救いの本質と目的:御言葉によって変えられて生きる(2)

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導入

クリスチャンは、自分が生きた献げ物として自らをささげるように召されていると理解した後、具体的にどのように王の祭司として生きることができるのでしょうか。ローマ12:1を黙想した後、説教者はメッセージの第二部を開くために、2節へと戻ります。そこには、短くも決定的な二つの命令があり、それがクリスチャン生活全体を決定づけます。「この世と調子を合わせてはいけません」、そして「心の一新によって自分を変えなさい」(ローマ12:2)というものです。

これらの二つの命令は、選択の余地があるものではありません。それらは、贖われた者が神に理にかなった礼拝、すなわち自分をこの世から引き離してくださった方を喜ばせる礼拝をささげる、その具体的な方法なのです。この説教は、その意味するところ、そこにある罠、そしてその解決策を、あなたと共に探っていきます。

メッセージの構成

1. 振り返り:あなたは王の祭司である

ローマ1章から11章にかけて、パウロは神が私たちに与えてくださった救い、すなわち神のあわれみ、恵み、思いやりを展開してきました。12章から、パウロは命令を次々と重ねていきます。そのすべての最初にあるのが、霊的な礼拝です。旧約の時代、イスラエルの祭司たちは動物をささげていました。しかし、あなたは自分自身を、生きた、聖なる、神に喜ばれるささげ物としてささげるのです(ローマ12:1)。この献げ物は、あなたの感謝のしるしです。罪のための唯一の犠牲は、すでにキリストにあって成し遂げられており、あなたに残されているのは、感謝の献げ物をささげることだけなのです。

「聖なる」とは、「取り分けられた」という意味です。あなたは、この世から取り分けられ、キリストと結び合わされました。聖なるものは神に受け入れられ、神が受け入れられるものは聖なるものです。そうすると、12章2節の問いは、非常に具体的なものになります。神が実際にあなたの献げ物を受け入れてくださるためには、どのように歩めばよいのでしょうか。

2. 第一の命令:この世に調子を合わせてはならない

パウロがここで用いている言葉は、「コスモス」ではありません。それは「世」あるいは「今の時代」を意味する言葉であり、悪に支配されたこの世の流れを指しています。第一ヨハネ5:19は、率直にこう述べています。「私たちは神から出た者であり、世全体は悪い者の支配下にあることを知っています」。あなたは神に属しています。しかし、この世は別の者に属しているのです。

「調子を合わせる」とは、まるでアイロンをかけた服のように、外側の型に自分を押し込ませることです。あなたの内側では、あなたはすでに救われ、変えられています。しかし、もしあなたがこの世に自分の言葉、外見、反応を形づくらせてしまうなら、あなたは仮面をかぶっていることになります。説教者はこれを、こう言い換えます。「この世の型、この世のパターンに、自分を閉じ込められてはいけません。まるでこの世に属しているかのように、この世の中で生きてはいけません」。ここで問われているのは、あなたの内側(キリストと結び合わされている状態)と、あなたが外側に見せているものとの間の隔たりです。

3. この世のパターンとは、その価値観のこと

具体的に言えば、この世には独自の価値観、意見、幸福の定義、尊敬される仕事の定義、美しさ、正しさ、普通であることの定義があります。説教者はそのいくつかを挙げます。何が人を幸せにするか、子どもの将来のために何を決めるか、どんな職業が称賛されるか、どんな服を着るか、お金を何に使うか、自由な時間を何に使うか、何を善、何を悪と呼ぶか、どこへ、誰と、どんな言葉づかいで行くか。人の目には、これらすべてが受け入れられるもののように見えるかもしれません。しかし御言葉の目には、神の栄光を求めないすべてのものには、神への反逆の刻印が押されているのです。

パウロがクリスチャンたちに向けて(「ですから、兄弟たち、私は……勧めます」と)書いているのは、内側では救われていながら、それでも外側では世に調子を合わせてしまうクリスチャンが存在するからです。パウロはあなたにこう思い起こさせます。あなたは取り分けられ、キリストと結び合わされ、神のものとなり、神のあわれみの対象となったのだと。主人に仕えるしもべとして、あなたの第一の思いは、「私の主は何を望んでおられるだろうか」であるべきなのです。

