「私たちに行かせてください」:神に前進を願い出る勇気(列王記第二6章)
もう出発の一線を越えなければ、と感じる季節があります。片足は後ろに、片足は前に。ためらってしまう時があるものです。列王記第二6章1〜7節で、預言者の弟子たちはエリシャのもとへ行き、とてもシンプルな祈りを口にします。「私たちに行かせてください」。この三つの言葉には、現状の気づき、許可を求める思い、一致して決断する姿勢、そして動き出す信仰が込められています。このメッセージ(ニース・ラリアン教会、サミュエル・マブー師)は、あなたが前進しようとする時に神が何を望んでおられるかを、この箇所から丁寧に読み解いていきます。
記事の構成
- 気づき:神はあなたが願い出るのを待っておられることが多い
- 解決策:大きな決断の前には許可を求める
- 共同の働き:それぞれが自分の梁を切り出す
- 神の同在:承認と備え
- 借りた斧:神はあなたの小さな問題にも心を配られる
1. 気づき:神はあなたが願い出るのを待っておられることが多い
この物語はとても具体的な訴えから始まります。「ご覧のとおり、私たちがあなたとご一緒に住んでいる場所は狭すぎます」(列王記第二6章1節)。興味深いのは、この願いがエリシャからではなく弟子たちから出ていることです。エリシャはこの建物で教えていたのですから、それを見ていたはずです。それでも彼は、弟子たちが必要を言葉にするのを待ちました。
神との関係もしばしばこのようなものです。もしあなたが、場所が狭すぎる、ある季節が終わった、新しいプロジェクトが生まれようとしている、と感じているなら、神はあなたよりずっと前からそれをご存じです。まだ余裕があった頃から、すでに知っておられました。それでも神は、あなたがそれを求め、信仰を行動に移すのを待っておられます。
イエス様も福音書の中で同じことをなさいます。物乞いの盲人に「あなたに何をしてほしいのか」と尋ねられます(マルコ10章51節)。答えは明らかなはずです。それでも主は、あなたが求め、呼び求め、言葉で信仰を言い表すのを待っておられます。
また、こうも言われます。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい」(マタイ9章37〜38節)。収穫が見えているなら、なぜ直接働き手を送らないのでしょうか。それは、主が私たちからそれが生まれることを望み、私たちの祈りへの応答として私たちを用いたいと思っておられるからです。
これはマタイ7章7〜8節でイエス様が約束されていることです。「求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見つかります。門をたたきなさい。そうすれば開かれます。だれでも求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれるのです。」現代の大リバイバルは、そのほとんどが、ある特別な祈り方をしていた小さな祈りのグループから始まっています。多くの場合、居間や小さな部屋で始まりました。神は彼らなしでもそれを起こせたはずです。それでも神は、彼らが立ち上がるのを待たれました。
2. 解決策:大きな決断の前には許可を求める
「ヨルダン川まで私たちに行かせてください」(列王記第二6章2節)。気づくことは大切ですが、解決策を探すことはさらに大切です。そしてその解決策は、許可を求めることから始まります。
人生の大きな決断の前には(実は小さな決断の前にも)、神に許可を求める習慣を身につけましょう。神の承認、神の御手による確認を求めるのです。結婚、仕事、引っ越し、不動産の購入や賃貸、結ぶべき契約。師である神の確認を求めずに踏み出さないようにしましょう。
この姿勢こそが弟子の特徴です。弟子は自分の良いアイデアだけに満足しません。自分の計画を神の前に差し出し、ゴーサインを待つのです。
3. 共同の働き:それぞれが自分の梁を切り出す
「そこで、私たちはめいめい一本の梁を切り出し、そこで新しい住まいを建てましょう」(列王記第二6章2節)。この箇所は、少数の弟子や一部の弟子について語っているのではありません。預言者の弟子たち全員について語っているのです。
神の承認を得るためには、一致が欠かせません。彼らは共に、場所が狭すぎることに気づきます。共にエリシャのもとへ行きます。共に木を切りに行きます。それぞれが自分の梁を持ち寄りますが、すべては共同の建物のために合わせられます。
教会のプロジェクトは、もはや牧師だけのもの、長老たちだけのもの、古くからの一部の家族だけのものではありません。それはあなた自身のものにもなるのです。これは聖書的な体の論理です。私たちはキリストを要の石とする、生ける石の組み合わされた建物です(第一ペテロ2章4〜6節)。神は幕屋の設計図をお与えになりましたが、それを実際に作ったのは人間でした。神は箱舟の設計図をお与えになりましたが、それを建てたのはノアとその息子たちでした(創世記6章)。神は神殿の設計図をお与えになりましたが、それを建てたのはソロモンと民でした。神は城壁の再建を促されましたが、それを立て直したのはネヘミヤとその兄弟たちでした(ネヘミヤ記2章)。あなたは主のしもべの一人にすぎませんが、なくてはならないしもべなのです。
信仰とは何もしないことではありません。ヤコブ2章17節が語るように、信仰は行いによって証明されます。弟子たちは許可を求めた後、実際に動き出します。ヨルダン川へ行き、木を切り倒し、日が照っている間は働き続けます。主が戻って来られた時に、働いている姿を見つけていただきましょう。
