キリストによる解放:傷ついた心を癒やし、鎖を断ち切る

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はじめに

あなたがこの文章を読んでいるまさにこの瞬間にも、地球上のあちこちで何千という人々が祝福と癒やし、そして解放を受け取っています。神様は無限のお方です。何百万人もの人に同時に語りかけることがおできになります。問題は、神様が働いてくださるかどうかではありません。あなたが受け取るために、思い切って信仰を働かせるかどうかなのです。

ニースの教会「ラ・リアヌ」の牧師、ジャン=マルク・ラモット師はここで、シンプルながら確信に満ちたメッセージを語っています。主はあなたを自由にするために来てくださる、というメッセージです。一年後でも、天国に行ってからでもありません。今日です。あなたが死別による傷んだ心を抱えていても、幼い頃の傷を負っていても、精神的・性的な虐待を受けたことがあっても、依存症や何年も付きまとう恐れを抱えていても、十字架で力の所在は変わったのです。イザヤ書61章は古びた詩的な文章ではありません。イエス様ご自身がこれをご自分の使命として読まれた箇所です(ルカ4章)。そしてこの使命は、今朝、あなたのためのものなのです。

メッセージの構成

1. 神様が本当に働かれる、生きた教会

燃えている教会もあれば、その火を失ってしまった教会もあります。あなたが持っている火を守ってください。この火は音楽や照明で作り出す雰囲気ではありません。心が神様のなさることに制限を設けずに開かれるとき、聖霊が造り出す霊的な空気なのです。

受け取ることを期待してください。それが最初の決断です。多くの人は期待もなく礼拝に来て、何も受け取らずに帰っていきます。しかし「主よ、今日あなたが私に触れてくださると信じます」と言って来る人は、すでに受け取るために手を伸ばしているのです。マルコ16章にはこうはっきり書かれています。「信じる者には、次のようなしるしが伴います。」奇跡は語る者の油注ぎだけでなく、受け取る者の信仰と結びついているのです。

ジャン=マルク・ラモット師が語るように、奇跡の賜物は神様のものであって、しもべのものではありません。ある大きな教会では、人々は牧師に特別な油注ぎがあると信じて牧師のもとに殺到する一方、隣で祈っている長老たちは無視されます。これは正常なことではありません。癒やしてくださるのは主です。あなたの信仰は、会堂でも、家でも、車の中でも、画面の前でも、どこでも立ち上がることができるのです。

2. 約束を望むだけでなく、つかみ取る

イザヤ書58章11節にはこうあります。「主はいつもあなたを導き、焼けつく地でもあなたを満ち足らせ、あなたの骨に力を与えられる。あなたは潤された園のように、水の絶えない泉のようになる。」ここで中心となる言葉は「つかみ取る」です。「望んでいます」でも「期待しています」でも「神様がそうしてくださればいいのですが」でもありません。天の御国は激しく攻められており、激しく攻める者がそれを奪い取るのです(マタイ11章12節)。

イエス様は率直にこう言われます。「もしからし種一粒ほどの信仰があれば、この山に、『ここからあそこに移れ』と言っても、そのとおりになる」(マタイ17章20節)。あなたに巨大な信仰は必要ありません。たとえ小さくても、正しい方向に向いた本物の信仰が必要なのです。

聖書は、私たちが相続人であると語っています。多くの人はこの相続を天国のためのものだと考えています。しかし、遺言をした者が死ななければ、誰も相続できません。イエス様は十字架で死なれ、よみがえられました。相続は「今」受け取ることができるのです。ただし、それを見るためには信じなければなりません。「あなたがたの信仰のとおりになるように」(マタイ9章29節)。信じない信仰というものは存在しません。それは矛盾した言葉です。信じるか、信じないか、そのどちらかなのです。

御言葉にしっかりと根を下ろしていてください。聖書に基づかずに超自然的なものを渇望すれば、神秘主義になってしまいます。御言葉に根を下ろしながら超自然的なものを渇望するなら、あなたは神様の自然な領域にとどまり続けます。この違いはとても大きいのです。

