あなたは、愛と恵みの神を信じますか

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「あなたはこれを信じますか。」この問いを、イエス様は兄弟ラザロの墓の前で、マルタに投げかけられました。二千年の時を経て、この問いは今のわたしたちのところにも届きます。病の中で、待ち続ける時間の中で、答えのないまま重ねられる祈りの中で。この説教はヨハネの福音書11章、福音書の中でもよく知られた箇所をたどりながら、シンプルでありながら重い一つのことを語ります。それは、イエス・キリストの神は愛と恵みの神であるということ、そしてあなたの人生における本当の問いは「神はできるだろうか」ではなく、「神が遅れておられるときでも、神は良い方だとあなたは信じますか」だということです。

この文章は、まだキリストに信仰を置いていない方にも、困難な季節を通っている信者の方にも向けて書かれています。なぜなら、「あなたは信じますか」という問いは、回心の日で終わるものではないからです。試練のたびに、神の沈黙のたびに、答えが遅れているように思える祈りのたびに、この問いは繰り返しやって来ます。

記事の構成

  1. ベタニア、イエス様に愛された家族
  2. 「あなたが愛しておられる者が病気です」信頼の祈り
  3. なぜイエス様はさらに二日、待たれたのか
  4. 愛を表す三つのギリシア語、フィレオ、ストルゲー、アガペー
  5. 愛するために、神の愛を受け取る
  6. 「ラザロは眠っている」信じる者の死
  7. あなたは愛と恵みの神を信じますか

1. ベタニア、イエス様に愛された家族

物語はベタニアの村、マリアとその姉妹マルタの家から始まります。ヨハネは、このマリアが後に主の足に香油を塗り、自分の髪でそれをぬぐう人物であることをわざわざ記しています(ヨハネ12章)。この家族、マルタ、マリア、ラザロは、イエス様がよく知る人々でした。彼らは見知らぬ人々ではなく、イエス様の友でした。

ある日、ラザロが病気になります。二人の姉妹はイエス様のもとに人を送って、こう伝えさせます。「主よ、ご覧ください。あなたが愛しておられる者が病気です」(ヨハネ11:3)。彼女たちは何の要求も付け加えません。手順も、癒やしの計画もありません。ただ関係そのもので十分だと知っているのです。イエス様は自分たちを知っておられる、イエス様は自分たちを愛しておられる、だから正しいことをしてくださる、と。

この祈りには、とても美しいものがあります。それは神に何かを指図しません。ただ状況を差し出し、関係を思い起こし、決めることをキリストに委ねているのです。

2. 「あなたが愛しておられる者が病気です」信頼の祈り

マルタとマリアは、もっと切迫した、もっと詳しいメッセージを書くこともできたはずです。「早く来てください、癒やしてください、遅れないでください」と。しかし彼女たちはそうしませんでした。誰に語りかけているかを知っていたからです。彼女たちはイエス様の心を信頼していました。

これこそ、今日、神があなたに望んでおられることです。あなたが祈るとき、神があなたを愛するように説得する必要はありません。神に行動してもらうために交渉する必要もありません。ただ状況を差し出して、こう言えばよいのです。「主よ、あなたはご存じです。あなたのみこころのままになさってください。」信頼とは、いつも願った通りのものを得ることではありません。神がその愛のうちに、最善のものを選んでくださると信じることです。

3. なぜイエス様はさらに二日、待たれたのか

イエス様の反応は戸惑いを覚えさせるものです。イエス様はこう言われます。「この病気は死に至るものではない。神の栄光のため、神の子がそれによって栄光を受けるためのものである」(ヨハネ11:4)。そしてイエス様は、旅立つ前にまる二日間、その場にとどまられます。その二日の間に、ラザロは死んでしまいます。

よく理解してください。これは無関心ではありません。聖書ははっきりと、イエス様はマルタとその姉妹、そしてラザロを愛しておられたと記しています(ヨハネ11:5)。愛しておられる、そして待っておられる。なぜでしょうか。

