壊れた祭壇を築き直す:信仰の三つの決断

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はじめに

2026年8月23日の日曜日、沼津教会では心揺さぶられる二つの証しが語られました(人生を変えた三つの出会いについて語った横浜教会のノザワ・マサシさんと、四十年にわたる奉仕について語った蒲田教会のヤマグチ・ミツオさん)。そのあと、オギノ・マツ牧師が列王記第一18章を開き、壊れた祭壇の再建について語りました。エリヤはカルメル山で、バアルの預言者四百五十人を前にただ一人立っています。民は迷い、心を決めかねています。アハブ王はシドンの王女イゼベルを妻に迎えたことでバアル礼拝を持ち込み、主の祭壇は崩れたままになっていました。この状況を前にして、エリヤは天からの火を求めることから始めませんでした。まず十二の石を集めて祭壇を築き直すことから始めたのです。火が下るのはそのあとです。今、あなたの心もこの壊れた祭壇のようになっているかもしれません。あなたもまた、それを築き直すことができます。

構成

1. 主の祭壇を築き直すとは、まず礼拝を回復すること

エリヤは民に向かって、「わたしのところに近寄りなさい」(列王記第一18:30)と言い、それから壊れていたものを築き直します。オギノ牧師はここで強調します。旧約聖書における祭壇は、礼拝を表すだけでなく、すでにイエスの十字架を指し示しているのです。イザヤ書6章がそれを示しています。預言者イザヤが神殿に入り、主を見たとき、彼がまず満たされたのは感動ではなく、自分自身の汚れに対する痛切な自覚でした。祭壇から取られた燃える炭が彼の唇に触れます。この祭壇は、イエスの犠牲を予め示すものなのです。

礼拝とは、ただ一緒に賛美し、祈り、みことばを聞くことだけではありません。それらは手段にすぎません。目的は、十字架で示された神の愛に対して、あなたの感謝を献げることです。神に感謝しながら、神が嫌われることをわざと続けることはできません。礼拝するとは、次の一週間を神の心を自分の心として生きるという決断を、毎週日曜日に新たにすることなのです。

2. 築き直すとは、たとえ愚かに見えても、ただシンプルに神を信じること

エリヤは石を積み直すだけでは終わりません。祭壇の周りに溝を掘り、十二個の水がめの水を、いけにえの上に注がせます。しかも三度です。これから燃やそうとしているものに水を注ぐ人などいません。世の目から見れば、それは愚かなことであり、効率が悪く、無駄なことです。それはまさに、あなたの信仰が周りの人々の目にどう映るかということと同じです。

「疲れているのに日曜の朝から教会に行くなんて、たいしたものだね」。あなたはこの言葉を、からかい半分に、あるいは同情半分に、何度聞いたことがあるでしょうか。オギノ牧師は思い起こさせます。主ご自身は、あなたの信仰のひとつひとつの行いを、永遠の重みをもって受け止めてくださっているのです。いと小さい者に与えられた一杯の水(マタイ10:42)も、病人のためにささやかれた祈りも、忠実に守られた礼拝出席も、そのすべてが、イエスご自身にささげられたこととして受け取られます。天に着いたその日、あなたはこう聞くことでしょう。「よくやった、良い忠実なしもべだ。」

3. 築き直すとは、みことばに立って祈ること

ささげ物のとき、エリヤは進み出てこう祈ります。「アブラハム、イサク、イスラエルの神、主よ。あなたがイスラエルにおいて神であられること、私があなたのしもべであること、また私がこれらすべてのことを、あなたの仰せによって行ったことを、今日知らせてください」(列王記第一18:36)。「あなたの仰せによって」です。エリヤは思いつきで行動しているのではなく、自分の考えで神に挑んでいるのでもありません。神が語られたことに従い、そのみことばを手にして天に向かうのです。

オギノ牧師ははっきりと語ります。答えられる祈りとは、みことばに根ざした祈りなのです。毎日、時間を取ってください。一章でも、三章でも、できるなら十章でも構いません。ただ、あなたが神に語りかける前に、神があなたに語られるままにしてください。神のみことばは、神がなそうとしていることをあなたに示してくださいます。そうすれば、あなたもエリヤのように、確信をもって神に願い求めることができるのです。

覚えておきたいポイント

  • 天からの火は、崩れた祭壇には下りません。まず、あなたの礼拝を築き直してください。
  • 旧約聖書における祭壇は、イエスの十字架を指し示しています。真の礼拝はすべて、恵みへの感謝から始まります。
  • 世が無駄だと呼ぶもの(日曜日の礼拝、人知れずささげる祈り、隠れた奉仕)を、神は永遠の重みをもって受け止めておられます。
  • 力ある祈りとは、長い祈りのことではなく、みことばに根ざした祈りのことです。
  • 神は生きておられます。今も、沼津で、横浜で、あなたの町で、あなたの家で働いておられます。

自分自身への適用

  • 今、あなたの内なる祭壇は、どこが壊れているでしょうか。やめてしまった祈り、放っておいた聖書通読、形だけになった礼拝でしょうか。
  • 今週、神があなたに「いけにえの上に水を注ぐ」ように求めておられることは何でしょうか。他人の目には愚かに見えても、神の前では正しいとわかっていることです。
  • あなたが次に献げる大きな祈りを、どのみことばの上に置くことができるでしょうか。
  • あなたの静かな証し(ノザワさんにヨハネ3:16を開いて見せた、耳の聞こえない口のきけない青年のような)は、どのようにして誰かを御国へと導く入り口になり得るでしょうか。
  • 今日この日から、石をひとつひとつ積み直す準備はできていますか。

引用された聖句

FAQ

なぜエリヤは、火を求めて祈る前に祭壇を築き直したのですか。

神の力は、崩れた礼拝の上には現れないからです。行いが体験に先立ちます。正しい礼拝を回復することこそが、神が民の中で権威をもって働かれるのを見るための条件なのです。

「いけにえに水を注ぐ」とは、私の人生において何を意味するのでしょうか。

それは、世の目には過剰にも無意味にも見える従順の行いですが、勝利があなたの力からではなく神から来ることを証しするために、神があなたに求められるものです。それは、赦しであったり、ささげ物であったり、隠れた奉仕であったり、人に喜ばれない決断であったりします。

自分の祈りが「みことばに根ざしている」かどうかは、どうすればわかりますか。

祈る前に聖書の箇所を読む習慣をつけ、神があなたに語られたことを、あなたの祈りの中で繰り返してください。列王記第一18:36にあるエリヤの祈りは、優れた模範です。そこには、神が誰であるかということ、そのみことばへの従順、そしてそこから生まれる具体的な願いが記されています。

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