はじめに
「私たちは今日、非常に速く変化する社会に生きています。」ジェシー・ローズ師は、2026年9月20日の礼拝で、ヨハネの手紙第一2章24-25節から永遠のいのちについてのメッセージをこのように語り始めました。メッセージは英語で語られ、会衆のために日本語に通訳されました。
歴史を通して、人間は常に二つの問いを抱いてきた、と師は語ります。そしてその問いは今日も本質的なものです。真理とは何か。そして、良い人生とは何か。
この日の聖書箇所は短いものです。「初めから聞いたことが、あなたがたのうちにおるようにしなさい。もし初めから聞いたことが、あなたがたのうちにおるならば、あなたがたも御子と父とのうちに、おるであろう。そして、これこそ、キリストがわたしたちに約束された約束であって、永遠のいのちである。」説教者はここから三つの問いを引き出します。永遠のいのちとは何か、それはどこにあるのか、そしてどのようにそれを生き始めるのか。
メッセージの流れ
1. 変わりゆく世界における古い問い
- 人工知能の急速な発展とともに、世界について二つの極端な見方が現れています。
- ある人々にとって、世界はようやく望んでいた理想に近づいています。あらゆる問題が解決され、病気は癒やされ、働く必要さえなくなるというのです。
- 別の人々にとって、新しい機械は世界を作り変えますが、それは良い方向とは限りません。そこから、仕事を失う恐れ、子どもたちの将来への不安、これまで築いてきた人生への疑いが生まれます。
- 将来がどうなるのか、だれにも分かりません。それでも説教者は、一人ひとりに問いかけます。良い人生とは何でしょうか。美しい人生とは。生きる価値のある人生とは。
- 伝道者の書3章11節は、神が「人の心に永遠を思う思いを授けられた」と述べています。神は私たちの内に、このいのちを求める心を置かれました。
- このいのちは、私たちの努力によっても、科学や技術の進歩によっても生み出すことはできません。どんな技術も戦略も、この渇望を満たすことはできません。それができるのは神だけです。
- 神は私たちを苦しめるためにこの願いを与えたのではありません。この願いを通して、いのちの源、神だけが与えることのできる真のいのちを求めるよう、私たちを導いておられます。
2. 永遠のいのちは、決して終わらない関係
- 聖書の著者の中で、ヨハネほど永遠のいのちを強調した人はいません。説教者によれば、この表現の用例の半分以上がヨハネの書いたものに見られます。
- ほかの福音書が神の国に入ることを語るところで、ヨハネは永遠のいのちを持つことを語ります。
- 永遠のいのちとは、単に永遠に生きることではありません。教会では、それは死後に始まるものだと考えられることがあります。しかしヨハネは、今すぐに味わうことができ、しかも永遠に続くいのちについて語っています。
- 根本的に、永遠のいのちとは関係です。永遠の神との、決して途切れることのない関係です。「永遠の生命を得るためには、唯一の、まことの神でいますあなたと、またあなたがつかわされたイエス・キリストを知ることであります。」(ヨハネによる福音書17章3節)
- 人間同士の関係は一時的で、限りがあります。遅かれ早かれ、壊れたり断ち切られたりします。しかし神は永遠であり、神との関係はまったく性質の異なるものです。
- 神がアダムとエバを創造されたとき、神は彼らが終わりのない愛の関係の中で神とともに生きるように造られました。この愛の交わりは、彼らの生活のあらゆる面に及んでいました。そこから、二人の間の、そして自然との調和が流れ出ていたのです。罪も死もなく、この関係を壊すものは何もありませんでした。
3. 壊れた関係と、何も満たすことのできない渇き
- 人間の罪のために、永遠の神との関係は壊れてしまいました。
- それとともに、アダムとエバの間の調和も、人間と被造物との間の調和も失われました。人間は、壊れた世界の住人となったのです。
- 私たちは死に囲まれて生き、決して満たされることのない渇きを抱えています。私たちの人生は、この欠けを埋めようとする努力になってしまいました。
- 私たちは、仕事で、恋愛関係で、富や地位や持ち物で、それを埋めようとします。
- 「この渇きは、結局のところ、神への渇きです。神だけが満たすことのできる渇きなのです。」
- ヨハネが永遠のいのちについて語るとき、それは実際には、神との関係の回復について語っているのです。この回復された愛の関係は、今も永遠にも、私たちの人生のあらゆる領域に及びます。神を知り、神に知られることです。
