はじめに
クリスマスまであと数日となり、街には明かりが灯り、お店では季節の音楽が流れ、家族はそれぞれ準備を始めています。誰を招くか、誰を招かないか、どこへ行くか、誰と過ごすか。あたりは楽しげな雰囲気に包まれています。けれども、ナルシス・イポテはその朝、誕生の物語ではないテキストを選びました。羊飼いも、星も、飼い葉桶の幼子も出てきません。イザヤ書52章13節から53章12節、しもべの歌の第四篇は、犠牲について、しもべの苦しみについて、十字架について語っています。なぜクリスマス直前にこれを味わうのでしょうか。それは、キリストがこの世に来られた理由を忘れてしまうと、クリスマスは意味を失ってしまうからです。クリスマスは、モールや飾り、ごちそうのお祭りとして与えられたのではありません。クリスマスは啓示のお祭りです。あなたの咎を背負うために来られた救い主の啓示なのです。
メッセージの構成
1. 神が遣わされるしもべは、世が期待する者ではない
- 「見よ。わたしのしもべは栄える。高められ、あがめられ、彼は最も高くなる」(イザヤ書52章13節)。神はご自分のしもべをこう紹介されます。成功、栄誉、栄光。ところがその後の箇所では、へりくだり、蔑まれ、拒まれ、損なわれた顔をもつしもべが描かれます。
- 世は輝かしい王を、征服者を、力強い英雄を期待していました。力を期待していたのに、神はへりくだりを送られます。美しさを期待していたのに、神は誰も見たがらない顔を送られます。支配を期待していたのに、神はしもべを送られます。
- この対比は、神の計画があなたの期待通りではないという驚きに、あなたを向き合わせます。今日もなお、あなたは力によって世界を揺るがす輝かしい存在を待ち望んでいるかもしれません。しかし主は、ご自分のしもべがへりくだりと素朴さをもって来られることを教えてくださいます。
- だから今朝、自分に問いかけてみてください。あなたはどんな救い主を待ち望んでいますか。どんなキリストを待ち望んでいますか。どんな教会を待ち望んでいますか。輝かしい教会でしょうか、それとも仕える教会でしょうか。
2. 良い知らせは、信じがたい
- 「私たちが聞いたことを、だれが信じたか。主の御腕は、だれに現されたか」(イザヤ書53章1節)。この問いには、どこか劇的な響きがあります。神のメッセージを本当に信じる者は誰でしょうか。
- 多くの人は、祝福し、癒し、守ってくださる神を信じたいと願います。しかし、苦しみと拒絶と屈辱を通して救われる神を信じることは、衝撃です。それはあなたにとっても、この世にとっても衝撃なのです。
- 蔑まれ、辱められ、拒まれることを許しながら、あなたの痛みをご自分の上に負って救われる神。これはスキャンダルです。福音は二つのものを対立させる、心を揺さぶる物語です。暴力に満ちたこの世では、力強い救い主が期待されます。へりくだりをもって来られる方は、誰も期待していません。
- この季節が求めるのは、喜びだけではありません。信仰も求められます。あなたは、神が決められた救いのあり方を、本当に信じていますか。
3. 蔑まれ、無視され、拒まれた救い主
- 「彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で、病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった」(イザヤ書53章3節)。
- この季節、思い浮かぶイメージはやさしいものです。赤ちゃん、飼い葉桶、天使たち。しかしこの赤ちゃんこそ、三十三年後には拒まれ、犯罪人のように扱われ、無視され、辱められ、いばらの冠をかぶせられ、十字架につけられる方なのです。
- 降誕は十字架と切り離して理解することはできません。飼い葉桶と十字架は、同じ一本の道の両端です。降誕のスキャンダルとは、幼子が生まれること自体ではなく、この幼子が死ぬために生まれたということです。あなたのために。あなたの罪のために。
- 世はこの幼子を、幼子のまま、飼い葉桶の中にとどめておきたいと願うかもしれません。しかしクリスチャンであるあなたは知っています。この方はあなたの咎を背負うために生まれたのです。それこそがクリスマスの意味です。
4. あなたの痛みと咎を背負う方:交換
- 「まことに彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。……彼は私たちの背きのために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちは癒やされた」(イザヤ書53章4-5節)。
