はじめに:歴史を変える宣言
10月26日の日曜礼拝に、あなたはニュースのことで頭がいっぱいのまま来られたかもしれません。不安定な国、揺れる政府、家庭や仕事や将来にのしかかる心配事。そんな中で、二千年前にガリラヤを歩き回りながらこう語られたイエス様の声が、あなたに届きます。「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」
この朝、キャシー牧師は、みんなで学んできたマルコの福音書の続きを取り上げてくださいました。第1章でイエス様のアイデンティティ(神の子、キリスト、愛する子、主のしもべ、神の聖者)を見た後、今度はこう問いかけます。「イエス様は何をされたのでしょうか?」その答えを探るために、まるで一コマずつ映画を見るように、イエス様の歩みをたどっていきました。
すべてはマルコ1章14〜15節の二つの節に凝縮されています。時は満ちた、神の国は近づいた、悔い改めて信じなさい。この三つの柱が、今日のあなたを立て直してくれます。
メッセージの構成
1. 厳かな宣言:良い知らせが届いた
「ヨハネが捕らえられて後、イエスはガリラヤに行き、神の福音を宣べて言われた。『時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。』」(マルコ1:14-15)
その瞬間ははっきりしています。バプテスマのヨハネが捕らえられたばかりでした。イエス様は荒野とヨルダン川を離れ、緑豊かで人の多いガリラヤへと上って行き、そこで公の働きを始められます。ただ教えるだけではありません、宣言されるのです。「宣べ伝える」と訳されるギリシャ語は、使者のように厳かに告げ知らせるという意味です。これは会話ではなく、公式な宣言です。
その宣言の内容は何でしょうか。「良い知らせ」、これはまさに福音という言葉です。キャシー牧師は、私たちの人生における良い知らせの例を一緒に探しました。神の子どもになること。子どもの誕生。外出制限の終わり。癒やし。私たちはみな、ある知らせがすべてを変えてしまった瞬間を覚えています。イエス様の良い知らせも同じ種類のものですが、比べものにならないほど大きなものです。全人類、全宇宙を揺り動かすのです。
2. 時は満ちた:決定的な瞬間が来た
宣言の第一の柱は、時が満ちたということです。これはストップウォッチが止まったという意味ではありません。歴史の決定的な瞬間が来た、ということです。新しい時代が始まります。旧約聖書のすべてのページを通して、イスラエルを通して、イザヤのような預言者たちを通して、永遠から神様が抱いてこられた計画、それが今、成就の段階に入るのです。
オリンピックの開会式にたとえられるでしょう。何年もの準備、壮大な式典、そしていよいよイベントが本当に始まると告げられる瞬間。ここで語られているのはスポーツイベントではありません。人類の歴史の中で最も重要な出来事です。世界はもう、以前と同じようには理解できません。イエス様がそこにおられ、その方とともに、何か新しいことが始まっているのです。
3. 神の国は近づいた:力が到来する
第二の柱は、神の国が近づいたということです。「国」(「王国」と訳されることもあります)という言葉は、「王国」よりももっと動的な意味を持っています。ある領土というより、働く力を指しているのです。フランス王国という言葉を聞けば、まず場所を思い浮かべます。しかし神の国という言葉を聞けば、行動、権威、目には見えない形で働き始める何かを思い浮かべるのです。
キャシー牧師は二つの意味を区別されました。
- 普遍的な支配:あなたが望むと望まざるとにかかわらず、神様がすべてのものの上に主権を持っておられるゆえに、全被造物に及ぶ支配です。
- 霊的な支配:あなたが門を開くとき、あなたの心の中に打ち立てられる支配です。この支配は自動的なものではありません。あなたの応答を待っているのです。
「近づいた」とは「もうすぐそこ」という意味ではありません。「手の届くところにある」という意味です。なぜでしょうか。イエス様がそこにおられるからです。イエス様の中に、あなたは神の国に触れることができます。神様は御子という人格を通して支配するために、天を引き裂いて降って来られました。イエス様がおられるところに、御国はすでに存在しているのです。そしてそれは未来をも待っています。神様が新しい天と新しい地を一つにされ、新しいエルサレムが地上に降りて来るとき、栄光に満ちた支配が実現します。しかし今日語られているのは、霊的な支配についてです。