4. 永遠のいのちはイエス・キリストのうちにある
- 永遠のいのちはどこにあるのでしょうか。ヨハネの手紙第一5章11-13節はこう答えます。「その証というのは、神が永遠のいのちをわたしたちに賜わり、かつ、そのいのちが御子のうちにあるということである。御子を持つ者はいのちを持ち、神の御子を持たない者はいのちを持っていない。」
- 「ヨハネの答えはとても明確です。永遠のいのちは、神の御子イエス・キリストのうちにあります。」
- この手紙は、大きな混乱と分裂を経験したばかりの教会に宛てて書かれました。そこでは偽教師たちが、永遠のいのちのためにイエスを信じる必要はない、イエスなしでも神との関係を持てる、と教えていました。
- こうした偽りの教えによって、彼らは人々を教会から引き離そうとしていたのです。
- ヨハネの手紙第一2章22-23節でこう答えています。「偽り者とは、だれであるか。イエスのキリストであることを否定する者でなくて、だれであろう。父と御子とを否定する者は、反キリストである。だれでも、御子を否定する者は、父を持たない。御子を告白する者は、父をも持っているのである。」
- 父なる神との永遠のいのちの約束は、イエス・キリストとの関係を通してのみ可能です。イエスを退けることは、神を退けることです。イエスを知ることは、神を知ることです。そして神を知ることは、永遠のいのちを持つことなのです。
5. 福音をあなたのうちにとどまらせる
- どのように永遠のいのちを生き始めるのでしょうか。福音のメッセージを心の中にとどまらせることによってです(ヨハネの手紙第一2章24-25節)。
- 注解者たちによれば、この信者たちが初めから聞いていたものとは、彼らが聞いて信じた福音のことです。
- 福音とは、神が罪人である私たちを深く愛してくださり、私たちの身代わりとして御子を死に渡されたという知らせです。イエスは私たちのために十字架で罰を受けられました。そのゆえに、私たちは当然受けるべき裁きの代わりに、恵みと赦しを受けることができます。イエスへの信仰を通して、神との関係は回復されるのです。
- 「とどまる」と訳されるギリシア語は、文字どおりには住むこと、ある場所を自分の家とすることを意味します。福音を受け入れ、福音が私たちのうちに住まうようにすることによって、私たちはキリストのうちにとどまり、約束された永遠のいのちを生きるのです。「福音はあなたのうちに住んでいますか。」
- 鍵のたとえです。説教者は家に帰ると、いつも玄関の小さなトレイに鍵を置きます。いったん家の中に入ってしまえば、もう鍵は必要ありません。
- クリスチャンも、福音を同じように扱ってしまう危険があります。神との関係に入るためには役立つけれど、その後は置き去りにされ、イエスとの継続的な関係にはもう福音が必要ないかのように扱うのです。
- それはヨハネが描いているクリスチャン生活ではありません。ヨハネは言います。初めに受けたものに立ち返りなさい。クリスチャン生活は、絶えず福音によって形づくられるのです。
- イエスとの関係を深めることは、福音を超えていくことではありません。この関係は常に、イエスの生涯、死、そして復活の上に成り立っています。「クリスチャンとして成長するために、私は福音の中へ、ますます深く入っていかなければなりません。」
6. 家の中心にある薪ストーブ
- 説教者が妻とともに名古屋に住んでいたころ、教会の友人である夫妻が、町の郊外にログハウスを建てました。
- ご主人は、ヨーロッパから資材をインターネットで注文しました。資材が届くと、友人や近所の人たちが組み立てを手伝いに来てくれました。IKEAの家具のようなものですが、それを巨大にした版です。
- その家は、中心に置かれた薪ストーブを軸にして設計されていました。たった一つのストーブで家全体が暖まりました。真冬でも、家に入るととても暖かかったのです。
- 持ち主はこう説明しました。寒い夜には、みんな寝室のドアを開けたまま眠ります。そうすれば熱がすべての部屋に行き渡るからです。暑すぎるときはドアを少し閉め、暖まりたいときは開けるのです。
- 「福音を私たちのうちにとどまらせることは、あの薪ストーブを家の真ん中に置くようなものです。」福音について思いめぐらし、それを実践し、それが自分にとって何を意味するのかを求めること。そうすることで、その温かさが私たちの人生のあらゆる領域に広がっていきます。
