はじめに
あなたは長年クリスチャンだと思っているかもしれません。教会に通い、祈り、聖書を開いています。しかし本当のところ、あなたは神を本当に知っているでしょうか。それとも、一度も会ったことのない友人について人づてに聞いた話をするように、神について語っているだけではないでしょうか。
真のウェイメーカー、すなわち道を切り開く人とは、多くを語りながら実は何も知らない人ではありません。語る前に、まず知っている人のことです。そして何よりもまず知るべき方、それは神ご自身です。イエスははっきりとこう言われました。「永遠のいのちとは、唯一のまことの神であるあなたと、あなたが遣わされたイエス・キリストとを知ることです」(ヨハネ17:3)。
このメッセージは、神との表面的な会話から抜け出し、本物の関係へと入っていくための招きです。あなたを変え、あなたの内なる炎を燃え立たせ、永遠のために備えてくれる関係です。
メッセージの構成
1. 体よりも先に、霊を養う
荒野で四十日四十夜を過ごした後、イエスは空腹を覚えられました。それは人としての最も弱い瞬間であり、まさにそのときサタンがやって来ます。「あなたが神の子なら、この石がパンになるように命じなさい」(マタイ4:3)。
イエスの答えは明確でした。「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによって生きる」(マタイ4:4)。
ここでイエスが教えておられることは本質的です。確かに、あなたの体は養われる必要があります。しかし本当の優先順位は、体を生かし続けることではありません。霊を養うことです。なぜなら、あなたの体はいつか朽ちますが、あなたの霊は永遠に生き続けるからです。そしてあなたの霊が養われるのは、ただ一つのことによってです。神を知ることによってです。
すべての人間にとって最も根本的な必要は、食べることでも、飲むことでも、着ることでも、楽しむことでもありません。神を知ろうと努めることです。
2. 知るとは、学ぶことよりもはるかに深いこと
ヘブル語で「知る」という動詞は「ヤーダー」と言います。シンプルなことばですが、これは知的な知識を指すものではありません。神を知るとは、神についての情報を積み重ねることではないのです。それは、あなたの創造主との親密さ、深い関係の中に入っていくことです。
聖書は夫婦の親密さを描くのにも同じことばを用います。「人は妻エバを知った。彼女はみごもり、カインを産んだ」(創世記4:1)。知るとは、混じり合い、一つになることです。
パウロを見てみましょう。回心する前、彼はサウロと呼ばれていました。当時最も優れたラビたちのもとで学び、みことばについての知的な知識は膨大でした。彼は自分が神を知っていると、真理の中にいると確信していました。それどころか、神に仕えているつもりでクリスチャンたちを迫害するほどでした。
ところがイエスがダマスコへの道でサウロに出会われます。サウロはすべてを物語るこの問いを口ごもりながら発します。「主よ、あなたはどなたですか」(使徒9:5)。それはまるでこう言っているかのようでした。「私は何も分かっていませんでした。私が持っていた知識も、教えられてきたことも、あなたとの出会いを経験していなければ、何の役にも立たないのです」。
後にパウロはピリピの人々への手紙にこう書き記します。自分が得たと思っていたすべてのものを、「キリストを得るために、それらをちりあくたと思っている」(ピリピ3:8)と。
3. 出来事ではなく、歩み
神との出会いは、最初の一歩にすぎません。そのあとに歩みが続きます。育まれない関係は、やがて死んでしまいます。それはあなたの夫、子ども、友人との関係でも同じです。そして神との関係も同じです。
日々神と混じり合わなければ、あなたの関係はやがて消えてしまいます。あらゆる人間関係と同じように、関わりを持ち続ける必要があります。時間を共に過ごし、耳を傾け、向き合わされることを受け入れることです。
イエスは三年間、弟子たちと共に歩まれました。すべてをご自分だけで行うこともできたはずです。しかしイエスは十二人の普通の人々を選び、彼らを従うように召し、教え、ご自身を現し、父を示されました。
それでも、イエスが死なれる前夜、ピリポはこう言いました。「主よ、私たちに父を見せてください。そうすれば満足します」(ヨハネ14:8)。イエスと共に三年間過ごしても、彼はまだ理解していなかったのです。イエスは答えられました。「ピリポ、こんなに長い間あなたがたと一緒にいるのに、あなたはわたしを知らないのですか。わたしを見た者は父を見たのです」(ヨハネ14:9)。
あなたは何度、ピリポのようになったでしょうか。神が一つのことば、一人の人、一つの出来事を通してあなたの人生の中でご自身を現そうとされたのに、あなたが気づかなかったことが何度あったでしょうか。注意していてください。あなたの周りのすべてが神について語っています。神は日ごとにご自身を知らせたいと願っておられるからです。