- ここに福音の中心があります。これは単なる美しい物語ではありません。飼い葉桶の中の幼子だけの話ではありません。単なる道徳的な模範でもありません。これは交換なのです。
- 主はあなたのものを取り、ご自分のものをあなたに与えてくださいます。あなたの痛みを取り、平安を与えてくださいます。あなたの咎を取り、義を与えてくださいます。本来あなたが受けるべき罰を取り、あなたに赦免を与えてくださいます。主が打たれ、あなたは免れます。
- この真理は今日もあなたの心に響いていますか。それとも、時とともに色あせてしまいましたか。あなたが抱えている恐れ、罪悪感、恥、不安を、キリストはすでに背負ってくださったことを知っていますか。
- 朝、目を覚ますとき、あなたはこう言っていますか。「主よ、感謝します。あなたが私の罪悪感を負ってくださったから。主よ、感謝します。あなたが私の恥を負ってくださったから。主よ、感謝します。あなたが私の不安を負ってくださったから」と。主は日々、それを負い続けてくださっています。
- あなたはまだ、自分の傷を背負っているかもしれません。家族の傷、子どもたちの傷、両親の傷、教会の傷、仕事の傷、あなたを取り巻く環境の傷。今朝、知ってください。あなたはすべてをひとりで背負わなくていいのです。しもべがあなたのためにそれをしてくださいました。
5. 赦しから生まれる喜び
- 「彼が自分のいのちを罪過のためのいけにえとするとき、彼は末長く生きる子孫を見ることができる。主のみこころは、彼の手によって成し遂げられる」(イザヤ書53章10-11節)。
- 街は明かりで輝き、家族は集い、世は「クリスマスの精神」を語ります。しかし、本当の光はどこにあるのでしょうか。本当の光は装飾ではありません。本当の光は、暗いところを照らします。
- そして暗いところとは、あなたの罪、あなたの疑い、あなたの心です。今朝、光が照らそうとしているのは、そこなのです。
- この季節は、単なる慣習の時ではありません。キリストがあなたの咎を負ってくださったことを認める時です。飼い葉桶を見つめるとき、横たわる幼子イエスを見つめるとき、あなたはすでにこの方があなたの咎を負ってくださったことを見るのです。それが、あなたに喜びを与えてくれます。
- この季節にクリスチャンを生かす喜びは、三つの確信から来ます。私は赦されている、私は和解している、私は自由にされている。これこそが、クリスマスの本当の喜びです。
6. しもべの高挙:十字架の勝利
- 「それゆえ、わたしは、彼に大いなる者たちとともに、分け前を与える。……それは、彼が自分のいのちを死に明け渡し、背きの者たちとともに数えられたからである。彼は多くの人の罪を負い、背きの者たちのためにとりなしをする」(イザヤ書53章12節)。
- 世が蔑んだこのしもべ、特別な輝きを持たなかったこのしもべを、神は最も偉大な者たちの列に置かれます。なぜでしょうか。それは、しもべが自らを空しくし、へりくだり、あなたのためにご自分を明け渡されたからです。
- へりくだりの道は、高挙へと至ります。十字架の道は、栄光へと至ります。しもべの道は、御座へと至ります。
- この季節は勝利のお祭りです。飼い葉桶の中に生まれた方は、死に打ち勝たれた方です。この飼い葉桶に生まれた方は、とこしえからとこしえまで大いなる方となられました。
- ならば、なぜあなたはまだ痛みを背負い続けるのですか。なぜあなたはまだ背きを背負い続けるのですか。なぜあなたはまだ疑いを背負い続けるのですか。主は今朝、あなたに語りかけます。「わたしがあなたの重荷を負う。わたしがあなたの痛みを負う」と。
要点
- クリスマスは単なる装飾のお祭りではありません。あなたの咎を背負うために来られた救い主の啓示です。飼い葉桶と十字架は、同じ一本の道の両端です。
- 神が遣わされるしもべは、世が期待する者ではありません。力、輝き、支配ではなく、神はへりくだり、素朴さ、仕えることをもって応えられます。
- 福音は交換です。キリストはあなたの痛みを取り、平安を与えてくださいます。あなたの咎を取り、義を与えてくださいます。あなたの罰を取り、赦免を与えてくださいます。
- あなたはすべてをひとりで背負わなくていいのです。恐れ、恥、不安、傷。しもべがそれらを背負ってくださいました。
