はじめに
数か月前、7月に日本を大きな地震が襲うという噂が広まりました。旅行を取りやめた観光客までいたほどです。けれども、何も起こりませんでした。もっとさかのぼれば、1999年に世界の終わりを告げたノストラダムスの大予言も思い出されることでしょう。今日では、聖書から引き出したとされる具体的な日付を掲げるYouTube動画が出回っています。
このような予告は、昔も今も絶えることがありません。それでも、この点について、イエス様ご自身がはっきりと語っておられます。ご自分の再臨の日については、誰も知らない、イエス様ご自身でさえも知らず、ただ御父だけがご存じである、と。それでは、周りのすべてがあなたを揺さぶろうとするとき、どうやって立ち続ければよいのでしょうか。パウロがテサロニケ人に宛てた第二の手紙は、この問いに答えてくれます。そしてこの手紙は、あなたの心を生涯にわたって錨のように留めることのできる一つの約束をもって締めくくられています。
メッセージの構成
1. 偽りの知らせに揺さぶられた若い教会
今からおよそ二千年前、テサロニケの町にあった教会は、激しい迫害の中を通っていました。パウロはすでに、彼らを励ますために最初の手紙を送っていました。ところが、ある人がパウロのもとに戻ってきて、こう伝えました。「パウロ先生、テサロニケの兄弟たちは、主の日はすでに来てしまったと思い込んでいます。しかも、それをあなたが手紙に書いたのだと信じ込んでいるのです。」
偽預言者たちが、人々の心をかき乱すためにパウロの名を利用していたのです。中には、そこから奇妙な結論を導き出す者もいました。「イエス様はもうすぐ戻ってこられるのだから、働く必要も、真面目に生きる必要もないではないか。ただ信じてさえいればよい。好きなように生きればよい。どうせイエス様は私たちを迎え入れてくださるのだから」と。
このような混乱に終止符を打つために、パウロは第二の手紙を書きます。その指示は率直なものです。「霊によっても、ことばによっても、私たちから来たかのような手紙によっても、主の日がすでに来てしまったかのように、すぐに心を揺り動かされたり、慌てたりしないでください」(2テサロニケ2:2)。
2. まず起こらなければならないこと
パウロは、自分が彼らと共にいたときにすでに教えていたことを、教会に思い起こさせます。主の日は、ある具体的な出来事が起こる前には来ません。それは、不法の人、パウロが「滅びの子」と呼ぶ者の出現です。この者は、拝まれるあらゆるものの上に自分を高く上げ、神の神殿の中で自分を神そのものとして示そうとします。
パウロによれば、この不法の秘密はすでに働いています。けれども、今のところそれを押しとどめているものがあります。押しとどめているものが取り除かれるとき、この人物が現れ、そしてイエス様が栄光のうちに再び来られるときに、その御口の息によって滅ぼされます。
パウロがこれを書いているのは、あなたを怖がらせるためではありません。あなたが慌てないため、次々と現れる衝撃的な予告に振り回されないため、そして、まだ最後の場面が演じられていないことを見分けられるようになるためです。
3.「主に愛されている兄弟たち」
13節になると、口調ががらりと変わります。パウロは、この手紙を書いている相手に目を向け、こう言います。「しかし、主に愛されている兄弟たち。私たちは、あなたがたのことで、いつも神に感謝しなければなりません」(2テサロニケ2:13)。
この対比に注目してください。一方には、惑わされ、救われるための真理への愛を受け入れなかった人々がいます。もう一方には、福音によって召され、御霊による聖めと真理への信仰によって初めから選ばれたあなたがいます。神は、私たちの主イエス・キリストの栄光にあずからせるために、あなたを召してくださったのです。
これは偶然ではありません。愛による選びです。そしてこのことは、あなたが不確かな時代をどう歩んでいくかを変えるのです。
4. 受け取ったものにしっかりと立ちなさい
噂という風の前で、パウロは一つの単純な命令を与えます。「こういうわけですから、兄弟たち。堅く立って、私たちのことばによっても手紙によっても教えられた言い伝えを守りなさい」(2テサロニケ2:15)。
あなたには、インターネット上を駆け巡る新しい啓示など必要ありません。あなたはすでに御言葉を受け取っています。教会の教えを受け取っています。学んだことをしっかりと保ち、それを生きてください。
パウロは他の箇所でも、こう思い起こさせています。「働きたくない者は、食べてはならない。」イエス様の再臨を待ち望むことは、決して怠惰や無秩序への免罪符ではありません。それは、あなたの家庭、仕事、地域、教会における具体的な忠実さへの招きなのです。
5. あなたを迎えに走り寄る御父
説教者はここで、ルカの福音書15章、放蕩息子のたとえを開きます。一人の若者が自分の相続分を求め、それを使い果たし、豚の世話をする身にまで落ちぶれ、こう言って父のもとに帰ろうと決心します。「私を雇い人の一人のようにしてください。」
