過去の出来事から学べ(申命記1〜4章)

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はじめに

モーセは生涯の終わりを迎えていました。荒野で四十年を過ごした後、彼はイスラエルの新しい世代、すなわちエジプトでの奴隷生活を知らず、しかし両親が約束の地に入ることなく死んでいくのを見てきた世代を呼び集めます。ヨルダン川の東側で、彼は申命記を、長い回顧のことばから始めます。

「申命記」ということばは「第二の律法」を意味します。しかしこれは新しい律法が与えられたということではありません。同じ契約が、新しい世代に向けて、彼らがその地に入ろうとするまさにその日々に、語り直され、当てはめられているのです。そしてモーセは、単純な命令から始めます。何が起こったのかを忘れるな。荒野を見よ、神の真実を見よ、そして自分自身の失敗も見て、そこから学べ。

申命記を貫く糸は、三つの動詞にまとめられます。忘れないこと、聞くこと、正しいことを選ぶことです。この最初の四つの章は、あなたにこう問いかけます。あなたは、明日を違うふうに歩むために、過去から教訓を引き出す備えができているか、と。

学びの構成

1. 十一日が三十八年になった(申命記1:1〜8)

モーセは冒頭でこれを思い起こさせます。ホレブからカデシュ・バルネアまでは、わずか十一日の道のりでした(申命記1:2)。十一日です。それにもかかわらず、彼が語っているのは四十年目のことなのです。民は一週間あまりで約束の地に入ることができたはずでした。ところが、それにほぼ四十年もかかってしまったのです。

それでも神はすでにすべてを彼らに与えておられました。7節は、荒野から大河ユーフラテスに至る広大な領土を描いています。この地は彼らに約束され、備えられ、渡されていました。しかしイスラエルは、その全体を決して手にすることはありませんでした。ダビデとソロモンの時代でさえ、その影響力はこの国境に届いた程度で、実際に地が占有されることはありませんでした。祝福はそこにあり、差し出されていましたが、受け取られなかったのです。

これはあなたにとっての鏡です。神は日々、ご自分の子どもたちのために恵みを備えておられます。父が子どもの益を願うように、神はあなたを祝福したいと願っておられます。しかし、あなたが求めず、今あるもので満足し、「もう十分だ、これ以上は必要ない」と言い続けるなら、神が与えたいと願っておられたものを、あなたは逃してしまうのです。

2. 分かち合われた重荷:指導者を立てる(申命記1:9〜18)

モーセは、自分がこの民の重荷をひとりで担ってきたのではないことを思い起こさせます。神はイスラエルを大いに増やされたので、もはやひとりの人間がすべての事案をさばくことはできませんでした。そこで、知恵があり、経験があり、それぞれの部族でよく知られた人々が、千人、百人、五十人、十人の長として立てられました。

ここから二つのことが浮かび上がります。第一に、神が増やしてくださったものを認めることです。組織化の難しさは、祝福のしるしなのです。第二に、指導者として立てられた人々は、自分自身のものではなく、神に属するさばきを担っているということです。「さばきは神のものだから」(申命記1:17)。指導者は自分の地位に安住したり、いばったりしてはなりません。彼は聖なるものを担い、その責任を問われる立場にあるのです。

3. カデシュ・バルネア:不信仰が心を支配するとき(申命記1:19〜46)

すべてが崩れたのはここでした。モーセは民を励ましていました。「恐れるな。主はすでにこの地をあなたの手に渡された。上って行って、これを占領せよ」(申命記1:21)。十二人の男が偵察に送られました。彼らはこの地の実りを持ち帰りました。良い報告もありました。この地は美しい、と。しかし悪い報告もありました。町々は城壁で囲まれており、住民は背が高く、巨人アナク人さえいる、と。

恐れが約束に勝ってしまいました。民は自分たちの天幕の中でつぶやきました。「主は私たちを憎んでおられる。私たちをエジプトから連れ出したのは、アモリ人の手に渡すためだ」(申命記1:27)。

不信仰が何を生み出すか見てください。それは歴史を書き換えてしまうのです。救い出し、養い、導いてくださった神が、突如として憎む者へと変わってしまいます。信頼を失うとき、あなたは、神があなたの益を望んでおられない、自分にはその資格がない、試練は罰なのだ、と思い始めてしまいます。神の愛のすべての証しが、その瞬間の恐れに押しつぶされ、一気に消え去ってしまうのです。恐れ、不安、性急さは、まさに信仰の正反対のものです。

モーセは彼らを引き戻そうとしました。「あなたがたの前を進まれる主が、エジプトでそうされたように、あなたがたのために戦ってくださる。主は人が自分の子を背負うように、道中ずっとあなたを背負ってこられた」(申命記1:30〜31)。しかし何も変わりませんでした。そこでさばきが下りました。この世代はエフネの子カレブを除いて、その地を見ることはない、と(申命記1:36)。モーセ自身もこの宣告と無関係ではありませんでした(申命記1:37)。神の拒絶は、ご自身のしもべにも及んだのです。

