聖書 — 口語訳 (1955)

マルコによる福音書 1

概要

マルコによる福音書1章は、四つの福音書の中で最も短いこの書を、系図も誕生の物語もなく、まっすぐ本題から始めます。バプテスマのヨハネが道を備え、イエスはバプテスマを受けて、父なる神から愛する子と宣言され、荒野に入られます。イエスは神の国が近づいたと宣べ伝え、最初の弟子たちを招き、権威をもって教え、悪霊を追い出し、病人をいやし、静かな所で祈られます。この章は福音書全体を貫く問いを投げかけます。イエスとはどなたなのか、という問いです。

この章の5つの区分

  1. 1-8節バプテスマのヨハネが主の道を備える
  2. 9-13節イエスのバプテスマと荒野での試み
  3. 14-20節神の国は近づいた:最初の弟子たちの召命
  4. 21-34節カペナウムの一日:権威、解放、いやし
  5. 35-45節静かな所での祈り、宣教、そして重い皮膚病の人のいやし

1神の子イエス・キリストの福音のはじめ。

2預言者イザヤの書に、「見よ、わたしは使をあなたの先につかわし、あなたの道を整えさせるであろう。

3荒野で呼ばわる者の声がする、『主の道を備えよ、その道筋をまっすぐにせよ』」と書いてあるように、

4バプテスマのヨハネが荒野に現れて、罪のゆるしを得させる悔改めのバプテスマを宣べ伝えていた。

5そこで、ユダヤ全土とエルサレムの全住民とが、彼のもとにぞくぞくと出て行って、自分の罪を告白し、ヨルダン川でヨハネからバプテスマを受けた。

6このヨハネは、らくだの毛ごろもを身にまとい、腰に皮の帯をしめ、いなごと野蜜とを食物としていた。

7彼は宣べ伝えて言った、「わたしよりも力のあるかたが、あとからおいでになる。わたしはかがんで、そのくつのひもを解く値うちもない。

8わたしは水でバプテスマを授けたが、このかたは、聖霊によってバプテスマをお授けになるであろう」。

9そのころ、イエスはガリラヤのナザレから出てきて、ヨルダン川で、ヨハネからバプテスマをお受けになった。

10そして、水の中から上がられるとすぐ、天が裂けて、聖霊がはとのように自分に下って来るのを、ごらんになった。

11すると天から声があった、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」。

12それからすぐに、御霊がイエスを荒野に追いやった。

13イエスは四十日のあいだ荒野にいて、サタンの試みにあわれた。そして獣もそこにいたが、御使たちはイエスに仕えていた。

14ヨハネが捕えられた後、イエスはガリラヤに行き、神の福音を宣べ伝えて言われた、

15「時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」。

16さて、イエスはガリラヤの海べを歩いて行かれ、シモンとシモンの兄弟アンデレとが、海で網を打っているのをごらんになった。彼らは漁師であった。

17イエスは彼らに言われた、「わたしについてきなさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう」。

18すると、彼らはすぐに網を捨てて、イエスに従った。

19また少し進んで行かれると、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネとが、舟の中で網を繕っているのをごらんになった。

20そこで、すぐ彼らをお招きになると、父ゼベダイを雇人たちと一緒に舟において、イエスのあとについて行った。

21それから、彼らはカペナウムに行った。そして安息日にすぐ、イエスは会堂にはいって教えられた。

22人々は、その教に驚いた。律法学者たちのようにではなく、権威ある者のように、教えられたからである。

23ちょうどその時、けがれた霊につかれた者が会堂にいて、叫んで言った、

24「ナザレのイエスよ、あなたはわたしたちとなんの係わりがあるのです。わたしたちを滅ぼしにこられたのですか。あなたがどなたであるか、わかっています。神の聖者です」。

25イエスはこれをしかって、「黙れ、この人から出て行け」と言われた。

26すると、けがれた霊は彼をひきつけさせ、大声をあげて、その人から出て行った。

27人々はみな驚きのあまり、互に論じて言った、「これは、いったい何事か。権威ある新しい教だ。けがれた霊にさえ命じられると、彼らは従うのだ」。

28こうしてイエスのうわさは、たちまちガリラヤの全地方、いたる所にひろまった。

29それから会堂を出るとすぐ、ヤコブとヨハネとを連れて、シモンとアンデレとの家にはいって行かれた。

30ところが、シモンのしゅうとめが熱病で床についていたので、人々はさっそく、そのことをイエスに知らせた。

31イエスは近寄り、その手をとって起されると、熱が引き、女は彼らをもてなした。

32夕暮になり日が沈むと、人々は病人や悪霊につかれた者をみな、イエスのところに連れてきた。

33こうして、町中の者が戸口に集まった。

34イエスは、さまざまの病をわずらっている多くの人々をいやし、また多くの悪霊を追い出された。また、悪霊どもに、物言うことをお許しにならなかった。彼らがイエスを知っていたからである。

35朝はやく、夜の明けるよほど前に、イエスは起きて寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた。