4. 悔い改めて信じなさい:入るための二つの鍵
第三の柱は、「悔い改めて福音を信じなさい」です。これは、イエス様がその御国に入るためにあなたに差し出してくださる二つの鍵です。悔い改めと信仰です。
悔い改めとは、まず感情のことではありません。それはUターンです。キャシー牧師は車の例えを使われました。あなたは高速道路を運転していて、突然、逆方向に向かっていることに気づきます。泣いたり、嘆いたり、自分の間違いを二十キロにわたって振り返ったりすることもできるでしょう、出口を見つけるまで。しかし本質的なことは、Uターンすることです。悔い改めとは、まさにこれです。態度と方向を根本的に変えることです。
具体的には、ハンドルをイエス様に渡すことです。「主よ、あなたが座ってください。あなたが私の人生を導いてください。私は王座から降ります、あなたが上ってください。もう私が決めるのではなく、あなたが決めてください。」
信仰は、それに伴う第二の鍵です。イエス様を、その御言葉を、その語ってくださることを信頼することです。あなたが右に曲がるのも左に曲がるのも、イエス様に頼っているからです。あなたはイエス様とともに走るのです。
悔い改めと信仰を過去の一度きりの出来事だと考えないよう気をつけましょう。クリスチャンになるとは、そこに入ることです。クリスチャンとして生きるとは、そこにとどまり続けることです。80歳、90歳、100歳になるまで、毎日この動作をやり直す必要があります。「主よ、私は自分から離れて、あなたに向き直ります。あなたが私を導いてください。」これは一度だけチェックする項目ではなく、生き方そのものなのです。
5. あなたの最初の反応:喜びと希望
この宣言を前にして、問いはこう変わります。あなたの反応はどうでしょうか。マルコの福音書は、さまざまな反応を私たちに見せてくれます。群衆の熱狂。宗教指導者たちの抵抗。時にはイエス様ご自身の弟子たちの無理解さえも。
神の国があなたの中に生み出すべき最初の反応は、喜びです。使徒ペテロが語るように、「言い表しがたい、栄光に満ちた喜び」です(第一ペテロ1:8)。そしてその喜びとともに、希望があります。世界で何が起ころうと、脅かす戦争、災害、あなたを襲う病気があろうと、神の国はすでにここにあります。あなたには、神様のもとに行き、永遠にともに生きるという希望があります。そしてこの地上でさえ、あなたは神様の御霊に導かれて前進していくのです。
6. カペナウムでのイエス様と過ごす一日
宣言を語った後、マルコはカペナウムでのイエス様との丸一日を語ります。シートベルトを締めてください、イエス様は次から次へと行動されます。ここに、その中心となる場面をいくつかご紹介します。
弟子たちを召される(マルコ1:16-20)
湖のほとりで、イエス様はシモンとアンデレを、続いてヤコブとヨハネを召されます。「私についてきなさい。人間をとる漁師にしてあげよう。」彼らは網を置いて従いました。これはとても意味深いことです。イエス様は物事を行う前に、人を求められるのです。あなたのことも、イエス様は求めておられます。そして弟子たちを召すことによって、イエス様はご自分の周りに新しい共同体を作られます。少しずつ、この共同体は成長し、前進する新しい人類、教会となっていくのです。
権威をもって教え、解放される(マルコ1:21-28)
安息日、イエス様は会堂に入り、教え始められます。聞いていた人々は驚きました。「律法学者たちのようにではなく、権威ある者として」教えられたからです。すると、汚れた霊に取りつかれた男が突然叫びます。「ナザレのイエスよ、私たちとあなたと、何の関係があるのですか。私たちを滅ぼしに来られたのですか。私はあなたがどなたか知っています、神の聖者です。」イエス様は叱って言われます。「黙れ、この人から出て行け。」霊はその人をひどく引きつけさせて出て行きます。誰もが驚きます。イエス様の評判は、たちまちガリラヤ中に広まりました。
