神をあなたの心に据えなさい

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はじめに

モーセはその歩みの終わりに近づいていました。新しい世代がヨルダン川の前に立ち、約束の地に入ろうとしています。そこで彼は、神から託されたすべてのことをまとめ、ひとつの単純で燃えるようなことばに凝縮します。それは「あなたの神、主をあなたの心のうちに据えよ」ということです。これは申命記7章から10章までを貫く一本の糸です。戦い、富、従順、失敗など、ほかのすべては、このただひとつの点を実際の生活に落とし込んだものにすぎません。

聖書において心とは、あなたの思い、動機、選択の座を指します。そこに据えたものは、最終的に必ずあなたの人生を導くようになります。もし神がその中心にいなければ、代わりに何か別のものがそこを占めるでしょう。あなたの快適さ、恐れ、成功、あるいは肉の欲求です。この四つの章は、あなたがそれを見極める助けとなります。

これから見ていくように、神があなたを選ばれたのは、あなたが強いからでも、正しいからでも、すべてを理解しているからでもありません。神は、ただイエスのゆえに、純粋な恵みによってあなたを選ばれたのです。そしてあなたは、すべてがうまくいっているときも、すべてが崩れ落ちるときも、この関係のうちにとどまる歩み方を学んでいきます。

この記事の構成

1. 神はあなたにふさわしさがあったからではなく、恵みによってあなたを選ばれました(申命記7章)

申命記7章は、厳しい命令から始まります。イスラエルよりも数が多く力も強い七つの民族を追い払うこと、彼らと同盟を結ばないこと、結婚によって結びつかないこと、彼らの祭壇と偶像を打ち壊すことです。なぜこれほど厳しいのでしょうか。単なる文化的な妥協に見えるものが、最終的にはあなたを神から引き離してしまうからです。これらの民族が「神」と呼んでいたものは、実際には肉を喜ばせるあらゆるものにほかなりませんでした。そして肉は、大声で叫ぶために訓練など必要としないのです。

神に従うことは、あなたの肉の流れに逆らって進むことを求めます。それは大きな代償を伴います。自分を偽ってはいけません。しかし神は、あなたに肉の力でまっすぐ立つことを求めておられるのではありません。神のもとに来ること、神にあなたの心のうちに住んでいただくこと、神のいのちを受け取ることを求めておられるのです。

では、なぜ神はイスラエルを選ばれたのでしょうか。申命記7:7〜8はこれをはっきりと語っています。数が多かったからではありません(むしろ彼らはどの民よりも小さな民でした)。強かったからでもなく、ふさわしかったからでもありません。ただ神が彼らを愛されたから、そして先祖たちにされた約束を守られたからです。あなたもまた、世界の基が据えられる前から、キリストにあって選ばれていたのです(エペソ1:4)。この選びは、あなたの実績とはまったく関係がありません。それはただ、イエスにおける約束に対する神の真実さにかかっているのです。

2. 本当の祝福とは、神との関係です(申命記7:12〜26)

神はご自分の民を祝福すると約束されます。子孫の繁栄、健康、繁栄、守りです。しかし今日この約束を読むとき、それを単なる物質的なパッケージに縮めてしまわないでください。もっとも高い祝福とは、イエスの血によって、父なる神との生きた関係へと連れ戻されることです。弟子たちは興奮して戻って来て言いました。「主よ、あなたの名によって、悪霊さえも私たちに服従します。」イエスは焦点を正されます。「あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい」(ルカ10:20)。

あなたには、健康や、必要の備え、家庭の平和を神に求める権利があります。しかし、たとえそれらを失っても関係が残っているなら、あなたは今でも人の中でもっとも祝福された者です。逆に、関係を持たないままそれらすべてを手にしているなら、あなたは貧しい者です。

