はじめに
「世界は揺さぶられています。教会も揺さぶられています。しかし、主は今も御自身の教会を建て続けておられます。」これは、賛美とあかしの夕べのあと、ある日曜日の朝に語られたメッセージの主題です。牧師は、素朴な問いから語り始めます。どの国も無縁ではいられない世界で、また教会の指導者たちの悪い証しによって揺らいでいる教会もある中で、教会の役割とは何なのか。すべてが揺さぶられ、教会までもが揺らぐなら、私たちは内側から揺らいでしまうおそれがあります。
その答えは、コリント人への手紙第一1章2節の一つの細部にあります。パウロは「コリント人の教会」とは書かず、「コリントにある神の教会」と書いています。そこから、メッセージは聖霊の宮、土台としての十字架、そして私たちの贖いのために支払われた代価へと進みます。最後は、すべてを要約する一言で締めくくられます。「教会は私のものではありません。私はただのしもべにすぎません。」
メッセージの構成
1. イエスご自身が建てる教会
- マタイ16章18節を開きます。「そこで、わたしもあなたに言う。あなたはペテロである。そして、わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう。黄泉の力もそれに打ち勝つことはない。」建て主はイエスです。
- ここでイエスが語っているのは、「全世界にある」主の普遍的な教会です。マタイ18章15~17節の「教会に申し出なさい」では、地域教会のことを語っています。
- 会衆を微笑ませる小話があります。ある信者が牧師に、自分は「普遍的な教会」に属していると言いました。しばらくして、経済的に困った彼は、教会に助けを求めます。牧師の答えはこうでした。「普遍的な教会に頼んでください。」
- 説教者が喜ぶのは、イエスがそう語られた時点では、そのどちらもまだ存在していなかったことです。神がすべてを計画しておられ、物事は少しずつ明らかになっていきました。
2. 「コリントにある神の教会」
- パウロは「コリントにある神の教会へ、すなわち、キリスト・イエスにあって聖別され、聖徒として召された人々、また、どこででもわたしたちの主イエス・キリストの御名を呼び求めているすべての人々」に宛てて書いています(コリント人への手紙第一1章2節)。「つまり、私たちにも関わりがあるということです。」
- テサロニケ人への手紙第一1章1節で、パウロは「テサロニケ人の教会」に宛てて書いています。コリントでは、「コリント人の教会」ではなく、神の教会なのです。
- その理由は、創立者である使徒の大きな働きのあと、コリントでは「言葉にできないような状況」が生じたからです。パウロは、この教会が誰のものであるかを思い起こさせます。牧師は、すべての手紙とヨハネの黙示録の七つの教会への手紙を読み返して、それを確かめるよう勧めます。
- 神から生まれ、御霊に満たされたすべての人は、現代の世界にあってもキリストが建て続けておられるこの教会の建設に加わっています。
3. あなたのからだは聖霊の宮
- 「あなたがたは神の宮であって、神の御霊が自分たちのうちに宿っていることを知らないのか。」(コリント人への手紙第一3章16節)。コリントの教会の状態にもかかわらず、パウロは神の恵みを信じ、クリスチャンたちを霊的な水準へと立ち返らせようとしています。
- 続いて6章19節です。「あなたがたは知らないのですか。あなたがたのからだは、あなたがたが神から受けた、あなたがたの内に宿る聖霊の宮であって、あなたがたは、もはや自分自身のものではないのです。」牧師は言葉を止めます。「神が私たちの内に住んでおられることを、私たちは実感しているでしょうか。それは恵みです。」
- 牧師は、神の臨在が現れる聖霊のバプテスマの体験を思い起こします。「その温かさと言う人もいるでしょう」。それは多くの人の人生を根底から変えました。
- コリントの教会は、そのからだが神の住まいである男女によって成り立っています。だからこそ、神の栄光をからだと霊において現すようにという呼びかけがあります。からだも霊も神のものなのです。
4. 神が備えられたもの、十字架の栄光
