諸国民の中での最後の賛美が語られます。この詩は、サムエル記第二22章とほぼ同じ内容で記されています。
表題は、この詩篇を主のしもべダビデの賛歌とし、その状況も記しています。主がダビデをすべての敵とサウルの手から救い出された日に、ダビデはこの歌を主に向けて歌いました。何年もの逃亡のあとのことです。これは王の感謝の詩篇で、王が神にどのように救われ、勝利を与えられたかを語ります。表題が礼拝の指揮者に触れているのは、礼拝で歌うための歌だったことを示します。サムエル記下22章にほとんど同じ形で記されており、ダビデについて語られる最後の部分の一つです。最も長い詩篇の一つで、神が油注がれた者とその子孫に真実であることを告げて終わります。クリスチャンはそれを、ダビデの子イエスに結びつけます。今日の信仰者は、試練を通り抜けたあとに神に感謝するため、あるいは戦いのただ中で勇気を取り戻すために、この詩篇を祈ります。
この章の5つの区分
1わが力なる主よ、わたしはあなたを愛します。
2主はわが岩、わが城、わたしを救う者、わが神、わが寄り頼む岩、わが盾、わが救の角、わが高きやぐらです。
3わたしはほめまつるべき主に呼ばわって、わたしの敵から救われるのです。
4死の綱は、わたしを取り巻き、滅びの大水は、わたしを襲いました。
5陰府の綱は、わたしを囲み、死のわなは、わたしに立ちむかいました。
6わたしは悩みのうちに主に呼ばわり、わが神に叫び求めました。主はその宮からわたしの声を聞かれ、主にさけぶわたしの叫びがその耳に達しました。
7そのとき地は揺れ動き、山々の基は震い動きました。主がお怒りになったからです。
8煙はその鼻から立ちのぼり、火はその口から出て焼きつくし、炭はそれによって燃えあがりました。
9主は天をたれて下られ、暗やみがその足の下にありました。
10主はケルブに乗って飛び、風の翼をもってかけり、
11やみをおおいとして、自分のまわりに置き、水を含んだ暗い濃き雲をその幕屋とされました。
12そのみ前の輝きから濃き雲を破って、ひょうと燃える炭とが降ってきました。
13主はまた天に雷をとどろかせ、いと高き者がみ声を出されると、ひょうと燃える炭とが降ってきました。
14主は矢を放って彼らを散らし、いなずまをひらめかして彼らを打ち敗られました。
15主よ、そのとき、あなたのとがめと、あなたの鼻のいぶきとによって、海の底はあらわれ、地の基があらわになったのです。
16主は高い所からみ手を伸べて、わたしを捕え、大水からわたしを引きあげ、
17わたしの強い敵と、わたしを憎む者とから わたしを助け出されました。彼らはわたしにまさって強かったからです。
18彼らはわたしの災の日にわたしを襲いました。しかし主はわたしのささえとなられました。
19主はわたしを広い所につれ出し、わたしを喜ばれるがゆえに、わたしを助けられました。
20主はわたしの義にしたがってわたしに報い、わたしの手の清きにしたがって わたしに報いかえされました。
21わたしは主の道を守り、悪意をもって、わが神を離れたことがなかったのです、
22そのすべてのおきてはわたしの前にあって、わたしはその定めを捨てたことがなかったのです。
23わたしは主の前に欠けたところがなく、自分を守って罪を犯しませんでした。
24このゆえに主はわたしの義にしたがい、その目の前にわたしの手の清きにしたがって わたしに報いられました。
25あなたはいつくしみある者には、いつくしみある者となり、欠けたところのない者には、欠けたところのない者となり、
26清い者には、清い者となり、ひがんだ者には、ひがんだ者となられます。
27あなたは苦しんでいる民を救われますが、高ぶる目をひくくされるのです。
28あなたはわたしのともしびをともし、わが神、主はわたしのやみを照されます。
