神は人を分け隔てなさらない
ローマの百人隊長の家で使徒ペトロが語った、教会の歴史を大きく変えたひとつの言葉があります。「わたしは今、はっきりと分かりました。神は人を分け隔てなさらない方です」(使徒言行録10章34節)。この言葉は、あなたの国を含むすべての国民に対して、救いの扉を開いたのです。
あの日ペトロが発見したのは、神のご計画そのものの核心でした。旧約の時代から、主はイスラエルを特別な民として選ばれました。しかし、それは決して到着点ではありませんでした。神の御心の中で、救いは地の果てにまで、すなわち今これを読んでいるあなたにまで広がるはずだったのです。
使徒パウロはテモテにこう語り伝えています。神は「すべての人が救われて、真理を知るようになることを望んでおられる」(テモテへの手紙一2章4節)。そして、これがあなたに関係のあることだと納得するためには、カイサリアのコルネリウスの家で何が起きたのかを理解する必要があります。
1. なぜこの物語はペトロから始まるのか
使徒言行録10章では、何一つ偶然に任されていません。もし他の弟子ではなくペトロがコルネリウスの家に赴くことになったのなら、それはイエスが彼に非常に明確な使命を託しておられたからです。
神の子を告白した者
最初にイエスに答えたのはペトロでした。「あなたはメシア、生ける神の子です」(マタイによる福音書16章16節)。そしてイエスは、その言葉が父から来た啓示であることを認め、彼にこう言われました。「わたしは天の国の鍵をあなたに授ける。あなたが地上でつなぐことは天上でもつながれ、あなたが地上で解くことは天上でも解かれる」(マタイによる福音書16章19節)。
鍵とは権威です。鍵を持つ者が開けます。鍵を持つ者が所有します。ペトロはここで唯一の責任を受け取ります。それは、やがて教会を形づくることになるさまざまな人間集団に対して、御国の扉を開くという責任です。
三つの聖霊降臨、そこに立ち会う一人の使徒
使徒言行録の展開をよく見てみましょう。
- エルサレムでは、五旬節の日に、ユダヤ人たちが聖霊を受けます。そして立ち上がって語るのはペトロです(使徒言行録2章)。
- サマリアでは、フィリポが福音を伝え、多くの人が信じます。しかし誰も聖霊を受けていません。ペトロとヨハネが遣わされ、二人が手を置くと、聖霊が下ります(使徒言行録8章14〜17節)。
- カイサリアのコルネリウスの家では、ペトロがまだ語っている間に、聖霊が異邦人たちの上に下ります(使徒言行録10章44節)。
三つの扉が開かれ、そのすべての場面に立ち会った人物はただ一人。それは鍵を託された者でした。
2. 壁を打ち崩した幻
ペトロがコルネリウスの家に入る前に、神はまず彼の心を備えなければなりませんでした。ローマの百人隊長、すなわち異邦人。敬虔なイスラエル人にとって、その家に入ることなど考えられないことでした。そこには神の介入が必要だったのです。
天から下りてきた大きな敷布
ペトロが屋上に上って祈っていると、恍惚状態に陥ります。四隅を吊るされた大きな敷布が天から下りてくるのを見ます。そこには清いものも清くないものも含め、あらゆる動物が入っていました。声が彼に言います。「立て、屠って食べなさい。」ペトロは拒みます。「主よ、それはできません。清くないもの、汚れたものを、わたしは今まで食べたことがありません。」声はもう一度こう言います。「神が清めたものを、清くないと言ってはならない」(使徒言行録10章15節)。
この場面は三度繰り返されます。三という数字は確証の数字です。そしてペトロが思い巡らしている間に、コルネリウスから遣わされた三人の使者が戸口に着きます。三人の人、三つの幻。神はペトロに彼らを軽んじさせたくなかったのです。
食物を超える啓示
このメッセージはまず食物のことではありません。神はペトロに、いかなる人間も汚れた者と見なしてはならないことを教えようとしておられます。伝統がユダヤ人と異邦人の間に築いていた壁は、天からの一言によって一気に崩れ落ちます。
3. すべてを変えた宣言
コルネリウスの家に着いたペトロは、百人隊長が自分自身の幻を語るのを聞きます。そして口を開き、この土台となる言葉を告げます。
「わたしは今、はっきりと分かりました。神は人を分け隔てなさらない方であり、どの国の人であっても、神を畏れて正しいことを行う人は、神に受け入れられるのです」(使徒言行録10章34〜35節)。
「どの国の人であっても」
この一句を心に留めてください。どの国の人であっても。カナダからカメルーンまで、ハイチからセネガルまで、ブラジルから韓国まで、フランスからコートジボワールまで。あなたが白人であっても黒人であっても、豊かであっても貧しくても、あなたの国籍が神の恵みからあなたを遠ざけることはありません。
大切なのは、もはや民族的な帰属ではありません。それは心の態度、すなわち神を畏れ、正しいことを行うという姿勢です。
洗礼よりも先に下る聖霊
