申命記28章:神はあなたを尾ではなくかしらにされる

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はじめに

「主はあなたを尾とはしないで、かしらとし、ただ上にいて、下にいないようにされる。」申命記28章13節のみことばに基づいて、Centre Évangélique Sion の金曜夜のユースの礼拝でメッセージが語られました。進行役から「私たちの会長」と紹介された説教者の Marcは、このメッセージに「ベストの中のベストの中のベストになる」という題をつけています。

彼はまず正直に打ち明けます。金曜の夜は、一週間働いたあとなので疲れて会場に来ます。それでも賛美と祈りが始まると、力が戻ってくるそうです。みことばを開く前に、イエスが弟子たちに教えられたとおり、まず神の国が来るように祈ろうと会衆に呼びかけます。

そして問いかけます。神が「あなたがたはかしらとなる」と約束しておられるのに、なぜ多くのクリスチャンが一年、五年、十年と尾のままでいるのでしょうか。彼は、一人ひとりがやる気と決意と覚悟を持って帰ることを願っています。この時間は、それぞれが真理の一部を持ち寄り、聖霊がそれをまとめてくださる分かち合いの場だと考えています。

メッセージの構成

1. 地のすべての国民への約束

  • 申命記28章1-14節を読みます。すべての国民にまさる者とされること、町でも畑でも、胎の実にも地の産物にも、かごにもこね鉢にも、入るときも出るときも与えられる祝福、そして敵に対する勝利が語られています。
  • 説教者はある点を強調します。「グルノーブルの上とは言っていません。フランスの上とも、ヨーロッパの上とも言っていません。地のすべての国民の上と言ったのです。」
  • 「あなたは多くの国民に貸すようになり、借りることはないであろう」という箇所を読むと、彼は少し間を置いてこう言います。「ということは、たくさんお金が入ってくるということです。」
  • 条件は14節まで繰り返されます。主の声に聞き従うこと、その戒めを守り行うこと、右にも左にも曲がって他の神々に従わないことです。

2. イエスは祝福をすべての人に開くために来られた

  • これらの祝福はイスラエルに向けられていました。イエスが来られたとき、多くの人は、イエスが天から下って、この地を支配していたローマ人を滅ぼしてくれることを期待していました。しかしイエスはそうされませんでした。
  • 救いはユダヤ人だけのものに見えましたが、ほかの人々もいました。イエスは、ユダヤ人が口もきかなかったサマリヤ人のところへ、そして病人のところへ行かれました。
  • 私たちはみな、アダムとエバから出た者です。神はイスラエルを選ばれましたが、イエスは私たちもこの祝福にあずかれるように来てくださったのです。

3. 兄弟と比べず、頂上を目指す

  • なぜ単なる「ベスト」ではなく「ベストの中のベストの中のベスト」なのでしょうか。それは、目標が兄弟姉妹や同じ村の人たちと自分を比べることではないからです。
  • 説教者はことわざを引きます。盲人の村では、片目の人が王様になる。しかし片目の人は片側しか見えません。村では一番強くても、実際には弱いのです。
  • 歌う人なら、教会で一番の歌い手になることだけを目標にしないでください。神は初めであり終わりです。どんな終わりも新しい始まりです。教会の次はグルノーブル、グルノーブルの次は世界です。たとえ世界一のとりなし手になったとしても、「天で一番のとりなし手にならなければなりません。」
  • だから人は決して満ち足りないのです。iPhoneを買っても、数日たてば心が動かなくなります。神はこの原則を私たちの中に置かれました。神は私たちが前進し続けることを望んでおられます。

