はじめに
アニメ映画『プリンス・オブ・エジプト』とその主題歌をご存じの方もいらっしゃるかもしれません。出エジプト記の物語を独自の形で描いた作品ですが、その歌詞には少し問題のあるフレーズがあります。「信じれば、あなたは奇跡を起こせる」というものです。しかし実際には、信じたからといって、あなたが奇跡を起こすのではありません。奇跡を起こされるのは神様です。そして、それこそが出エジプト記が私たちに示してくれることなのです。
本題に入る前に、一つ質問をさせてください。約3500年前に書かれたこの書物が、今日のあなたにどう関係するのでしょうか。神様の約束は、今どうなっているのでしょうか。もしかすると、あなたにとって神様というテーマはあまりピンとこないかもしれません。その場合はこう問い直してみてください。神様はこの世界で何かをしておられるのでしょうか。神様は見ておられるのでしょうか。神様にはできるのでしょうか。神様はここにおられるのでしょうか。この問いこそ、出エジプト記への良い入口になります。
この記事の構成
1. 出エジプト記:大きな物語の第二章
「出エジプト」とは「脱出」という意味です。エジプトからの脱出、一つの民族全体が置かれていた状況からの脱出です。しかし、出エジプト記を独立した一冊の書物として捉えてはいけません。これは、モーセ五書と呼ばれる五つの書物からなる一続きの物語の第二章であり、これらは共に読まれることを前提に書かれています。出エジプト記は、創世記が語り始めた出来事の続きなのです。
2. 大いなる解放:反逆から贖いへ
聖書は、あふれる愛のゆえに世界を創造された創造主なる神様が、人間をその代理者、被造物の王として置かれた物語を語ります。同時にそれは、悪魔の誘惑を受けた人間が反逆した物語でもあります。人間は、いわば「カリフの代わりにカリフになる」ことを望み、神様なしに、神様から離れ、神様に逆らって、自分自身で善悪を決めようとしたのです。
しかし、それはまた贖いの物語、大いなる解放、大いなる買い戻しの物語でもあります。神様は別の惑星に行って、もっと優秀な人類とやり直そうとはされません。これは、留まり続けてくださる神様の物語です。ご自分を拒む人類を前にして、神様は再建と回復、そして奴隷状態からの解放という物語を差し出してくださるのです。
3. アブラハムへの約束:すべての国民を祝福するための一つの家族
神様の救いの計画は、一つの家族(アブラハムの家族)を通して進んでいきます。神様はこの家族に約束を与えられました。
「主はアブラムに言われた。『あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたは祝福となりなさい。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。』」(創世記12章1〜3節)
神様の大いなる修復、大いなる赦し、大いなる解放は、この家族を通して実現していきます。神様はこの家族を興し、育て、解放することによって、あらゆる国民から集められる一つの民を興し、育て、解放しようとしておられます。その民は、神様のうちにのろいではなく祝福を見出すのです。
4. 自分は自由だと思い込んでいる奴隷の民
この家族は、私たちが認めたい以上に、人間らしい形での奴隷状態に置かれています。あなたはこう思うかもしれません。「私が奴隷ですって?私は自由と革命の子です。誰の奴隷にも、何の奴隷にもなったことはありません。」もしそう思っているなら、あなたはそう考えた最初の人ではありません。人類は奴隷でありながら、自分は自由だと思い込んでいるのです。
出エジプト記は、この問いについて考える助けとなります。この書物は、あなたを四つの現実の前に立たせます。
- この家族の姿を通して見えてくる、私たち人類の状況の深刻さ
- 約束にすがりながらも、自力ではそこから抜け出す力を持たない民の無力さ
- 時が過ぎても過ぎても、約束を守り続けてくださる誠実な神様の主権
- 神様が約束された大いなる解放者、その約束を実現するために神様が備えられる贖い主
5. モーセが指し示す偉大な解放者:イエス・キリスト