4. 神の同在:承認と備え
エリシャは「行きなさい」と言いますが、一人の弟子はさらに願います。「どうか、しもべたちと一緒に来てください」(列王記第二6章3節)。彼らにとって、神の承認だけでは十分ではありません。神の同在も求めているのです。
あるプロジェクトにおける神の同在こそが、たとえ試練の中にあっても、すべてがうまくいくという唯一の確かな保証です。あなたが取り組むどんなことにおいても、問うべき唯一の問いはこれです。「この計画において、神は私と共におられるだろうか」。
エリシャが承諾すると、弟子たちはもう考え込みません。すぐに行動に移ります。自分たちの持ち物や、置かれた状況を見て躊躇したりはしません。神の承認さえあれば、動き出すには十分なのです。承認には備えが伴います。荒野の民は四十年も歩き回ることを予定していたわけではありませんでしたが、神がエジプトからの脱出を承認しておられたので、最後まで備えてくださいました(出エジプト記16章)。神がその事柄に関わっておられるなら、神は必ず備えてくださいます。
5. 借りた斧:神はあなたの小さな問題にも心を配られる
ある弟子が木を切っていると、「斧の頭が水に落ちてしまいました。彼は叫びました。『ああ、わが主よ、それは借り物でした』」(列王記第二6章5節)。これは小さな話ではありません。当時、鉄の道具は高価であり、しかもそれは彼自身の持ち物ですらなかったのです。
神の人はただ、それがどこに落ちたのかを尋ねます。すると「エリシャは一本の木切れを切り、それをその場所に投げ入れました。すると斧の頭は浮かび上がりました」(列王記第二6章6節)。預言者は「それを取り出しなさい」と言い、その人は手を伸ばして取り上げます。
神はプロジェクトという大きな扉を開くことだけで満足されません。工事現場で起きる小さなアクシデントにも目を留めてくださいます。あなたが経験するどんなことも、神にとって小さすぎるということはありません。借りた斧、行き違った約束、思いがけない請求書。神が承認された計画の中を歩んでいる時、神は沈んだものを引き上げるために、いつもそばにいてくださいます。
心に留めておきたいポイント
- 神はあなたよりもずっと前からあなたの必要を見ておられますが、それでもあなたがはっきり願い出るのを待っておられることが多いのです。
- 大きな決断をする前には、時間を取って主に許可を求めましょう。
- 一致なしに、神のためのしっかりした建物は建ちません。それぞれが自分の梁を切り出し、すべてを持ち寄るのです。
- 信仰とは何もしないことではありません。許可を受けたなら、動き出す必要があります。
- 神の承認には備えが伴います。それは工事の最も小さな細部にまで及びます。
あなたへの適用
- あなたの人生の中で「狭くなった建物」、つまり一度も祈りの中で神に持ち出したことのないものは何ですか。今日、それについて神に何を伝えたいですか。
- 今取り組んでいる決断(仕事、人間関係、関わり、購入など)の中で、まだはっきりと神の承認を求めていないものはありますか。
- 教会や家族のどんなプロジェクトにおいて、あなたはまだ傍観者のままでいますか。神は、あなたに梁を切り出すよう招いておられませんか。
- 信仰によって動き出す代わりに、「腕を組んだまま」神がすべてしてくださるのを待っている領域はありませんか。
- 「借りた斧」、つまり祈るには小さすぎると思っている具体的な悩みで、今夜、主にゆだねる必要のあるものはありますか。
引用された聖句
- 列王記第二6章1〜7節・「ヨルダン川まで私たちに行かせてください……」
- マタイ7章7〜8節・「求めなさい。そうすれば与えられます。」
- マタイ9章37〜38節・「収穫は多いが、働き手が少ない。」
- マルコ10章51節・「あなたに何をしてほしいのか。」
- ヤコブ2章17節・「信仰も、行いがなければ、それだけでは死んだものです。」
- 第一ペテロ2章4〜6節・「生ける石……キリストは要の石。」
- ネヘミヤ記2章・エルサレムの城壁の再建。
よくある質問
神がすでに私の必要をご存じなら、なぜ私が願い出るのを待たれるのですか。
それは、神が結果だけでなく、関係を求めておられるからです。願い出るという行為は、神の主権を認める信仰の行為です。イエス様ご自身がこう言われます。「求めなさい。そうすれば与えられます」(マタイ7章7節)。神は、静かな介入だけでなく、あなたの祈りを通してあなたの人生に関わりたいと願っておられます。
自分が担っているプロジェクトを神が承認しておられるかどうか、どうすれば分かりますか。
持続する内なる平安、聖書との一致、信仰において成熟した兄弟姉妹からの確認、そして扉が開かれるか閉ざされるか。これらはすべて手がかりとなります。預言者の弟子たちは、エリシャの「行きなさい」という言葉と、共にいるという約束を得てから初めて動き出しました。識別の段階を飛び越えないようにしましょう。
教会や家族のプロジェクトが何年も進まないままの時、どうすればよいですか。
列王記第二6章のこの箇所は、遅れることと拒絶されることを混同しないよう教えてくれます。信仰とは何もしないことではありません。願い求め続け、一致を求め、動き出し、自分の梁を切り出しましょう。結果があなた次第でなくても、主があなたを働いている姿で見つけてくださいますように。
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