3. 何よりもまず、砕かれた心を癒やす

イザヤ書61章1節はこのメッセージの中心となる箇所です。「主なる神の霊が私の上にある。主が私に油を注ぎ、苦しむ人々に良い知らせを伝えさせるためだ。私を遣わされたのは、心の砕かれた者を癒やし、捕らわれ人に自由を、囚われた人に解放を告げ、主の恵みの年を告げ知らせるためである。」

順番に注目してください。肉体の癒やしよりも先に、砕かれた心の癒やしと捕らわれ人の解放があります。なぜでしょうか。心が砕かれている限り、受け取ることができないからです。恨み、癒やされていない痛み、埋もれた傷は、神様とあなたの間の流れをせき止めてしまいます。主はまずそこから始めたいと願っておられるのです。

砕かれた心とは、どのようなものでしょうか。何年経っても死別を乗り越えられずにいる男性の姿です。雨戸を閉め切って、亡くなった子どものために自分の居間を博物館に変えてしまう女性の姿です。それは亡くなった人を敬うことではなく、自分自身の人生を止めてしまうことです。神様があなたに命を残されたのは、あなたが命を伝えるためであって、嘆き続けるためではありません。

大人になった今も、母親の「お前は何の役にも立たない、ダメな奴だ、絶対にうまくいかない」という声を聞き続けている男性の姿です。この破壊的な言葉は、本人が気づかないまま人生全体につきまとってきました。四十年間、誰にも語ることのできなかった虐待の重荷を背負い続けている女性の姿です。

これらすべての傷に、キリストは今日触れたいと願っておられます。そのために来てくださったのです。

4. 過去の鎖から抜け出す:虐待、死別、依存

統計は厳しい現実を示しています。2026年、フランスでは三分に一人の子どもが近親相姦の被害に遭っています。2025年には、0歳から2歳までの乳幼児614人が性的暴力を受けました。ペルーでは、毎年八万人の子どもが虐待を受けています。これは人を驚かせるための数字ではなく、一人一人の顔です。私たちの教会の中にも、誰からも語りかけられたことがないために、こうした傷を沈黙のうちに抱えている兄弟姉妹がいます。

ジャン=マルク・ラモット師は、ご自身の牧会の中でこれを目の当たりにしてきました。虐待によって砕かれた心は、手を切り落とされるよりもひどいものだと言います。それは絶えず出血し続ける痛みであり、性格に影響を与え、気難しくしたり攻撃的にしたりし、成長を妨げるものです。それを経験したことのない人には理解できません。しかし神様は理解しておられます。そして解放するために来てくださいます。

解放にはいくつかの段階があります。まず、沈黙から抜け出すことです。黙っている限り、それは続いてしまいます。次に、「これはお前のせいだ」という責めの声を退けることです。それはあなたのせいではありません。最後に、権威をもってこう宣言することです。「イエス様の御名によって、私は解放された。力の所在は変わったのだ。」スミス・ウィグルスワースは、悪と議論することなく、この霊的な権威を行使すべきだと語っていました。あなたを打ちのめしたものと交渉する必要はありません。イエス様の御名によって命じるのです。

依存症、恐れ、幼い頃に受けた破壊的な言葉、あなたを捕らえたままにしている死別についても同じことが言えます。キリストはあなたの捕らわれの状態を確認するために来られたのではありません。それを打ち砕くために来られたのです。「それゆえ、御子があなたがたを自由にするなら、あなたがたは本当に自由になります」(ヨハネ8章36節)。