- 「目がまだ見ず、耳がまだ聞かず、人の心に思い浮かびもしなかったこと」(コリント人への手紙第一2章9節)。神はこれらを御霊によって啓示されました。
- 牧師にとって、神が備えられたものとは、まず天の栄光ではなく、「十字架の栄光」と、神のご計画の完全な意味です。十字架は私たちの知性から生まれたものではありません。
- パウロは、知識人と哲学者の町に到着します。そこでは、人々が倒れても、誰も起こしてくれませんでした。彼のメッセージはこうです。「わたしはあなたがたの間で、イエス・キリスト、しかも十字架につけられたキリスト以外には、何も知るまいと決心したからである。」(コリント人への手紙第一2章2節)
- その目的は、「あなたがたの信仰が人の知恵によらず、神の力によるものとなるため」(コリント人への手紙第一2章5節)です。だから礼拝は、十字架像のような、答えてくれない物ではなく、イエスご自身、その死と復活を中心にするのです。「それは語りません。」
5. 十字架の愚かさと心の空洞
- 「ユダヤ人はしるしを求め、ギリシヤ人は知恵を求める。」(コリント人への手紙第一1章22節)。牧師は、イエスに「奇跡を見せてください」と言った人々を挙げ、モーセの時代に毎朝与えられたマナのことを思い起こします。
- 「愚かさ」という言葉は強い表現で、「愚の骨頂」とも言えます。十字架で死ぬ人が、どうして私たちを救えるのでしょうか。それでも「神の愚かさは人よりも賢い」のです(コリント人への手紙第一1章25節)。
- 何十年にもわたって、牧師はこの国で信仰が崩れていくのを見てきました。しかし「人生から神を取り除いたとき、心は決して空のままではありません」。オカルトが再び広がっていると、牧師は見ています。
- ノルマンディーでは、多くの人がオカルトにとらわれていると打ち明けに来て、自分の本を手渡しました。そうして得た癒やしについて語る人々に、牧師はこう答えます。悪魔が癒やしを行えることを自分は否定したことがない、聖書がそう言っているからです。ただ、安らぎのあとにはすぐ別の試練が来る、と。
- 牧師は、ある姉妹の思い出も語ります。90歳を超えて亡くなったその姉妹は、ずっと前のある晩、映画『十字架と飛び出しナイフ』を観て回心しました。洗礼を受けたあとも、彼女には「問題」がありました。書斎には、装丁の美しい本が並んでいて、それは魔術の本でした。「それを取り除けば、うまくいきます。」牧師の結論はこうです。「私たちは敵と交わっているのではありません。神と交わっているのです。」
6. 教会の土台である十字架
- 「十字架の言は、滅びることになる者には愚かである」(コリント人への手紙第一1章18節)。牧師にとって、十字架のメッセージとは贖罪です。「私の罪は贖われました。私たちはもう地獄への道にいるのではなく、恵みの道にいるのです。」
- 神の力を宿しているのは、十字架そのものではなく、イエスが十字架の上で成し遂げられたことです。流された血は、私たちを暗闇の力から解き放ちます。イエスは救い、癒やし、悪霊を追い出されます。
- パウロは教会の土台を据えたと言っています(コリント人への手紙第一3章10~11節)。牧師にとって、その土台とは十字架です。「あなたの教会から十字架を取り除く日、すべてが崩れ落ちます。」同じように、机の上に置かれた聖書も象徴ではありません。「私たちはこれを信じ、これに生きています。」
- ある朝、教会の看板がなくなった話もあります。引っ越したと思った市役所は、自分たちが何者であるかを正確に書くよう求めてきました。そこで書いたのが「ペンテコステ福音教会」です。なぜペンテコステなのか。「聖霊がおられるからです。」
7. 高い代価で買い取られた
- 神の宮は、傷つけられ、損なわれ、腐敗し、荒れ果てることがあります。「もし人が神の宮を破壊するなら、神もまたその人を滅ぼすであろう。神の宮は聖なるものである」(コリント人への手紙第一3章17節)。牧師は、聖餐についてのパウロの警告も思い起こします。そこでは、多くの人が弱い者となり、病む者となり、死んだ者も少なくないと言われています(コリント人への手紙第一11章30節)。
