はじめに
EPEB Dieu Puissant(Église Pentecôtiste Évangélique de Belgique、ベルギー福音ペンテコステ教会)は、四十日間の断食と祈りの期間を過ごしています。教会の牧師たちや伝道者たちが順番にみことばを語っています。金曜日から、この教会の牧師の一人[名前は要確認]が、霊的なリバイバルをテーマに語ってきました。2026年10月25日の日曜日、牧師は三日目のメッセージを語ります。
牧師はまず、前日に学んだザアカイのことを振り返ります。富を持ち、何ひとつ欠けていないように見えながら、いちばん大切なものだけが欠けていた人です。そして、「ひざまずく民、国の運命が変わる」という副題を掲げます。取り上げる聖書箇所はヨナ書3章です。滅びを宣告された町が神の前にへりくだり、宣告が取り消される物語です。
メッセージの中心にある確信は、主が御民の間で働こうとされるときには、いつも民が最初の一歩を踏み出すのを待っておられる、ということです。そして、その最初の一歩とは悔い改めです。
メッセージの構成
1. ザアカイ:恵みを踏みにじらない
- ザアカイは、人が望むものをすべて持っていました。名声、お金、取税人のかしらという地位です。しかし、心の内側には、とても大切なものが欠けていました。
- 「人生で何もかも手に入れることはできます。しかし、あなたの内にイエスがおられなければ、あなたは不幸な人です。」
- ザアカイは背が低く、そのことが主を見る妨げになっていました。彼は自分に不利なことも、町の人々の目も気にしませんでした。恥を捨てて、木に登ったのです。
- イエスは、だれにも教えられていないのに、彼を名前で呼ばれました。「あるがままのあなたを、主は名前で知っておられます。」
- 人々は、イエスが罪人の家に入られることをつぶやきました。しかしイエスは、ご自分が何をしているかを知っておられました。失われた羊のために来られたのです。
- イエスが何も言わないうちに、ザアカイのほうから悔い改めを始めました。財産の半分を貧しい人に施し、だまし取った人には四倍にして返すと言ったのです(ルカ19:8)。「もしあなたやわたしだったら、ザアカイのようには行動しなかったでしょう。」
- この四十日間に向けた牧師の呼びかけです。「恵みを踏みにじってはいけません。」ザアカイは、キリストが通られるときに、その機会をつかみました。
2. 救いは家全体に入る
- イエスは答えられます。「きょう、救がこの家にきた」(ルカ19:9)。告白したのはザアカイでしたが、救いは彼だけにとどまらず、その家に及びます。
- 「心からイエスを信じるなら、救いはあなたの家に手の届くところにあります。救いはあなたの家族に手の届くところにあるのです。」
- あなたは、家族のために恵みを運ぶ人になれます。あなたの祈りによって家族が救われ、あなたの信仰によって家族が解き放たれることがあります。キリストは報いてくださる方、主の主であると信じるだけでよいのです。
3. 危機に立つ国
- 神はヨナに言われます。「立って、あの大きな町ニネベに行き、これに向かって呼ばわれ。その悪がわたしの前に上ってきたからである」(ヨナ1:2)。民は悪いふるまいを重ね、主はその町を滅ぼそうとされていました。
- みことばは二度目にヨナに臨みます。彼は町に入り、こう宣言します。「あと四十日すれば、ニネベは滅びる」(ヨナ3:4)。
- 「眠りがなければ、目覚めを語ることはできません。」霊的なリバイバルを語るということは、どこかに霊的な眠りがあったということです。
- 神はニネベに迫る危機をご覧になり、預言者を遣わされます。「なんという愛でしょう。滅ぼす代わりに、悔い改めの道、父のもとへ帰る道を選ばれるのです。」
- 宣告は下されましたが、選ぶのは民です。神の声に耳を傾けるか、四十日後にさばきを受けるかです。
4. ひざまずく民
- ニネベの人々は神を信じ、断食を宣言し、荒布を着ました。「大きい者も小さい者も」です(ヨナ3:5)。
- 彼らはメッセージを聞いて、こう言い合いました。わたしたちは危機にある。すべきことは、神のもとに立ち返り、悔い改めることだ。
- 牧師は教会に重ねて語ります。神の人がメッセージを聞き、断食を宣言し、教会全体を神の御顔を求めるよう招いたのです。「神は、わたしたちが霊的に眠っているのをご覧になりました。」そして問いかけます。あなたはわたしたちと共にいますか。ニネベの人々のようにしていますか。
- この知らせは王にまで届きます。王は王座から立ち上がり、上着を脱ぎ、荒布をまとって灰の上に座りました(ヨナ3:6)。ザアカイが木から降りたように、王も王座から降り、恵みの神の前にへりくだったのです。
- 王の命令により、町全体が、大きい者から小さい者まで、家畜に至るまで断食しました。だれもが力を込めて神に叫び、悪の道と暴虐から離れるようにと命じられました(ヨナ3:7-8)。
- 牧師は、自分はニネベではなくニノーヴェ(ベルギーの町)の出身だとユーモアを交えて打ち明けます。そして、自宅で妻と一緒に断食したけれど、学校に通う娘は一緒ではなかったと話します。「娘のせいではなく、わたしの責任です。」未成年の子に強いることはできなかったのです。
