はじめに
大切な書類に署名するとき、あなたであることを証明するために署名や印を押した経験があるかもしれません。単純な行為ですが、それは証明であり、確認であり、約束です。パウロはエペソ人への手紙の中で、この古代の「証印」というイメージを用いて、はるかに大きな出来事を語っています。それは、あなたの人生に押された聖霊の証印です。この証印こそ、あなたが神の家族に迎え入れられたことを示す証なのです。
このペンテコステの主日、黙想はエペソ人への手紙第一章11節から14節に注目します。パウロはこの箇所で、3節から始まる大いなる賛美をしめくくっています。ギリシア語では一つの文として続く、途切れることのない流れです。この流れの中で、使徒は私たちを、父・子・聖霊の御業を見つめる旅へと導きます。そしてその中心に、あなたに直接関わる問いが置かれています。あなたが神のものであることを、どうして知ることができるのでしょうか。その答えは、この簡潔な言葉の中にあります。「あなたがたも、約束された聖霊をもって証印を押された」。
説教の構成
1. 獄中にあっても溢れる賛美
パウロはこの手紙を獄中で記しています。日々の恵みが手に入らない状況にあります。それでも彼は、溢れるばかりの賛美を書き記します。なぜでしょうか。それは、日々与えられるもののためだけでなく、何よりも決して揺らぐことのない救いの偉大な御業のために、神を賛美することを彼が学んでいるからです。地上の試練は、天の祝福を仰ぎ見ることを妨げません。むしろその逆です。
神がある恵みをあなたに与えてくださらないように見えるとき、あなたは主が成し遂げてくださったことに目を留めるよう招かれています。愛のゆえに、御自分のものと呼ぶ子どもたちを救うと決めてくださった父の御業に。この計画全体の要である御子の御業に――この賛美の中で「彼にあって、キリストにあって」という表現が九回も繰り返されます。そして信じる者たちに証印を押しに来られる御霊の御業に。父・子・聖霊は力を合わせて、罪のゆえに死んでいた者たちに命を与え直してくださいます。
2. 「私たち」から「あなたがた」へ ― 形をなす一致
パウロは代名詞を巧みに用います。11節と12節では「私たち」と語ります。私たちは相続分を受け、あらかじめ定められ、キリストに望みを置きました。この「私たち」とは、ユダヤ教から出た信者たち、約束されたメシアに最初に望みを置いた人々を指します。
そして13節で「あなたがた」に変わります。あなたがたもまた信仰に導かれ、証印を押されました。この「あなたがた」とは、異教から出た信者たち、エペソに多くいた人々、主にパウロ自身の働きを通して後から福音を聞いた人々です。
そして14節で再び「私たち」に戻ります。聖霊は私たちの相続の保証となってくださいます。「私たち」と「あなたがた」はもはや一つになっています。これはすでに、パウロが10節で語った「万物をキリストにあって一つに集める」という出来事の、目に見える最初のしるしです。かつて対立していた兄弟姉妹が、今は一人の頭のもとに平和のうちに結ばれています。キリストにあっては、もはやユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もありません。あらゆる抑圧、性別をめぐる争い、社会的な序列は、教会にはもはや居場所がありません。あるのはただ、一人の父の子どもたちだけです。
3. 聖霊の証印 ― 確証と所属のしるし
古代社会において、証印は二つの役割を果たしていました。第一に、それは手紙を確証するものでした。手紙にろうを垂らし、そこに証印を押すことで、その手紙がどこから来たかを確実に知ることができました。考古学者たちは、時にはヒゼキヤ王の時代、つまりイエス・キリストよりずっと以前にさかのぼる証印を数多く発見しています。
聖霊の証印は、あなたのうちで働いておられるのが確かに神御自身であることを告げます。自己暗示ではありません。人間が自らの弱さを支えるために作り出した支えでもありません。それは、この世界を超えたまったく他なる神、この救いの御業が神から出たものであることを証しする御霊です。
次に、証印は所属を示すしるしでもありました。裕福な主人は、自分の奴隷にこの印を押し、その奴隷が自分のものであることを示しました。しかし注意が必要です。新約聖書ではこのイメージは転換されます。私たちはもはや奴隷ではありません。救いの御業は、まさにあなたを罪の奴隷状態から解放することにあります。パウロはローマ人への手紙で明確にこう記しています。「あなたがたは人を再び恐れに陥れる、奴隷の霊を受けたのではなく、子とする霊を受けたのです。私たちはその御霊によって『アバ、父よ』と呼びます。」
聖霊の証印は、あなたが奴隷としてではなく、神の家族の息子として、娘として、神に属していることを示します。それはあなたが神の子とされた証です。新約聖書が他の箇所で「聖霊のバプテスマ」と呼んでいるものです。あなたが神に立ち返り、御名を告白し、キリストに信仰を置くとき、神は御自身の側から働かれます。あなたに証印を押し、御霊によってバプテスマを授け、御自分の子として迎え入れてくださいます。イエスの洗礼のときと同じように、あなたに向かってこう宣言されます。「これはわたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。」
4. 相続の保証 ― 御国の前味
