はじめに
数か月前、エディンバラのCharlotte Chapelの牧師の一人であるLiamは、あやうく詐欺に遭いかけました。DHLを名乗るSMSが届き、荷物に問題があり、送り主が送料を十分に支払っていないと知らせてきたのです。いつもなら削除していたでしょう。けれども、そのメッセージは信頼している会社から来たように見え、しかも本当に待っていた荷物についてのものでした。彼はリンクを開き、追跡番号を入力し、続いてクレジットカードの番号を入力しました。親指が「今すぐ支払う」を押そうとしたその瞬間、何かが彼を立ち止まらせ、確認させました。やはり詐欺だったのです。
その夜、教会で続けているテサロニケ人への手紙第二のシリーズで、彼はこの出来事をきっかけに2章1~12節を開きました。彼は、この箇所は難しいと言われていて、恐ろしいことが語られていると認めます。それでも、ねらいははっきりしています。パウロは教会を怖がらせるために書いているのではなく、安心させるために書いているのです。メッセージの要点は二つです。惑わされないでください、キリストはまだ来ておられません。恐れないでください、不法の者は勝てません。
メッセージの流れ
1. 配達を逃したと思い込んだ教会
- テサロニケの人々が待っていたのは、荷物ではなく、一人の方、主イエス・キリストでした(1節)。パウロは、彼らと一緒にいたときにその再臨を教えていました。使徒行伝がそう伝えており、5節でも彼自身がそれを思い出させています。
- この教会は、主の再臨を待ちきれずにいました。行間を読み、少し色をつけて、Liamはこう想像します。仕事を辞め、持ち物をVintedで売り、芝生にデッキチェアを並べて空を眺めていた人たちがいたのではないか、と。
- そこへ一通のメッセージが届きます。「配達を逃しました。」つまり、主の日はすでに来てしまった、というのです。喜びの待ち望みは警報に変わります。「どうして私たちはそれを見逃してしまったのだろう。」
- このメッセージはパウロから来たと称していました。信頼できる送り主であり、内容も彼らが本当に待ち望んでいたことでした。まるで偽のDHLのSMSと同じです。そこでパウロは、すでにテサロニケ人への手紙第一の4章で語ったことをもう一度書きます。慌てる必要はない、と。
2. 第一のしるし:反逆はまだ起こっていない
- いちばん驚くべきことは、とLiamは指摘します。パウロが「イエスが来られるときは、稲妻のように見逃しようがない」と答えていないことです。パウロはむしろ、まだ起こっていない二つのことを挙げています。
- 一つ目は、「まず背教的事件が起り」(3節)です。広い意味では、反逆とは神の権威に逆らい、そのみことばに背くことです。それはエデンで始まり、以来すべての世代に刻まれてきました。
- しかしパウロが語っているのは、特定の反逆です。キリストが再び来られる直前の、神への最終的で激化した反抗です。ギリシア語の言葉は、離れ去ること、見捨てることを意味します。神を信じていると言う人の多くが背を向けるのです。
- 歴史は神への反抗を数多く見てきました。そのため「これがそうなのか」と言いたくなるかもしれません。答えはいいえです。キリストはまだ栄光のうちに来ておられないからです。ヨハネが書いているように、反キリストが来る前に、多くの反キリストが現れます(ヨハネの第一の手紙2章18節)。
- イエスはマタイ24章で同じ順序を告げておられました。多くの人がつまずき、不法がはびこり、偽キリストが人を惑わすためにしるしを行い、それから真のキリストが現れて、ご自分の民を集められます。パウロもこの順序に従っています。反逆、不法、惑わし、キリストの出現、教会の集められること。
- この反逆は、テサロニケの人々の時代には起こっていませんでした。今日も起こっていません。ですから、キリストはまだ戻っておられず、あなたはその再臨を見逃してはいないと確信できます。
3. 第二のしるし:不法の者はまだ現れていない
