ヨハネ4章:イエスはあなたの弱さに言葉を与えてくださる

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はじめに

「鼻は自分では見えないように、自分の弱さもいつも見えているとは限りません。」日本の米沢興譲教会の牧師、渡辺一典(Kazunori Watanabe)牧師は、2026年9月27日(日)の礼拝メッセージ「弱さを受け入れる時」を、このような言葉で始めました。

取り上げられた箇所は、イエスとサマリヤの女との出会い、ヨハネの福音書4章15節から19節です。牧師の確信はこうです。私たちが驚くべき助言者であるイエス・キリストに触れるとき、私たちの弱さは光のもとに示されます。それは私たちを打ちのめすためではなく、解放へと導くためです。

メッセージは三つの段階で進みます。痛みの告白、イエスが本当の問題にまっすぐ向かわれること、そして自分を責める心から受け入れられる安心へ移ることです。牧師は最後に、ごく最近の体験を率直に分かち合います。あなたにも同じ解放への望みを持っていただくためです。

メッセージの流れ

1. 誰も行かない時間に井戸にいる女

  • この箇所の直前で、イエスは女に生ける水について語られました。井戸の水は一時のかわきをいやすだけですが、イエスが与える水は、永遠の命に至る水がわき出る泉となります(ヨハネ4:13-14)。
  • 女は答えます。「主よ、わたしがかわくことがなく、また、ここにくみに来なくてもいいように、その水をわたしに下さい」(ヨハネ4:15)。牧師は、この言葉の後半「ここにくみに来なくてもいいように」に注目します。
  • この女は、昼ごろ、照りつける太陽の下、長い道のりを一人で歩いて水をくみに来ます。しかも、人はすぐにのどがかわくので、またくり返さなければなりません。
  • ふつう水くみは、涼しくなる一日の終わりに、女たちが助け合って行うものでした。けれども彼女にはそれができませんでした。人を避ける理由があったのです。

2. 人は抱えた重荷を、つい口にしてしまう

  • 彼女は「生ける水を下さい」と言うだけでもよかったはずです。しかし、彼女は後ろめたさと負い目を抱えていて、その痛みが思わず口からこぼれました。
  • 私たちは罪責感を抱えていると、それを抑えきれなくなり、しばしば無意識のうちに自分から打ち明けてしまいます。
  • 牧師はとても身近な例を挙げます。「ここにあったケーキを見なかった?」と尋ねると、すぐに「食べてないよ!」という答えが返ってきます。食べたかどうかなど、誰も言っていないのです。こっそり食べた人は、自分で白状してしまっています。
  • もう一つの場面です。ある会社で、社長がある決定について絶対に秘密にするよう求めました。数日後、情報がもれます。犯人探しが始まりますが、実はもらしたのは社長自身でした。
  • サマリヤの女も同じです。ほんの数語で、彼女が毎日引きずっている痛みが表に出ました。

3. イエスは本当の問題にまっすぐ向かわれる

  • 「あなたの夫をここに呼んできなさい」(ヨハネ4:16)。前置きなしに、イエスは彼女の苦しみの根に触れられます。女が生ける水を受けるには、この点に触れる必要がありました。
  • 牧師はここに、驚くべき助言者の知恵を見ます(イザヤ書9:6)。問いは、彼女がもっとも予想していない瞬間に投げかけられます。
  • 牧師は刑事コロンボを例に挙げ、年配の会衆が笑いながらうなずきます。よれよれのレインコートを着た、さえない風貌の刑事が、容疑者に別れを告げ、数歩歩いたところで振り返り、何気ない顔で、核心を突く質問を一つ投げかけるのです。
  • 不意をつかれた女は、身を守ろうとして言います。「わたしには夫はありません」(ヨハネ4:17)。それは事実ですが、半分だけの真実です。牧師はこれを「それ以上は踏み込まないでください」という意味だと訳します。
  • 信仰の父アブラハムも同じことをしました。ききんのためエジプトに下ったとき、彼はサライに自分の妹だと言うよう頼み(創世記12:10-13)、のちにもくり返しています(創世記20:2)。一部は本当ですが、そうすることで痛いところを避けているのです。

4. イエスは責めずに、言葉にしてくださる

  • 牧師によれば、ここがメッセージの中心であり、何度もくり返します。イエスは、女の問題に言葉を与えてくださるのです。
  • 「夫がないと言ったのは、もっともだ。あなたには五人の夫があったが、今のはあなたの夫ではない。あなたの言ったことはほんとうである」(ヨハネ4:17-18)。
  • この言葉は、どんな印象を残すでしょうか。責める言葉は一つもありません。イエスは事実を述べ、「あなたの言うとおりだ」とまで言われ、女は受け入れられたと感じます。誰にも言えなかったことが、やさしく言葉にされたのです。
  • この五人の夫を象徴的に読む人もいます。しかし牧師は、この文脈では、彼女自身の人生の歩みと見るほうが自然だと考えています。
  • 牧師は、同じことが今の時代に明らかにされたらどうなるかも想像します。メディアは騒ぎ立て、その人は指をさされ、その後の人生がどうなるかなど顧みられないでしょう。

5. 彼女のそばに立つのは、イエスだけ

  • 牧師は問いかけます。この女を責めない人は、誰かいるでしょうか。彼女自身はどうでしょう。いいえ、彼女はこの後ろめたさを抱えています。自分の状況がよくないことも、周りが自分を非難していることも分かっていて、そこから抜け出せずにいます。
  • 牧師は、前回のメッセージで引用したパスカルの考えに再び触れます。すべての人の心には神のかたちをした空白があり、被造物ではそれを満たすことができません。それを満たせるのは、イエス・キリストにおいて現された創造主なる神だけです。
  • 女が自分自身を責めるなら、彼女もまた、非難する人たちの側、つまり外側に立っていることになります。そうなると、彼女のそばには誰も残りません。
  • ただ一人、そこに立っておられる方がいます。イエス・キリストです。イエスは、彼女に向けられるすべての非難を一度に引き受けてくださいます。だからこそ、罪を指摘するときでさえ、その言葉にはぬくもりがあるのです。
  • 女はそれを悟ります。「主よ、あなたは預言者だとお見受けします」(ヨハネ4:19)。