けれども、父は遠くにその姿を見つけるとすぐに、深い憐れみに突き動かされます。走り寄ります。抱きしめます。息子の言葉を最後まで言わせもしません。そして、しもべたちに三つの命令を与えます。「急いで、一番良い衣を持って来て、この子に着せなさい。手に指輪をはめ、足に履き物を履かせなさい。肥えた子牛を引いて来て、屠りなさい。食べて祝おう。この息子は死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから」(ルカ15:22〜24)。
衣は、取り戻された息子としての尊厳です。指輪は権威であり、家族の印章です。履き物は、彼がもはや奴隷ではなく、家の中で自由な息子であることのしるしです。
今日はただ、これだけを心に留めてください。あなたがイエス様を信じたその日、最も喜んだのはあなたではありませんでした。あなたを福音へと導いてくれた兄弟姉妹でもありませんでした。それは御父です。それはイエス様です。あなた自身の心の中よりも大きな喜びが、天に生まれたのです。
6. 永遠の慰め:2テサロニケ2:16〜17
パウロは、暗記する価値のある祝福のことばで、この手紙を締めくくります。「私たちの主イエス・キリストご自身と、私たちを愛し、恵みにより、永遠の慰めと良い望みとを与えてくださった父なる神が、あなたがたの心を慰め、すべての良い行いとことばにおいて、あなたがたを強めてくださいますように」(2テサロニケ2:16〜17)。
御父はあなたを、ご自分の御子を十字架に渡すほどに愛してくださいました。御父があなたに与えてくださったのは、一時的な慰めではなく、永遠の慰めです。恵みによって差し出された、確かな希望です。
ですから、今週あなたが落胆を感じるとき、「もう無理だ」と言いたくなるとき、自分自身を軽蔑したくなる誘惑を受けるとき、この二つの聖句を開いてください。あなたが自分自身を見放してしまうときでも、御父はあなたを見放されません。御父は「歯を食いしばって、自分の力で持ちこたえなさい」とは言われません。御父はこう言われます。「わたしに信頼しなさい。わたしがあなたを変え、すべての良い行いにおいてあなたを前進させよう。」
覚えておきたいポイント
- 人間が告げる終わりの日付には、あなたに対する権威は何もありません。その日を知っておられるのは、ただ御父だけです。
- 不法の秘密はすでに働いていますが、時のご計画を治めておられるのはイエス様です。
- 神は、キリストの栄光と聖めのために、初めからあなたを選んでくださいました。これは偶然ではありません。
- 今日、あなたの家族や仕事における具体的な忠実さこそ、主の再臨を待ち望む正しい姿勢です。
- あなたが御父のもとに帰ったとき、最も喜ばれたのは御父ご自身です。衣、指輪、履き物、それはあなたに取り戻された尊厳です。
- 御父の慰めは一時的なものではなく、永遠のものです。
自分への適用
- 最近、あなたの心を揺さぶった「噂」や不安をあおる予告は何でしょうか。それについて、イエス様の御言葉は何と言っているでしょうか(マタイ24:36)。
- あなたが教会から受け取った確かな教えの中で、もしかすると薄れさせてしまったものはありませんか。それをしっかりと保つために、今週具体的に何をしますか。
- あなたの人生のどの領域において、キリストの再臨を待ち望むことが、手を抜くのではなく、むしろより忠実に働くよう後押ししてくれているでしょうか。
- あなたが救われたその日を、天から見た光景として思い描いてみてください。御父のどんな喜びが聞こえてくるでしょうか。それは、あなたの自分自身への見方をどのように変えるでしょうか。
- 今週、2テサロニケ2:16〜17を暗記してください。落胆したとき、どこでそれを声に出して唱えますか。
引用された聖句
- 2テサロニケ2:1〜17
- 2テサロニケ2:2
- 2テサロニケ2:13
- 2テサロニケ2:15
- 2テサロニケ2:16〜17
- ルカ15:11〜24(放蕩息子)
- マタイ24:36(その日を知る者はだれもいない)
よくある質問
イエス様の再臨の日付を知ろうとするべきでしょうか。
いいえ、そうすべきではありません。イエス様ご自身が、その日は御父だけがご存じであると言っておられます。たとえ聖書を引用していたとしても、日付を定めようとするあらゆる予告は、イエス様の直接のことばと矛盾します。あなたの使命は、時のスケジュールを言い当てることではなく、いつイエス様に出会っても良いように備えた弟子として、日々を生きることです。
終わりの時について、これほど多くの矛盾した声が飛び交う中で、どうすればしっかりと立っていられますか。
パウロは2テサロニケ2:15で答えを与えています。すでに受け取った教えの中に堅く立ち続けることです。語られた御言葉、あなたが属する地域教会の教え、そして兄弟姉妹との交わりは、あなたが流されてしまわないようにする錨なのです。
自分が神にふさわしくない、あるいは見捨てられたと感じるとき、具体的に何をすればよいですか。
2テサロニケ2:16〜17を読み返してください。御父はあなたに、一時的なものではなく、永遠の慰めを与えてくださいました。ルカの福音書15章も思い起こしてください。あなたが御父のもとに帰るとき、御父は走り寄り、あなたの尊厳を取り戻し、喜んでくださいます。自分の力だけで変わろうとするのではなく、御父に信頼してください。
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