はじめに
このメッセージは、Église Évangélique de Pentecôte de Nantes の連続講解シリーズ「イエスは誰に祈っていたのか」の一回です。牧師はまず、新しい世界が生まれつつあると語ります。コロナ禍は国々と私たちの行動の仕方を変え、戦争は人々の心から平和を奪いました。「イエス・キリストの教会は困難な状況の中で働くよう召されていますが、神は私たちとともにおられます。」
牧師は問いに戻ります。イエスは十二人とどのように働かれたのでしょうか。イエスは彼らを選び、教え、遣わし、報告を求め、そして祈られました。イエスがこの人たちになさったことを、今日召される人々にも同じようになさいます。
メッセージの流れ
1. イエスは十二人を、ご自分のそばに置くために選ばれた
- マルコ3章13〜19節:イエスは山に登り、ご自分が望む者たちを呼び寄せ、十二人を立てられました。彼らを自分のそばに置くため、そして宣教に遣わし、悪霊を追い出す権威を持たせるためです。牧師は順序を強調します。第一に、イエスとともにいることです。
- ペテロと名づけられたシモン、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ(イエスは彼らを「雷の子」を意味するボアネルゲと呼ばれました)、そしてアンデレ、ピリポ、バルトロマイ、マタイ、トマス、アルパヨの子ヤコブ、タダイ、熱心党のシモン、「イエスを裏切った」イスカリオテのユダです。
- この選びは、父が御子に示されたものです。それでも「失礼な言い方ですが、彼らは荒削りの原木でした」。それぞれに個性があり、この十二人を育てるのは、イエスにとってもいつも簡単だったわけではないでしょう。
- 牧師が励まされるのは、「私たちもまた神の選びの中にいる」ということです。神は私たちに責任を委ね、私たちを責任ある者としてくださいました。
2. イエスは教えるために多くの時間を割かれた
- マルコ6章6節:イエスは周囲の村々を巡って教えられました。四つの福音書を通して、イエスは教えることに多くの時間を費やしておられます。
- 栄光のうちに天へ戻られる前に、イエスは弟子たちに世界規模のビジョンを示されました。行って、父と子と聖霊の名によってバプテスマを授け、教え、弟子とすることです(マタイ28章19〜20節)。
- イエスは非常に深い教えを授け、この立派な神殿が取り壊され、一つの石も他の石の上に残らないことを明らかにされました(マタイ24章1〜2節)。これは紀元70年、ティトスのもとで成就しました。
3. 二人ずつ遣わされ、主に信頼される
- マルコ6章7節:イエスは十二人を呼び寄せ、汚れた霊に対する権威を与えて、二人ずつ遣わし始められました。「十二を二で割れば六」、つまり六組が出発しました。
- マルコ6章12〜13節:彼らは悔い改め、すなわち「神への立ち返り」を宣べ伝えました。多くの悪霊を追い出し、多くの病人に油を注いでいやしました。牧師は笑って言います。もし次の日曜日に、まだ信仰を持っていない人々に油を注いだら、帰りに「そんな教えをどこで見つけたのですか」と聞かれるでしょう。けれども、その教えは確かに聖書にあります。
- 「イエスは使徒たちの後を追いかけませんでした。彼らを信頼されたのです。」
- マルコ6章30節:帰ってきた使徒たちは、自分たちが行ったことと教えたことをすべてイエスに報告しました。今日も、牧会チームの一人ひとりが牧師に報告するのと同じです。
4. 「あなたがたの手で食物をやりなさい」
- マルコ6章34節:舟から上がったイエスは大勢の群衆を見て、彼らが飼い主のいない羊のようであることを深くあわれみ、いろいろなことを教え始められました。
- マルコ6章35〜36節:弟子たちは、ここは人里離れた場所でもう時間も遅いので、群衆を解散させるように言いました。牧師は、夜はすぐに訪れるので不自然な話ではないと言います。しかし弟子たちは、イエスに助言するところまで行ってしまいました。
- イエスは彼らの言うことを聞き入れません。「あなたがたの手で食物をやりなさい」(マルコ6章37節)。
- 今日への適用:教会が「ここは人里離れた所で、もう時間も遅い」と言って、人々をいやし手や霊媒師のもとへ送り返してはなりません。牧師は、創始者が天に召されたとたんに崩れてしまったいやしの働きについて話します。また、「たいまつを受け継ぐために」いやしの賜物を受けられるよう祈ってほしいと頼んできた女性のことにも触れます。
- 教会は、神の力が闇の力よりも大きいことを知らなければなりません。牧師は、ある火曜日の夜の祈り会で、霊媒師の女性が神の力のもとで倒れ、恐れて帰ってしまったクリスチャンたちがいたことを語ります。そして兄弟たちに言います。「祈りなさい。悪霊を追い出しなさい。兄弟たち、それがあなたがたの務めです。」
5. パンの奇跡からいのちのパンへ:ふるい分けが起こる
- ヨハネ6章1〜6節:イエスが病人に行う奇跡を見て、大勢の群衆がついてきました。イエスはピリポに尋ねます。「どこからパンを買ってきて、この人々に食べさせようか。」これは彼を試すために言われたことで、イエス自身は何をしようとしているかを知っておられました。
- ピリポとアンデレは「縦割り」の考え方で答えます。そしてパンの増やしの奇跡が起こります。この奇跡を通して、神は教えておられました。
- ヨハネ6章15節:人々が自分をむりやり王にしようとしているのを知って、イエスはひとり退かれました。牧師は、大統領が「心配しないで、食べ物はすべて私が与えます」と言う場面を思い描きます。それは、今日の人々が求めていることです。