もうひとつ大切なことがあります。この関係に入るのは、あなたの実績によってではありません。あなたはイエスの血のゆえに、そこにとどまることができるのです。あなたが弱く、打ち砕かれ、疑いのうちにあるときでも、大胆に近づくことができます(ヘブル4:16)。それは「完全な私が、完全な神の前に立つ」ということではありません。「ありのままの私が、イエスにあって、恵みの神の前に立つ」ということです。あなたが成長すればするほど、神とあなたの間の隔たりはより明らかになり、恵みはますます尊いものとなっていきます。

3. 荒野は、神のひとつひとつのことばによって生きることをあなたに教えます(申命記8章)

申命記8章は、荒野で過ごした四十年間を振り返ります。神はこうまとめておられます。あなたを苦しめ、試み、マナを食べさせられたのは、人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出るすべてのことばによって生きることをあなたに教えるためであった、と(申命記8:3)。イエスもまた、荒野で誘惑者と対峙されたとき、まさにこの同じ聖句を引用されました(マタイ4:4)。実は、悪魔に対するイエスの三つの応答は、いずれも申命記から取られたものです。

荒野とは、神があなたの心の中に本当は何があるのかを明るみに出される場所です。イスラエルはたびたび失敗しました。彼らの心は頑なで、不信仰であることが明らかになりました。それでもなお、神は約束を守られました。毎朝のマナ、擦り切れない衣服、腫れない足です。神は、あなたが真実でないときでさえ、真実なお方なのです。

続いて、申命記8:11〜18の重大な警告が来ます。すべてがうまくいくとき、立派な家を持ち、家畜が増え、口座の残高が満ちるとき、主を忘れてはならない、というのです。神を忘れることは、高慢の実です。「自分の力、自分の手の力によって、この富を築いた」(17節)。まさにここに、この学びの鍵となることばが18節に置かれています。あなたの神、主をあなたの心のうちに据えよ、というものです。力を与えてくださるのは主であることを覚えておいてください。どんな小さなことにも感謝しなさい。感謝する心は、神を忘れません。

4. あなたを救うのはあなたの正しさではなく、神の真実さです(申命記9章〜10:11)

9章と10章で、モーセは語調を変えます。彼はイスラエルに率直に思い出させます。彼らがこの地を受け継ぐのは、正しいからではない、ということです。「あなたの正しさのゆえではない…あなたはうなじのこわい民である」(申命記9:6)。彼は彼らの数々の失敗を列挙します。ホレブでの金の子牛、タブエラでの反逆、マサでの試み、キブロテ・ハタアワでの欲望、そして十人の斥候が民全体を疑わせたカデシュ・バルネアでの不信仰です。

そのたびごとに、神は彼らを滅ぼそうとされました。そのたびごとに、モーセは山に登り、四十日四十夜、とりなしをしました。イスラエルの民が存在し続けていること自体が、恵みをその目的地に届かせたこのとりなしにかかっています。仲介者がいなければ、この民は滅びていたでしょう。

モーセがイスラエルにとってそうであった存在に、イエスはあなたにとって、より偉大に、そして失敗することなくなってくださっています。イエスはあなたの仲介者です(第一テモテ2:5)。イエスのとりなしは決して失敗することがありません。あなたが神の前に立つことができるのは、あなたが強いから、忠実だからではなく、キリストがあなたのためにとりなし、あなたを恵みのうちに支えてくださっているからです。互いのために祈ることは、この同じ働きに参加することです。ある兄弟姉妹がもはや恵みを受け取れなくなっているとき、あなたのとりなしがその恵みをその人にもたらすのです。

5. 主に結び合わされ、主を愛し、主に仕えなさい(申命記10:12〜22)

このすべての回顧の後、モーセはシンプルな問いを投げかけます。今、イスラエルよ、あなたの神、主があなたに求めておられることは何か、というものです。10:12〜13における答えはこうです。主を恐れ、そのすべての道に歩み、主を愛し、心を尽くし、たましいを尽くして主に仕え、主の命令を守ること、それはあなた自身の益のためです。神はあなたをロボットにしたいのではありません。神が望んでおられるのは、あなたの幸せです。だからこそ、神はイエスを与えてくださったのです。

