イザヤ書9章 闇を照らす光

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はじめに

クリスマスを間近に控えたこの時期、街はたくさんの光であふれています。イルミネーション、クリスマスツリー、星の飾り、輝くショーウィンドー…どこもかしこも、夜を追いやろうとしているかのようです。けれども、この輝きの真っただ中で、ひとつの問いが残ります。この光はいったい何のためにあるのでしょうか。どこから来たものなのでしょうか。教会の責任者であるマシュー・グロック牧師が、イザヤ書9章、ルカ福音書1章、マルコ福音書15章という三つの聖書箇所をたどりながら、私たちの闇の中心に輝く本当の光について、あなたと一緒に見ていきます。それは飾りのための光ではありません。名前を持つ光です。その名はイエス・キリストです。

メッセージの構成

1. イザヤ書9章:闇の中で語られた約束

  • 預言者イザヤはイエス誕生の約700年前に生きていました。彼がそのとき語ったことは、何世紀も後になって実現します。
  • 「闇の中を歩んでいた民は、大いなる光を見た。死の陰の地に住んでいた者たちの上に、光が輝いた」(イザヤ書9:1)。
  • 光が本当に輝くためには、暗闇が必要です。闇が深ければ深いほど、光が現れたときにその輝きははっきりと見えるのです。
  • イザヤの時代、イスラエルの民は北から来た大国アッシリア帝国の脅威にさらされていました。この約束が与えられたのは、まさにその苦難のただ中でした。

2. 今日の世界を覆う闇

  • 時代は変わっていません。イエスの時代、ローマの支配下にあった民もまた、大きな苦しみの中にいました。
  • 今日でも、私たちの世界がどれほど多くの争いに満ちているか、探すまでもなくすぐに分かります。ウクライナとロシアの戦争、そしてオスロ平和研究所(PRIO)によれば、現在世界には61の武力紛争が起きており、その多くはアフリカ大陸に集中しています。
  • 戦争だけではありません。経済の不安定さ、社会の緊張、気候危機。そして私たちの内側には、不安や心配、苦しみがあります。
  • 私たちもまた、ある意味で死の陰の中を歩んでいるのです。そして、まさにそこにこそ、イザヤの言葉が響いてきます。

3. ひとりのみどりごが私たちのために生まれた:平和の君という名

  • 「ひとりのみどりごが私たちのために生まれた。ひとりの男の子が私たちに与えられた。主権はその肩にある。その名は、驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君と呼ばれる」(イザヤ書9:5)。
  • このみことばは、その時代だけに属する子どものことを語っているのではありません。その主権は、終わることなく、すべての時代に及びます。
  • 万軍の主の熱心がこれを成し遂げます。これは単なる願いではありません。必ず果たされる約束です。
  • 約束された光は、ひとつの考えでも原則でもありません。ひとりの人格、ひとりの王、これから来られるひとりのみどりごなのです。

4. ルカ福音書1章:約束が私たちの人間性の中に入ってくるとき

  • それから約700年後、御使いガブリエルが、ヨセフと婚約していた若い女性マリアのもとに現れます。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みを受けたのです。見なさい、あなたは身ごもって男の子を産みます。その子をイエスと名づけなさい」(ルカ1:30-31)。
  • マリアは戸惑います。自分が選ばれるとは思ってもいなかったのです。それでも彼女は、この言葉を信仰をもって受け入れます。
  • 「その子は偉大な者となり、いと高き方の子と呼ばれます。神である主は、彼に父ダビデの王座をお与えになります。彼はとこしえにヤコブの家を治め、その支配には終わりがありません」(ルカ1:32-33)。
  • イザヤの約束が実現します。神ご自身が私たちの人間性の中に入って来られます。力によってではなく、ひとりの赤ちゃんのへりくだりと素朴さの中に。

5. なぜ神はこのような形で来られるのか:愛が求めるから

  • なぜ、すべてを創造された方が、ひとりの人間として、無防備な赤ちゃんとして来ることを選ばれるのでしょうか。
  • それは、愛は分かち合われる必要があるからです。決して近づくことなく、遠くから愛することはできません。
  • その名はインマヌエル、「神が私たちとともにおられる」という意味です(マタイ1:23)。神は来られます。遠くにとどまってはおられません。
  • 神が人となられたこの奥義こそ、クリスマスの中心にあるものです。それは作り話ではなく、歴史をふたつに分けた現実なのです。

6. マルコ福音書15章:世の光が消えていくかに見えるとき

  • 「昼の十二時になると、全地が暗くなり、それが三時まで続いた」(マルコ15:33)。
  • イエスは十字架の上におられます。ご自身がこう宣言されていました。「わたしは自分から、いのちを捨てる」(ヨハネ10:18)。イエスはこの道を自ら選ばれたのです。
  • イエスはまたこうも言われていました。「わたしは世の光です」(ヨハネ8:12)。そして今、その世の光が消えていくかのように見えます。
  • 「イエスは大声をあげて息を引き取られた。すると、神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた」(マルコ15:37-38)。神への道が開かれたのです。

7. ローマの百人隊長の証言

  • そこには、ひとりのローマの百人隊長がいました。彼はこの地の人間ではなく、監視のためにローマから遣わされた者です。彼は見つめ、考えます。
  • 十字架の周りには、ともに十字架につけられたふたりの強盗、イエスを支える女性たち、使徒ヨハネもいました。皆が同じ出来事を目撃していたのです。
  • そして聖書は、この異邦人である百人隊長にこの告白をさせています。「イエスの正面に立っていた百人隊長は、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、こう言った。『まことに、この人は神の子であった』」(マルコ15:39)。
  • マリアに告げられた「いと高き方の子と呼ばれます」という約束を、ひとりの異国の兵士が、十字架のもとで公に認めたのです。