4. 受け身にならずに約束を待つ

  • 説教者は受け身の姿勢を戒めます。「私はかしらになる」と宣言しながら、尾のままでいるのです。職場では同僚がすべてをきれいに期限どおりに終わらせ、あなたは疲れ果てて後ろからついていくだけ、ということがあります。
  • 「教会で奉仕して、学校にも通っていて、時間がありません。」彼はこう答えます。デナ・ムワナ(Dena Mwana)が、デナ・ムワナになる前にあなたと同じ道を通らなかったと思いますか。
  • 多くのクリスチャンは、祝福をお金で測ります。「お金があるから祝福されている。ないから呪われている。」クリスチャンになって全部失ったと感じて、主を離れてしまう人さえいます。
  • 彼は、長年勉強した医師が、学校に行ったことのない人に雇われている例を挙げます。コートジボワールには、学校に通ったことがないのに最大の運送会社を率いる人や、修士号を持つ人たちを雇って卵の生産をしている人がいると話します。
  • 「簡単ではありません。でも手が届くところにあります。」掃除をしている人は、その仕事を知っています。いつか自分の清掃会社を立ち上げることもできます。十年の経験がある電気工事士なら、独立することもできます。学ぶ時があり、力をつける時があります。
  • イエスは人里離れたナザレで育ちました。本は一冊も書かず、いやされた人たちに「だれにも言うな」と言われました。それなのに、地上でイエスを知らない人はいません。説教者は、ニコラ・サルコジ氏のインタビューを紹介します。助言を求める人を一人だけ選ぶように言われて、彼はイエスと答えたそうです。どうやってそれを成し遂げたのかを説明してもらうためです。
  • 「イエスとともに起き、イエスとともに寝るはずの私たちが、なぜそのことを考えないのでしょうか。」信仰が習慣になってしまっています。実はどこにあるのでしょうか。

5. あなたをかしらに置くのは主である

  • 説教者は会衆に発言を求めます。最初の答えは、かしらになるには主の戒めに従い、それを守り行うこと。別の人は、神のみことばへの信仰を加えました。
  • 彼はこう補足します。守り行うことはあなたにかかっていますが、自分をかしらに置くのはあなたではありません。「あなたがなるのではなく、主があなたを置いてくださるのです。」自分の力に頼る人は限界のままです。人間は限りある存在だからです。
  • 彼は、断食をめぐるバプテスマのヨハネの弟子たちの議論を思い出し、ある集会での二人の神の人の話をします。一人は部屋にこもって断食と祈りをし、もう一人は散歩をして泳ぎました。神が用いられたのは後者でした。神に頼ることを理解していたからです。
  • 神に頼るとは、困難の前で微笑むことです。人生は戦いでできていて、どの戦いもあなたを引き上げるためにあります。
  • 彼は、その朝バスの中で体験したことを話します。絶えず祈っていると、年配の女性に、どいてほしいときつい言い方をされました。彼は何も言わずに彼女を見つめ、祈り続けました。降りる前に、彼女は戻ってきて言いました。「すみません、許してください。」彼にとってこれは、敵についての約束の実例です。「神は強い方で、私とともに歩んでおられます。」
  • 祈り、断食する力でさえ、神から来ます。神は、あなたが上に引き上げられるように、神の原則を実践する助けをしてくださいます。

6. 神が喜ばれないこと:申命記27章

  • 申命記27章10節から、モーセは部族をゲリジム山とエバル山に立たせ、祝福とのろいを宣言させます。説教者はこれを、かしらになりたいなら避けるべき行いの一覧として順に見ていきます。
  • 隠れて鋳た偶像を立てること。神の助けがあれば、これは避けやすいものです。父母を軽んじること。ここから難しくなります。両親の知性や信仰がどんな状態でも、たとえ魔術を行っていると聞かされても、あなたは両親を敬わなければなりません。
  • 隣人の地境を移すこと。職場でごまかしをしたり、自分を大きく見せるために姉妹について嘘をついたりすることは、境界線を動かし、人を傷つけて自分のものでないものを奪うことです。
  • 盲人を道に迷わせること。故郷に残った人たちに、よそなら楽な仕事があると思わせ、すべてを売らせて、自分が落ちたのと同じ罠に入れてしまうことです。そうではなく、自分で事業を起こしたなら、来たばかりの人を雇ってください。
  • 寄留の他国人、みなしご、やもめの権利を曲げること。来たばかりの人を見下してはいけません。自分は滞在許可を持っていてもです。神はご自身を、みなしごの父、やもめの保護者と示しておられ(詩篇68篇5節)、真の信心とは、みなしごとやもめを助けることです(ヤコブ1章27節)。
  • この一覧には、禁じられた性的関係、ひそかに隣人を打つ者(オカルトの行いや毒によるもの)、そして罪のない者を殺すために賄賂を受け取る者への戒めも含まれています。
  • 「祝福されるには、いま挙げたことをしてはいけません。できないなら、神に助けを求めてください。」

