ヨハネ19章:ピラトとイエス、そして上を見上げる目

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はじめに

「ピラトも上を向いていました。けれども、その偽りの『上』ではなく、本当の『上』を見上げましょう。」丸山芳浩牧師は、メッセージの結論を冒頭から語ります。これは2026年10月21日、米沢興譲教会(日本)の祈祷会で語られたもので、シリーズ「イエスに出会った人々」の第83回にあたります。

タイトルは、誰もがどこかで耳にしたことのある歌「上を向いて歩こう」から取られています。聖書の箇所は、イエスの裁判の中心であるヨハネ19章9〜12節です。ピラトはイエスに罪がないと何度も宣言しながら、最後にはイエスを十字架につけるために引き渡しました。牧師は、どの言葉がピラトの心に入り、彼の人生を決めたのかを探ります。

そこから、私たち一人ひとりへの問いが生まれます。あなたが目を上げるとき、本当は誰を見ているでしょうか。

メッセージの流れ

1. あなたが心に入れる言葉

  • 「上を向いて歩こう」は、坂本九の大ヒット曲です。牧師は、彼の別の歌「幸せなら手をたたこう」にも触れます。この歌は詩篇47篇から来ています。「もろもろの民よ、手を打ち鳴らし、喜びの声をあげて神にむかって叫べ。」
  • 説教者によれば、「幸せなら手をたたこう」の歌詞を書いたのは、1959年のあるクリスチャンでした。彼はカトリックの伝統が根づくフィリピンでの研修会に出かけました。第二次世界大戦中、日本軍はそこを占領し、家族を失った人もいました。それでもフィリピンのクリスチャンたちは「戦争は終わった、日本人を赦そう」と言い、彼を迎え入れました。彼はそこで聞いた歌に日本語の歌詞をつけ、そのメロディーが坂本九の耳に届き、大ヒットとなったのです。
  • もう一つの例は、映画「キューポラのある街」で大女優となった吉永小百合です。監督は彼女に、貧しさについて考えるよう求めました。彼女は、自分自身も貧しい家の出だと答えます。すると監督は、あなたの貧しさは山の手の貧しさで、下町にはまた別の貧しさがあるのだと言いました。
  • 彼女は気分を害して、そこで終わってしまうこともできました。けれども、その言葉を心にとどめて考え続け、撮影現場で理解したのです。「心に入れる言葉と、それを誰が語るかによって、人の人生は変わります。」
  • ピラトについても同じ問いが向けられます。どの言葉が彼の人生を決めたのでしょうか。

2. ピラトはイエスに罪がないと宣言する

  • ピラトはよく悪役として見られます。たしかに残酷な一面もありました。けれども、イエスの裁判では、ローマ法に従って公正かつ客観的に裁こうとしました。
  • 「真理とは何か」と尋ねたあと、彼はユダヤ人たちのところへ出て行って宣言します。「わたしには、この人になんの罪も見いだせない」(ヨハネ18:38)。有能な人物だった彼は、この訴えが作り上げられたものだとすぐに見抜きました。ローマへの反乱であればローマ法の範囲ですが、ユダヤの律法における冒涜の罪は、その法では裁けなかったのです。
  • 事態は収まりませんでした。過越の祭りの時期で、ピラトは治安を守るためにエルサレムに来ていました。ガリラヤの領主ヘロデ・アンティパスも、そこに滞在していました。イエスがガリラヤ人であったため、ピラトはイエスをヘロデのもとに送ります。ヘロデは奇跡が見られると期待していました。ところがイエスが何もなさらないので、彼はイエスを侮り、あざけり、ピラトのもとに送り返しました。
  • この後ろ盾を得たピラトは、改めて判決を繰り返します。「あなたがたが訴えているような罪は、この人には何も見当らなかった。ヘロデもまた同様である」(ルカ23:14-15)。
  • 次に彼は妥協案を試みます。イエスをむち打って同情を引き、釈放しようとしたのです(ヨハネ19:4)。
  • 最後の手段は、祭りのときに囚人を一人釈放するという慣例でした。「あなたがたは、だれをゆるしてほしいのか。バラバか、それともキリストといわれているイエスか」(マタイ27:15-17)。バラバは、強盗と殺人で捕らえられた名うての犯罪人でした。これらの箇所を読むと、ピラトはほとんど善良な人のようにさえ見えます。