- この季節の本当の喜びは、三つの言葉に集約されます。赦された、和解した、自由にされた。
- へりくだりの道は高挙へと至ります。蔑まれたしもべは、最も偉大な者たちの列に置かれます。十字架はすでに勝利なのです。
個人への適用
- あなたは今日、本当にどんな救い主を待ち望んでいますか。祝福し守ってくださる神でしょうか、それとも苦しみとへりくだりを通して救われる神でしょうか。あなたの答えは、あなたの信仰について何を語っていますか。
- 今週、飼い葉桶を見るとき、その向こうに十字架も見ることができますか。この二つを一緒に心に留めるとき、あなたのアドベントの過ごし方はどう変わりますか。
- あなたがまだひとりで背負っている恐れ、罪悪感、恥、あるいは不安を、具体的に一つ挙げてみてください。今朝、「キリストが私のためにそれを負ってくださった」と言えますか。
- 家族、子ども、両親、教会、仕事。あなたが自分の力だけで処理しようとしている傷は何でしょうか。今週、それを十字架のもとに下ろすために、具体的にどんな小さな一歩を踏み出せますか。
- 二分間の静けさをとり、主にこう伝えてみてください。「主よ、感謝します。あなたが私の罪悪感を負ってくださったから。感謝します、私の恥を負ってくださったから。感謝します、私の不安を負ってくださったから」と。
引用された聖句
- イザヤ書 52:13-15 · 「見よ。わたしのしもべは栄える」
- イザヤ書 53:1 · 「私たちが聞いたことを、だれが信じたか」
- イザヤ書 53:3 · 「彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人」
- イザヤ書 53:4-5 · 「彼は私たちの病を負い……彼の打ち傷によって私たちは癒やされた」
- イザヤ書 53:6 · 「主は私たちすべての者の咎を彼に負わせた」
- イザヤ書 53:10-11 · 「主のみこころは、彼の手によって成し遂げられる」
- イザヤ書 53:12 · 「わたしは、彼に大いなる者たちとともに、分け前を与える」
- マタイ 11:28 · 「すべて疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのもとに来なさい」
よくある質問
クリスマス直前に、苦難のしもべを描くイザヤ書53章を味わう理由は何ですか?
キリストがこの世に来られた理由を忘れてしまうと、クリスマスは意味を失ってしまうからです。この祝いは、飾りやごちそうのためのお祭りとして与えられたのではなく、啓示のためのお祭りです。私たちの咎を背負うために来られた救い主が現された日なのです。飼い葉桶と十字架は、同じ一本の道の両端です。この幼子は、死ぬために、あなたを救うために生まれました。しもべの歌の第四篇、イザヤ書52章13節から53章12節は、モールの光よりも深い光でアドベントを照らしてくれます。
イザヤ書53章の「しもべが私たちの痛みを負われた」とは、具体的にどういう意味ですか?
それは交換なのです。主はあなたのものを取り、ご自分のものをあなたに与えてくださいます。あなたの痛みを取り、平安を与えてくださいます。あなたの咎を取り、義を与えてくださいます。本来あなたが受けるべき罰を取り、あなたに赦免を与えてくださいます。あなたの恐れ、罪悪感、恥、不安。キリストはすでに十字架でそれを負ってくださいました。あなたはもう、すべてをひとりで背負わなくていいのです。しもべがあなたのためにそれをしてくださいました。そして今も、日々それを負い続けてくださっています。
疲れているとき、苦しみの中にあるとき、どうすればクリスマスの本当の喜びを味わえますか?
飼い葉桶を見つめてください。そして十字架も見つめてください。本当の喜びは飾りからではなく、三つの確信から来ます。私は赦されている、私は和解している、私は自由にされている、という確信です。イエスはこう言われました。「すべて疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」(マタイ11章28節)。今週、あなたがまだひとりで背負っているものを、十字架のもとに下ろしてください。それを声に出して主の前に名づけ、あなたの心の暗いところを、本当の光に照らしていただきましょう。
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