民は翌日、挽回しようとしました。武器を取り、戦いに上って行きました。もう遅すぎました。「上るな、戦うな。わたしがあなたがたの中にいないからだ」(申命記1:42)。アモリ人は蜂の群れのように彼らを追い、ホルマまで追い立てました。彼らは主の前で泣きましたが、主は彼らに耳を傾けられませんでした。

遅すぎる従順は、なお不従順です。閉ざされて二度と開かれない扉というものがあります。神が今日あなたをある選択の前に立たせるとき、あなたは「明日やります」と言うことはできません。今日の恵みは今日のものです。荒野のマナと同じです。朝に集めなかったものを、夕方に取り戻すことはできないのです。

4. むさぼらずに通り過ぎる:セイル、モアブ、アモン(申命記2章)

イスラエルはその後、エサウの子孫に与えられたセイルの地、そしてロトの子孫に与えられたモアブとアモンの領土を通り過ぎます。手を出すことは禁じられていました。必要なものは買いなさい、しかし力ずくで何も奪ってはならない、と。神はイスラエルのように主を礼拝しない者たちに対しても真実です。選ばれた民だからといって、すべての権利があるわけではないのです。

印象的な点があります。これらの地域にはかつて、アナク人ほどの背丈を持つエミム人、レファイム人という巨人たちが住んでいました(申命記2:10〜11、20〜21)。そしてエサウの子孫、ロトの子孫が彼らを追い払ったのです。メッセージは明らかです。カデシュ・バルネアであなたがたを恐れさせた巨人たちを、他の者たちはすでに打ち破っていた、ということです。もし神がある地を約束されたなら、どれほど大きな敵であっても、それを受け取ることを妨げることはできません。この世代は、前の世代が拒んだことを学ぶことになります。

次にヘシュボンのアモリ人の王シホンが登場します。モーセはまず、後に定められる律法(申命記20:10)にあるように、和解を申し出ます。これは信仰の欠如ではありません。それが正しい方法なのです。シホンは拒みました。神はモーセにこう告げられました。「わたしが彼をあなたの手に渡すために、彼の心をかたくなにした」(申命記2:30)。シホンの心はすでにかたくなでしたが、神は彼が決めていたことをそのまま行わせ、イスラエルのために戦われたのです。

5. バシャンの王オグと、東側の分配(申命記3章)

バシャンの王オグは、エドレイで彼らを迎え撃とうと出て来ます。同じことばがかけられます。「彼を恐れるな。わたしが彼をあなたの手に渡す」(申命記3:2)。同じ勝利です。これはカデシュ・バルネアのときと同じことばです。もしイスラエルが三十八年前に、今日示しているような信仰でこのことばを受け止めていたなら、父母の世代は、子どもたちと共にその地を受け継ぐことができたでしょう。

だからこそ、過去から学ぶ必要があるのです。自分の失敗を思い出すことは、そこに浸ることや自分を責め続けることとは何の関係もありません。あなたは繰り返さないために思い出すのです。同じような機会がまた訪れたときに、神の助けを求め、違う選択ができるように、思い出すのです。

ルベン、ガド、マナセの半部族は、ヨルダン川の東側で相続地を受け取ります(申命記3:12〜17)。しかし、戦うことのできる年齢の男たちはみな、兄弟たちと共に川を渡り、戦いの先頭に立ち続けなければなりません。それからモーセはヨシュアに命じます。「恐れるな。あなたの神、主があなたのために戦われるのだから」(申命記3:22)。

あなたの肉は、自分自身の力で征服できるものではありません。霊的な戦いは実際に存在し、悪に対してあなたは無力です。しかし御霊があなたのうちに住み、あなたのためにとりなし、あなたを励まし、あなたを導き、あなたのために戦ってくださいます。だから、恐れる必要はありません。

6. モーセの願いと神の拒絶(申命記3:23〜29)

モーセは願います。「どうか、ヨルダン川の向こうにあるあの良い地を、私に見させてください」(申命記3:25)。彼はもう一度試みたのです。神の答えはこうでした。「それでもう十分だ。もうこのことについてわたしに語るな」(申命記3:26)。そっけなく、断固としています。

それでも神は、モーセがピスガの頂からその地を見ることを許されます。しかし彼が求めたものそのものを与えることはされません。あなたが逃してしまったものは、しつこく求めても取り戻せません。閉ざされたことに固執することは、神が今日あなたに与えたいと願っておられるものを逃すことになります。神はモーセに、過去の失敗を嘆くようには求めておられません。ヨシュアを力づけ、励まし、民を導く備えをさせるようにと求めておられるのです。あなたの今日の使命は、あなたの昨日の後悔よりも重要なのです。