4. 変えられるための二つの道具:祈りと黙想
神はただあなたにご自身を現したいだけではありません。神はあなたを変え、いつか顔と顔とを合わせて会う日のために備えたいと願っておられます。そしてこの変容を可能にする二つの道具があります。祈りと、みことばの黙想です(ただ読むだけではありません)。
唱えることと祈ることの間には、大きな違いがあります。読むことと黙想することの間にも同じです。
イエスと個人的に出会う前は、心が伴わないまま、長い時間たくさん祈ることができてしまいます。口は動いていても、心はどこか別の場所にあります。毎晩聖書を開いて一章読んでも、何も心に残らないことがあります。ただ良心を洗うためだけに。
イエスが本当にあなたに出会ってくださるとき、すべてが変わります。あなたはもう遠い存在に語りかけるのではなく、友に語りかけます。習慣で読むのではなく、求めて読むようになります。そして変わるのは神との関係だけではありません。あなた自身も変わり始めるのです。
「私たちはみな、顔にかかっている覆いを取り除かれて、鏡のように主の栄光を映しつつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていきます。これは、主である御霊の働きによるのです」(2コリント3:18)。
変えられるべき者とは誰でしょうか。あなたです。私です。私たちすべてです。変えられなければ、イエスに会う備えはできていないのです。
5. 指紋と御国への入り口
今日、あなたの指紋はスマートフォンやパソコンを開くための鍵です。その指には、あなたの身元が刻まれています。そして天の御国に入るためには、その指に別のアイデンティティが刻まれていなければなりません。それはイエスです。
神を知ることなしに、その知識がもたらす変容なしに、そしてキリストがあなたのアイデンティティとならなければ、そこに入ることはできません。御国は、自分自身を備える者のために備えられているのです。
覚えておきたいポイント
- あなたの最も切実な必要は肉体的なものではなく、霊的なものです。神を知ることによって霊を養うことです。
- 神を知るとは、神について知識を持つことではありません。日々神との親密さを生きることです。
- 出会いは始まりにすぎません。日々の歩みが知ることを成長させます。育まなければ、関係は死んでしまいます。
- 祈りとみことばの黙想は、神があなたをご自身の姿に変えてくださる二つの道具です。
- ホセアは二度、こう語っています。「わたしの民は知識がないので滅ぼされる」(ホセア4:6)、そして「私たちは主を知ろう、主を知ることを切に追い求めよう」(ホセア6:3)。
個人的な適用
- あなたは神との本当の親密さを生きていますか。それとも、神のために何かをすることで満足していますか。
- あなたの祈りは、友との会話に似ていますか。それとも、口はいっぱいでも心は空っぽになるような唱え言葉に似ていますか。
- 聖書を開くとき、あなたは神に出会おうとしていますか。それとも義務感から読んでいますか。
- 今週、あなたは何回「ピリポのように」、あなたにご自身を現そうとされていた神に気づけなかったでしょうか。
- あなたの内なる炎は、神を知ることによって燃え盛っていますか。それとも、消えかかってくすぶっているだけでしょうか。
引用された聖句
よくある質問
「ウェイメーカーである」とはどういう意味ですか。
ウェイメーカーとは、道を切り開く人のことです。このメッセージにおいては、何も知らずに多くを語る人(いわば「分不相応に語る者」)ではありません。証しをする前に神を深く知っている人であり、その人生が他の人のために道を開く人のことです。
自分が本当に神を知っているのか、それともただ知的に知っているだけなのか、どう見分ければよいでしょうか。
あなたの実を見てください。神についての本当の知識は変容をもたらします。それはあなたの祈りを変え(会話になります)、あなたの読み方を変え(出会いになります)、あなたの反応を変え、他者への愛を変えます。「愛のない者は神を知りません。神は愛だからです」(1ヨハネ4:8)。
私の内なる炎はほとんど消えかけています。もう手遅れでしょうか。
いいえ、手遅れではありません。みことばははっきりとこう語っています。神はくすぶる灯心を消すことはありません。もしあなたの炎が弱まっていると感じているなら、今日こそが新しい出発の日です。御霊は再びあなたに出会い、その火を再び燃え立たせたいと願っておられます。あなたがすべきことは、心をかたくなにせず、扉を開くことだけです。
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