- この反逆に指導者がいないわけではありません。それが進行していると分かるのは、「不法の者、すなわち、滅びの子」が現れるときです(3節)。訳によっては「罪の人」とも訳されますが、意味は同じです。彼はどんな法も、とりわけ神の法を尊ばず、自分は法の上にいると思っています。けれども、法の上におられる方はただお一人、立法者である主なる神ご自身です。
- 彼は滅びに定められています。神がそのようにされるからです。Liamは、このみことばの順序が好きだと言います。パウロは彼の経歴を描く前に、まず結論を告げているのです。「物語の結末は、始まる前からすでに書かれている。」
- 彼の特徴は、「すべて神と唱えられ、礼拝されているものに反抗して立ち、自ら神の宮に座して、自分は神だと宣言する」ことです(4節)。彼は神の座に自分を置き、あらゆる神々の上にさえ立ちます。ヒンズー教で礼拝されている幾千もの神々も含めてです。
- 神殿については、聖書に立つクリスチャンの間でも意見が分かれています。エルサレムに再建される神殿だと見る人もいれば、霊的な神殿、つまり教会の中での権力の掌握だと見る人もいます。みことばははっきり決めていないので、慎重でいる必要があります。
- 何世紀にもわたって、ネロ、ナポレオン、ヒトラー、教皇や大統領の名が挙げられてきました。「そんなことに巻き込まれてはいけません。」その正体を明らかにされるのは神であり、その啓示は完全に神の支配のもとにあります。
- 5節は大切なことを思い出させます。使徒たちの教えにしっかり立つことです。「図表を持ち出してはいけません。新聞やメディアのレンズを通して聖書を読んではいけません。」そうすると、とても複雑にこんがらがってしまいます。
4. 今日、惑わされてはいけません
- パウロは、来たるべき悪で教会を怖がらせようとしているのではありません。たとえそれが恐ろしいものであってもです。「彼は、将来についての真理を用いて、今の恐れから彼らを解き放っているのです。」
- 目的はとても具体的です。3章でパウロは、働くのをやめていた人たちに、仕事に戻って善を行うよう促しています。Liamはこれを面白がります。不法の者の話をして人々を仕事に戻らせようとするのは、「かなり過激な」やり方です。しかしメッセージは単純です。イエスはまだ戻っておられません。だから、善を行い続け、仕事に戻りなさい、ということです。
- 自分の中にだまされやすさと弱さがあることを認めましょう。教会で共に生きる、真理への愛が与える感覚を信頼してください。
- 惑わす者たちは、いつの時代も働いています。イエスの再臨の日付を特定して告げた人たちもいます。1914年のエホバの証人、2011年のハロルド・キャンピングです。ときには、自分が神だと主張する人さえ現れます。イエスはこう言われました。「人に惑わされないように気をつけなさい。多くの者がわたしの名を名のって現れ、『わたしがそのキリストだ』と言って、多くの人を惑わすであろう」(マタイによる福音書24章4~5節)。
- 「聖書を知りなさい。神を信頼しなさい。」神が語られたことを忘れるとき、神へ至る別の道についてのもっともらしい考えに、弱くなってしまうのです。
5. 恐れないでください:神は不法の者を鎖につなぎ、打ち砕かれます
- テサロニケの人々は、この手紙を読んだあと、読む前よりも不安になったかもしれません。イエスを見逃したのではないかと恐れていたのに、今度は反キリストを恐れるようになったからです。私たちも、孫たちのことを思って、深く息を吸い込むかもしれません。
- Liamは、これらの真理を、「シートベルト着用」のサインが点灯したときの機長のアナウンスにたとえます。「揺れが予想されます。突然落下するように感じても、ご心配なく、対処しています。」ベルトをぎゅっと締めさせますが、安心もさせてくれます。6節から12節には、恐れなくてよい理由が二つあります。