7. 聞くこと、選ぶこと(申命記4章)

4章は一つの呼びかけです。「私があなたがたに教える掟と定めに聞き従い、それを行いなさい。それは、あなたがたが生きるためである」(申命記4:1)。ことばに何も付け加えず、何も取り除いてはならない(申命記4:2)。バアル・ペオルを思い出しなさい。この偶像に従った者たちは断ち切られましたが、主にすがった者たちは今日も生きています(申命記4:3〜4)。

ホレブを思い出しなさい。そこで神は火の中から語られ、その声が聞かれました(申命記4:10〜13)。偶像を作らないように気をつけなさい。あなたが入って行く地では、すべてのものが、諸国の民をまねて、自分の身の丈に合った神々を彫ることへと誘うでしょう。そこに引きずり込まれてはなりません。

そして、もしあなたが倒れ、散らされ、木や石でできた神々に仕えることになったとしても、その隷属の愚かさを悟るとき、心を尽くして主を求めなさい。「あなたの神、主は憐れみ深い神であるから、あなたを見捨てず、あなたを滅ぼさず、あなたの先祖たちに誓われた契約を忘れることはない」(申命記4:31)。

荒野での四十年は、無駄な罰ではありませんでした。それは訓練だったのです。訓練は、本当の戦いのために備えるものです。イスラエルにとって本当の戦いとは、その地に入り、妥協を促すあらゆるものに屈することなく、そこにとどまり続けることでした。あなたにとっての本当の戦いは、日々の生活そのものです。学びの時、賛美の時、兄弟姉妹との祈りの時、これらは戦いそのものではありません。それらは訓練です。ここで訓練していなければ、あちらで持ちこたえることはできないのです。

要点のまとめ

  • 十一日か、三十八年か。不信仰は道のりを無駄に長くします。神はすでにその地をイスラエルの手にお渡しになっていました。
  • 恐れは神の物語を書き換えてしまいます。疑うとき、あなたはやがて神があなたを愛しておられないと思い込んでしまいます。その読み方を退け、神の具体的な真実を思い出しなさい。
  • 遅すぎる従順は、なお不従順です。今日の恵みは今日のためのものです。二度と開かれない扉があります。
  • 戦っているのはあなたではありません。神が、父が子を背負うように、あなたの前を歩まれます。御霊があなたのうちで戦ってくださいます。
  • 荒野は訓練です。本当の戦いは、あなたの日々の生活です。集会の中で行っていることは、日常の中でこそ試されるのです。

個人への適用

  • 神があなたのために備えておられた祝福で、「もうこれで十分」と思って一度も求めたことのないものはありますか。
  • 最近、恐れによって、神があなたの益を望んでおられないと思わされた瞬間はありましたか。神があなたのためにしてくださったことを書き出してみましょう。
  • 「また今度やろう」と言って先延ばしにしている従順はありませんか。今日、神があなたにこれ以上先送りしないようにと求めておられることは何ですか。
  • あなたは自分の失敗を、自分を責めるために見つめていますか、それとも繰り返さないために見つめていますか。正直に神の前でそれを名指しし、今神があなたに委ねておられることへと進みましょう。
  • あなたの訓練(学び、祈り、賛美)は、あなたの日々の生活を本当に養っていますか、それとも生活から切り離された泡の中にとどまっていますか。

引用聖句

よくある質問

なぜこの書は「申命記」と呼ばれるのですか。

このことばはギリシア語に由来し、「第二の律法」を意味します。新しい律法が与えられたのではなく、ホレブで与えられたのと同じ契約が、約束の地に入ろうとしている世代に向けて語り直されたのです。両親たちは荒野で死にました。その子どもたちは今、大人として初めてこの律法を自分の耳で聞くのです。

「遅すぎる従順は、なお不従順である」とはどういう意味ですか。

神が「上れ」と言われるなら、上らなければなりません。民は拒み、翌日、神が「上るな」と言われているのに上ろうとしました。それはもはや従順ではなく、思い上がりでした。神の時から外れて従うことは、従うことにはなりません。すべての召しにはそれぞれの時があり、それを逃してしまうと、まったく同じ形で再び訪れることはないのです。

自分の過ちに押しつぶされることなく、それを思い出すにはどうすればよいですか。

私たちは罰せられるためではなく、繰り返さないために思い出します。本物の悔い改めは、次の誘惑に立ち向かうために十分な深さの痕跡を刻みます。もし後悔が表面的なままであれば、同じ過ちが繰り返されてしまいます。しかし、その目的は決して自己嫌悪ではありません。恵みが、あなたの歩みの方向を変えるために働くことこそが目的なのです。

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