はじめに
人生には、主があなたを選択の前に立たせる瞬間があります。それは、気楽な小さな決断ではありません。それはあなたの手に負えないほどのことであり、あなたの時間、あなたのお金、あなたの健康、時にはあなたの安全にさえ関わることです。それでもなお、あなたの心の中では、動くようにと求めておられるのは主だということがわかっているのです。
エステル記4章で、エステルの身に起こったことがまさにこれです。彼女の民族は滅ぼされようとしています。彼女の養育者であるいとこモルデカイは、無理としか思えないメッセージを彼女に送ります。王のところへ行って話しなさい、あなたの民のために嘆願しなさい、と。彼女はよくわかっています。呼ばれてもいないのに内庭に入ることは、死刑を覚悟することだと。彼女はためらい、恐れます。そしてモルデカイの返答は毅然としたものでした。「あなたが王妃の位に着いたのは、まさにこのようなときのためであったかもしれないのですよ。」
このメッセージは、あなたに対するものでもあります。今日、主はあなたに一つの挑戦を投げかけておられます。主はあなたを無理強いすることはありません。主が求めておられるのは、共に歩むこと、主が求めておられることに応えること、そして、あなたにはもう負けたとしか思えない状況を、主の力が覆してくださるのを見ることなのです。
説教の記録
1. 背景:思いもよらない立場に置かれた一人の若い女性
エステル記は捕囚の時代を舞台にしています。ユダヤ人はバビロンに連れて行かれ、その後バビロンはペルシアの支配下に入りました。アハシュエロス王が治めていた当時も、多くのユダヤ人がこの地に住み続けていました。
エステルは孤児のユダヤ人の少女でした。彼女がまだ幼いときに両親を亡くしています。彼女を養い育てたのは、年上のいとこであるモルデカイで、彼は養父のような存在でした。人間的に見れば、彼女には人目を引くようなものは何もありませんでした。財産もなく、後ろ盾もなく、質素で慎ましい生活を送っていたのです。
ある日、王は不従順のゆえに王妃ワシュティを退けたあと、新しい王妃を探し始めます。宮廷に仕えていたモルデカイは、エステルを差し出します。担当の役人たちは彼女を気に入り、準備には六か月以上が費やされ、最終的に王は彼女を選びます。この孤児のユダヤ人の少女は、当時最大の帝国の王妃となるのです。
人間的に見れば、これはシンデレラの物語です。しかし、彼女の人生の意味が決まるのは、そこではありません。奴隷として売られたあとエジプトの宰相となったヨセフのように、大切なのは地位そのものではありません。大切なのは、神がご自分の計画を成し遂げるために、必要とされる場所にご自分の子どもたちを置かれるということです。本当のテーマは、その場所にたどり着いたあとから始まるのです。
2. 脅威:ハマンと、先祖代々の憎しみ
ある人物が宰相に昇進します。アガグ人ハマンです。これは何気ない詳細ではありません。アガグ人は、エサウの子孫であるアマレクの子孫です。霊的な次元において、ヤコブの子孫(ユダヤ人)とエサウの子孫との間には、古くからの敵対関係があります。ハマンはユダヤ人を憎んでいました。
すべての者が彼の前にひれ伏すようにという勅令が出されたとき、モルデカイはそれを拒みます。これがハマンの怒りに火をつけ、彼はモルデカイの死だけでは満足せず、ユダヤ人全体を根絶やしにする権利を王から得るに至ります。この勅令は帝国全土に公布されます。
モルデカイの反応は、打ちひしがれた人間のそれでした。彼は自分の衣を引き裂き、荒布と灰をまとい、泣き叫びます。各州のいたるところで、ユダヤ人たちは断食し、泣き、嘆きます。絶望は完全なものでした。
3. 伝言のやり取り:恐れと責任のはざまに立つエステル
宮殿の中にいるエステルは、外で何が起きているのかを案じます。彼女は自分の従者ハタクをモルデカイのもとへ遣わします。モルデカイはすべてを説明し、勅令の写しまで彼女に手渡します。伝言は率直なものでした。あなた自身が王のもとに行き、あなたの民のために嘆願しなさい、と。
エステルは引き裂かれるような思いになります。彼女は掟を知っていました。呼ばれもせずに入ることは、男であれ女であれ、たとえ王妃であっても、死刑を覚悟することだったのです。王が金の笏を差し伸べることによってのみ、彼女に命を与えることができます。しかし、王が彼女を呼んでからすでに一か月以上が経っていました。彼女はそのことを、ハタクを通してモルデカイに伝えさせます。