パウロはさらに、聖霊が私たちの相続の保証となると付け加えます。この箇所は、御霊が私たちに保証を渡すと言っているのではありません。御霊御自身が保証である、と言っているのです。すなわち、来るべき相続の、今すでに支払われた手付金です。来るべき世界が、あなたの現在の人生に入り込んでくる出来事です。あなたに、あなたが本当に神の家、神の家族、神の御国に属しており、まだ完全には現れていないこの御国に、すでにあずかっている者であることを告げる保証です。
日々の生活の中で、この御霊の現臨を具体的にどう見分けることができるでしょうか。いくつかの仕方があります。御霊があなたの霊とともに、あなたが神の子であることを証しし、「アバ、父よ」と叫ばせてくださるとき。御霊の実があなたの人生の中に育っていくとき――愛せなかったものを愛せるようになり、赦せなかったところで赦せるようになり、試練のただ中にあっても平安でいられるようになるとき。聖霊があなたに賜物を与え、兄弟姉妹、隣人に仕えるために整えてくださるとき。
そしてこの現実を、あなたは聖餐のときにも味わいます。イエスはこの食事が、御国の宴のしるしとなること、家族全員が集められる天の宴の前味となることを望まれました。使徒の働きは、初代教会が喜びと真心をもって聖餐にあずかっていたことを記しています(使徒の働き2章46節)。この喜びこそ、来るべき希望の現実を前もって味わう喜びなのです。
覚えておきたいポイント
- 賛美は試練を超える。 パウロは獄中でこの手紙を記しました。あなたの祈りは、置かれた状況の良し悪しにではなく、神の御業の偉大さに根ざしています。
- 教会は、キリストにあって万物が一つに集められることの、目に見える最初のしるしです。 「私たち」と「あなたがた」はもはや一つです。神の御前には、民族、身分、性別の壁はもうありません。
- 聖霊の証印は確証と養子縁組のしるしです。 それは、あなたのうちで働いておられるのが確かに神であることを証し、あなたが奴隷としてではなく子として神に属していることを示します。
- 御霊はあなたの相続の保証です。 ただ手付金をもたらすのではなく、御霊御自身が手付金なのです。すでに御国の一部が、あなたの現在の人生に入り込んでいます。
- 聖餐は御国の宴を前もって味わわせてくれます。 聖餐にあずかるたびに、あなたは神が備えておられる天の家族という現実を、前もって味わっているのです。
自分への適用
- 今のあなたの人生の中で、パウロの獄中生活に似たものは何でしょうか。その試練の中にあっても、置かれた状況ではなく、神の救いの御業に根ざした賛美を神にささげることができるでしょうか。
- あなたの教会には、「私たち」ではなく「彼ら」として見てしまっている兄弟姉妹はいませんか。聖霊の証印は、あなたにどのような見方の変化を求めているでしょうか。
- あなたが神に属しているという確信は、何に根ざしていますか。自分の努力、感情、霊的な実績でしょうか。それとも、御霊があなたのうちに押してくださった証印でしょうか。
- 最近、御霊の実があなたの人生の中で育っていくのをどこで見ましたか。愛せなかったものを愛し、赦せなかったことを赦し、平安でいられなかった場所で平安を得られるようになったのは、どこでしょうか。
- あなたは聖餐をどのように受け止めていますか。習慣として、それとも神の家族全員が集められる天の宴の前味として。
引用聖句
- エペソ人への手紙 1:11-14 ― 三位一体の賛美と御霊の証印
- エペソ人への手紙 1:3-10 ― これに先立つ大いなる賛美の文
- ローマ人への手紙 8:15-17 ― 子とする御霊と相続
- ヨハネの黙示録 7:3-4 ― 神のしもべたちに押される証印
- 使徒の働き 2:46 ― 初代教会とパンを裂く喜び
- ガラテヤ人への手紙 3:28 ― もはやユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もない
よくある質問
聖霊の証印とは、具体的にどういうものですか。
それは、あなたがキリストに信仰を置いたときに、神があなたの上に御霊のしるしを押してくださる行為です。この証印には二つの働きがあります。あなたのうちで働いておられるのが確かに神であることを証しすることと、あなたが神の家族の子として迎え入れられたことを示すことです。新約聖書では、この同じ現実を「聖霊のバプテスマ」とも呼んでいます。
聖霊の証印は、水のバプテスマと同じものですか。
いいえ、違いますが、両者は結びついています。プロテスタント福音派の視点では、水のバプテスマは、あなたが御霊によって証印を押されたことを公に告白し、祝う目に見える行為です。証印そのものは、あなたが信仰を持ったときに神が行われる目に見えない御業であり、あなたを御自分の子として迎え入れてくださることです。水のバプテスマは、この内なる現実を告白するものです。
御霊が自分のうちにおられることを、具体的にどう知ることができますか。
いくつかのしるしが与えられています。御霊はあなたの霊とともに、あなたが神の子であることを証しし、「アバ、父よ」と叫ばせてくださいます。御霊の実があなたの人生の中に育っていきます。愛せなかったものを愛せるようになり、赦せなかったことを赦せるようになり、試練のただ中にあっても平安でいられるようになります。そして、御霊はあなたに賜物を与え、兄弟姉妹、隣人に仕えるために整えてくださいます。
メモを取ったり質問したりするにはサインインしてください。