2025年10月12日、Église des Lim(ELM)の日曜礼拝で語られたメッセージです。使徒の働き27章、パウロの難破の場面から学びます。
はじめに:あなたの人生は、時に航海のようです
使徒の働き27章で、使徒パウロは囚人となっています。皇帝の前で裁判を受けるため、ローマへ向かう船に乗せられます。ごく普通の航海のはずが、やがて大惨事へと変わっていきます。風がやみ、嵐が起こり、船乗りたちは制御を失っていきます。そしてある時点で、聖書はこう記しています。彼らは「もはや助かる望みもすっかり消え去ろうとしていた」(使徒の働き27章20節、口語訳)。
もしかしたら、あなたにも心当たりがあるかもしれません。人生には、すべてが順調で、心地よい追い風が吹いているように感じる季節があります。そしてある時、状況が一変します。何もかもがうまくいかなくなる時期、いわゆる「もがき苦しむ時」です。そしてそれが長く続くと、時に難破に終わってしまうことがあります。誰かの人生も同じです。たどり着けない航海、崩れていく計画、沈んでいく夫婦関係、崩れていく健康。
だから、今朝あなたが立ち止まってくれたことは、本当に良いことです。なぜそこまで至ってしまうのか、そして何よりどうすればそこから抜け出せるのかを、一緒に見ていきましょう。聖書は私たちを壁の前に立たせたまま放っておきません。難破に至る過ちと、無事にたどり着くための神様の処方箋、その両方を示してくれています。
メッセージの構成
1. 難破に至る4つの過ち(使徒の働き27章9〜13節)
a) 警告を拒む(10節)
パウロは乗組員たちにこう警告していました。「これからの航海は、積荷や船体ばかりでなく、われわれの生命にとっても、危険と大きな損失とが伴うと思われます」(使徒の働き27章10節、口語訳)。しかし彼らは聞き入れませんでした。
誰かがあなたに警告するとき、それはあなたを怖がらせるためではありません。車にはクラクションがついていますが、それは音を立てるためではなく、危険を知らせるためのものです。人生にも警告してくれるものがあります。神の言葉、あなたの良心、忠実な友人です。問題は、その警告が自分にとって都合が悪いとき、それを黙らせてしまいたくなることです。別のことを聞きたいと思ってしまうのです。けれども、警告に耳を傾ける人は、多くの痛手を避けることができます。
b) 人間の知恵を神の言葉より優先する(11節)
「百卒長は、パウロの意見よりも、船長や船主の方を信頼した」(使徒の働き27章11節、口語訳)。二つ目の過ちです。専門家の声が神様の声と食い違うとき、私たちは専門家の声を聞いてしまいます。
あなたにもきっと心当たりがあるでしょう。周りの人がこう言うのです。「聖書をそのまま文字通りに受け取ってはいけない、今の時代はもうそういう見方はしないものだ」と。そして結局、自分にとって心地よいという理由だけで、神の言葉よりも人間の知恵に耳を傾けてしまうのです。しかし船の船長でも間違えることはあります。神の言葉は決して間違えません。
c) 多数派に従う(12節)
聖書には、「大多数の者」が再び船出することに賛成したとあります(使徒の働き27章12節)。パウロはひとり取り残されてしまいます。三つ目の過ちは、真理は多数派の側にあると信じ込むことです。
思い出してください。イエス様ご自身も、群衆が要求したから十字架にかけられたのです。もしあなたが今日クリスチャンであるなら、あなたはこの社会の中で少数派です。だからといって、他の人たちの方が正しいということになるでしょうか。いいえ、そうではありません。真理はアンケート調査の結果で決まるものではないのです。真理は神様の側にあります。たとえあなたが275人に対してパウロひとりのように、ただひとり取り残されたとしても。
d) 「かすかな南風」がもたらす思い上がり(13節)
「時に、南風がおもむろに吹いてきたので、彼らは、思う計画が達せられるものと考えて、いかりを上げ」(使徒の働き27章13節、口語訳)。四つ目の過ちは、最も見分けにくいものです。少しでも暖かさが戻ってくると、彼らは自分の運命を自分で支配していると思い込んでしまうのです。
すべてを自分が支配していると思い込むのは危険なことです。実際には、あなたが支配できるものはそう多くありません。風も、雲も支配できませんし、自分自身の人生さえ完全に支配することはできないのです。「かすかな南風」、つまり少しの良い知らせ、少しの落ち着き、少しの成功、があると、人は自分を無敵だと思い込んでしまいます。そして、まさにそのときに嵐が襲ってくるのです。
2. 嵐の中での4つの間違った反応(使徒の働き27章17〜30節)
助かる望みが消え去ろうとしたとき(20節)、船乗りたちは四つの反応を見せます。これは、あなたにも起こりうる反応です。すべてがうまくいかなくなったときに。
a) 別のところに助けを求める(17節)
彼らは船にある応急の手段を使います。それは当然のことです。あなたも同じことをするでしょう。しかし人生において、すべてが崩れ落ちるとき、あなたはどこに助けを求めますか。お金でしょうか。お金はすべてに答えてくれるわけではありません。病気になったとき、お金には何もできません。科学でしょうか。新しい治療法に望みをかけますが、すべてを治せるわけではありません。人間関係でしょうか。それも失望させることがあります。中にはオカルトに頼る人もいますが、そうした人はさらに悪い状況に陥ってしまいます。