最初の解放者であるモーセを通して、出エジプト記は私たちを真の偉大な解放者、イエス・キリストへの備えとしてくれます。イエス様は「完全なモーセ」と呼べる方であり、悪と裁きと死から私たちを救い出し、神様のもとへ連れ戻すために、私たちと同じ姿でこの世に来られた神様の御子です。それこそが約束です。解放されることなのです。
6. 物語という形式:歴史の神様は、あなたの人生の神様
出エジプト記は一つの物語です。物語という形式ほど、過ぎゆく時の重みを伝えられる文学のジャンルはありません。それは、現実の直視、必要、待ち望むこと、そして歴史の神様がよみがえらせてくださる力を伝えてくれます。
この物語は、生ける神様、創造主であり、忍耐強く、裁き主であり救い主である方、歴史を導かれる神様の前にあなたを立たせます。そして彼らの物語を読みながら、あなたは気づくのです。この方は、あなた自身の人生の神様でもあるのだと。彼らの中に働かれたのと同じように、神様はあなたの中でも働かれます。そして、あなたを解放してくださいます。
パウロも、まさにこう語っています。
「昔書かれた事はみな、わたしたちを教えるために書かれたのであって、それは、聖書の与える忍耐と慰めとによって、望みを得させるためである。」(ローマ15章4節)
まとめのポイント
- 神様は約束を守られます。たとえ時が過ぎ、終わりなく引き延ばされているように感じられても。
- 私たちは気づかぬうちに奴隷になっています。出エジプト記は、私たちが抱く自由という幻想の正体を暴いてくれます。
- モーセはイエス様を予告しています。最初の解放者は、偉大な解放者の到来への備えです。
- 歴史の神様は、あなたの人生の神様です。神様は過去にとどまってはおられません。今も働いておられます。
- 私たちの使命は、神様の善き恵み深い権威のもとで生きることです。神様から離れるのでも、神様に逆らうのでもなく、神様とともに生きることです。
あなたへの適用
- 今日、あなたの人生において神様の約束はどうなっていますか。まだ神様に何かを期待していますか、それとも望みを持つことをやめてしまいましたか。
- あなたは何から解放される必要がありますか。あなたが認めることを避けている「奴隷状態」は何でしょうか。
- 自分では自分を救えないこと、そしてどこか外から来てくださる解放者が必要であることを、あなたは認めていますか。
- あなたは自分が世界の中心であるかのように生きていますか、それとも神様が中心であるかのように生きていますか。もし今週、本当に神様を中心に置くとしたら、具体的に何が変わるでしょうか。
- 出エジプト記を、単なる古い文書としてではなく、あなた自身の人生に語りかける言葉として読む準備はできていますか。
引用された聖句
- 創世記12章1〜3節・アブラハムに与えられた約束
- ローマ15章4節・昔書かれた事はみな、私たちを教えるために書かれた
よくある質問
なぜ今、出エジプト記を読むのですか。
この書物が、自分を拒んだ人類を見捨てなかった神様について語っているからです。約束に誠実であり、実際の奴隷状態から民を解放される神様の姿を、あなたに見せてくれます。そして、あなた自身も、普段は気づかない何かの奴隷になっているからです。出エジプト記は、それを認め、解放を望む助けとなってくれます。
出エジプト記は創世記から独立した書物ですか。
いいえ、違います。出エジプト記は、聖書の最初の五つの書物からなるモーセ五書の第二章として読むべきものです。これらの書物は共に読まれることを前提に書かれています。出エジプト記は、創世記で始まった物語、すなわち創造、反逆、アブラハムへの約束、そして贖いの計画の続きなのです。
モーセはどのようにイエス様を指し示していますか。
モーセは最初の解放者です。神様は彼を用いて、ご自分の民をエジプトの奴隷状態から連れ出されました。しかし、モーセはあくまで一つの備えにすぎません。イエス様は「完全なモーセ」であり、私たちと同じ姿でこの世に来られた神様の御子です。それは単に一つの国からではなく、悪と裁きと死から私たちを解放し、神様のもとへ連れ戻すためでした。
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