モルデカイは、心を揺さぶるような毅然とした返答をします。「あなたが王宮にいるからといって、あなただけはすべてのユダヤ人の中で逃れられるなどと思ってはいけません。もしこのようなときにあなたが黙っているなら、ユダヤ人のための救いと解放は、ほかのところから起こるでしょう。しかし、あなたとあなたの父の家は滅びるでしょう。そして、あなたが王妃の位に着いたのは、まさにこのようなときのためであったかもしれないのですよ。」
4. 言い訳の連鎖:主が私たちにも求めておられること
私たちはイエスを愛し、イエスを信じ、そのみことばに従って生きようとしています。しかし時に、イエスが何かを求められるとき、私たちは断る理由を探してしまいます。「主よ、時間がありません。私がどれほど忙しいか、あなたもよくご存じでしょう。」「主よ、お金がありません。これは本当に私を経済的な苦境に陥れてしまいます。」「主よ、もうそのための健康がありません。今すでに背負っているものだけで、十分すぎるほどです。」言い訳はいくらでもあり、しばしばそれは、エステルの恐れが本物だったのと同じように、本当のことでもあるのです。
主は、すべてがうまくいっていて、すべてが整っていて、あなたに余裕があるときに、このようなことを求められるわけではありません。ほとんど常に、複雑な状況のただ中で、主はあなたに挑戦を投げかけられるのです。主はいわばこう言っておられるのです。「それでも、あなたはわたしを愛しているか。」
主はあなたに自由な意志を与えてくださいました。主はあなたを無理強いすることはありません。もしあなたが断らなければならないとしても、主はいつでも別の誰かを通して働くことができます。しかし、主があなたに求められるのは、働き手が足りないからではありません。それは、主があなたを祝福したいと願っておられるからです。主は、あなたのためだけでなく、あなたと共に働きたいと願っておられるのです。
5. 肉の目ではなく、霊の目で見ること
自分の人生を、ただ人間的な目だけで見ているとき、問題は次から次へと尽きることがありません。ある困難が解決すれば、また別の困難がやって来て、さらにまた別の困難がやって来ます。それは疲れ果ててしまう人生です。
しかし、霊の目で、みことばを通して、主との歩みの中で見るとき、同じ人生がまったく違う姿を見せ始めます。障害が動かされ、解放がもたらされ、行き詰まっていると思っていたところに、主の栄光が現れるのです。
最初の一歩は小さなものです。一度、何かに「はい」と言うこと。それから、もう一度。主があなたと共に働いてくださるのを見るたびに、あなたの信仰は強められていきます。あなたは少しずつ、主と共にいれば、どんな状況でも乗り越えられるということを理解していくのです。
6. エステルの断食:私には何もできない、しかしあなたにはすべてができる
エステルは決心します。彼女は、スサにいるすべてのユダヤ人を集め、三日三晩、飲まず食わずで彼女のために断食するように求めます。彼女自身と彼女に仕える女たちも同じようにします。そのあと、彼女は掟に反して王のもとへ行き、こう言うのです。「死ななければならないのなら、死にます。」
断食するということは、自分自身の力ではもはや何もできないということを、神の前で認めることです。それは、あなたの依存に場所を譲るために、あなたの肉が黙るということです。「主よ、私には何もできません。あなただけができます。私を助けてください。」これは、神の御前に立ち上る、心の奥底からの告白なのです。
この断食の期間のあと、エステルは身支度を整えます。彼女は、主から与えられた賜物である自分の美しさを、この行動のために用います。あなたにとって、それはある技能かもしれませんし、知性かもしれませんし、体力かもしれませんし、専門知識かもしれません。誰もが何かを受け取っています。あなたが持っているものを整え、それをささげ、前に進んでください。
7. 大いなる逆転
これに続くのは、完全な逆転です。ハマンが仕掛けた罠は、そのまま彼自身の上に落ちかかります。ハマンとその息子たちは死刑に処せられます。エステルの働きかけによって、王はユダヤ人が自分たちを守ることを許可します。スサでは、彼らを攻撃した者たちが、初日に五百人、二日目に三百人倒れます。帝国全体では、七万五千人のユダヤ人の敵が打ち破られます。モルデカイはハマンに代わって宰相の地位に引き上げられます。ユダヤの民は再び平和を取り戻すのです。
そのすべては、エステルの一つの「はい」から始まりました。危険を伴い、代償を伴い、断食の中で備えられ、彼女が手にしていたものと共にささげられた「はい」からです。