それは、神の愛が問題をできるだけ早く消し去ることに尽きるものではないからです。わたしたちの人間的な論理はこうです。「神がわたしを愛しておられるなら、苦しみから守ってくださるはずだ。」しかし神の論理はこうです。「わたしがあなたを愛しているからこそ、あなたにこれを通らせて、あなたの信仰を揺るがないものとし、わたしの栄光を現す。」

あなたも、思ったより早く解決しなかった状況のために祈ったことがあるでしょう。神があなたの望んだ通りには答えてくださらなかったこともあるかもしれません。振り返ってみれば、多くの信者がこう証しします。「もしあの時、神が望んだ通りに答えてくださっていたら、わたしはこれほど深く神を求めることはなかっただろう。」遅れは見捨てられることではありません。それはときに、神があなたのうちにより堅い信仰を掘り込んでおられる場所なのです。

4. 愛を表す三つのギリシア語、フィレオ、ストルゲー、アガペー

この箇所のギリシア語の一つの細部が、全体を照らし出します。姉妹たちが「あなたが愛しておられる者」と言うとき、彼女たちは動詞フィレオを用いています。これは親しい友人同士の情愛、兄弟的な愛です(「フィラデルフィア」の語根です)。これは本物の愛ですが、親近感、絆、互いの好意によって条件づけられた愛です。

ギリシアの世界には、両親と子どもの間の家族愛であるストルゲー、そして男女の間の愛であるエロスもあります。これらの愛はそれぞれ、絆、感情、相互性に依存しています。

ところが、ヨハネがイエス様はマルタとマリアとラザロを愛しておられた(5節)と語るとき、動詞が変わります。ここで用いられているのはアガパオー、すなわちアガペーの語根です。この愛は、親近感にも、気分にも、値打ちにも依存しません。見返りを期待せずに与える愛です。これはパウロがローマ5:8で語る愛です。「わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対するご自分の愛を明らかにしておられます。」

イエス様はラザロにその価値があるから愛しておられるのではありません。イエス様はアガペーによって、すべてが崩れ落ちるときにも変わらない愛によって愛しておられます。そしてこの愛こそ、神があなたに知ってほしいと願っておられる愛なのです。

5. 愛するために、神の愛を受け取る

ここで説教者が力強く語っているのは次のことです。わたしたちの最大の敵は、わたしたちの愛の欠如です。あなたは隣人を愛するように、敵を愛するように、あなたを迫害する者たちのために祈るように召されています(マタイ5:44)。正直になってください。自分の力では、あなたにはそれができません。せいぜいできるのは、フィレオ、多少の好意、気の合う人への少しの忍耐くらいです。

アガペーは、あなたが作り出すことはできません。ただ受け取ることしかできないのです。神は御霊によってそれをあなたに与えてくださいます。そして、あなたがそれを求めるだけ、神はそれを与えてくださいます。霊的な戦いはここで起こります。それは「もっと努力しなければ」という戦いではなく、「主よ、わたしをあなたの愛で満たしてください。わたしにはこの人のため、この状況のため、この日のために十分な愛がありません」という祈りの中で起こる戦いです。

自分の心が乾いていると気づいたとき、自分の中に崩れ落ちないでください。むしろ、愛を豊かに持っておられる方に向き直り、求めてください。神は求める者に与えてくださいます。

6. 「ラザロは眠っている」信じる者の死

イエス様は弟子たちにこう言われます。「わたしたちの友ラザロは眠っている。しかし、わたしは彼を起こしに行く」(ヨハネ11:11)。弟子たちは、普通の眠りのことだと思い込みます。イエス様ははっきりと言わなければなりませんでした。「ラザロは死んだのです」(14節)。

この語り方は決して些細なことではありません。聖書の中で、死を語るのに「眠り」という語彙が用いられるのは、義人たち、神に属する者たちに限られています。信じる者にも肉体の死は存在しますが、それはもはや本当の死ではありません。復活が約束されているからです。キリストが先に通られました。キリストに属する者たちはそれに続くのです。