キャシー牧師は二つのことに立ち止まられました。まず、悪霊が不本意ながら告白したアイデンティティです。イエス様は神の聖者だということです。聖さとは単なる道徳的完全さではなく、神様の本質そのものに属する属性です。「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな」と歌うとき、私たちは神様ご自身を呼び求めているのです。悪霊は、イエス様が神であることを認めているのです。
次に、霊的な戦いの現実です。神の国が始められるところでは、別の支配がそれに反対し、あなたを取り戻そうとします。あなたはすでに神の国に入っていながら、攻撃を受けることもあり得ます。だからこそ、自分自身のために、家族のために、子どもたちのために、周りの人たちのために、戦い続けるようにという招きがあるのです。
ある家で癒やしをされる(マルコ1:29-31)
会堂を出て、イエス様はヤコブとヨハネとともに、シモンの家に行かれます。シモンのしゅうとめが熱を出して寝ていました。イエス様は近づき、手を取って起こされると、熱が引きました。すぐに彼女は彼らをもてなし始めました。イエス様の優しさは、家庭の中、家族の中で示されます。あなたにも、体の面でも心の面でも苦しんでいる家族がいるかもしれません。イエス様はそうした家庭に入りたいと願っておられるのです。
一日の終わりに癒やしと解放をされる(マルコ1:32-34)
夕方、日が沈んでから、人々はあらゆる病人と悪霊につかれた人をイエス様のもとに連れて来ます。町中の人が戸口に集まりました。「イエスはさまざまな病気にかかっている多くの人を癒やし、また多くの悪霊を追い出された。」癒やしと解放は御国のしるしです。それらは良い知らせを裏づけるものです。イエス様が宣言されていることが本当であり、その支配が実際に働いていることを示しているのです。
早朝に起きて祈られる(マルコ1:35-39)
「朝、まだ暗いうちに、イエスは起きて、寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた。」疲れきった一日の後、イエス様は孤独と祈りの中で、父なる神様がご自分の働きに与えようとしておられる方向を求められます。群衆の圧力によって予定を押しつけられるままにはされません。弟子たちが見つけて「みんながあなたを捜しています」と言うと、こう答えられます。「さあ、近くの町や村へ行こう。そこでも私は宣べ伝えよう。そのために、私は出て来たのだから。」そしてイエス様はガリラヤ中を巡り、会堂で宣べ伝え、悪霊を追い出されました。
キャシー牧師は、繰り返されるこの二つの言葉、「宣べ伝える」と「悪霊を追い出す」(39節)を強調されました。宣べ伝えることが優先です。癒やしと解放はそれに伴うものですが、中心となる活動は、御国の良い知らせを告げ知らせることです。イエス様ご自身でさえ、祈りの中で父なる神様の御心を求める必要があったのなら、私たちにはなおさら必要でしょう。私たちの教会は、本当に祈りと伝道を優先しているでしょうか。
7. 日々イエス様のアイデンティティを宣言する
前回、第1章でのイエス様のアイデンティティについて、キャシー牧師はそれぞれに家庭で声に出して宣言するよう招かれました。この朝、そこに七枚目のカードが加わります。「あなたは聖なる方です。」教会で一緒に唱えた七つの宣言をご紹介します。
- あなたはキリスト、メシア、王です:私たちはあなたの支配を宣言します。
- あなたは神の子、すべてにまさる神です:私はあなたを礼拝します。
- 聖霊が来てくださったことを感謝します:今もなお吹き続けてください。
- あなたは私の心の王座を治める権威を持つ王です。
- あなたは愛する子、私のために犠牲としてささげられた方です:私はあなたを愛します。
- あなたは主のしもべです:あなたは私のためにいのちを与えてくださいました。
- あなたは聖なる方、威厳ある神です:私はあなたをあがめます。
目的は、称号を暗記することではありません。目的は、イエス様を見つめること、それがどなたであるかを思い巡らすこと、その方を愛することです。そして、まだその方の御国に入っていない方への招きはシンプルです。今すぐ、その栄光に満ちたすばらしい御国に入りに来てください。
心に留めておきたいポイント
