はじめに
ルカの福音書19章には、イエスがエリコの入り口で、エルサレムへ上る途中にほぼ立て続けに語られた二つの出来事が収められています。まず、群衆から軽蔑されていた取税人のかしら、ザアカイとの出会いです。次に、主人が長い旅に出る前にしもべたちにお金を託す、十ミナのたとえです。二つの物語ですが、テーマは一つです。あなたのところに来た救いは、決して目に見えないままではとどまらない、ということです。それは、あなたが自分の人生をどう方向転換するかに、また、神があなたに託されたものをどう管理するかに、はっきりと表れるのです。
ルツ牧師は、私たちに「救いを受け取った」ということだけで満足しないようにと招きます。あなたはすでにクリスチャンかもしれません。バプテスマを受け、教会員かもしれません。しかし、あなたが受けた恵みは、今もあなたの日常の中に生きているでしょうか。それとも、古い習慣の中に薄まってしまったでしょうか。そして、主が旅立つ前にあなたに手渡されたこの一枚のコイン(あなたの信仰、あなたの賜物、あなたの健康、あなたの時間)を、主が遅れておられる間、あなたはどうしているでしょうか。
メッセージの構成
1. ザアカイ:イエスの聖さが、あなたに欠けているものを明らかにする
- ザアカイは富み、力を持ち、憎まれていました。彼の人生はお金であふれていましたが、本当の友には恵まれていませんでした。
- 彼は走り出し、子どものように何のためらいもなく、いちじく桑の木に登ります。もはや失うものは何もなかったのです。
- イエスは、ザアカイが何も言わないうちから、彼の名を呼ばれます。そして、自ら彼の家に泊まると告げられます。
- イエスがただそこに存在するだけで、一言の非難もなしに、ザアカイが成功した人生だと思い込んでいたすべてが、あらわにされます。
2. 救いが到来したことを証しする告白
- ザアカイは、心の中で考えるだけにとどまりません。イエスの前で声に出して、根本的な回心を宣言します。
- 彼は自分の財産の半分を貧しい人々に与え、だまし取った金額の四倍を返済します。これは律法をはるかに超える行為です。
- 彼の人生は180度変わります。決断、口にした言葉、公の場での約束。
- イエスは答えられます。「今日、救いがこの家に来ました。」
3. 十ミナのたとえ:神が託されたものをどう用いるか
- ある身分の高い人が、王位を受けるために旅立ちます。彼は十人のしもべそれぞれに一ミナ(およそ100日分の賃金に相当)を渡します。
- 二人のしもべはそれを増やします。十ミナ、五ミナ。王は彼らをほめ、町々の支配権を任せます。
- 三人目のしもべは、恐れから自分のミナを隠しておきました。「あなたは厳しい方です……」王はそのミナを取り上げます。
- 王の支配を拒む反逆者たちは死刑に処せられます。このたとえは、来たるべき御国について語っているのです。
4. 持っている者は、さらに与えられる
- 「持っている者はさらに与えられ、持たない者は持っているものまでも取り上げられる。」これは不公平なのではなく、御国の原則なのです。
- 最初から大きな信仰や大きな祈りの力を受け取る者はいません。すべては小さなことから始まります。
- あなたが忠実に用いるものを、神は増やしてくださいます。あなたが隠しておくものは、やがて失われてしまいます。
- あなたの永遠の状態は、神があなたにすでに託されているものを、今日どのように管理するかにかかっているのです。
覚えておきたいポイント
- 救いとは、過去に唱えた祈りだけではありません。それは、方向転換した人生によって証しされるものです。
- イエスの聖さは、あなたを罪の自覚に導くために、説教をする必要はありません。ただそこにおられることで十分なのです。
- 神の前で、また証人たちの前で声に出して語られた霊的な決断は、心の中だけの決意よりも、あなたをより強く縛ります。
- 受けた恵みには、すべて逆向きの重力が働きます。油断すれば、あなたはゆっくりと、かつて離れた場所へと戻ってしまいます。
- 小さなことにおけるあなたの忠実さが、神がこの世で、そして永遠において、あなたに何を託されるかを決めるのです。
実践のための問いかけ
- キリストとの出会い以来、あなたの人生は本当に180度方向転換しましたか。それとも30度、90度、150度だけでしょうか。まだ方向転換すべき部分は何でしょうか。
- あなたが長い間心に抱えていながら、神の前や兄弟姉妹の前で一度も声に出したことのない決断はありませんか。それを今日実行できない理由は何でしょうか。
- 今、神があなたに託しておられる「ミナ」とは何でしょうか。賜物、健康、自由な時間、人間関係、機会でしょうか。あなたはそれを増やしていますか、それとも隠していますか。
- あなたが自分の救いについて考えるとき、何に拠り所を置いていますか。かつて受けた大いなる恵みでしょうか、それとも今日の忠実な歩みでしょうか。
- もし今夜イエスが来られて、あなたに報告を求められたら、何をお見せしますか。何を見せることを恐れるでしょうか。
引用聖句
- ルカの福音書19:1-10 · 取税人ザアカイ
- ルカの福音書19:11-27 · 十ミナのたとえ
- ルカの福音書16:10-12 · 小さなことに忠実であること
- レビ記6:1-7 · 五分の一を加えた弁償
- 出エジプト記22:1 · 盗んだものの四倍または五倍を弁償する
よくある質問
なぜイエスは、ザアカイのようにこれほど軽蔑されていた人の家に自ら泊まられたのでしょうか。
それはまさに、イエスが来られた目的そのものだからです。イエスご自身がこう言われます。「人の子が来たのは、失われた者を捜して救うためです。」ザアカイは道を見失ったアブラハムの子です。イエスは彼のもとに来られたのであって、その逆ではありません。群衆は彼を排除しようとしましたが、イエスは彼の名を呼び、彼のもとに行かれたのです。
ザアカイは四倍を返すことを「強制された」のでしょうか、それとも自分から進んで行ったのでしょうか。
モーセの律法は、場合によっては四倍または五倍(出エジプト記22:1)、場合によっては五分の一を加えるだけ(レビ記6:5)という弁償を定めていました。ザアカイは、求められる最低限をはるかに超えています。これは法的な強制ではなく、心から出た動きです。彼の過剰なまでの気前のよさこそが、彼の回心の深さを測る尺度なのです。
自分のミナを隠しておいたしもべは、地獄に落ちるのでしょうか。
このたとえは、まず主のしもべたち、すなわち自分を主のものだと言う人々に向けられています。何も増やさなかった者は、託されたものを取り上げられます。これは、実を結ばないクリスチャン生活に対する厳しい裁きです。一方、たとえの最後で死刑に処せられる反逆者たちは、王の支配を積極的に拒む人々を表しています。二つの異なる警告であり、どちらも重大なものです。
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