- 牧師は、自分が読んだというエイブラハム・リンカーンにまつわる話を紹介します。リンカーンは市場で若い奴隷の少女を買い取り、あなたは自由で、自分の思うように語り、何者にでもなり、どこへでも行ってよいと告げたとされています。目に涙を浮かべた彼女は答えます。「そうなら、あなたと一緒に行きたいです。」
- パウロは、人は罪の下に売られていると言います(ローマ人への手紙7章14節)。キリストは奴隷市場に来てくださいました。牧師はそれを証しします。「私は奴隷でした。情熱がありました。賭け事、賭け金です。」牧師は神の前で2時間泣き、罪を一つ一つ告白しました。すると、子どものころから心に住みついていた憎しみが、神の愛に置き換えられたのです。
- 最後の呼びかけです。「神が私たちの人生に、教会に、私たちの諸教会に建てられたものを、壊さないようにしましょう。」教会はどの牧師の所有物でもなく、「神のものです」。「わたしは自分の教会を建てる」と言われたのは神ご自身です。そして私たちは、共にそれを建てるのです。
覚えておきたいポイント
- 教会は何よりも神の教会です。世界も教会も揺さぶられるときでさえ、イエスは普遍的にも地域的にも教会を建てておられます。
- あなたのからだは聖霊の宮です。あなたは自分自身のものではなく、高い代価で買い取られました。
- 心は決して空のままではありません。神がいなければ別のもので満たされ、オカルトは本当の解放をもたらしません。
- 十字架、そこでイエスが成し遂げられたことが、教会の土台です。それを取り除けば、すべてが崩れ落ちます。
- 教会の持ち主である牧師はいません。私たちはしもべであり、共に教会を建てるのです。
個人への適用
- 世界や一部の教会が揺さぶられているのを見るとき、あなたの内なる安定は何の上に立っていますか。
- 神があなたの内に住んでおられることを実感していますか。あなたの生き方の中で、今この宮を傷つけているものは何ですか。
- あなたの身の回りに、オカルトに結びついた物や本があり、手放すべきではありませんか。
- あなたの信仰は、議論やしるしの上に立っていますか。それとも、十字架につけられ復活されたイエス・キリストの上に立っていますか。
- キリストはあなたをどんな鎖から解き放ってくださいましたか。また、ほかの人々と共にキリストの教会を建てるために、どのように自分の場所に立てますか。
引用された聖書箇所
- マタイによる福音書 16章18節
- マタイによる福音書 18章15~17節
- コリント人への手紙第一 1章2節
- テサロニケ人への手紙第一 1章1節
- コリント人への手紙第一 3章16~17節
- コリント人への手紙第一 6章19~20節
- コリント人への手紙第一 2章2~10節
- コリント人への手紙第一 1章18~25節
- コリント人への手紙第一 3章10~11節
- コリント人への手紙第一 11章29~30節
- ローマ人への手紙 7章14節
よくある質問
なぜパウロは「コリントにある神の教会」と書いたのですか。
説教者は、パウロが「テサロニケ人の教会」にテサロニケ人への手紙第一1章1節と比べています。コリントでは、創立者の働きのあと、教会は言葉にできないような状況を経験しました。そこでパウロはコリントの人々に、教会が誰のものであるかを思い起こさせます。それは神の教会、イエス・キリストが建てておられる教会です。
「あなたがたのからだは聖霊の宮」とはどういう意味ですか。
コリント人への手紙第一6章19~20節で、パウロは、聖霊が信じる者の内に住んでおられること、私たちは自分自身のものではないこと、そして高い代価で買い取られたことを思い起こさせています。説教者はそこから、この宮を傷つけず、からだと霊において神の栄光を現すようにという勧めを引き出しています。
なぜ十字架が教会の土台なのですか。
説教者によれば、神の力を宿しているのは物としての十字架ではなく、イエスが十字架の上で成し遂げられたことです。十字架の言は、滅びることになる者には愚かですが、救いをもたらします。教会がメッセージから十字架を取り除く日、すべてが崩れ落ちます。