3. それでも、ピラトはイエスを引き渡す

  • 「そこで彼は、バラバをゆるしてやり、イエスをむち打ったのち、十字架につけるために引きわたした」(マタイ27:26)。
  • あれほど努力したのに、なぜ屈したのでしょうか。この選択のために、彼の名は世界中に知られています。使徒信条を唱えるたびに、イエスが「ポンテオ・ピラトのもとで苦しみを受け」たと告白するからです。
  • ピラトはユダヤで最も力のある人物でした。ひと言で人の生死を決められる立場です。その彼が群衆の言葉の前に折れ、まるで正反対の方向へ舵を切ったのです。

4. 人の目を恐れる

  • 政治家は先を読み、計算します。ピラトは、ユダヤの指導者たちとは違って、群衆はイエスの味方をすると考えていました。同じ週の日曜日、イエスはろばに乗ってエルサレムに入り、枝を振り、上着を道に敷く群衆に迎えられたからです。
  • 現実は正反対でした。祭司長たちや律法学者たちに扇動された群衆は、「この人ではない。バラバを」(ヨハネ18:40)と叫び、さらに「十字架につけよ、十字架につけよ」(ヨハネ19:6)と叫びました。記述は淡々としていますが、その場の空気は爆発寸前で、暴動の一歩手前でした。
  • 「真理に立っていると確信している人は、揺らぎません。あなたは間違っていると何度言われても、いや、こうなのだと答えます。」ピラトは真理に立っていませんでした。
  • 暴動が起きれば、統治がまずいことの証明になってしまいます。彼にとって最大の関心事は、皇帝の評価でした。だからこそ、一つの言葉が彼の心にまっすぐ入ったのです。「もしこの人を許したなら、あなたは、カイザルの味方ではない。だれでも自分を王とする者は、カイザルにそむく者である」(ヨハネ19:12)。
  • 牧師は、今は退職した公務員である従兄との思い出を語ります。若いころ、従兄は年賀状で昇進を知らせてきました。牧師は「これでやっと思いどおりに仕事ができるね」とからかいました。すると、そっけない答えが返ってきて、今も忘れられないそうです。「全然そんなことはない。今でも自分は上を見ている。上を見ながら仕事をしているんだ。」係長は課長を見て、課長は部長を見ます。「自分の思いどおりに生きられる部分は、ほんのわずかなんだ。」
  • ピラトも上を向いていました。しかし彼の「上」はカイザルであり、自分の運命はカイザルにかかっていました。牧師はこうまとめます。彼は真理に従って行動したのではなく、恐れに突き動かされていたのだと。恐れる人は人の顔色をうかがい、どんなに重大な決断でも、すぐに覆してしまいます。

5. 真理に立つ:祈る姉妹の姿

  • 牧師は、教会の年配の姉妹を思い起こします。今は主のみもとにいる方で、牧師は信仰の模範だと考えています。彼女は真理に立ち、イエスを信じていました。
  • 彼女は両手をこすり合わせながら、「イエスさま、イエスさま」と繰り返して祈っていました。その姿は、牧師の記憶に深く刻まれています。
  • 神は彼女の願いをすべてかなえてくださったのでしょうか。いいえ。彼女の人生には試練が多く、神がいるならなぜ、と思わずにいられないほどでした。新しい試練に直面すると、彼女は三つの段階を通りました。まず、うわべの「ハレルヤ」などない、深い苦悩の表情です。痛みを知っているからこそ、「また?」と思うのです。次に、ただひたすらイエスに祈ります。そして最後に、顔に平安が戻るのです。
  • 彼女の祈りによって、多くのことが整えられていきました。けれども牧師は、「これを私のためにしてください」というような、自分中心の祈りを聞いた記憶がありません。心に残っているのは、「主よ、あなたの栄光を現してください」という祈りです。「そういう祈りは、本当にかなえられます。」
  • 彼女の周りの人たちが皆クリスチャンになったわけではありません。祈っているのにこれほど試練に遭うなんて、とばかげているように思う人もいました。一方で、彼女に導かれて信仰に入った人もいます。選ぶのは一人ひとりの自由です。
  • 「神という揺るがない土台の上に生きる人は、揺さぶられても、揺らぎません。」牧師も彼女にならって、手をこすり合わせながら祈ります。「本当にもう、どうすることもできません。でも神さま、この試練を通して、あなたが最善をなしてくださると信じます。」