4. 明快な並行箇所:第一ペテロ1:14〜16

「調子を合わせる」という動詞は、新約聖書の中でわずか二回しか使われていません。二回目に登場するのは、第一ペテロ1:14〜16です。「従順な子どもとして、以前、無知であったころに従っていた欲望に自分を合わせてはいけません。むしろ、あなたがたを召してくださった聖なる方に倣って、あなたがた自身もあらゆる行いにおいて聖なる者となりなさい。『あなたがたは聖なる者となりなさい。わたしが聖なる者だからである』と書いてあるからです」

論理は同じです。ローマ12章では、この世に調子を合わせるな。第一ペテロ1章では、自分の欲望に調子を合わせるな。理由は同じです。神は聖なる方であるゆえに、あなたも聖なる者として、自分を神にささげなければならないのです。

5. 決して混じり合わない二つの王国

使徒26:17〜18で、主はパウロを遣わし、「彼らの目を開いて、闇から光へ、サタンの力から神へと立ち返らせる」ようにされます。二つの王国が対立しています。サタンの王国と、神の王国です。あなたは今やキリストに属し、その御国を受け継ぐ者です。一方、この世は敵の支配下にあります。

信仰を持たない人々と、あなたは多くのものを共有しています。仕事、住んでいる地域、時には趣味、そしてしばしば肉による家族です。しかし、霊的には、あなたは別の陣営に属しています。ヤコブ4:4は、はっきりとこう断言します。「この世との友情は神に対する敵意です。ですから、この世の友となりたいと思う者は、自分自身を神の敵としているのです」。これは、人とのあらゆる接触を避けるということではありません。主イエス様ご自身も、取税人や罪人たちと食事を共にされました。病んでいる人々のために来られたからです(マルコ2:17)。しかし、自分の罪を認めようとしないこの世は、イエス様を憎みました。「世がわたしを憎むのは、わたしがそのわざの悪いことを証しするからです」(ヨハネ7:7)。

6. 世に置かれてはいるが、世に調子を合わせてはいない

ヨハネ17:14〜16に記された主イエス様の大祭司としての祈りは、あなたの立場を明らかにしています。「わたしが世のものでないように、彼らも世のものではありません。わたしがお願いするのは、彼らを世から取り去ってくださることではなく、悪い者から守ってくださることです」。神は、あなたが回心したその日に、あなたを世から取り去ることもできたはずです。しかし神はそうなさいませんでした。神は、あなたを通してご自分の栄光を現すために、あなたをその場にとどめておかれたのです。

ですから、あなたはこの世と関わり合いながらも、この世に同調しているわけではありません。一つのことを意識しておく必要があります。あなたも、かつてはこの世に属していたのだということです。あなたの肉は、今もこの世の呼びかけに敏感なままです。エペソ2:1〜3が示しているように、サタン、この世、そして肉は結託し、あなたに本物の霊的な戦いを課してくるのです。

7. この世の流れに対するクリスチャンの警戒心

パウロが、すべての実践的な命令の先頭にこの警告を置いているのは、その危険が絶えず存在するからです。テレビ、新聞、SNS、広告、ドラマ、ニュース。こうした流れの全体が、絶え間なくこの世の価値観をあなたに送り込んでいます。「ただの情報」に見えるものでさえ、しばしば神を否定する考え方を運び、反逆を「かっこいい」生き方として見せ、神から離れたところにある満足を推し進めているのです。

説教者は、旧約聖書からある表現を借りてきます。「自分の門を開く」とは、自分の心を開くことです。まるで自分の心の扉を大きく開け放つかのように、画面の前でくつろいで座ってはいけません。何の防御もないままインターネットの前に身を置いてはいけません。これは律法主義ではなく、霊的な現実主義です。詩篇19:7は、あなたにこう思い起こさせます。「主のおしえは完全で、たましいを生き返らせる。主のあかしは確かで、浅はかな者を賢くする」。無防備に自分の門を開いてしまった者を賢くするのは、御言葉なのです。