ペトロが話し終わらないうちに、聞いていたすべての人々の上に聖霊が下ります。ペトロと共に来たユダヤ人の兄弟たちは、この異邦人たちが異言を語り、神をあがめるのを聞いて驚きます。ペトロはすぐにこう結論づけます。「わたしたちと同じように聖霊を受けたこの人たちに、水で洗礼を授けることを、いったい誰が拒めるだろうか」(使徒言行録10章47節)。
神は予想された順序を覆されました。神は水の洗礼よりも先に聖霊を与えられ、扉が大きく開かれていることをはっきりと示されたのです。
4. 十字架、救いの重心
神はどのようにしてこれを可能にされたのでしょうか。それは十字架によってです。イエスはこう予告しておられました。「わたしがこの地から上げられるとき、すべての人をわたしのもとに引き寄せよう」(ヨハネによる福音書12章32節)。ヨハネは注釈を加えています。イエスはご自分の死のことを言っておられたのだ、と。
ゴルゴタの上で、イエスは天と地の間に上げられました。すべての国々、すべての支配者たちがその証人となりました。そして「すべてが成し遂げられた」と言われたとき、神の義は一度限り、完全に満たされたのです。
これはもはやイスラエルだけの問題でも、ユダヤだけの、エルサレムだけの問題でもありません。十字架にかけられたキリストを仰ぎ見る者は誰でも、十字架の時から救われるのです。「ほかの誰によっても、救いは得られません。天の下でこの名のほかに、わたしたちが救われるべき名は、人間に与えられていないからです」(使徒言行録4章12節)。
5. 諸国の民に対する神の夢
ペトロがコルネリウスの家で発見したことを、使徒ヨハネは終わりの時に見つめます。黙示録の中で、彼は無数の群衆が新しい歌を歌うのを見ます。
「あなたは屠られ、その血によって、あらゆる部族、言語、民族、国民の中から、神のために人々を贖い出し、彼らをわたしたちの神に仕える王国とし、祭司としてくださいました。彼らは地上を治めるでしょう」(ヨハネの黙示録5章9〜10節)。
これこそ神の夢です。色とりどりの一つの家族、複数の国民が一つの家族に集められること、それはキリストによって贖われた者たちの家族です。神は多様性を愛しておられます。神は美しいものを愛しておられます。そして地域教会が、この幻に忠実であるとき、それは天の縮図となるのです。
覚えておきたいポイント
- 神は決して救いを一つの民族だけに限定しようとはされませんでした。イスラエルは出発点であって、到着点ではなかったのです。
- ペトロは御国の鍵を受け取り、ユダヤ人、次にサマリア人、そして異邦人へと救いの扉を開いていきました。
- 大きな敷布の幻は、神がどんな人間をも汚れた者と見なされないことを教えています。
- どの国の人であっても、神を畏れ、正しいことを行う人は神に受け入れられます。
- この普遍的な救いを可能にしたのは十字架であり、それは信じる者すべてに差し出されています。
個人への適用
- あなたが今もある種の距離感や軽蔑をもって見ている人々、文化、国民はいませんか。使徒言行録10章はそのことについて何を語っていますか。
- あなたの信仰は、家族や文化や教会への帰属の上に成り立っていますか、それとも本当にキリストの十字架の上に成り立っていますか。
- あなたは日々、人間関係や仕事、お金の面で、神を畏れ正しいことを行っていますか。
- あなたの地域教会は、諸国の民に対する神の夢を映し出していますか、それとも一つの集団だけに閉じてしまっていますか。
- もしあなたがまだイエスに人生を明け渡していないなら、今日、何があなたを妨げているのでしょうか。
引用された聖句
- 詩篇24篇
- マタイによる福音書16章16〜19節
- ヨハネによる福音書12章32〜33節
- 使徒言行録1章8節
- 使徒言行録2章
- 使徒言行録4章12節
- 使徒言行録8章14〜17節
- 使徒言行録10章
- テモテへの手紙一2章4節
- ヨハネの黙示録5章9〜10節
よくある質問
「神は人を分け隔てなさらない」とは正確にはどういう意味ですか。
このように訳されているギリシア語の表現は、人を差別しないこと、外見によって判断しないことを表しています。神は国籍、肌の色、社会的地位、富によって左右されることはありません。神は心をご覧になるのです。
これは、すべての宗教が神に至るということを意味しているのでしょうか。
いいえ、違います。ペトロはすぐに、救いはイエス・キリストの名のうちにのみあり、それ以外にはないと断言しています(使徒言行録4章12節)。使徒言行録10章のメッセージは、キリストによって差し出されたこの救いが、あらゆる国民の人々に開かれているということであって、あらゆる宗教的な道が同じ価値を持つということではありません。
なぜ神は最初にイスラエルという一つの民だけを選ばれたのですか。
それは、その民を通してご自身を知らせるためでした。イスラエルは、神の統治のもとに生きるとはどういうことかを示す窓であるはずでした。それによって、他の国民が主のもとに引き寄せられるためです。イエスの到来と聖霊降臨は、この招きを地の全域にまで広げました。それは、まさに神の最初のご計画が見込んでいたとおりのことでした。
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