聖書 — 口語訳 (1955)

ルカによる福音書 15

概要

ルカの福音書15章には、罪人を迎えると非難するパリサイ人たちに、イエスが語った三つのたとえが集められています。羊飼いは失われた羊を捜し、女は銀貨を捜し、父は全財産を使い果たして帰ってきた弟息子を迎えます。どの話でも、失われていたものが見つかり、天に喜びが起こります。最後のたとえは兄息子へと続き、兄は外にとどまって喜ぶことを拒みます。章は、兄がどう答えたかを語りません。

この章の5つの区分

  1. 1-7節失われた羊:見つけるまで捜す羊飼い
  2. 8-10節失われた銀貨:神の御使いたちの前での喜び
  3. 11-20節弟息子:旅立ち、転落、そして帰還
  4. 21-24節父の迎え入れと祝宴
  5. 25-32節門の外にいる兄息子

1さて、取税人や罪人たちが皆、イエスの話を聞こうとして近寄ってきた。

2するとパリサイ人や律法学者たちがつぶやいて、「この人は罪人たちを迎えて一緒に食事をしている」と言った。

3そこでイエスは彼らに、この譬をお話しになった、

4「あなたがたのうちに、百匹の羊を持っている者がいたとする。その一匹がいなくなったら、九十九匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹を見つけるまでは捜し歩かないであろうか。

5そして見つけたら、喜んでそれを自分の肩に乗せ、

6家に帰ってきて友人や隣り人を呼び集め、『わたしと一緒に喜んでください。いなくなった羊を見つけましたから』と言うであろう。

7よく聞きなさい。それと同じように、罪人がひとりでも悔い改めるなら、悔改めを必要としない九十九人の正しい人のためにもまさる大きいよろこびが、天にあるであろう。

8また、ある女が銀貨十枚を持っていて、もしその一枚をなくしたとすれば、彼女はあかりをつけて家中を掃き、それを見つけるまでは注意深く捜さないであろうか。

9そして、見つけたなら、女友だちや近所の女たちを呼び集めて、『わたしと一緒に喜んでください。なくした銀貨が見つかりましたから』と言うであろう。

10よく聞きなさい。それと同じように、罪人がひとりでも悔い改めるなら、神の御使たちの前でよろこびがあるであろう」。

11また言われた、「ある人に、ふたりのむすこがあった。

12ところが、弟が父親に言った、『父よ、あなたの財産のうちでわたしがいただく分をください』。そこで、父はその身代をふたりに分けてやった。

13それから幾日もたたないうちに、弟は自分のものを全部とりまとめて遠い所へ行き、そこで放蕩に身を持ちくずして財産を使い果した。

14何もかも浪費してしまったのち、その地方にひどいききんがあったので、彼は食べることにも窮しはじめた。

15そこで、その地方のある住民のところに行って身を寄せたところが、その人は彼を畑にやって豚を飼わせた。

16彼は、豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいと思うほどであったが、何もくれる人はなかった。

17そこで彼は本心に立ちかえって言った、『父のところには食物のあり余っている雇人が大ぜいいるのに、わたしはここで飢えて死のうとしている。

18立って、父のところへ帰って、こう言おう、父よ、わたしは天に対しても、あなたにむかっても、罪を犯しました。

19もう、あなたのむすこと呼ばれる資格はありません。どうぞ、雇人のひとり同様にしてください』。

20そこで立って、父のところへ出かけた。まだ遠く離れていたのに、父は彼をみとめ、哀れに思って走り寄り、その首をだいて接吻した。

21むすこは父に言った、『父よ、わたしは天に対しても、あなたにむかっても、罪を犯しました。もうあなたのむすこと呼ばれる資格はありません』。

22しかし父は僕たちに言いつけた、『さあ、早く、最上の着物を出してきてこの子に着せ、指輪を手にはめ、はきものを足にはかせなさい。

23また、肥えた子牛を引いてきてほふりなさい。食べて楽しもうではないか。

24このむすこが死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから』。それから祝宴がはじまった。

25ところが、兄は畑にいたが、帰ってきて家に近づくと、音楽や踊りの音が聞えたので、

26ひとりの僕を呼んで、『いったい、これは何事なのか』と尋ねた。

27僕は答えた、『あなたのご兄弟がお帰りになりました。無事に迎えたというので、父上が肥えた子牛をほふらせなさったのです』。

28兄はおこって家にはいろうとしなかったので、父が出てきてなだめると、

29兄は父にむかって言った、『わたしは何か年もあなたに仕えて、一度でもあなたの言いつけにそむいたことはなかったのに、友だちと楽しむために子やぎ一匹も下さったことはありません。