- あなたの中に、ドアが閉ざされたままの冷たい部屋はありませんか。教会の人たちといるとき、聖書を開いているときには、その部屋は暖かいかもしれません。けれども家庭では、家族との関係ではどうでしょうか。職場では。そして、あなた自身の思いの中、あなたの内側では。
7. 冷たい部屋を福音に開く
- 永遠のいのちは神との関係であり、この関係は人生のあらゆる領域を変えます。それは今始まり、永遠に続きます。
- この変化は、私たちが永遠のいのちを味わい、福音が私たちの心にとどまるときに起こります。
- 説教者の呼びかけです。今朝、閉ざされた部屋があるなら、それを福音に開きましょう。そして、イエス・キリストによって可能となった永遠のいのちを楽しみましょう。
- 祈りの中で、説教者は、私たちが渇きを癒やそうとさまざまな方法を試みるけれど、道はただ一つ、神の御子イエス・キリストとの関係しかないことを認めています。
- 続く祈りの時間では、一人ひとりが自分の冷たい部屋に名前をつけるよう招かれます。夫婦の関係、親と子の関係、職場での人間関係です。自分の力で切り抜けようとするのではなく、その部屋をイエスに開いて、イエスがそこにご自身の愛の温かさを広げてくださるようにするのです。
- まだイエスを受け入れていない人は、まずそこから始めるよう招かれています。イエスを心に迎え入れることです。
- 最後の祈りがそれをまとめています。何ものも、死でさえも断ち切ることのできない永遠の神との交わりが、すでに始まっているのです。
心に留めたいポイント
- 神は私たちの心に永遠を思う思いを置かれました。技術も私たちの努力も、この願いを満たすことはできません。それができるのは神だけです。
- 永遠のいのちは、死後のいのちだけではありません。今始まり、決して終わらない、神との関係です。
- 私たちが仕事や愛、富や地位で和らげようとする渇きは、根底では神への渇きです。
- 永遠のいのちは御子のうちにあります。イエスを知ることは、神を知ることです。
- 福音は、家に入ったら置いておく鍵ではありません。家の中心にあるストーブであり、その温かさはすべての部屋に届かなければなりません。
個人への適用
- 世界の急速な変化を前にして、「良い人生とは何か」という問いに、あなたは今日どう答えますか。
- あなたは心の渇きを、何で満たそうとしていますか。仕事、人間関係、お金、承認でしょうか。
- あなたは永遠のいのちを、いつか後に来るものと考えていますか。それとも、今日から生きることのできる神との関係と考えていますか。
- あなたは「福音を玄関のトレイに置いたまま」にしていませんか。今週、どのようにそこへ立ち返り、福音を思いめぐらし、実践することができますか。
- あなたの冷たい部屋はどこですか。夫婦関係、子どもや親との関係、仕事、自分の思いでしょうか。その部屋をイエスに開く心の準備はできていますか。
引用された聖句
よくある質問
使徒ヨハネによれば、永遠のいのちとは何ですか。
ジェシー・ローズ師にとって、永遠のいのちは、ただ永遠に続くいのちでも、死後に始まるいのちでもありません。それは、永遠の神との、決して終わらない関係です。「永遠の生命を得るためには、唯一の、まことの神でいますあなたと、またあなたがつかわされたイエス・キリストを知ることであります。」(ヨハネによる福音書17章3節)このいのちは今すぐ味わうことができ、永遠に続きます。
永遠のいのちはどこにありますか。
ヨハネの答えはとても明確です。永遠のいのちは、神の御子イエス・キリストのうちにあります(ヨハネの手紙第一5章11-13節)。イエスなしでも神との関係を持てると教えた偽教師たちに対して、ヨハネは、イエスを退けることは神を退けることであり、イエスを知ることは神を知ることだと断言しています。
ヨハネの手紙第一2章24節の「とどまる」とはどういう意味ですか。
説教者によれば、「とどまる」と訳されるギリシア語は、文字どおりには住むこと、ある場所を自分の家とすることを意味します。信者たちが初めから聞いていたものとは、福音のことです。福音をあなたのうちにとどまらせるとは、福音を受け入れ、人生の中心に住まわせることです。玄関の扉を通り抜けたあとの鍵のように、脇に置いてしまうことではありません。
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