ダニエル3章:収穫がなくても神に感謝する

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はじめに

「なぜ私たちは、この収穫感謝礼拝をささげるのでしょうか。」平塚バプテスト教会の平野健二牧師は、この問いからメッセージを始めます。会衆の前には果物が供えられ、その中には金曜日に教会の庭で摘んだ柿もあります。

それは伝統だからでしょうか。秋が実りの多い季節だからでしょうか。牧師は問いをさらに進めます。「もし今年、満足のいく収穫がなかったとしたら、それでも私たちはこの礼拝をささげるでしょうか。」人生に何の実りもなかったとしても、この礼拝は成り立つのでしょうか。

それに答えるため、牧師はダニエル書3章を開きます。金の像の前に立ったシャデラク、メシャク、アベデネゴの物語です。その中心には、小さなひと言があります。「そうでなくても」。この言葉こそ、収穫感謝礼拝を支える信仰だと牧師は語ります。

メッセージの流れ

1. 収穫感謝礼拝は何のため?

  • 平塚の教会は、多くの教会とは違う時期にこの礼拝をささげています。10月16日の世界食料デーに合わせているのです。
  • 牧師は率直に問いかけます。私たちが感謝するのは習慣だからか、季節だからか、それとももっと深い理由があるのか。
  • 祝いが豊作に左右されるなら、不作の日にそれは崩れてしまいます。そこで牧師は、私たちが何に感謝し、何を礼拝しているのかを、会衆とともに考えるよう招きます。

2. 神を礼拝するのか、豊かさを礼拝するのか

  • 聖書では、豊かさは多くの場合、神からの贈り物として受け取られています。
  • しかし聖書は、収穫そのものを礼拝した人々の姿も示しています。豊かさを神にしてしまうことがあるのです。
  • 「違いはわずかに見えて、実は大きい」。それは、何の前にひれ伏すのかにかかわるからです。
  • この問いは、一人ひとりに向けられています。あなたは神の前に身をかがめていますか。それとも豊かさの前にでしょうか。

3. 金の像、富と権力の象徴

  • 三人のユダヤ人の若者が、バビロンの王ネブカデネザルに仕えています。彼らの民は戦いに敗れ、選択の余地がないまま王に仕えているのです。それは試練のただ中にある生活でした。
  • 王は巨大な金の像を立てさせます。牧師はそれを今の単位に置き換え、高さ約30メートル、幅約3メートルで、平野に立ち、遠くからも輝いて見えたと語ります。
  • この像は、王の富と権力を象徴しています。角笛や笛など、さまざまな楽器が式典を彩ります。ひれ伏さない者は、燃える炉の中に投げ込まれます。
  • 役人たちはみな従います。人々がひれ伏すのは、別の神というよりも、富と権力そのものだと牧師は説明します。それはお金の礼拝、「お金の前に頭を下げて生きる生き方」です。

4. 「そうでなくても」:三人の若者の答え

  • 怒った王は、最後の機会を与えます。本当に炉から救い出されると思っているのか、と。
  • 17節と18節にある彼らの答えが、このメッセージの中心の言葉です。神は私たちを救い出すことができます。「そうでなくても」、私たちはあなたの金の像を拝みません。
  • 彼らは、礼拝するものと礼拝しないものの違いをはっきりと知っています。「彼らは富ではなく、神を選びました。」
  • 牧師はここで立ち止まり、自分自身に問いかけます。私はふだん、何に頼って安心しているだろうか。この物語は、私たちの目を富から離し、神へと向けさせるのだと牧師は言います。

5. 炉からは救われなかったが、炉の中でひとりではなかった

  • 平野健二牧師は、自分にも目に見える実りのない時があると打ち明けます。「牧師である私でさえ、自分の努力が実を結んでいないと感じることがあります。」そのようなとき、この「そうでなくても」という言葉が牧師を励ましてくれます。
  • 三人は神が救ってくださると信じていました。それと同時に、「そうでなくても」と付け加えたのです。
  • ある意味で、彼らは救われませんでした。試練を免れなかったからです。礼拝を強いられ、炉に投げ込まれました。
  • それでも、彼らは救われました。王はそれを見ました。三人を投げ込ませたのに、四人が火の中を自由に歩いているのが見えたのです。四人目は、彼らとともにおられる神です。
  • 「神は、炉に投げ込まれるという試練から彼らを救われませんでした。しかし、炉の中で彼らとともにおられました。」神は苦しみを遠くから眺めてはおられません。苦しみのただ中におられるのです。
  • 牧師はそこに、十字架のイエスの姿を見ます。「神は苦しみを説明するために来られたのではありません。苦しみを私たちとともに生きるために来られたのです。だから十字架があったのです。」

6. あなたの炉は何ですか?