30それだのに、遊女どもと一緒になって、あなたの身代を食いつぶしたこのあなたの子が帰ってくると、そのために肥えた子牛をほふりなさいました』。

31すると父は言った、『子よ、あなたはいつもわたしと一緒にいるし、またわたしのものは全部あなたのものだ。

32しかし、このあなたの弟は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから、喜び祝うのはあたりまえである』」。

鍵となる聖句

2節
するとパリサイ人や律法学者たちがつぶやいて、「この人は罪人たちを迎えて一緒に食事をしている」と言った。

この節は三つのたとえの理由を示します。イエスが罪人を迎えることに、宗教家たちがつぶやいているのです。続く話はイエスの答えです。

7節
よく聞きなさい。それと同じように、罪人がひとりでも悔い改めるなら、悔改めを必要としない九十九人の正しい人のためにもまさる大きいよろこびが、天にあるであろう。

イエスは、悔い改める一人の罪人について天に喜びがあると語ります。天は、正しい人々の群れだけでなく、一人の帰りを喜びます。

20節
そこで立って、父のところへ出かけた。まだ遠く離れていたのに、父は彼をみとめ、哀れに思って走り寄り、その首をだいて接吻した。

父は遠くから息子を見つけ、あわれに思い、走って抱きしめます。父が走ることのない文化の中で、この姿は、悔い改めの言葉よりも先に愛が動くことを際立たせます。

24節
このむすこが死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから』。それから祝宴がはじまった。

父は物語を要約します。死んでいたのに生き返り、失われていたのに見つかった。これが祝宴の理由です。

31-32節
すると父は言った、『子よ、あなたはいつもわたしと一緒にいるし、またわたしのものは全部あなたのものだ。 しかし、このあなたの弟は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから、喜び祝うのはあたりまえである』」。

父は兄息子に優しく答え、喜びに加わるよう招きます。本文はそこで終わり、読者に、自分はこの物語のどこにいるのかを問いかけます。

この章に登場する人物

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説教が語っていること

見失った羊とドラクマ:あなたを探す父の喜びサン・ラザール教会は1節から10節を読み、人が自分なりに神を探す宗教と、神が失われた人を探される関係とを対比します。メッセージは、見つけられるままになるよう招きます。要約を読む →父はあなたが方向転換するとき、走り寄ってくださるルカ15章11節から24節について、この説教は父の愛の四つの顔を示します。与える愛、自由にする愛、帰りを待つ愛、そしてあなたが引き返すとき、走って迎える愛です。要約を読む →放蕩息子の兄―もしお前が兄の方だったら?タバナクル教会は、二人の息子がどちらも失われているという見方でたとえを読み直します。兄の心の三つのしるしと、一人ひとりに向けられた父の招きを語ります。要約を読む →見失われ、見つけられた ― 本当に祝うべき理由説教者は、家から遠く離れ、追放されているような思いから始め、三つのたとえを一つの場面として読みます。大切なものが欠け、だれかが捜し、帰ってきた喜びが分かち合われるのです。要約を読む →自分が迷子だと認めよう:神はすでに走り出しておられますジャン・クロード・ダテヴィは三つのたとえを一続きに読みます。イエスが実際はだれに語っているのか、つまりつぶやくパリサイ人たちに語っていることを思い起こさせ、神が離れている人を捜しておられることを示します。要約を読む →

ルカによる福音書15章についてよくある質問

ルカ15章のメッセージは何ですか。

ルカ15章は、神が失われたものを捜し、見つけて喜ばれることを示します。羊、銀貨、息子という三つのたとえは、イエスが罪人を迎えることを不快に思う人々に答えています。また、自分を正しいと思う人々に、父と共に喜ぶようにという招きでもあります。

放蕩息子のたとえはどういう意味ですか。

息子が財産の分け前を求めて使い果たし、窮乏の中で父のもとに帰ると、父は喜んで迎えます。このたとえは、帰ってくる者を受け入れる父の善を語っています。多くの読者は、家にいながら心は遠く離れていた兄息子にも注目します。

なぜイエスはルカ15章で三つのたとえを語るのですか。

三つのたとえは、2節にあるパリサイ人の同じ非難に答え、同じ流れをたどります。大切なものが失われ、捜され、見つかり、祝宴が開かれます。繰り返しは、一人が神のもとに帰るときの神の喜びを強調しています。

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