イエス様が戸をたたく:分かち合われる食卓

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すべてを変える招待

暗唱していても、本当は深く理解できていないみことばがあります。「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている」。この黙示録3章19〜21節のことばを、あなたもきっと聞いたことがあるでしょう。でも今週の日曜日、Efficient Churchのメッセージは、この箇所を新しい角度から開いてくれました。これは単なる詩的なイメージではありません。あなた個人に向けられた、とても具体的な招待なのです。戸を開けて、イエス様と食卓を囲むための招待です。

そしてその戸の向こうには、一つではなく三つの食卓が用意されています。主があなたと分かち合いたいと願っておられる、三つの愛の宴会です。この記事では、一つひとつを丁寧に見ていきましょう。今日からあなたもその食卓につくことができます。

出発点となる箇所:黙示録3章19〜21節

「わたしは、愛する者をしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって悔い改めなさい。見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。もしだれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。勝利を得る者を、わたしとともにわたしの座に着かせよう。それは、わたしが勝利を得て、わたしの父とともに、父の御座に着いたのと同じである。」

このメッセージは、黙示録に登場する七つの教会の最後、七番目の教会であるラオデキヤの教会に向けられたものです。物質的に満たされているために自分は豊かだと思い込んでいる教会。けれども主は、彼らをみじめで、生ぬるいと言われます。今日の多くの西洋の教会も、これによく似ています。活動には満ちているのに、本当に大切なことから少しずれてしまっているのです。

それでも、そこには希望があります。主は彼らを見捨てられません。解決策を差し出してくださいます。「わたしは、愛する者をしかったり、懲らしめたりする」と言われるのです。第一のステップは悔い改め、方向転換することです。そして、そのあとに素晴らしい申し出が続きます。

メッセージの構成

1. 主よ、私を正してください:悔い改めという出発点

食卓の話に入る前に、まず戸を通らなければなりません。主はまず「わたしは、愛する者をしかったり、懲らしめたりする」と言われます。あなたを愛しているからこそ、正してくださるのです。生ぬるいままにはしておきたくない。あなたを変えたいと願っておられます。

悔い改めとは、古びた宗教用語ではありません。方向を変えることです。少し離れてしまったこと、神様の代わりに他のものを置いてしまったことを認めて、立ち帰ることです。このステップは集団的なものではありません。「もしだれでも、わたしの声を聞いて」と言われています。この呼びかけは個人的なものです。あなたに向けられています。あなた個人に。イエス様が今たたいておられるのは、あなたの戸口なのです。

2. 第一の食卓:イエス様との個人的な食卓

最初の愛の食事は、個人的な交わりです。イエス様はこう言われます。「わたしは彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」ただ教会に来てほしいだけではありません。あなたの家に入りたいと願っておられます。あなたの日常の中に。

福音書の中で、イエス様がだれかの家に入られるとき、何が起こったかを思い出してください。取税人ザアカイの家では、劇的な変化が起こりました。「主よ。私の財産の半分を貧しい人たちに施します」(ルカ19:8)。同じく取税人だったマタイの家では、人生が根本から覆され、彼は一つの福音書を書き記すまでになりました。マルタとマリアの家では、心を込めて準備された食事がありました。ペテロの家では、病気だったしゅうとめが癒やされました。

では、この日々の食卓はどのようにして整えられるのでしょうか。神様のことば、祈り、そして礼拝によってです。あなたはこう言いたくなるかもしれません。「やることが多すぎて、それどころじゃないんです。子どもも、仕事も、責任もあるし」と。牧師はとてもシンプルに答えてくれました。これは本質的なことなのです。欠かすことのできないことなのです。必要なことはただ一つ、イエス様とともに食卓を囲むことです。