6. 牧師自身の体験:自分を責めるものに言葉を与える

  • 牧師は、ごく最近これを体験しました。先日の祈祷会で、仙台ジョイフルチャーチの30周年のことを話していました。牧師たちがビデオメッセージを送り、電話で祈り、説教をし、ある牧師の家族が賛美をリードした感謝礼拝でした。
  • その家族の牧師ご夫妻は祈祷会に出席しておられ、牧師は皆の前でお礼を述べるつもりでした。ところが話を進めるうちに、すっかり頭から抜けてしまい、お礼の言葉は結局語られませんでした。
  • 会が終わったあと、非難の思いが押し寄せました。「なんてことをしてしまったのか。取り返しがつかない。」その思いは眠れなくなるほど大きくなりました。牧師自身も、それは大げさだと感じていました。
  • そこで牧師は、イエスがサマリヤの女の弱さに言葉を与えられたことを思い出し、自分に問いかけました。私の中で責められているものは何だろうか、と。すると答えが来ました。「あなたは人への気配りが足りない。」
  • この言葉が、子どもの頃の記憶を呼びさましました。小学生のとき、おばあさんに、東京から来た叔母さんを隣の村まで送るように言われました。道の途中で、叔母さんはお礼を言い、「この先の道は分かるから」と言いました。それで牧師は家に帰りました。
  • おばあさんは言いました。「気配りが足りないね。もういいと言われても、最後まで送るものだよ。」子どもだった牧師は、すぐに心配になりました。叔母さんは無事に着いただろうか、と。
  • この記憶を思い出したとき、牧師は、なぜこれほど自分を責めていたのかが分かりました。そしてその夜は、安らかに眠れました。このことで自分は責められているのではなく、サマリヤの女のように受け入れられているのだと感じたのです。

7. 「わたしもあなたを罰しない」

  • 牧師は、姦淫の現場で捕らえられた女の場面、ヨハネ8:10-11を引用します。誰も彼女を罪に定めず、イエスは言われます。「わたしもあなたを罰しない。お帰りなさい。そして、これからは、もう罪を犯してはいけない。」
  • イエス・キリストが、私たちの不器用さや足りなさにもかかわらず、私たちを赦してくださっていると気づくとき、心に解放がやって来ます。平安が訪れ、心の中の安心も与えられます。
  • もしあなたが必要以上に自分を責めているなら、イエスは、自分を責めているものに言葉を与えるよう招いておられます。「何が私をこれほど責めているのか。私の中で責められているものは何か。」
  • 言葉にすることで、あなたは自分の問題の根に触れます。そして、それもまた赦されているという確信を受け取ることができます。

心に留めたいこと

  • 私たちは自分の弱さがよく見えません。しかしイエスに触れると、弱さは光のもとに示され、解放へと導かれます。
  • 罪責感は、しばしば自分から表に出てしまいます。「ここにくみに来なくてもいいように」と言ったサマリヤの女のようにです。
  • イエスは、私たちが半分だけの真実の陰に身を守っているときでも、本当の問題にまっすぐ向かわれます。
  • イエスは責めることなく、私たちの弱さに言葉を与えてくださいます。みんなが責め、私たち自身さえ責めるとき、イエスだけが私たちのそばに立っておられます。
  • 自分を責めているものに言葉を与えることで、その根を見つけ、「わたしもあなたを罰しない」というイエスの言葉を受け取ることができます。

あなたへの問いかけ

  1. サマリヤの女のように、後ろめたさや罪責感のために、特定の人や場所を避けていることはありませんか。
  2. 誰かがあなたの痛いところに近づいてきたとき、あなたはどんな半分だけの真実の陰に身を守っていますか。
  3. 今、あなたが必要以上に自分を責めていることは何ですか。
  4. 少し時間を取って、言葉にしてみましょう。あなたの中で責められていると感じているものは何ですか。もっと昔の記憶がよみがえってきませんか。
  5. 「わたしもあなたを罰しない」というイエスの言葉を、今週どのように受け取ることができるでしょうか。

引用された聖句

よくある質問

なぜサマリヤの女は「ここにくみに来なくてもいいように」と言ったのですか。

渡辺一典牧師によれば、この言葉は彼女の痛みの深さを表しています。彼女は昼ごろ、つらい道のりを一人で井戸に来ます。ふつう女たちは、一日の終わりの涼しい時間に、いっしょに水をくみました。彼女は人を遠ざけてしまう後ろめたさを抱えていて、その重荷が、イエスへの答えの中にこぼれ出たのです。

なぜイエスは突然、彼女の夫のことを話されたのですか。

生ける水を受けるには、女が本当の問題のところで出会われる必要がありました。驚くべき助言者であるイエスは、彼女がもっとも予想していない瞬間に、そこへまっすぐ向かわれます。彼女は「わたしには夫はありません」と、半分だけの真実を語って身を守ります。

必要以上に自分を責めてしまうとき、どうすればよいですか。

説教者は、自分を責めているものに言葉を与えるよう招いています。私の中で責められているものは何でしょうか。それを言葉にすることで、問題の根に触れることができます。そのとき、ヨハネ8:11のイエスの言葉「わたしもあなたを罰しない」を受け取ることができ、平安が戻ってきます。

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