主イエス様ご自身が、父にこう願われます。「彼らを真理によって聖別してください。あなたのみことばは真理です」(ヨハネ17:17)。御言葉は、この世があなたの内に置いていったものから、あなたを清めてくれるのです。

8. 一つの身近な例:この世に疲れた姪

説教者はこう語ります。ある日、義理の両親の家で、一人の若い学生(成人した娘)が、疲れきった様子で彼のそばに座りに来ました。彼女の大学生活は、ファッション、食べ物、コンサート、そして「BeReal」のような流行のSNS(若者たちがいつでも一緒に写真を撮り合うもの)を中心に回っていました。夜、家に帰れば、テレビはニュースの洪水をつけっぱなしにしています。彼はただ、一緒に讃美歌を聴くことを提案しました。二人は歌い、ある聖句の意味を探り、御言葉が教えてくれることを分かち合いました。少しずつ、その若い女性の目が輝きを取り戻し、賛美が湧き上がり、二人は一時間、神をほめたたえて過ごしました。

とてもシンプルな出来事ですが、そこには本質が示されています。御言葉は心を洗い、生き返らせ、喜びを与えます。もしあなたが、毎日一、二時間をこの世の流れの前で過ごし、御言葉にはわずか三十分しか割いていないとしたら、そのバランスは明らかに崩れています。律法主義的になりたいわけではありません。あなたは、自分が何を聞き、自分の心に何を入れているのかについて、はっきりと自覚していたいのです。

9. 第二の命令:自分を変えていただきなさい

2節の第二の命令は、「心の一新によって自分を変えなさい」というものです。ギリシア語の形は命令形の受動態であり、継続のニュアンスを持っています。「絶えず、自分を変えていただき続けなさい」ということです。あなたを変えるのは神です。あなたの責任は、その神の働きの下にとどまり続けることなのです。

ここでの問いは、もはや内側と外側の隔たり(この世の型)についてのものではありません。むしろその逆、すなわち内側と外側の一致についてです。あなたはすでに、新しい誕生によって内側で変えられています。あなたの外側の歩みを、その内側にある新しさに合わせて調整していきなさい、ということです。

「変えられる」という動詞は、新約聖書の中でわずか四回しか登場しません。ここと、変貌山の記事の中で二回(マタイ17:1〜3、マルコ9:2)、そして第二コリント3:18です。変貌山では、イエス様の内側にある栄光が外側に現れました。内側と外側が一致したのです。これがモデルです。あなたの変容とは、キリストがすでにあなたの内側で成し遂げてくださったことに、あなたの目に見える生き方を一致させていくことなのです。

10. 「心の一新」:それはどう働くのか

「一新」という言葉も、新約聖書の中でわずか二回しか登場しません。ここと、テトス3:5です。「神は、私たちが行った義のわざによってではなく、ご自分のあわれみによって、聖霊による再生と一新との洗いを通して、私たちを救ってくださいました」。再生とは、一度きりの新しい誕生のことです。一新とは、日々新たにされていくことです。用例はわずか二つですが、そこに含まれる概念は計り知れないほど大きいものです。

ガラテヤ6:14〜15は、それに近い言葉を用いています。「しかし、私にとっては、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇るものが決してあってはなりません。この十字架によって、世は私に対して十字架につけられ、私も世に対して十字架につけられているのです。割礼を受けているか受けていないかは、大した問題ではありません。大切なのは、新しく造られた者であることです」。この世は、もはやあなたを支配する力を持っていません。大切なのは、あなたが新しい創造物であるということなのです。

この一新は、聖霊の働きです。あなたの内に住まわれる御霊が、あなたから取り去られることは決してありません。あとは、御霊がどのように働かれるかを知ることです。その答えは明確です。御言葉を通してです。

11. エペソ5章とコロサイ3章:二つの箇所、一つの同じ方程式

エペソ5:18〜20はこう命じています。「御霊に満たされなさい。詩と賛美と霊の歌によって語り合い、主に向かって心から歌い、また賛美しなさい。いつも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって、父なる神に感謝しなさい」。

コロサイ3:16〜17は、並行する文脈の中でこう命じています。「キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせなさい。知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め合い、詩と賛美と霊の歌によって、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい」。