- マルコ1章14〜15節は福音全体を要約しています。三つの宣言、時は満ちた、神の国は近づいた、悔い改めて信じなさい。これが、この後イエス様がなされるすべてのことの羅針盤です。
- 神の国はすでにここにあります。イエス様の中に、御国は近づいています。今日は霊的なものですが、新しい天と新しい地が一つになるとき、明日は栄光に満ちたものとなります。
- 入るための二つの鍵は悔い改めと信仰です。Uターンして、ハンドルをイエス様に渡すことです。これは一度きりの出来事ではなく、生き方そのものです。
- イエス様と過ごす一日は、絶えず動いています。召し、権威をもって教え、解放し、癒やし、祈り、また別の場所へ宣べ伝えに出かけます。その優先事項は宣言することです。
- この良い知らせへのあなたの反応が大切です。喜びと希望が最初の実です。そして、イエス様に従って宣教していくという献身が続きます。
個人的な適用
- あなたの国や人生の不安定さを前にして、今週、あなたはどこに信頼を置いていますか:目に見えるものにでしょうか、それともすでにここにある神の国にでしょうか。
- 悔い改めの具体的な動作は、ハンドルをイエス様に渡すことです。どの領域で(怒り、恐れ、コントロール、習慣)、今日、王座から降りる必要があるでしょうか。
- あなたの祈りの生活は、朝のイエス様の姿(マルコ1:35)に似ていますか:一日の予定を組む前に父なる神様の御心を求めていますか、それとも急ぎの用事の圧力に流されていますか。
- イエス様のアイデンティティについての七つの宣言のうち一つを選び、今週、毎朝声に出して唱えてみてください。あなたの心の中で何が変わるか、書き留めてみましょう。
- あなたの周りに、御国の良い知らせをシンプルな言葉で一度も伝えられたことのない人はいませんか。今週、それを伝えることを妨げているものは何でしょうか。
引用された聖書箇所
- マルコ 1:1・「神の子イエス・キリストの福音のはじめ。」
- マルコ 1:11・バプテスマの時、父なる神様の声。「あなたは私の愛する子、私はあなたを喜ぶ。」
- マルコ 1:14-15・宣言の始まり:時は満ち、神の国は近づいた。
- マルコ 1:16-20・シモン、アンデレ、ヤコブ、ヨハネの召命。
- マルコ 1:21-28・カペナウムの会堂での権威ある教えと解放。
- マルコ 1:29-31・シモンのしゅうとめの癒やし。
- マルコ 1:32-34・夕方、町中の人が戸口に集まる。
- マルコ 1:35-39・朝の祈りと宣教の再開。
- イザヤ 42:1・「見よ、私が支える私のしもべ、私の心が喜ぶ私の選んだ者。」
- 第一ペテロ 1:8・「あなたがたは言い表しがたい、栄光に満ちた喜びにあふれています。」
よくある質問
「神の国が近づいた」とは具体的にどういう意味ですか。
それは、イエス様というお方の中に、御国が手の届くところまで来ているという意味です。イエス様がおられるところで、神様は支配しておられます。それは地理的な王国ではなく、働く力です。今日、あなたがイエス様に心を開くとき、あなたはこの支配の中に入ります。いつの日か、この支配は新しい天と新しい地の中で完全に現れます。今はすでにここにあり、あなたの応答を待っているのです。
悔い改めと信仰は、毎日繰り返す必要があるのでしょうか。
はい。悔い改めと信仰は、クリスチャン生活への入り口だけではなく、その生き方そのものです。毎日、こう言い直すことができます。「主よ、私は自分から離れます、ハンドルをあなたにお任せします、あなたを信頼します。」クリスチャンになるとは、一度そこに入ることです。クリスチャンとして生きるとは、終わりの日まで、毎日そこにとどまり続けることです。
なぜイエス様はあれほど早く起きて祈られたのですか。
それは、必要に迫られる前に、父なる神様の御心を求めておられたからです。教え、解放し、癒やされた一日の後、翌日は群衆の求めに流されることもできたでしょう。しかしその代わりに、イエス様は寂しい所に退いて祈られ、その後こう答えられました。「他の場所へ行こう、宣べ伝えるために私は出て来たのだから。」イエス様ご自身にこの祈りの時が必要だったのなら、私たちにはなおさら必要なのです。
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