6. イエスの沈黙、それは愛の時間

  • 最後のポイントは、イエスがピラトに語られた「上から」の権威についてです。「あなたは上から賜わらなければ、わたしに対してなんの権威もない」(ヨハネ19:11)。
  • ピラトの「上」は皇帝でした。降格されることを恐れて、彼は不正な裁判を取り仕切りました。イエスの「上」は父なる神でした。「全世界を治め、永遠の行き先を決められる神の権威を知っておられたので、その権威から来ないものは何も恐れませんでした。」
  • ピラトは尋ねます。「あなたは、どこからきたのか」(ヨハネ19:9)。彼はイエスがガリラヤの出身であることを知っていました。この問いは、イエスの権威の出どころ、つまりあなたは本当は何者なのか、を問うものです。ピラト自身は、ローマ皇帝の名によって動いていました。イエスは彼に何も答えられませんでした。
  • 「この沈黙は拒絶ではありません。愛の時間です。」イエスはピラトをも救おうとしておられました。人は、自分が握っているものに振り回されます。もしピラトがカイザルを気にしていなければ、何も彼を動かせなかったでしょう。イエスの沈黙は、彼にこう語っています。握っているものを手放しなさい、と。
  • 「本当の『上』である神に目を向けるためには、今の自分が『上』だと思っているものを手放さなければなりません。そのためには、自分が握っているものがどれほど空しいかを、深く思い知る必要があります。」
  • 沈黙は、立ち止まって考える時間です。私たちは無意識のうちに、あるものを最も大切なものと思い込んでいます。祈りや試練の中で、私たちは神の沈黙に出会います。「今日、神は何もしてくださらなかった。」その空白の中で、神は何も語りませんが、問いかけておられます。あなたは何を握っていますか。お金、健康、子どもたち、職場の誰かの機嫌でしょうか。
  • 私たちは空しいものに全力でしがみつき、自分のすべてをそこに預けてしまいます。ところが、いったん縁が切れてみると、「結局、せいせいした」と言うのです。だから私たちはぐらつき、振り回されます。神は、手放したときにこそ本当にほっとできると気づくところまで、私たちを導こうとしておられます。
  • ピラトは、群衆の言葉を心に入れました。「残念なことです。」イエスは誰にも無理強いされません。問いは残ります。あなたは何を選びますか。牧師は、信仰の歩みの中で、本当の「上」である神に目を上げて歩もう、と呼びかけて結びます。

ポイントのまとめ

  • 心に入れる言葉が、あなたの人生を方向づけます。ピラトは群衆の言葉を心に入れました。
  • ピラトはイエスに罪がないと知っていましたが、真理に立ってはいませんでした。カイザルへの恐れが、彼に代わって決めてしまいました。
  • 恐れる人は人の顔色をうかがい、決断を覆します。神に立つ人は、揺さぶられても倒されません。
  • イエスは父なる神を見つめ、ほかのどんな権威も恐れませんでした。
  • 神の沈黙は拒絶ではなく愛の時間であり、あなたが握っているものを手放せるよう導いてくださるものです。

個人的な適用

  1. 決断をするとき、あなたはまず神を見ていますか。それとも人の顔色を見ていますか。
  2. 今のあなたにとって、偽りの「上」は何ですか。お金、健康、子どもたち、職場の誰かの機嫌でしょうか。
  3. 最近、あなたはどんな言葉を心に入れましたか。それは誰から来た言葉でしたか。
  4. 試練の中で、あなたの祈りは主に「これを私のためにしてください」でしょうか。それとも「あなたの栄光を現してください」も含まれているでしょうか。
  5. もし今日、神が沈黙しておられるように思えるなら、神はあなたに何を手放すよう招いておられるでしょうか。

引用した聖書箇所

よくある質問

ピラトはイエスに罪がないと宣言したのに、なぜ引き渡したのですか。

ピラトは、イエスに罪が見つからないと何度も宣言しました。しかし、彼は真理に立っていませんでした。暴動を恐れ、さらに皇帝の評価を恐れたのです。群衆が「もしこの人を許したなら、あなたは、カイザルの味方ではない」(ヨハネ19:12)と叫んだとき、その言葉が彼の心に入り、彼は屈してしまいました。

本当の「上」を見るとは、どういうことですか。

ピラトは上を向いていましたが、彼の「上」はカイザルでした。イエスは、全世界を治め、永遠の行き先を決められる父なる神を見つめておられました。丸山芳浩牧師によれば、神に目を向けるとは、自分が握っている偽りの「上」、つまりお金、健康、子どもたち、職場の誰かの機嫌などを手放すことです。

なぜイエスはピラトの前で沈黙されたのですか。

ピラトが「あなたは、どこからきたのか」(ヨハネ19:9)と尋ねたのは、イエスの権威がどこから来るのかを知りたかったからです。イエスは答えられませんでした。説教者によれば、この沈黙は拒絶ではなく愛の時間です。イエスはピラトをも救おうとし、彼が握っているものを手放すよう招いておられたのです。

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