モーセはさらに付け加えます。「あなたがたの心の包皮を切り捨て、二度とうなじを固くしてはならない」(16節)。あなたの内にある頑なな部分を柔らかくしなさい。神にその場所を明け渡しなさい。寄留者を愛しなさい。あなたもまたエジプトで寄留者であったからです。神を受け入れる心は、隣人にも開かれた心となります。

そして最後に、20節にはこうあります。「あなたは主に結び合わされる」。この動詞は強い意味を持ち、創世記2:24で男が妻に結び合わされると語られるときや、ルツがナオミにすがりついたときと同じことばです。神に結び合わされるとは、物乞いをすることではなく、神とひとつになることです。イエスがヨハネ15章で語られる「わたしにとどまりなさい」ということばは、まさにこの延長線上にあります。

要点まとめ

  • 神があなたを選ばれたのは、あなたの価値のゆえではなく、イエスにおいて守られた約束のゆえに、ただ恵みによってです。
  • もっとも大きな祝福とは、キリストの血によって回復された父なる神との関係です。
  • 荒野は偶然の出来事ではありません。そこであなたは、神のひとつひとつのことばによって生きることを学ぶのです。
  • すべてがうまくいっているとき、最大の誘惑は高慢によって神を忘れることです。感謝こそが、その解毒剤となります。
  • イエスはあなたの完全な仲介者です。神の前でのあなたの立場は、あなたの実績にではなく、イエスのとりなしにかかっています。

個人的な適用

  1. 今、あなたの心の中でいちばん大きな場所を占めているものは何ですか。お金でしょうか、評判でしょうか、ある関係でしょうか、それとも恐れでしょうか。神がそこに戻って中心に据えられるためには、何が必要でしょうか。
  2. この半年間を振り返ってみてください。神はあなたをどんな「荒野」へと導かれましたか。それはあなたの心について何を明らかにしましたか。神は日ごとに、御手から何を受け取ることをあなたに教えられましたか。
  3. 神がこの一週間であなたにしてくださった具体的なことを三つ挙げることができますか。そしてそのことについて、まだ感謝を伝えていないものはありますか。
  4. 神からの答えを待っている場所があり、その答えが遅れているために疑い始めているところはありますか。神ご自身のペースで信頼することを、あなたはどのように選び取りますか。
  5. あなたの周りで、あなたのとりなしを必要としている人はだれですか。この記事を閉じる前に、少し時間を取って、その人のために祈ってください。

引用聖句

よくある質問

「神をあなたの心に据える」とは、具体的にどういうことですか。

聖書において心とは、思い、動機、決断の座です。神をあなたの心に据えるとは、神のことばをあなたの出発点とし、神の御心をあなたの優先事項とし、神の臨在をあなたの安心とすることです。それはまず感情の問題ではありません。神が誰であり、イエスにあってあなたのために何をしてくださったかを思い起こしながら、毎日新たに繰り返す選択なのです。

なぜ神は、イスラエルにカナンの民の偶像を打ち壊すよう求められたのですか。

それは、これらの礼拝との共存が、最終的に民を迷わせることになったからです。これらの偶像が提供していたものは肉に語りかけ、神との関係を消し去るものでした。今日のあなたには打ち壊すべき石の祭壇はありませんが、優先事項や執着はあります。あなたの心の中で神の場所を占めているものはすべて、正しい位置に戻し、神が再び第一のものとなるようにする必要があります。

すべてがうまくいっているとき、どうすれば神を中心に保つことができますか。

繁栄の罠とは、忘れてしまうことです。聖書が示す対策はシンプルです。感謝です。神があなたに与えてくださったものを、たとえ小さなことでも、毎日名前を挙げて数えなさい。力を与えてくださるのは神ご自身であることを認めなさい。自分に幻想を抱かせないよう助けてくれる共同体の中にとどまりなさい。そして、危機に陥るまで祈るのを待ってはいけません。すべてがうまくいっているときにも、神に語りかけなさい。

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