29まことに、わたしはあなたによって敵軍を打ち破り、わが神によって城壁をとび越えることができます。
30この神こそ、その道は完全であり、主の言葉は真実です。主はすべて寄り頼む者の盾です。
31主のほかに、だれが神でしょうか。われらの神のほかに、だれが岩でしょうか。
32神はわたしに力を帯びさせ、わたしの道を安全にされました。
33神はわたしの足をめじかの足のようにされ、わたしを高い所に安全に立たせ、
34わたしの手を戦いに慣らされたので、わたしの腕は青銅の弓をもひくことができます。
35あなたはその救の盾をわたしに与え、あなたの右の手はわたしをささえ、あなたの助けはわたしを大いなる者とされました。
36あなたがわたしの歩む所を広くされたので、わたしの足はすべらなかったのです。
37わたしは敵を追って、これに追いつき、これを滅ぼしつくすまでは帰らなかったのです。
38わたしが彼らを突き通したので、彼らは立ちあがることができず、わたしの足もとに倒れました。
39あなたは戦いのためにわたしに力を帯びさせ、わたしに立ち向かう者らをわたしのもとに、かがませられました。
40あなたは敵にその後をわたしに向けさせられたので、わたしは自分を憎む者を滅ぼしました。
41彼らは助けを叫び求めたが、救う者はなく、主にむかって叫んだけれども、彼らに答えられなかったのです。
42わたしは彼らを風の前のちりのように細かに砕き、ちまたの泥のように打ち捨てました。
43あなたは民の争いからわたしを救い、わたしをもろもろの国民のかしらとされました。わたしの知らなかった民がわたしに仕えました。
44彼らはわたしの事を聞くと、ただちにわたしに従い、異邦の人々はきて、わたしにへつらいました。
45異邦の人々は打ちしおれて、その城から震えながら出てきました。
46主は生きておられます。わが岩はほむべきかな。わが救の神はあがむべきかな。
47神はわたしにあだを報いさせ、もろもろの民をわたしのもとに従わせ、
48わたしの敵からわたしを救い出されました。まことに、あなたはわたしに逆らって 起りたつ者の上にわたしをあげ、不法の人からわたしを救い出されました。
49このゆえに主よ、わたしはもろもろの国民のなかであなたをたたえ、あなたのみ名をほめ歌います。
50主はその王に大いなる勝利を与え、その油そそがれた者に、ダビデとその子孫とに、とこしえにいつくしみを加えられるでしょう。
詩篇18篇を節ごとに読む
1-3節主よ、あなたを愛します:わが岩、わが城
自分の物語を語る前に、ダビデは愛の告白から始めます。「わが力なる主よ、わたしはあなたを愛します」。愛しますと訳された動詞は珍しく、心の底からの深い愛情を表します。ダビデの信仰は、まず教義ではなく関係でした。続いて、呼び名を重ねます。岩、城、救う者、寄り頼む岩、盾、救の角、高きやぐら。どれも逃亡者の像です。ダビデは何年も、サウルを逃れて荒野の岩場や要害に身を隠しました(サムエル記上23章14節)。そして、本当の避け所は洞穴ではなく神ご自身だと知ったのです。「わが」が繰り返される点にも注目してください。神は一般的な岩ではなく、彼自身の岩なのです。3節は詩篇全体の要約で、主に呼ばわり、主をほめたたえ、救われます。今日のあなたの状況に合う呼び名を選び、祈ってください。
4-6節死の綱に囲まれたダビデは神に叫ぶ
ダビデは今、深い穴の底から思い出します。狩りと洪水の像です。死の綱、陰府の綱、死のわな、すべてを押し流す大水。ダビデが語るのは小さな心配ではなく、もう終わりだと思った状況です。そこで彼は、できる唯一のことをします。「わたしは悩みのうちに主に呼ばわり」。対比は鮮やかです。一方に、罠にかかった人。他方に、その声を宮、つまり天の神殿から聞かれる神。ひとりの人の叫びが、宇宙の王の耳に達します。聖書は、悩みを隠すことも、神の前で取り繕うことも勧めません。叫ぶように招きます。今日、閉じ込められていると感じるなら、この数節が言葉を与えます。罠に名前をつけ、神を呼ぶのです。神は聞いておられます。