8. 光はよみがえる:死はその光をとどめておくことができなかった

  • 物語は金曜日の闇のままで終わりません。三日後、御使いたちはこう告げます。「あの方はここにはおられません。よみがえられたのです」(マルコ16:6)。
  • ペンテコステの日、ペテロはこう宣言します。「神はイエスを死の苦しみから解き放って、よみがえらせました。イエスが死につながれていることなど、あり得なかったからです」(使徒2:24)。
  • 死はその力を失いました。キリストがよみがえられたゆえに、あなたにも希望の道が開かれています。
  • そして、あなたはひとりで残されてはいません。「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます」(マタイ28:20)。聖霊によって、イエスは今日も、あなたのもとに生きて働いておられます。

9. 福音:イエスがあなたのいのちを生き、あなたの死を死なれた

  • イエスは、ただどう生きるべきかを教えて、あなた自身に自分を救わせるために来られたのではありません。それはイエスの使命の中心ではないのです。
  • イエスは、あなたが生きるはずだったいのちを生き、あなたが死ぬはずだった死を死なれました。それは、イエスを信じることによって、あなたが喜びと感謝に満ちた新しいいのちを受け取るためです。
  • 「あなたの口でイエスを主と告白し、神がイエスを死者の中からよみがえらせてくださったことを心で信じるなら、あなたは救われます」(ローマ10:9)。
  • キリスト教の信仰とは、あなたが神に受け入れられるために行うことではありません。それは、ある方があなたのためにすでに成し遂げてくださったことなのです。

覚えておきたいポイント

  • クリスマスに輝く光は、単なる飾りではありません。それは、イザヤによって約束され、私たちと同じ人間の姿で来られたひとりの人格、イエス・キリストを指し示しています。
  • 世界とあなたの心を覆う闇が深ければ深いほど、あなたの内に輝くキリストの光は、はっきりと見えるようになります。
  • 神はあなたを遠くから愛しておられるのではありません。その名はインマヌエル、「神が私たちとともにおられる」という意味です。神は来られ、死なれ、よみがえられ、今も共におられます。
  • 十字架のもとで、イエスを公に神の子と認めたのは、ひとりのローマの百人隊長、すなわちよそ者であり異邦人でした。この光はすべての人に差し出されています。
  • キリスト教の信仰は、あなたが達成すべき成果ではありません。あなたに代わって生き、死んでくださった方から受け取るいのちなのです。

個人的な適用のために

  1. 今年、あなたの人生のどこに闇が潜んでいるでしょうか。仕事、家族、健康、心の内側…。キリストの光に照らされる必要があるのはどこですか。
  2. あなたはマリアのように、神の言葉を、自分が成し遂げるべき計画としてではなく、受け取るべき約束として受け入れているでしょうか。今日、あなたは神に何と答えたいですか。
  3. 自分の力で平和を求めるのではなく、イエスが「平和の君」であると信じるようにと、イエスはどんな点であなたを招いておられるでしょうか。
  4. あのローマの百人隊長のように、十字架の上のイエスを見て、あなたは何に気づき、彼について公に何を告白する備えがあるでしょうか。
  5. 今週、イエスが「いつもあなたとともにいる」ということを、あなたの祈り、あなたの言葉、あなたが人を見るまなざしの中で、どのように生きていきたいですか。

引用聖句

よくある質問

なぜイザヤ書9章はアドベントにとって中心的な聖書箇所なのですか。

それは、イエス誕生のおよそ700年前に、闇の中を歩む民のもとにひとりの王なるみどりごが来られることを告げているからです。イザヤは、アッシリア帝国の脅威にさらされ、政治的にも霊的にも深い苦しみの中にあったイスラエルの民に向けて語りました。その夜の真っただ中で、彼はこう宣言します。「闇の中を歩んでいた民は、大いなる光を見た」(イザヤ書9:1)。そして「驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれるひとりのみどりごの到来を告げます(イザヤ書9:5)。教会がこの箇所をアドベントに読むのは、この約束がイエスにおいて成就するからです。神はご自身で私たちの闇の中に住まわれます。それを論じるためではなく、そこを通り抜け、打ち勝つためです。

なぜ十字架でイエスを神の子と認めたのが、ローマの百人隊長だったのですか。

それは、キリストの光がある民族や限られた仲間内だけのものではないからです。マルコ15:39は、処刑を監視するためにローマから遣わされたこの異邦人の兵士が、イエスが息を引き取る様子を見て、「まことに、この人は神の子であった」と告白したと伝えています。ルカ1:32でマリアに告げられた「いと高き方の子と呼ばれます」という約束は、十字架のもとで、ひとりのよそ者によって告白されたのです。イエスの死に際して、その正体を最初に公に告白した人間は弟子ではなく、支配していた帝国の一将校でした。それは、福音がすべての国民のためのものであり、この光は最も遠く思える者にまで届くという、力強いしるしなのです。

このアドベントは、私の具体的な生活にどんな変化をもたらすことができるのでしょうか。

イエスは、あなたが自分自身を救うために、どう生きるべきかを教えに来られたのではないからです。イエスは、あなたが生きるはずだったいのちを生き、あなたが死ぬはずだった死を死なれました。それはつまり、あなたはもう神に認めてもらおうと頑張り続ける必要がないということです。聖句はとても明確です。「あなたの口でイエスを主と告白し、神がイエスを死者の中からよみがえらせてくださったことを心で信じるなら、あなたは救われます」(ローマ10:9)。具体的には、このアドベント、あなたは信仰の一歩を踏み出すことができます。自分の中にある闇を認め、取り繕うことをやめ、イエスの光を受け入れることです。その約束は、いつの日も変わりません。「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます」(マタイ28:20)。

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