- 第一に、何かが彼を引き止めています(6節)。鎖につながれた人のようにです。それは誰、あるいは何でしょうか。教会でしょうか、聖霊でしょうか、御使いの長でしょうか。パウロは言いません。テサロニケの人々は知っていましたが、「私たちはその部屋にいませんでした」。確かなのは、神が完全に支配しておられるということです。不法の者は、神の時計に従って「自分の時」にならなければ現れません。
- 第二に、主イエスは「その口の息をもって彼を殺し、来臨の輝きによって滅ぼしてしまわれる」のです(8節)。「長引く戦いも、苦しい格闘も、結末への不安もありません。」超自然的な綱引きではありません。イエスはただ一言を吹き出し、現れるだけです。イエスが勝たれます。
6. 神は偽りを好む者を裁かれます
- 9節から12節は警告します。惑わされる側に入ってはいけません。パウロは、自分から来たと称する手紙に警戒しています。彼が自分で手紙に署名したのは、おそらくそのためで、偽物が出回るのを防ぐためでした。
- 不法の者の背後には、サタン、敵、告発者がいます。その手口は偽造です。光の御使いに身を変え、もっともらしく見えるだけの真実で偽りを飾り立てます。不法の者は、とLiamは言います。いわばTemu版の神のようなものになるでしょう。
- 第一の戦術は、力の誇示です。「あらゆる偽りの力、しるし、不思議」(9節)です。これは仕掛けのあるトリックではなく、本物の超自然的な働きです。華やかなものが、必ずしも神から出たものとは限りません。見分ける力を求めて祈りましょう。
- 第二の戦術は、「あらゆる不義の惑わし」(10節)です。罪は決して本当の報いを見せません。禁じられた性的関係は、生きている実感を約束しながら、死しか与えません。お金は幸せを約束しながら、深い満たされなさしか残しません。Liamは深海のチョウチンアンコウを思い浮かべます。暗闇の中で餌に似たおとりを揺らし、獲物を顎の中へ引き寄せる魚です。
- いちばん恐ろしいのは、神が彼らの望むものを与えられることです。彼らが滅びるのは、「自分らを救う真理に対する愛を受け入れなかったから」です(10節)。それは知的な誤りだけではなく、心の問題です。何を愛し、何を望むか、ということです。
- 神は真理を求める無実の人々を欺かれるのでしょうか。いいえ。順序に注目してください。彼らは真理を拒み、偽りを好み、不義を選び、神はその選びのままに彼らを確定させられるのです。「真理が差し出され、何度も拒まれたあと、神がこう言われるほど恐ろしい裁きはありません。『わたしはいらないのか。それなら、あなたが愛する偽りを持つがよい。あなたが選んだものを、永遠に持つがよい。』」
7. 真理を選び、そして愛しましょう
- Liamはまず、まだ罪から離れてイエスを信じていない人たちに語りかけます。「あなたは今日、何を選びますか。」神のいない永遠へとさまよわせる偽りか、永遠のいのちへと救ってくださるイエスの真理か。
- 「もし神が、今日あなたがいちばん望んでいるものを、永遠に与えられたとしたら、それはあなたをどこへ連れて行くでしょうか。」もし今夜、あなたの息が止まったとしたら、あなたはサタンの側にいるでしょうか、それともイエスの側にいるでしょうか。
- 彼は、クリスチャンになる前のことを覚えています。罪を愛するあまり、真理を拒んでいました。多くの人が、まるでいつも明日があるかのように生きているのを見ると、彼は悲しくなります。
- 自分自身の反逆から離れ、福音を信じてください。この箇所で、神は眉をひそめる裁判官ではなく、腕を広げて迎えてくださる愛の救い主です。罪を詫び、愛をもってイエスを遣わしてくださったことに感謝し、あなたの人生に入っていただき、すべてを神を中心に整えてくださるよう願いましょう。
- 信者にとって、この箇所は恐ろしいことを含んでいながら、私たちを恐れから解き放つためのものです。不法の者は今この時も引き止められており、最後には、勝利者であるキリストが現れるとき、反逆は崩れ去り、私たちはいつまでも主と共にいるのです。
- また、この箇所は、私たちが目を覚ましていて、あるべき教会であるように助けてくれます。このみことばによれば、大いなる惑わしから守ってくれるのは、真理を知っていることだけでなく、それを愛することです。