7-12節神が助けに降りられると、地が震える
神の答えは、地震と嵐として描かれます。地は揺れ動き、山々の基は震い、煙と火が神から出ます。そして「主は天をたれて下られ」ます。ケルブは神の御座に結びついた天の存在で、契約の箱の上にも二つありました。神は風の翼に乗り、暗い雲に包まれてやって来ます。これらの像は、主が火の中を降られて山全体が煙り、震えたシナイ山を思わせます(出エジプト記19章18節)。ダビデは特定の嵐を描いているとは限りません。シナイで現れた神が、危険の中にいるただひとりのために動き出された、と語っているのです。ここで神の怒りが向かうのは、叫ぶ人ではなく、その人を押しつぶすものです。あなたの叫びも、神の目には取るに足りないものではありません。神は、ご自分の子どもたちの苦しみに無関心ではありません。
13-15節神の雷鳴が敵を打ち散らす
嵐が荒れ狂います。主は雷をとどろかせ、いと高き者はみ声を出され、ひょうと燃える炭が降ります。いなずまは、ダビデの敵に放たれる矢となり、敵は散らされ、打ち敗られます。やがて驚くべき像が現れます。「海の底はあらわれ」。神の鼻のいぶきによって、海の底がむき出しになるのです。紅海の渡りを思わずにはいられません。モーセは、神の鼻のいぶきで水がつみ重ねられたと歌いました(出エジプト記15章8節)。ダビデは自分の歴史を、出エジプトの光で読み直します。民のために海に道を開いた神が、彼にも道を開かれたのです。あなたも、聖書と自分の過去の中で神がすでにしてくださったことに照らして、人生を読み直せます。出エジプトと十字架の神は、変わっていません。
16-19節大水から引きあげられたのは、神が喜ばれたから
嵐の轟きのあと、場面はとても個人的になります。偉大な神が手を差し伸べます。「主は高い所からみ手を伸べて、わたしを捕え」。引きあげるという動詞はヘブライ語でまれな言葉で、水から引き上げられた子モーセの名の由来と同じです(出エジプト記2章10節)。ここでもダビデは、自分を呑み込むはずの危険から救われた、新しいモーセのようです。敵が自分より強かったことも、彼は正直に認めます。勝利は自分の力ではありません。主は彼を広い所に連れ出されました。苦難の締めつけのあとの、広がりと息づかいです。最後の理由は短い一言です。「わたしを喜ばれるがゆえに」。詩篇はダビデの愛で始まり、ここでそれに先立つもの、神のダビデへの愛が明かされます。あらゆる救いの土台は、あなたの価値ではなく、あなたがどれほど愛されているかです。
20-24節ダビデの正しさは、完全さではなく忠実さ
この数節は意外に響くかもしれません。「主はわたしの義にしたがってわたしに報い」。ダビデは自慢しているのでしょうか。けれども聖書は彼の過ちを隠していません。サウルに対して、ダビデは潔白でした。殺す機会がありながら、二度、手を下すことを拒んだのです(サムエル記上24章と26章)。彼の義とは、契約への忠実さ、神の道への愛着であって、過ちのない人生ではありません。「自分を守って罪を犯しませんでした」と彼は言います。自分の弱さを知っていたからこそ出る言葉です。新約聖書はこれらの節に光を当てます。本当に非のないお方はイエスだけで、信じる者は信仰により、イエスにあって義とされます(ローマ人への手紙3章22節から24節)。それでも正しく生きる召しは消えず、恵みは忠実な生き方となって現れます。傲慢にも絶望にもならず、神の前に清い良心を保つよう、これらの節は招いています。