この二つの冒頭の命令を比べてみてください。「御霊に満たされなさい」(エペソ5章)と、「キリストのことばがあなたがたのうちに豊かに住むようにしなさい」(コロサイ3章)。その後に続く内容は、ほぼ同一です。歌うこと、感謝すること、妻たち、夫たち、子どもたち、しもべたち……。こうしてあなたは、「御霊に満たされる」ということが具体的に何を意味するのかを理解します。それは、キリストのことばを、あなた自身の内に豊かに住まわせることなのです。

「住む」という言葉は、家というイメージを呼び起こします。御言葉を、あなたの人生の中に住まわせなさい。「豊かに」という言葉は、控えめな量を意味しているのではなく、「あふれるほどに、限りなく」という意味です。これは、理論的な知識を積み重ねることではありません。御言葉を、あなたの考え方、話し方、行動、お金の使い方、気晴らしの仕方、奉仕の仕方といった、生き方のすべてに適用していくことなのです。

12. 同じ動きの中にある祈りと従順

祈りは、脇に置かれるものではありません。むしろその逆です。あなたが聖書を開くとき、あなたは主に、理解する助けを求めます。読んだことを実行しようとするとき、あなたは主に力と導きを求めます。こうして聖霊は、御言葉をページの上から、あなたの人生の中へと移してくださるのです。「自分の努力だけで」聖化されようとし、御言葉をおろそかにするクリスチャンは、乾いたままになります。御言葉を伴わない感情的な熱意だけで聖化されようとするクリスチャンは、移り気になっていきます。祈りをもって受け止められ、生きられる御言葉。これこそが、変容のメカニズムなのです。

13. 第二コリント3:18:栄光を仰ぎ見て変えられる

第二コリント3:18。「私たちはみな、覆いを取り除かれた顔で、鏡のように主の栄光を映しつつ、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられていきます。これは、御霊なる主の働きによるのです」。この文脈の中で、パウロは、イスラエルがキリストを見ることなく旧約聖書を読んでいたことを思い起こさせます。彼らの心には覆いがかかっていたからです(第二コリント3:14〜16)。この覆いが取り除かれるのは、「主に向き直るとき」だけです。

聖霊は、あなたからこの覆いを取り除いてくださいます。こうして、祈りをもって御言葉を読むとき、あなたは実際に主の栄光を仰ぎ見ることになります。そして、その栄光を仰ぎ見ることによって、あなたは「同じかたちに」変えられていきます。それは、あなた自身の力によってではなく、あなたを少しずつキリストに似た者へと調整してくださる御霊によってなのです。

14. 律法主義の罠:自分の力で自分を変えようとすること

多くのクリスチャンが、自分の意志の力によって、神の求めておられる基準にまで自分を引き上げようとします。彼らは、力ずくで聖さに到達しようとするのです。しかし、このやり方自体が、実はこの世に調子を合わせることなのです。それは、努力や施しや苦行によって神を満足させようとする、この世の諸宗教の方法にほかなりません。それは、マタイ23:27に描かれたパリサイ人たちに似ています。「あなたがたは白く塗った墓のようなものです。外側は美しく見えても、内側は死人の骨やあらゆる汚れでいっぱいです」。

人の目には、このやり方は敬虔さのように見えます。しかし神の前では、それは恵みを無視した偶像礼拝にほかなりません。あなたに必要なのは、自分の罪を告白し、悔い改め、自分をすべて主にお委ねし、御霊の助けによって御言葉によって変えていただくことなのです。

15. あなたの唯一の務め:御言葉を通して主を見つめること

あなたには、罪に打ち勝つ力はありません。あなた自身の努力だけでは、敗北の上にさらなる敗北を重ねる結果にしかなりません。あなたの責任は、自分自身を変えることではなく、御言葉を通して主を見つめ続けることです。ヘブル12:2はこう語ります。「信仰の創始者であり完成者であるイエスから目を離さないでいなさい」。第二テモテ2:8も、同じことを繰り返します。「死者の中からよみがえられたイエス・キリストを、いつも心に留めていなさい」。