- 真理は、あなたに「良い説教だった、つながりが見えるのが好きだ」と言わせるだけでしょうか。それとも、あなたの心に触れ、人生を形づくり、喜びで満たしているでしょうか。
- 「教理は素晴らしい。私は教理が好きです。しかし教理は献身へと導かなければなりません。」優れた信仰告白を持ちながら、福音に対して冷めたままで、それを生きることにあまり関心がない、ということもあり得ます。
- 「偽キリストに対する最良の守りは、真のキリストのうちに、より深い喜びを見いだすことです。」真理を愛せるよう神に助けを求めましょう。それがあなたを、再び来られるときまで、それを生き、分かち合うことへと駆り立てるのです。
要点
- キリストはまだ来ておられません。最終的な反逆は起こっておらず、不法の者も現れていません。あなたは再臨を見逃してはいません。
- 反キリストの正体についての憶測に迷い込まないでください。使徒たちの教えにとどまりましょう。神がご自分の時に、それを明らかにされます。
- パウロは、将来についての真理を用いて、あなたを今の恐れから解き放ちます。不法の者は鎖につながれており、イエスは息のひと吹きで彼を滅ぼされます。
- サタンは偽造によって働きます。華やかなしるしと、本当の報いを隠す罪です。華やかなものが必ずしも神から出たものとは限りません。
- 惑わしから守ってくれるのは、真理を知っていることだけでなく、それを愛することです。教理は献身へと導かなければなりません。
私たちへの適用
- 終わりの時のことを耳にするとき、あなたは新聞を通して聖書を読んでいますか。それとも、聖書の光のもとでニュースを読んでいますか。
- 神や救いについての、どんな「もっともらしい」考えが、神の語られることをよく知らないために、あなたを惑わすかもしれませんか。
- 今この時、どんな罪が、本当の報いを見せないまま、あなたにいのちや幸せを約束していますか。
- もし神が、今日あなたがいちばん望んでいるものを永遠に与えられたとしたら、それはあなたをどこへ連れて行くでしょうか。
- 日曜日に聞く真理は、あなたの心に触れ、あなたの一週間を形づくっていますか。それとも、興味深い知識にとどまっていますか。
引用された聖句
- テサロニケ人への第二の手紙2章1~12節
- 詩篇119篇81節
- テサロニケ人への第一の手紙4章13~18節
- ヨハネの第一の手紙2章18節
- マタイによる福音書24章4~31節
- コリント人への第二の手紙11章14節
- テサロニケ人への第二の手紙3章6~17節
よくある質問
テサロニケ人への第二の手紙2章の「不法の者」とは誰ですか。
パウロは彼を、法を無視する者、滅びの子と描いています。彼は神と呼ばれるすべてのものの上に自分を高め、自らを神だと宣言します。多くの人が彼の正体を特定しようとしてきました(ネロ、ナポレオン、ヒトラー、教皇や大統領など)。説教者は、そうした憶測に迷い込まないよう勧めています。その正体を、ご自分の時に明らかにされるのは神ご自身だからです。
不法の者を引き止めているのは何ですか。
教会だと考える人もいれば、聖霊だと考える人も、ダニエル書を根拠に御使いの長だと考える人もいます。パウロは明らかにしていません。テサロニケの人々は知っていましたが、私たちはその部屋にいませんでした。確かなのは、神が完全な支配を保っておられ、この者は神の時になってはじめて現れる、ということです。
神は惑わす力を送って、人々を欺かれるのですか。
いいえ。みことばは、神が真理を求める無実の人々を迷わせるとは言っていません。順序が大切です。彼らは真理を拒み、偽りを好み、不義を楽しみます。神はそのとき、彼らが選んだ道のままに彼らを確定させられるのです。それは現実の裁きであり、だからこそ今日イエスに立ち返るようにとの呼びかけがあるのです。
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