- 今日では、子どもと交渉し、話し合い、子どもの「いや」は考えるひまもなく返ってきます。当時は、王が署名した命令をだれも取り消すことはできませんでした。王が語れば、それは実行されなければならなかったのです。
5. 変わる運命
- 王は民に呼びかけます。「あるいは神は思い直して、その激しい怒りをやめ、われわれを滅びないようにされるかもしれない」(ヨナ3:9)。
- 「神は彼らのしたこと、その悪い道を離れたのを見て、彼らに下すと言ったわざわいを思い直して、これをおやめになった」(ヨナ3:10)。
- 「教会がひざまずくとき、神は状況を変えられます。」なぜ神はご自分の決定を変えられたのでしょうか。民がへりくだったからです。
- 「あなたがこの場所に来てささげる祈りを、軽く考えてはいけません。冗談のように扱ってはいけません。」この四十日間をむなしく過ごさず、主のみことばに耳を傾け続けてください。
6. わたしの民がへりくだるなら
- 歴代志下7章14節で締めくくります。「わたしの名をもって呼ばれるわが民が、もしへりくだり、祈り、わたしの顔を求め、その悪い道を離れるならば、わたしは天から聞いて、その罪をゆるし、その地をいやす。」
- そこには条件があります。へりくだること、祈ること、神の御顔を求めること、悪から離れることです。神は、民が呼び求めるとき、それを拒まれません。
- 教会に何かうまくいかないことがあるとき、神は、そのメッセージが御民の耳に届くための経路を探されます。御民を滅ぼさないで済むよう、いつも別の道を探しておられるのです。
- ダビデはそれを知っていました。彼は言いました。「わがたましいよ、主をほめよ。そのすべての恵みを心に留めよ。」神の前によく歩めなかった日もありましたが、ひざまずくたびに、神の恵みを求めました。
- 王であった彼が、神にわが心を探り、進むべき道を示してくださいと願いました。「教会よ、わたしたちの神に喜ばれることを求めましょう。」
- 「リバイバルは悔い改めから始まります。」わたしたちが四十日間、神の前で涙を流すために集まるのは、自分たちが優れているからでも強いからでもなく、神にわたしたちの過ちをぬぐい去っていただきたいからです。
7. リバイバルを運ぶ者は自分だけのものにしない
- サマリヤの女は、サマリヤ人とユダヤ人の対立のために、信じようとしませんでした。しかしイエスが彼女の人生を言い当てられると、イエスがどなたかを悟り、自分の町の人々のところへ走って行きました。
- 「リバイバルが一人の心に触れると、その火はほかの人にも広がります。霊的なリバイバルを自分だけのものにしてはいけません。」
- リバイバルは一人から始まり、教会全体や国全体に広がることがあります。神は、あなたを家族のため、教会のため、国のために用いることができます。
- 祈りの前に、牧師は一人ひとりを招きます。神が喜んでおられない部分、ごまかしをしてきた部分を見つめ、主との関係を見直すようにと。
心に留めたいこと
- 神が御民の間で働こうとされるとき、民が最初の一歩、すなわち悔い改めを踏み出すのを待っておられます。
- リバイバルを語ることは、霊的な眠りを認めることです。リバイバルは、へりくだり、祈り、悔い改めから始まります。
- ニネベでは、大きい者から小さい者まで、王に至るまで、町全体がへりくだりました。そして神は、宣告したさばきを思い直されました。
- 一人に及んだ救いは、その家全体に届くことがあります。あなたの信仰と祈りは、あなたの家族にとって大きな意味があります。
- リバイバルは自分だけで抱え込むものではありません。受けた人は、家族へ、教会へ、国へと伝えていきます。
自分に当てはめてみましょう
- あなたの生活の中に、いつのまにか普通だと思うようになってしまった霊的な眠りのしるしはありませんか。
- 神の前にへりくだるために「王座から」あるいは「木から」降りることを妨げているのは何ですか。地位、評判、他人の目でしょうか。
- 今、神があなたに喜んでおられないのはどの部分ですか。ごまかしをしてきた領域はありませんか。
- あなたの信仰と祈りは、どうすれば家族にとって恵みの門となるでしょうか。
- 神があなたの心の中でなさっていることを、自分だけで抱え込まず、だれに伝えられるでしょうか。
引用された聖句
よくある質問
ヨナ書3章で、なぜ神はニネベを救われたのですか。
さばきはすでに告げられていました。あと四十日で、ニネベは滅びるというものです。しかし町の人々は神を信じ、断食を宣言し、大きい者から小さい者まで、王に至るまで、悪の道から離れました。神は、彼らが自分のもとへ立ち返るのをご覧になり、下すと言ったわざわいを思い直されました(ヨナ3:10)。
霊的なリバイバルと悔い改めには、どのような関係がありますか。
牧師によれば、眠りがなければ目覚めを語ることはできません。霊的なリバイバルを語ることは、どこかに眠りがあったと認めることです。ですから、リバイバルは悔い改めから始まります。へりくだり、悔い改め、祈りは、この四十日間のすべてのメッセージに繰り返し登場します。
歴代志下7章14節で、神は何を約束しておられますか。
御民がへりくだり、祈り、神の御顔を求め、悪い道から離れるなら、神は天から聞き、その罪をゆるし、その地をいやすと約束しておられます。牧師は、そこには条件があること、そして神は御民を滅ぼさないで済むよう、いつも別の道を探しておられることを強調しています。