御言葉を通して、あなたは神の聖さを学び、自分の罪に気づかされ、赦しを受け取り、主の真実さを味わい、その愛を発見し、その美しさを見るようになります。そのとき、あなたは神に霊的な礼拝をささげます。それは「そうしなければならないから」ではなく、神を知ることが、義務を感謝へと変えてくれるからです。こうして、あなたの献げ物は、聖なる、神に喜ばれるものとなっていくのです。

覚えておきたいポイント

  • クリスチャンの霊的な礼拝(ローマ12:1)には、二つの具体的な姿勢が求められます。この世に調子を合わせないこと、そして心の一新によって変えていただくことです。
  • 「調子を合わせる」とは、内側はクリスチャンのままでありながら、外側の生き方をこの世の型に押し込ませてしまうことです。それは仮面です。
  • 世全体は悪い者の支配下にあり(第一ヨハネ5:19)、この世との友情は神に対する敵意です(ヤコブ4:4)。あなたは、世から取り去られてはいませんが、それは神の栄光を現すために、世の中に置かれているのです(ヨハネ17:14〜16)。
  • 「御霊に満たされる」(エペソ5:18)ことと、「キリストのことばを豊かに自分の内に住まわせる」(コロサイ3:16)ことは、同じ現実を表す二つの言い方です。生活に適用された御言葉こそ、御霊があなたを変えてくださる通り道なのです。
  • あなたは自分の力で自分を変えるのではありません。あなたは御言葉の中で主の栄光を仰ぎ見ます。そして御霊が、あなたを栄光から栄光へと変えてくださるのです(第二コリント3:18)。

個人へのアプリケーション

  1. 典型的な一日の中で、あなたはこの世の流れ(画面、SNS、ドラマ、ニュース)の前にどれくらいの時間を過ごし、御言葉の前にどれくらいの時間を過ごしていますか。このバランスは、何を明らかにしていますか。
  2. 服装、仕事、お金、人間関係、言葉づかいなど、クリスチャンとしての内側があるにもかかわらず、この世の型があなたの外側の生き方を押し込めていると感じる領域はありますか。
  3. 今週、聖書を開くとき、まず聖霊に、主の栄光を仰ぎ見るために覆いを取り除いてくださいと願うことから始めてみますか。
  4. 「自分の意志の力でやり遂げよう」という罠に対して、あなたは今どこに立っていますか。最近の敗北の中で、あなたを恵みへと連れ戻してくれた出来事を一つ挙げられますか。
  5. 最近聞いた、あるいは読んだどの御言葉を、今週、従順のうちに、あなたの内に「豊かに」住まわせたいと具体的に願いますか。

引用された聖句

FAQ

「この世に調子を合わせない」というのは、世から離れて生きることですか。

いいえ、そうではありません。主イエス様は、父に、私たちを世から取り去ってくださいとは願われず、悪から守ってくださいと願われました(ヨハネ17:15)。あなたは、家族、仕事、隣人、友人と共に、この世の中にとどまり続けます。それは、神の栄光を現し、その御言葉を宣べ伝えるためです。あなたが拒むのは、この世の価値観、優先順位、そして型を取り入れることなのです。

自分がこの世の型に「押し込められて」いるかどうか、どうすれば分かりますか。

あなたの内側(自分がキリストにあってどういう者であるかを知っていること)と、あなたの外側(言葉づかい、選択、時間とお金の使い方、見ているもの)との間の隔たりを見てください。あなたの内側にキリストがおられるにもかかわらず、目に見える生活が信仰を持たない人のそれと変わらないなら、あなたは仮面をかぶっています。型に押し込められているということです。

具体的に、どうすれば自分を変えていただくことができますか。

変容は、あなたの意志からではなく、神から来るものです。あなたの責任は、一つの言葉に集約されます。それは、御言葉の中で主の栄光を仰ぎ見ることです。御霊に、覆いを取り除き、理解し実行する助けを与えてくださいと祈りながら。キリストのことばを、あなたの内に「豊かに」住まわせなさい(コロサイ3:16)。読み、黙想し、従い、祈りなさい。この営みを通して、聖霊があなたを少しずつキリストの姿に変えてくださるのです(第二コリント3:18)。

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