- ヨハネ6章26節:「あなたがたがわたしを尋ねているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからである。」牧師は、夜眠る前に6章全体を読むようにすすめます。
- 霊的な適用:天からのパンをお与えになったのはモーセではなく、奇跡を行われたのは神です。そしてイエスは、ご自分がいのちのパンであることを明らかにされます。
- ヨハネ6章60節:多くの弟子たちが言いました。「これはひどい言葉だ。だれがそんな言葉を聞いておれよう。」牧師は「ふるい分けが起こった」と述べます。残ったのは十二人だけでした。
- ヨハネ6章67節:イエスは十二人に言われました。「あなたがたも去ろうとするのか。」
- ペテロは答えます。「主よ、わたしたちは、だれのところに行きましょう。永遠の命の言をもっているのはあなたです。わたしたちは、あなたが神の聖者であることを信じ、また知っています」(ヨハネ6章68〜69節)。
- 「これは私たちの考えにはないことです。それでも、主はこのように働かれたのです。」この奇跡は、イエスご自身がいのちのパンであることを示して終わります。
6. 仕事が増えるほど、イエスはよく祈られた
- マルコ6章45〜46節:その直後、イエスは弟子たちを強いて舟に乗せられました。群衆を解散させたのはイエスご自身です。それから、夕方の大嵐の前に、祈るために山へ行かれました。
- 「私が驚かされるのは、イエスが祈りに費やされた時間の長さです。仕事が増えるほど、イエスはよく祈られました。」
- 牧師たちの間でも、見方は同じです。仕事がどれほどあっても、「神との親密な交わりを保たなければなりません」。祈る時間を取らなくなったら、「どうなるかはよく分かっています」。
7. ヨハネ:雷の子から愛の使徒へ
- ルカ9章51〜56節:エルサレムへ向かう途中、イエスは使いの者を先に送り、サマリヤ人の村で宿を整えさせようとされました。しかし、イエスがエルサレムへ向かっていたので、村人は受け入れませんでした。
- ヤコブとヨハネは言いました。「主よ、お望みなら、天から火を呼び下して、彼らを焼き払ってしまいましょうか。」牧師は「失礼ですが、まさにペンテコステ派でしたね」と冗談を言います。
- イエスは振り向いて、二人をおしかりになりました。
- それでもヨハネは、福音書と手紙の中で、愛の使徒になったのではないでしょうか。「師の学び舎で、彼の人生はなんと変えられたことでしょう。」この人たちの内にすべての働きを始められたのは、主です。
- 牧師はユーモアを込めて問いかけます。もし誰かに足を踏まれたら、「失礼ですが、あなたの足が私の足の上にあります。どうか穏やかに、兄弟らしく、どけていただけませんか」と言うでしょうか。
心に留めたいこと
- イエスは、まず十二人をご自分のそばに置くために選ばれました。あなたもまた神の選びの中にいて、神から責任を委ねられています。
- イエスは多くを教え、弟子たちを二人ずつ遣わし、彼らを信頼し、報告を受けられました。
- 「あなたがたの手で食物をやりなさい」:教会は群衆を他の場所へ送り返すのではなく、神の力をもって仕えるよう召されています。
- イエスはいのちのパンです。奇跡やパンのためについていくだけでは足りず、ふるい分けは必ず起こります。
- 仕事が増えるほどイエスはよく祈られ、牧師は神との親密な交わりを保つようすすめます。師の学び舎で、「雷の子」は愛の使徒になりました。
個人への適用
- イエスのために遣わされたいと願う前に、「イエスとともに」いる時間を取っていますか。
- 神はあなたにどんな責任を委ねておられますか。また、イエスのために行っていることを、誰に報告していますか。
- イエスが「あなたがたの手で食物をやりなさい」と言われているのに、あなたが「送り返したい」と思っている人はいませんか。
- あなたは、イエスが与えてくださるもののために求めていますか。それとも、いのちのパンであるイエスご自身を求めていますか。
- 仕事が増えたとき、祈りも増えますか。それとも、真っ先に消えてしまうのは祈りですか。
引用された聖句
- マルコによる福音書3章13〜19節
- マルコによる福音書6章6〜13節
- マルコによる福音書6章30〜46節
- マタイによる福音書28章19〜20節
- マタイによる福音書24章1〜2節
- ヨハネによる福音書6章
- ルカによる福音書9章51〜56節
よくある質問
なぜイエスは弟子たちを二人ずつ遣わされたのですか。
マルコ6章7節で、イエスは十二人を呼び寄せ、汚れた霊に対する権威を与えて、二人ずつ、つまり六組に分けて遣わされました。牧師は、イエスが彼らの後をついて回ったのではなく、信頼されたのだと強調します。帰ってきた使徒たちは、自分たちが行ったことと教えたことをすべてイエスに報告しました(マルコ6章30節)。
「あなたがたの手で食物をやりなさい」とはどういう意味ですか。
弟子たちは、ここは人里離れた場所でもう時間も遅いからと、群衆を解散させるようイエスに助言しました。イエスはそれを退け、人々に食べさせる責任を弟子たちに委ねられました。説教者によれば、教会は群衆をいやし手や霊媒師のもとへ送り返すのではなく、自ら仕えるべきなのです。
雷の子ヨハネは、どのようにして愛の使徒になったのですか。
ルカ9章54節で、ヤコブとヨハネは、自分たちを受け入れなかったサマリヤ人の村に天から火を下そうとしました。イエスは二人をおしかりになりました。それでも同じヨハネが、福音書と手紙の中で愛の使徒となります。それは師の学び舎の実りです。