7. お金では与えられない祝福

  • 祝福はお金だけではありません。そうでなければ、裕福な異教徒も自分は祝福されていると言えてしまいます。世界中の金を持っていて、がんになった人を想像してください。だれが助けられるでしょうか。神です。
  • イエスは出会ったすべての病人をいやされました。神にできないことは何もないことを示されたのです。本当の祝福とは、何でもできる者とされ、何ものにも止められないことです。
  • その道は、神との親しい交わりです。家に帰ったら、一時間でも十五分でもいいので時間を取って、始めてみてください。聖書を開き、疑問を神にぶつけ、教えてくださいと求めてください。
  • だれかに追いつこうとしないでください。イーロン・マスク氏の十年前の資産は、今の資産とは違います。人と比べれば、いつも後ろを走ることになります。「でも神の頂上を目指すなら、走るのはほかの人たちです。悪魔が走り、息を切らすことになります。」
  • 最後の祈りでは、下ではなく上にいられるように、神の原則を守れるように、そして「栄光から栄光へ」と歩めるようにと求めています。

心に留めたいこと

  • 申命記28章13節の約束は地のすべての国民に向けられています。身近な環境で一番になることで満足しないでください。
  • 人と比べると、その人と同じ水準にとどまります。頂上を目指し、イエスに似る者になりましょう。
  • 従い、実践することは必要ですが、かしらに置くのは主です。自分の力に頼ると限界ができます。
  • 申命記27章には、神が喜ばれないことが挙げられています。自分では避けられないところは、神に助けを求めましょう。
  • 祝福はお金を超えるものであり、神と親しく過ごす時間を定期的に持つことで養われます。

個人への適用

  1. 今日、あなたはだれと自分を比べていますか。その比較は、どのようにあなたを一定の水準にとどめていますか。
  2. 学ぶべき仕事や果たすべき努力があるのに、どの分野で受け身のまま約束を待っていますか。
  3. 困難が来たとき、本当はだれに頼っていますか。自分の力ですか、神ですか。
  4. 申命記27章の行いのうち、どれが自分に当てはまりますか。両親を軽んじること、ちょっとしたごまかし、寄留者やみなしご、やもめへのまなざしなどです。
  5. 一日のうち、たとえ十五分でも、聖書を開いて神に教えてくださいと求める時間を、いつ取れますか。

引用した聖書箇所

よくある質問

申命記28章の「かしらとなり、尾とはならない」とはどういう意味ですか。

申命記28章13節は、主の民が戒めに従うなら、主が彼らを尾ではなくかしらとし、いつも上にいて決して下にいないようにされると約束しています。説教者は、この約束が「地のすべての国民」に及ぶことを強調します。グルノーブルやフランスやヨーロッパだけではありません。

自分の従順が私をかしらに置くのですか。

いいえ。従い、戒めを実践することは必要ですが、かしらに置くのは主です。自分の力に頼るなら、限界のままです。神は、あなたが上に引き上げられるように、神の原則を実践する助けまでしてくださいます。

申命記28章の祝福は、お金のことだけですか。

いいえ。祝福にはお金も含まれますが、お金だけではありません。そうでなければ、裕福な異教徒も自分は祝福されていると言えてしまいます。祝福とは、お金や土地では与えられないもの、たとえばどんな財産でも買えないいやしのようなものです。それは神から来ます。

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