36すると、シモンとその仲間とが、あとを追ってきた。

37そしてイエスを見つけて、「みんなが、あなたを捜しています」と言った。

38イエスは彼らに言われた、「ほかの、附近の町々にみんなで行って、そこでも教を宣べ伝えよう。わたしはこのために出てきたのだから」。

39そして、ガリラヤ全地を巡りあるいて、諸会堂で教えを宣べ伝え、また悪霊を追い出された。

40ひとりの重い皮膚病にかかった人が、イエスのところに願いにきて、ひざまずいて言った、「みこころでしたら、きよめていただけるのですが」。

41イエスは深くあわれみ、手を伸ばして彼にさわり、「そうしてあげよう、きよくなれ」と言われた。

42すると、重い皮膚病が直ちに去って、その人はきよくなった。

43イエスは彼をきびしく戒めて、すぐにそこを去らせ、こう言い聞かせられた、

44「何も人に話さないように、注意しなさい。ただ行って、自分のからだを祭司に見せ、それから、モーセが命じた物をあなたのきよめのためにささげて、人々に証明しなさい」。

45しかし、彼は出て行って、自分の身に起ったことを盛んに語り、また言いひろめはじめたので、イエスはもはや表立っては町に、はいることができなくなり、外の寂しい所にとどまっておられた。しかし、人々は方々から、イエスのところにぞくぞくと集まってきた。

鍵となる聖句

1節
神の子イエス・キリストの福音のはじめ。

マルコは冒頭で、この書の題と主題を示します。神の子イエス・キリストの福音です。以下のすべての記事は、イエスとはだれかという問いに答えるために置かれています。

11節
すると天から声があった、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」。

罪人たちの間に立ってバプテスマを受けようとされたその時に、父なる神の声がイエスの身分を確証します。へりくだりと栄光は、イエスの働きの初めから一つになっています。

15節
「時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」。

この節はイエスの宣教の要約です。「時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」。神の時が来て、神の支配が近づき、求められているのは、向きを変えて、よい知らせに信頼することです。

17節
イエスは彼らに言われた、「わたしについてきなさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう」。

イエスの招きは、わたしについてきなさい、という一つの呼びかけに尽きます。働いている漁師たちに語りかけられ、使命は関係から生まれます。その逆ではありません。

35節
朝はやく、夜の明けるよほど前に、イエスは起きて寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた。

忙しい一日の後、イエスは夜明けよりずっと前に起き、寂しい所で祈られます。群衆の圧力ではなく、父なる神から方向を受け取っておられます。

この章に登場する人物

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説教が語っていること

イエスの洗礼(マルコ1章):謙遜と栄光アルチュール・ライジスは最初の15節を読み、マルコが福音を旧約聖書に根ざして語っていること、そしてイエスのへりくだりのしるしの一つ一つに、栄光のしるしが伴っていることを示します。バプテスマを群衆の中で受けられたことも含めてです。要約を読む →神の国はもう来ている:悔い改めと信仰によって入るエリム教会の牧師キャシーは、マルコ1章14節と15節から語ります。時は満ち、神の国は近づきました。悔い改めを方向転換として、信仰をそれに応える信頼として説明し、イエスの最初の一日をたどります。要約を読む →「私についてきなさい。あなたを作り変えよう」:ペテロの召命トアン・リー・ティンはペテロの召命について語り、17節の言葉を思い起こさせます。召命の中心は「わたしについてきなさい」という言葉に尽きます。イエスは失敗の中にある人をしばしば招かれ、あなたを実を結ぶ弟子にしてくださるのはイエスご自身です。要約を読む →沈黙とひとり静まる時間 すべてが叫ぶ中で神の声を聞くデイヴ・ポティエとバティストは、イエスが35節のように、たびたび寂しい所に退いて祈られたことを示します。神の声を聞くために、毎日10分の静けさを持つことを勧め、その目的は他者への愛だと語ります。要約を読む →

マルコによる福音書1章についてよくある質問

マルコ1章の中心的なメッセージは何ですか。

マルコ1章は、イエスを神の国を始められるキリスト、神の子として示します。バプテスマ、荒野での勝利、汚れた霊や病に対する権威、そして漁師たちへの招きは、神がイエスにおいて働いておられることを表しています。求められている応答は、向きを変えて、よい知らせに信頼することです。

「悔い改めて福音を信ぜよ」(マルコ1章15節)とはどういう意味ですか。

悔い改めとは、方向を変えることです。自分のやり方で生きることをやめ、神に向き直ります。信じるとは、イエスが告げ知らせるよい知らせ、つまり神の国が近づいたということに信頼することです。この二つは一緒に働き、クリスチャン生活の始まりだけでなく、毎日繰り返されるものです。

罪のないイエスが、なぜバプテスマを受けられたのですか。

クリスチャンはまず、連帯のしるしだと理解します。イエスは救おうとしておられる人々の間に身を置き、神が求めることをその人々に代わって果たし始められました。開かれた天、御霊、父なる神の声は、イエスがどなたであるかも示しています。このバプテスマの意味の強調点は教派によって異なりますが、いずれも、栄光を少しも損なわないへりくだりをそこに見ています。

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