8. 今日のあなたのために:霊的な戦い
今日、この戦いは霊的な戦いです。あなたの周りには、敵がイエスから遠ざけたままにしている魂がいます。あなたの家族、あなたの身近な人々、あなたの同僚、あなたがすれ違う人々です。主は、あなたを通して、彼らを迎えに行きたいと願っておられます。
主が待っておられるのは、あなたが力ある者になることではありません。主が待っておられるのは、あなたが「はい」と言うことです。あなたが主と共に歩むとき、主は、その使命のためにあなたが必要とするものを与えてくださいます。必要であれば健康を、必要であればお金を、そして知恵を、出会いを、あなたのそばに遣わされる人々を与えてくださいます。「まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます」(マタイ6.33)。
困難を見つめるのではなく、主を見つめてください。主の挑戦にこたえてください。そして、あなたの人生とその周りに、逆転が起こるのを見る備えをしてください。
覚えておきたいポイント
- あなたのクリスチャン人生を決めるのは、あなたの立場ではなく、神が置いてくださった立場の中で、あなたが神に対してどれほど自分を差し出せるかということです。
- 主が挑戦を投げかけられるのは、ほとんど常に、すべてがうまくいっているときではありません。困難のただ中でこそ、主はあなたに「はい」と言うように求められるのです。
- あなたの言い訳は、本当のことかもしれません。しかし、それが最後の言葉ではありません。それよりも高いところを見つめてください。
- 断食とは、自分の力を手放し、もはや主の力にのみ頼るということです。
- 祈りの中で備えられた、危険を伴う「はい」は、あなた自身では起こすことのできない逆転への扉を開きます。
自分自身への適用
- 今、主から来ていると感じながら、それに対して言い訳を並べていることはありますか。それはどのような言い訳ですか。
- あなたは今、自分の状況をどのように見ていますか。肉の目でですか、それとも霊の目でですか。
- 主があなたに委ねてくださった具体的な「賜物」(才能、時間、財産、人間関係、専門知識)で、今週、具体的な一歩としてささげられるものは何でしょうか。
- 自分を罰するためではなく、「主よ、私にはもうできません、あなたが行動してください」と認めるために、断食する必要がある分野はありますか。
- あなたの周りで、あなたが「まさにこのようなときのために」置かれている相手は誰でしょうか。その人のために、今日から始められることは何ですか。
引用された聖句
- エステル記4.6-17・説教の中心となる聖書箇所
- エステル記3章・ハマンによるユダヤ人絶滅の陰謀
- エステル記9章・逆転と救出
- マタイ6.33・「まず神の国を求めなさい」
FAQ
「主の挑戦にこたえる」とは、具体的にどういうことですか。
それは、ある具体的な状況の中で、神があなたに行動を求めておられる(誰かを助けるため、イエスについて語るため、ささげるため、ある習慣を変えるため)ということを認め、たとえ気楽でなくても、神に「はい」と言うことです。それは、目立つ壮大な英雄的行為ではありません。みことばを羅針盤とし、神の臨在を力として踏み出す、従順な一歩なのです。
大切な決断をするたびに、断食しなければならないのでしょうか。
断食は、自動的に適用される公式ではありません。それは、聖書が、あなたの弱さを神の前で認め、あなたの祈りを集中させるために与えてくれている一つの手段です。決断が重く、自分ひとりでは背負いきれないと感じるとき、健康の許す範囲で断食することは、あなた自身を神にさらけ出し、あなたの心のうちに神の御心が働くための、貴重な助けとなり得ます。
もし私が、主の挑戦に「いいえ」と言ったらどうなりますか。
神はあなたに無理強いすることはありません。神はあなたに自由を与えてくださいました。もし神がそう決められたのなら、神は別の誰かを通して、ご自分の計画を成し遂げられるでしょう。しかし、あなたは、この従順を通して神が備えてくださっていた祝福を、逃してしまうことになります。この説教は力強く思い起こさせます。主があなたに求められるのは、働き手が足りないからではなく、あなたと共に働くことによってあなたを祝福したいと願っておられるからなのです。
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