b) 流されるままにする(17節)
風があまりに強いので、彼らは帆を下ろし、流されるままにします。もはや抵抗しないのです。人生にも、こう思ってしまう瞬間が確かにあります。「もう自分の力ではどうにもならない」と。そして諦めてしまいます。その先には、アルコール、薬物、投げやりな生活が待っています。中にはホームレスになってしまう人もいますが、それは望んでそうなったのではなく、ある時点で戦うことをやめてしまったからなのです。
c) 逃げようとする(30節)
水夫たちは恐れをなし、逃げるために小舟を海に降ろそうとします。現実があまりに重くのしかかるとき、逃げ出したいと思うことが、私たちにも何度あるでしょうか。中には、他に道がないと思い込んで、自ら命を絶ってしまう人もいます。
けれども、よく聞いてください。あなたが世界の果てまで逃げたとしても、神様のまなざしから逃れることは決してできません。詩篇の作者はこう言いました。「わたしが暁の翼を駆って海の果てに住んでも、そこでもあなたの手はわたしを導かれます」(詩篇139篇9〜10節、口語訳)。あなたがどんな辺境の島へ行ったとしても、そこには必ず誰かがいて、イエス様のことをあなたに語ってくれます。神様は愛によってあなたを追いかけてくださるからです。あなたは神様の愛から逃れることはできません。
d) いかりを降ろして待つ(29節)
「岩にでも乗り上げるのを恐れて、船尾から四つのいかりを投げおろし、夜の明けるのを待ちわびていた」(使徒の働き27章29節、口語訳)。これは麻痺状態です。もう動かない、もう決断しない、ただ耐え忍ぶだけ。多くの人生が、この意気消沈した動けない状態に落ち着いてしまいます。
3. 無事にたどり着くための神様の処方箋(使徒の働き27章33〜44節)
幸いなことに、物語はそこで終わりません。神様はパウロに希望のメッセージを送ってくださいます。「パウロよ、恐れるな‥‥見よ、神は、あなたと共に航海しているあなたがた一同を、あなたに賜わっているのだ」(使徒の働き27章24節、口語訳)。そしてパウロは、三つの具体的な処方箋を示します。
a) 神の言葉に耳を傾け、あなたの魂を養う(33〜36節)
「パウロはみんなの者に食事をとることを勧めて言った、『あなたがたが食事もせずに、今日でもう十四日間、寝食を忘れて待ち続けている』」(使徒の働き27章33節、口語訳)。
最初はパウロの言葉を拒んでいた人々が、今度は彼の言葉に耳を傾けます。これはこの箇所全体の転換点です。そしてパウロは彼らを養います。まずは体を、しかしこのイメージは魂の養いのことも語っています。あなたが最後に神の言葉で自分の魂を養ったのは、いつのことでしょうか。イエス様はこう言われました。「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言をもって生きるものである」(マタイによる福音書4章4節、口語訳)。この養いがなければ、あなたの魂は嵐の真っただ中で飢え死にしてしまいます。
b) 船を軽くする(38節)
「みんなの者は十分食べてから、穀物を海に投げすてて、船を軽くした」(使徒の働き27章38節、口語訳)。
穀物を投げ捨てるのは辛いことです。それは財産であり、お金だからです。けれども穀物を持ち続けたままでは、それと一緒に沈んでしまいます。だから彼らは選択したのです。あなたの人生にも、心があまりに多くのもので埋め尽くされていて、まるで雑多な物であふれた地下室や屋根裏部屋のようになっているものがあるかもしれません。いつか、あなたはこの地上を去ります。そのとき何も持っていくことはできません。誰ひとり、引っ越しトラックいっぱいの荷物を天国に持って行った人はいません。だから、今のうちから軽くなること、手放すことを学び、本当に大切なものを生きてください。地上のものから離れて、天とつながることを学んでください。
c) 信仰によって水に飛び込む(43〜44節)
「泳ぎのできる者はまず海にとびこんで陸に行き、その他の者は、板や船の破片につかまって行くように、命令した。こうして、いずれも無事に上陸できたのである」(使徒の働き27章43〜44節、口語訳)。
水に飛び込むことは、信仰の行為です。あなたは、安定しているように見えるもの(壊れかけていても、まだあなたを支えている船)を離れて、不安定に見えるもの、つまり水に、自分をゆだねるのです。具体的には、これは二つのことを意味します。第一に、信じること。周りのすべてがきしみ始めても、信仰によってイエス様に寄りかかることです。第二に、もしまだそうしていないなら、バプテスマの一歩を踏み出すことです。それは他の誰かがあなたに代わって決めた幼児洗礼ではなく、大人になった自分が公に「イエス様は私の救い主です、私はイエス様に従いたいのです」と告白するバプテスマです。イエス様ご自身が弟子たちに命じられました。父と子と聖霊の名によってバプテスマを授けるようにと(マタイによる福音書28章19節)。