25-30節神は人に応じて答え、へりくだる者のやみを照らす
ダビデは自分の歴史から、一般的な教えを引き出します。神は、人が選ぶ道に応じて、それぞれに現れます。いつくしみある者にはいつくしみを、「ひがんだ者には、ひがんだ者となられます」。神が曲がった方になるのではなく、神を欺こうとする者は自分の策略にはまる、ということです。続いて、「あなたは苦しんでいる民を救われます」。ヤコブも、神は高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みを与えられると言います(ヤコブの手紙4章6節)。次はともしびの像です。「わが神、主はわたしのやみを照されます」。神は夜をいつも取り除かれませんが、前に進める光をともしてくださいます。神によって、ダビデは城壁をとび越えます。30節は結びます。神の道は完全で、み言葉は真実です。真実と訳された言葉は、火で精錬された、不純物のない金属を指します。だから、神の言葉に寄りかかってよいのです。神は寄り頼む者の盾です。
31-36節力を帯びさせ、足を確かにし、大いなる者とされる神
ダビデは、偶像の入り込む余地のない問いを投げかけます。「われらの神のほかに、だれが岩でしょうか」。そして神が与えてくださったものを数え上げます。戦士を立たせる帯のような力。険しい岩場でも転ばずに駆けるめじかの足。戦いに慣らされた手、青銅の弓をひく腕。救いの盾と、支える神の右の手。そして美しい一文が来ます。「あなたの助けはわたしを大いなる者とされました」。助けと訳された言葉は、ヘブライ語では、へりくだり、柔和さをも指します。ダビデを高めたのは自分の誇りではなく、身をかがめて人に近づく神でした。この神のへりくだりは、私たちを引き上げるために身を低くされたイエスに完全に現れました(ピリピ人への手紙2章6節から8節)。さらに神は、ダビデの歩む所を広くされます。あなたも、自分の中に力を探すより、神から力を受けるよう招かれています。
37-45節敵に勝ち、諸国民の上に立つ
これらの節は読むのが重く感じられます。ダビデは敵を追い、突き通し、風の前のちりのように砕きます。語っているのが誰かを思い出す必要があります。神に選ばれた王で、敵意ある隣国に脅かされる民の先頭にいます。武力で国を守る時代のことです。個人的な復讐を祝っているのではなく、神が与えてくださった勝利を語っているのです。そこでも、力は神から来ます。「あなたは戦いのためにわたしに力を帯びさせ」。41節は6節と響き合います。ダビデは叫び、神は聞かれました。敵も叫びますが、救う者はいません。やがて王は諸国民のかしらとなり、異邦の民が従います。クリスチャンにとって、この箇所は暴力を正当化しません。私たちの戦いは血肉に対するものではなく(エペソ人への手紙6章12節)、イエスはいのちを捨てて勝たれました。諸国民は、打ち砕く敵ではなく、神を知るよう招かれた人々です。
46-50節終わりの賛美:神は王に永遠に真実
詩篇は、始まったときと同じく賛美で終わります。「主は生きておられます。わが岩はほむべきかな」。ダビデは2節の岩の像に戻り、すべての勝利を救いの神に帰します。復讐は神にゆだね、神は彼を不法の人から救い出されます。49節では、賛美がイスラエルの境を越え、ダビデは諸国民のなかで神のみ名をほめ歌います。使徒パウロはこの節を引いて、福音がユダヤ人以外の人々にも向けられていたことを示しました(ローマ人への手紙15章9節)。最後の節は、神の油注がれた者、つまり聖別された王と、とこしえに続くダビデの子孫を語ります。神がダビデに与えた約束です(サムエル記下7章16節)。「油そそがれた者」はヘブライ語でメシア、ギリシア語でキリストです。クリスチャンはこの約束の成就を、ダビデの子イエスに見ます。その支配に終わりはありません。あなたの救いの物語は、この大きな忠実さの物語の中にあります。
