イエスのもとへ行こう、いのちのパン(ヨハネ6章)

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はじめに

あなたは、間違った理由でイエスを求めたことがありますか。緊急の必要があったから(解決したい問題、開けてほしい扉、満たしたいお腹)イエスのもとへ駆け寄ったことはありませんか。まず「イエスご自身」を求めたのではなく。ヨハネ6:22〜40で、イエスは湖を渡って追いかけてきた熱心な群衆と向き合っておられます。彼らは自分たちがメシアのもとへ走っていると思っています。しかし実際に走っているのは、前日イエスが配ってくださったパンに向かってです。そしてイエスは彼らに、胸に突き刺さるひと言で答えられます。「まことに、まことに、あなたがたに言います。あなたがたがわたしを捜し求めているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからです」(ヨハネ6:26)。

この箇所は一つの招きです。イエスは、あなたに別の仕方で来るようにと招いておられます。イエスが差し出してくださる関係、ご自分のいのちを差し出すほどの価値がある関係を求めて来るようにと。信仰がどんなに小さくても、疲れ果てて、汚れていて、ふさわしくないと感じていても、来るようにと招いておられます。イエスははっきりとこう言われます。「わたしのところに来る者を、わたしは決して捨てません」(37節)。

メッセージの構成

1. 群衆は間違った理由でイエスを求めている(22〜27節)

  • パンの奇跡の翌日、群衆はイエスを捜し、カペナウムで見つけます。
  • イエスは見抜いておられます。群衆がついて来るのは、養われるためであって、しるしを理解したからではありません。
  • イエスのしるしは、ご自分が誰であるかを示すためのものであり、私たちの欲求を満たすためのものではありません。
  • イエスは「朽ちる食べ物のためではなく、永遠のいのちに至る朽ちない食べ物のために働きなさい」、すなわち神との関係のために働くようにと呼びかけておられます。

2. 神のわざとは、イエスを信じることです(28〜31節)

  • 群衆は尋ねます。「神のわざを行うために、私たちは何をすればよいのでしょうか」
  • イエスの答え。「神がお遣わしになった者を信じること、それが神のわざです」(29節)。
  • 永遠のいのちは、宗教的な努力への報酬ではありません。信仰によって受け取るものです。
  • 前日にあの奇跡を見たにもかかわらず、群衆は再びしるしを求め、モーセのマナを引き合いに出します。

3. イエスこそ、天から下って来たまことのパンです(32〜35節)

  • モーセが与えたのは「天からの」パンではありませんでした。今、父が与えてくださるまことの天のパンとは、イエスご自身です。
  • 「わたしはいのちのパンです。わたしのもとに来る者は、決して飢えることがありません」(35節)。
  • いのちのパンは物質的なものではありません。それは霊的なものであり、信仰によって受け取るものです。
  • イエスのもとへ行くとは、内側で渇き干からびることがなくなるということです。イエスから離れることは、その渇きの中に戻ることです。

4. ありのままの姿でイエスのもとへ来なさい(36〜40節)

  • 「父がわたしにお与えになる者はみな、わたしのところに来ます。わたしのところに来る者を、わたしは決して捨てません」(37節)。
  • 神が選び、あなたを招いておられます。あとは、あなたが来ることで応えるだけです。
  • 父のみこころとは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持つことです(40節)。
  • 五つのパンと二匹の魚ほどの小さな信仰であっても、イエスのもとへ行くには十分です。

覚えておきたいポイント

  • 神との関係は、イエスご自身のいのちに値します。それは、あなたが持ちうる最も尊い宝です。
  • 物質的な利益を得るためにイエスを求めることは、神を僕にすることです。しかし神は、あなたの父でありたいと願っておられます。
  • 永遠のいのちは、あなたの善い行いによって勝ち取るものではありません。神が遣わされた方を信じる信仰によって受け取るものです。
  • 追い詰められることは罰ではありません。それはしばしば、神があなたを愛するがゆえに、ご自分のもとへ引き寄せておられるしるしです。
  • 小さな信仰で十分です。大切なのは、ふさわしいと感じることではなく、イエスのほうを向くことです。

個人的な適用

  1. 今週イエスを求めるとき、あなたが本当に求めているのは、イエスご自身でしょうか、それともイエスが与えてくれるものでしょうか。
  2. 神との関係が本来占めるべき場所を、今どんな「朽ちる食べ物」が占めていますか。
  3. あなたは今もなお、信仰によって神の恵みを受け取るのではなく、自分の努力によって神の前での居場所を「勝ち取ろう」としていませんか。
  4. 今、あなたが追い詰められている領域はありますか。もし神がそれを用いて、あなたをご自分のもとへ引き戻そうとしておられるとしたら、どうでしょうか。
  5. 具体的に今週、どの瞬間に、たとえ信仰が小さくても、美しい言葉がなくても、ただ「イエスのもとへ来る」ことをしますか。

引用された聖句

よくある質問

なぜイエスは、ヨハネ6章で群衆がご自分を求めることを咎められたのですか。

群衆が求めていたのは、前日に受け取った物質的な食べ物であって、パンの奇跡のうちに、イエスが神から遣わされたメシアであるというしるしを見分けたからではなかったからです。彼らが求めていたのは、イエスがもたらす恩恵であって、イエスご自身ではありませんでした。イエスは、私たちが仕事や健康、家族、学業といった具体的な必要を携えて来ることに反対しておられるわけではありません。イエスが拒まれるのは、心には決して触れることなく、ただお腹を満たすだけの自動販売機のような存在に成り下がることです。

「朽ちない食べ物のために働く」(ヨハネ6:27)とはどういう意味ですか。

あなたの信仰生活のリストに、新しい宗教的な行いを一つ付け加えるということではありません。群衆が「何をすればよいのでしょうか」と尋ねたとき、イエスはこう答えられました。「神がお遣わしになった者を信じること、それが神のわざです」(29節)。この朽ちない食べ物とは、イエスのうちに差し出されている神との関係のことです。あなたはそれを選び取り、イエスのもとへ立ち返り、それを味わうことによって「働く」のです。それはちょうど、友情を育んでいくのと同じです。

イエスのもとへ行くには信仰が弱すぎると感じるとき、どうすればよいですか。

からし種ほどの小さな信仰で十分です。五つのパンと二匹の魚が五千人を養いました。あなたのわずかな信仰も、あなたをイエスのもとへ導くのに十分です。ただイエスのほうを向いてください。たとえひざまずくだけでも、言葉が出なくても、ただ「私を憐れんでください、私は疲れ果てています」と言うだけでもかまいません。イエスは言われます。「わたしのところに来る者を、わたしは決して捨てません」(ヨハネ6:37)。あなたの弱さは妨げではありません。むしろそここそが、イエスの恵みが働く場所なのです。

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