  • 炉の中には、野菜も果物もなく、豊かな収穫はありません。それでも三人には、神に感謝する理由がありました。
  • 彼らは、試練がないことを感謝したのではないでしょう。試練のただ中でともにいてくださった神に感謝したのです。
  • 彼らは奇跡を信じたのではなく、神も望む結果を約束してはおられませんでした。「信仰とは、すべてが望みどおりになることではありません。」彼らは、神がいつもそこにおられると信じたのです。
  • 牧師は、彼らの物語を私たち自身の物語とするよう招きます。身近な人の病、誰にも任せられない要介護の家族を世話する疲れ、誰かとの対立、将来への不安。私たちを待つ炉は少なくありません。
  • すべてが順調なときは、感謝するのは簡単です。けれども試練は来ますし、収穫は保証されていません。あなたは、この三人のように、神がともにいてくださったことを感謝できるでしょうか。

7. 収穫がなくても感謝をささげる

  • この日、教会は収穫を喜び、実りに感謝します。しかし、教会が礼拝しているのは収穫ではありません。
  • 「もし収穫そのものを礼拝するなら、それは金の像の前にひれ伏して富を礼拝するのと同じことです。」
  • 人生には、炉の中にいるように感じる季節があります。そこにも神はおられます。心が向かうのは、この共にいてくださる神です。
  • 収穫感謝礼拝は、豊かな生活を祝う祭りではありません。神の恵みに感謝し、それを分かち合う日です。だから教会は、収穫の少ない年にもこの礼拝をやめないのです。
  • 「そうでなくても」。牧師にとって、このひと言こそが、この礼拝を支える信仰です。メッセージは、1分間の沈黙の黙想と祈りで終わります。「たとえ収穫がなくても、私たちはあなたに感謝します。私たちとともにいてくださることを感謝します。」

この記事のポイント

  • 豊かさを神からの贈り物として受け取ることもできれば、それを神にしてしまうこともできます。違いはわずかに見えますが、あなたが何の前にひれ伏すのかを決めます。
  • 金の像は、富と権力を表しています。それを拝まないことは、富ではなく神を選ぶことです。
  • 「そうでなくても」の信仰は、期待する結果には支えられていません。どんな状況でも神がともにおられることに支えられています。
  • 神は三人を炉から免れさせませんでしたが、火の中でともにおられました。十字架で、神は苦しみを私たちとともに生きるために来られました。
  • 収穫が良いときだけ神に感謝するのではありません。刈り取るものが何もないときにも、神がともにいてくださるから感謝するのです。

個人への適用

  1. あなたはふだん、安心するために何に頼っていますか。持っているもの、成功、それとも神でしょうか。
  2. 気づかないうちに、ひれ伏している「金の像」はありませんか。
  3. 今日のあなたの炉は何ですか。家族の病気、誰にも言えない疲れ、対立、将来への不安でしょうか。
  4. 努力が少しも実を結ばないように思える分野で、「そうでなくても」と言い、神がともにいてくださることを感謝できますか。
  5. 牧師が勧めたように、1分間の沈黙の時間を取ってみましょう。今日、あなたは何を神に感謝しますか。

引用された聖句

よくある質問

ダニエル書3章18節の「そうでなくても」とはどういう意味ですか?

シャデラク、メシャク、アベデネゴは、神が自分たちを救い出すことができると告白し、そのうえで、たとえそうでなくても金の像は拝まないと付け加えます。平野健二牧師によれば、この信仰は期待する結果にではなく、どんな状況でも神がともにおられるという確信に支えられています。

神は三人の若者を炉から救い出されたのですか?

神は彼らを試練から免れさせたのではありません。彼らは炉に投げ込まれました。しかし王は、四人目の人が火の中を彼らとともに歩いているのを見ました。説教者は、神は苦しみを遠くから眺めてはおられず、イエスの十字架が示すように、苦しみのただ中におられると強調します。

収穫がないのに、なぜ感謝するのですか?

収穫そのものを礼拝しているのではないからです。豊かさを礼拝することは、金の像の前にひれ伏すことと同じになってしまいます。平野健二牧師は、炉のような季節にもともにいてくださる神に感謝するのだと語ります。だから教会は、収穫の少ない年にも収穫感謝礼拝をやめないのです。

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