詩篇18篇の祈り方
この詩篇を祈るとき
- 病気や争い、長い失業などの試練を通り抜けたあとに、神がしてくださったことを感謝するとき。
- 出口のない状況に閉じ込められたと感じ、神に叫ぶ必要があるとき。
- 職場や家庭で誰かがあなたにしつこく当たり、自分で仕返ししたくなるとき。
- 手に余る課題や試験、新しい職務、重い責任を前に、神から力を受けたいとき。
- 神の愛を疑い、神は愛するがゆえに救ってくださると思い出す必要があるとき。
- 心の夜を通っていて、神にやみを照らしていただく必要があるとき。
詩篇18篇に基づく祈り
主よ、わが力なるあなたを愛します。あなたは私の岩、私の城、私を救う方、私の盾、私の高きやぐらです。私を縛った綱を、私を押し流した恐れを、もうだめだと思った夜を、あなたはご存じです。悩みの中で、私はあなたを呼びます。この叫びがあなたに届くと信じます。高い所からみ手を伸べて私を捕え、大水から引きあげてください。私を広い所に連れ出してください。私には何の功績もありません。罪を抱えたまま御前に立ち、イエスにあって与えられる義に寄り頼みます。私のともしびをともされる方、私のやみを照らしてください。あなたの道は完全で、み言葉は真実です。分からないときにも、それに信頼することを教えてください。人生の戦いのために力を与え、険しい道でも確かな足を与え、自分で復讐しようとすることからお守りください。私を大きくするのは、私の誇りではなく、あなたの助けです。岩なるあなたをほめたたえます。あなたのみ名を歌い、まわりの人々に、そして諸国民にまで知らせたいのです。アーメン。
鍵となる聖句
主はわが岩、わが城、わたしを救う者、わが神、わが寄り頼む岩、わが盾、わが救の角、わが高きやぐらです。
ダビデは、神が自分の安全であることを多くの比喩で重ねて語ります。岩、砦、救い主、盾、高い塔です。
わたしは悩みのうちに主に呼ばわり、わが神に叫び求めました。主はその宮からわたしの声を聞かれ、主にさけぶわたしの叫びがその耳に達しました。
苦難の中でダビデは神を呼び求め、その声は天の宮にまで届きます。この詩は、神が呼ぶ者の叫びを聞いてくださると告げます。
あなたはその救の盾をわたしに与え、あなたの右の手はわたしをささえ、あなたの助けはわたしを大いなる者とされました。
神の右の手が支え、その恵みが私を大きくします。ダビデは成功を自分の力ではなく、神の恵みによるものとします。
説教が語っていること
詩篇18篇についてよくある質問
詩篇18篇はどんな意味ですか
詩篇18篇は、サウルをはじめとする敵から救い出されたダビデの感謝の歌です。神を岩であり盾であると表し、その力強い介入を物語り、すべての勝利を神の恵みに帰します。油注がれた者に対する神の真実を告げて終わります。サムエル記第二22章にほぼ同じ言葉で記されています。
詩篇18篇は誰が、どんな状況で書いたのですか
表題は、これを主のしもべダビデのものとし、主がすべての敵とサウルの手から彼を救い出された日に、神に向けて歌ったと記しています。何年にもわたる逃亡と迫害のあと、ダビデは神が自分にしてくださったことを歌にしました。個人の証しが、民全体の祈りとなったのです。
詩篇18篇は今日どのように祈ればよいですか
2節から始め、あなたの心に響く岩、盾、砦といった像を神の前に挙げましょう。ダビデが4節から19節でするように、神があなたを救い出してくださった出来事を神に語ります。次に、33節から36節にあるように、神が与えてくださる力に感謝します。50節のように、神の御名をほめたたえて終えることもできます。
詩篇 18を引用している記事
口語訳(1955年)— パブリックドメイン。