神様が今朝あなたに語りたいこと
乗客は全員、無事にマルタ島にたどり着きました。船そのものは壊れてしまいました。そしてこれこそが、この箇所全体の中で最も力強い言葉かもしれません。神様は、あなたの船がそのまま無傷でいることを約束してはおられません。神様が約束してくださっているのは、あなた自身が必ず目的地にたどり着くということです。
物質的なものは壊れます。あなたの体そのものも、聖書では、いつか壊れる土の器にたとえられています(コリント人への第二の手紙4章7節)。しかしその器の中には、あなたの魂があります。そしてあなたの魂は永遠です。もしあなたがイエス様を自分の人生に迎え入れているなら、あなたの魂は神様のもとに帰り、神様はあなたをご自分の栄光の中に迎え入れてくださいます。もしまだ迎え入れていないなら、それはまた別の話です。
神様のみこころは、ここにいる誰ひとりとして難破しないことです。誰ひとり転覆しないことです。5年後も、10年後も、あなたが立ち続けていて、神様が助けてくださった、祝福してくださった、回復してくださったと証しできることです。しかしそのためには、四つの過ちを繰り返すのをやめ、四つの間違った反応の罠にはまらないようにし、神様の処方箋を受け取る必要があります。
覚えておきたいポイント
- 神様の警告は恵みであって、脅しではありません。神の言葉があなたの心をざわつかせるとき、一度ではなく二度、耳を傾けてください。
- 人間の知恵も多数派も、真理そのものではありません。パウロはひとりで、船中の誰よりも正しかったのです。
- 「かすかな南風」は、嵐よりも危険です。すべてが順調なときこそ、自分の運命を自分で支配していると思い込んでしまう危険が最も高いのです。
- あなたは世界の果てまで逃げても、神様から逃れることはできません。それは良い知らせです。神様の愛は、あなたを追いかけ続けてくれます。
- 神様はいつもあなたの船を救ってくださるわけではありませんが、いつもあなたの魂は救ってくださいます。大切なのは、無事にたどり着くことです。
あなた自身への問いかけ
- 今、あなたの人生の中で、聞きたくないと思っている神様からの警告は何でしょうか。
- あなたが今、より多く耳を傾けているのは誰の声でしょうか。専門家でしょうか、多数派でしょうか、それとも神の言葉でしょうか。どうしてそう言えるでしょうか。
- 今、あなたに「自分は人生を支配できている」と思わせている「かすかな南風」はありませんか。
- あなたの心を、雑然とした屋根裏部屋のように埋め尽くしているものは何でしょうか。今週、海に投げ捨てられるものはありますか。
- あなたはこれまでに、信仰によって水に飛び込んだことがありますか。もしあなたが大人の信仰者でまだバプテスマを受けていないなら、いつ水のバプテスマを受けますか。
引用聖句
- 使徒の働き 27章(口語訳) · パウロの難破
- 使徒の働き 28章1節(口語訳) ·「彼らが助かって後わかったのだが、この島はマルタと呼ばれていた」
- 詩篇 139篇9〜10節(口語訳) ·「わたしが暁の翼を駆って海の果てに住んでも」
- マタイ 4章4節(口語訳) ·「人はパンだけで生きるものではなく」
- マタイ 28章19節(口語訳) · 父と子と聖霊の名によってバプテスマを授けるようにという命令
- コリント人への第二の手紙 4章7節(口語訳) ·「わたしたちは この宝を土の器の中に納めている」
- ルカ 22章19節(口語訳) ·「わたしを記念するため、このように行いなさい」
よくある質問
自分の人生が漂流しているように感じるとき、どうすればいいですか。
まず使徒の働き27章に立ち返ってみましょう。難破に至る4つの過ち、神様の警告を無視すること、人間の知恵を優先すること、多数派に従うこと、自分の運命を自分で支配できると思い込むこと、を見つめ直してください。そして神の言葉に立ち返り、自分を縛っているものを手放し、信仰によってイエス様の腕の中に飛び込んでください。あなたの船はそのままの形では着かないかもしれませんが、あなた自身は必ず無事に岸へたどり着きます。
遠く離れていても、世界の果てにいても、神様は私の声を聞いてくださいますか。
はい、聞いてくださいます。詩篇の作者はこう言っています。「わたしが暁の翼を駆って海の果てに住んでも、そこでもあなたの右の手はわたしをとらえられます」(詩篇139篇9〜10節、口語訳)。あなたは神様の愛から逃げることはできません。神様は愛によってあなたを追いかけてくださるので、必ずどこかであなたにイエス様のことを語る人が現れます。
「水に飛び込む」とは具体的にどういう意味ですか。
二つのことを意味します。第一に、信じること。周りのすべてが崩れ落ちても、信仰によってイエス様に寄りかかることです。第二に、もしまだ大人の信仰者としてバプテスマを受けていないなら、水のバプテスマという一歩を踏み出すこと。これは、イエス様が弟子たちに命じられたように(マタイ28章19節)、イエス様が自分の主であることを公に表す証しです。
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