3. 第二の食卓:教会の食卓

二つ目の愛の食事は、教会の食卓です。私たちには二つの食卓があり、どちらも同じくらい大切です。個人的な食卓のあとに、共同体の食卓が続きます。

それが起こるのが日曜日です。イエス様は、賛美、みことば、兄弟姉妹との交わりによって、食卓を整えてくださいます。Efficient Churchでは今年、ともにさらに深く歩んでいくための新しいプログラム、いわば「少し歯ごたえのあるメニュー」が用意されています。

どちらか一方だけで満足することはできません。教会での交わりを伴わない個人的な交わりは、やがて枯れてしまいます。個人的な交わりを伴わない教会通いは、宗教になってしまいます。二つの食卓は、互いを支え合っているのです。

4. 第三の食卓:御座の食卓

ここで21節が驚くべき展開を見せます。「勝利を得る者を、わたしとともにわたしの座に着かせよう。」第三の宴会、それは天の御座です。あなたに約束された最終的な報いです。

目を天に向けてください。請求書や仕事や心配事とは別の現実があります。そこには、勝利者であるイエス様が、御座に着いておられます。そして主は、あなたにご自分のそばの席を約束してくださっています。主が勝利を収められたからこそ、あなたもまた勝利の中にいます。私たちは主にあって勝利者なのです。

これは夢物語ではありません。もっとも確かで、もっとも栄光に満ちた現実です。この世界がどんな状況にあっても、あなたがどこに目を向けても、イエス様は変わらず勝利者であられます。そしてこの御座の食卓は、最初の二つの食卓に着くことを通して、今すでに目指すことができるのです。

心に留めておきたいポイント

  • イエス様は、教会全体にではなく、あなた個人の戸口をたたいておられます。応答は一人ひとりのものです。
  • 主の懲らしめは拒絶のしるしではなく、愛のしるしです。それは回復への備えです。
  • 見逃してはならない三つの食卓があります。個人的な交わり、教会での歩み、そして天の御座です。
  • 必要なことはただ一つ、イエス様とともに食卓を囲むことです。あとのことはそこから整えられていきます。
  • 日々の現実がどうであっても、あなたはすでにキリストにあって勝利者です。

あなた自身への適用

  1. 今週、イエス様はどの食卓にまず着くようにと、あなたを招いておられますか。個人的な食卓でしょうか、教会での交わりでしょうか、それとも両方でしょうか。
  2. 休暇や困難な季節の中で、少し疎かにしてしまっていたこと、そして主が再び取り戻すようにと招いておられることは何ですか。
  3. 今のあなたを「生ぬるく」させているものはありますか。どちらつかずになっていると自分でも感じている部分はありますか。
  4. 具体的に、一日のうちどの時間を、みことば、祈り、礼拝といったイエス様との個人的な交わりのために取り分けることができますか。
  5. ただ受け取るだけでなく、今週あなたはどのように自分の教会の食卓に貢献していきますか。

引用されたみことば

よくある質問

イエス様に「戸を開ける」とは、具体的にどういうことですか。

戸を開けるとは、主の招きに個人として応答することです。頭で同意するだけでは足りません。あなたの日常に、決断の中に、あなたの家庭の中に、主を招き入れることです。まずは、心からの祈りから始まります。「主よ、私のところに入ってきてください。あなたとともに食事をしたいのです。」

なぜ一つではなく、三つの食卓があるのですか。

それぞれの食卓が、あなたのクリスチャン生活の異なる側面を養ってくれるからです。個人的な食卓はあなたの心を養います。教会の食卓は、あなたの成長とキリストのからだの中での居場所を養います。御座の食卓は、あなたの希望を養い、これから向かう先を思い出させてくれます。三つのうちどれか一つでも欠けてしまうと、大切な養いを失ってしまうのです。

ラオデキヤの教会のように「生ぬるい」と感じてしまったら、どうすればよいですか。

良い知らせがあります。イエス様は、まさに愛する者を正してくださるのです。生ぬるさは断罪ではなく、招きです。最初のステップは悔い改め、方向を変えることです。そして戸を開け、イエス様をあなたの食卓に招き、ザアカイの人生を変えたのと同じように、あなたの人生も変えていただきましょう。

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