覚えておきたいポイント

  • 受け取ることを期待してください。受け取る者の信仰は、語る者の油注ぎと同じくらい大切です。マルコ16章「信じる者には、次のようなしるしが伴います。」
  • 望むだけでなく、つかみ取る。激しく攻める者が御国を奪い取るのです。たとえ小さくても本物の信仰が、山を動かします。
  • 砕かれた心が何よりも先。イザヤ書61章は、肉体の癒やしよりも前に、内なる癒やしと捕らわれ人の解放を置いています。
  • 沈黙は捕らわれの状態を長引かせます。自分を傷つけたことについて黙っている限り、それは働き続けます。主は隠されてきたものを光の中に出したいと願っておられます。
  • 十字架で力の所在は変わりました。あなたを打ちのめしたものともう交渉する必要はありません。イエス様の御名によって、手を放すように命じるのです。
  • 御言葉にしっかりと根を下ろしていてください。御言葉がなければ、超自然への渇望は神秘主義になってしまいます。御言葉があれば、神様の自然な領域にとどまることができます。

あなた自身への適用

  1. あなたは何かを本当に期待して神様の御前に来ていますか、それとも習慣で来ていますか。
  2. ずっと望んでいながら、信仰によって「つかみ取る」ことを思い切ってできずにいる御言葉の約束はありませんか。
  3. あなたの心のどの部分が、神様との関係を妨げるほど深く傷ついていますか。死別、子どもの頃に言われた言葉、虐待、裏切りでしょうか。
  4. 今週、神様がまずご自分に対して、そしてその後は配偶者や牧師、霊的に成熟した友人など信頼できる人に対して、破ってほしいと願っておられる沈黙はありませんか。
  5. どんな依存、どんな恐れ、どんな過去の鎖に対して、今日、声に出してイエス様の御名の権威を宣言することができますか。

引用された聖書箇所

  • イザヤ 61:1-3 ・ 中心となる箇所:砕かれた心を癒やし、捕らわれ人に自由を告げる。
  • イザヤ 58:11 ・ あなたは潤された園のように、水の絶えない泉のようになる。
  • マルコ 16:15-18 ・ 信じる者に伴う奇跡のしるし。
  • マタイ 11:12 ・ 御国は激しく攻められ、激しく攻める者がそれを奪い取る。
  • マタイ 17:20 ・ からし種一粒ほどの信仰が山を動かす。
  • マタイ 9:29 ・ あなたがたの信仰のとおりになるように。
  • ルカ 4:16-21 ・ イエス様が会堂でイザヤ書61章を読み、「今日、この御言葉が実現した」と宣言される。
  • ヨハネ 8:36 ・ 御子があなたがたを自由にするなら、あなたがたは本当に自由になる。

よくある質問

なぜ神様は、体を癒やす前に砕かれた心を癒やしたいと願っておられるのですか。

癒やされていない心は、受け取ることを妨げてしまうからです。恨みや埋もれた痛み、隠された恥は、恵みに対する内側の抵抗を生み出します。イザヤ書61章1節は、肉体の癒やしよりも先に、砕かれた心の癒やしと捕らわれ人の解放を明確に置いています。これは偶然ではなく、神様の働きの順序なのです。神様はまず、あなたが受け取れるようにすることから始められます。

昔、虐待を受けたことがあります。本当にそれを話す必要があるのでしょうか。

黙っている限り、あなたを傷つけたものは闇の中で働き続けます。話すということは、それをさらけ出すことではなく、光のもとに出してその力を失わせることです。まずは具体的に神様に話してください。そしてできれば、牧師や信仰の成熟した人、訓練を受けたクリスチャンのカウンセラーにも話してください。あなたが受けたことについて、あなたに罪はありません。キリストは「あなた」の解放を告げるために来られたのです。

奇跡への渇望が健全な範囲にとどまっているか、どうすればわかりますか。

目安はシンプルです。それは神様の御言葉です。もし超自然への渇望が、聖書から離れた体験を追い求めさせるなら、それは神秘主義に陥っています。もしその渇望が常に聖書の中で神様が約束されたことへとあなたを立ち返らせるなら、あなたは「神様の自然な領域」、つまり神様が働かれるクリスチャンの人生の通常のあり方にとどまっています。しっかりと根を下ろしてください。御言葉を読んでください。そして、神様が語られたことを神様が行ってくださると期待してください。

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