だからこそ、イエス様は数節後にマルタにこう言うことができます。

「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、たとえ死んでも生きるのです。生きていてわたしを信じる者は、だれも決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」(ヨハネ11:25、26)

この言葉は漠然とした慰めではありません。ある一人の人格と結びついた約束です。「ある教えを信じなさい」ではなく、「わたしを信じなさい」なのです。

7. あなたは愛と恵みの神を信じますか

イエス様がマルタに投げかけた問いは、今日、あなたへの問いでもあります。

もしあなたがまだキリストに信仰を置いたことがないなら、問いは単純です。イエス様がご自分について語っておられる通りの方であると、あなたは信じますか。イエス様の死と復活が、あなたを赦し、永遠のいのちを与えるのに十分であると、あなたは信じますか。

もしあなたがすでに信者であるなら、問いは別の形で戻ってきます。あなたが通っているこの試練の中で、答えのないように見えるこの祈りの中で、長く続くこの沈黙の中で、神はなおも愛と恵みの神であると、あなたは信じますか。理解できないときにも、神はアガペーであなたを愛しておられると、あなたは信じますか。

マルタはこう答えました。「はい、主よ。あなたが世に来られるはずのキリスト、神の子であると、わたしは信じております」(ヨハネ11:27)。これは理論的な答えではありません。彼女は、兄弟がまだ墓から出てくる前にこれを口にします。何も見えていないうちに、彼女は信じているのです。それが信仰です。

覚えておきたいポイント

  • 祈りとは神に押しつける手順書ではありません。状況を差し出し、決めることをキリストに委ねる信頼です。
  • 神の遅れは決して見捨てることではありません。神はしばしば、その待つ時間を通してより大きな栄光を働かせておられます。
  • 神の愛(アガペー)は、あなたの値打ちにも、状態にも、霊的な実績にも左右されません。
  • あなたは自分の力でアガペーを作り出すことはできません。父から受け取り、それがあなたを通して流れるようにするのです。
  • 信じる者の死は眠りです。キリストにある復活が、死の姿を決定的に変えます。

あなたへの適用

  • 神が「遅れている」ために責めたくなる今の状況は何ですか。マルタとマリアのように、それを神の手に委ねることができますか。
  • あなたの人生のどこで、自分の力(フィレオ)で愛そうとしていますか。神があなたに、ご自分の愛(アガペー)を求めるよう招いておられるのに。
  • どうしても愛せないと感じる人はいますか。それをはっきりと神に伝え、その人のための神の愛を求めてください。
  • あなたは今日、個人的にヨハネ11:25、26の約束を信じていますか。それを本気で受け止めるなら、今週、具体的に何が変わるでしょうか。
  • あなたの身近な誰に、イエス様のこの問い、「あなたはこれを信じますか」を、そっと投げかけることができるでしょうか。

引用聖句

よくある質問

なぜイエス様は、ラザロのもとに行く前に二日間待たれたのですか。

無関心からではありません。聖書はむしろ、イエス様がマルタとマリアとラザロを愛しておられたと強調しています。イエス様は、復活を通して神の栄光が十分に現され、その奇跡を目にする人々の信仰が強められるために待たれます。この待つ時間は、イエス様の不在ではなく、イエス様の愛の一部なのです。

ヨハネ11:26の「このことを信じますか」とはどういう意味ですか。

イエス様は、復活についての抽象的な考えにマルタが同意するかどうかを尋ねているのではありません。イエス様は、ご自分こそがよみがえりでありいのちであると、マルタがイエス様ご自身を信じているかどうかを尋ねているのです。聖書的な信仰とは、第一に知的な確信ではありません。それはキリストという人格に置かれた信頼です。

どうしても我慢できない相手を、どう愛したらよいのでしょうか。

まず、自分にはそれができないと正直に認めることから始めてください。そして、その人のために、神ご自身の愛を求めてください。アガペーはあなたの側の英雄的な努力ではありません。それは、あなたが求めるときに聖霊があなたの心に降らせてくださる賜物です。

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