聖書の人物 バラバ

生涯、名前の意味、人生の教訓

要約

バラバは、紀元30年ごろ、イエスが死なれた過越の祭りの時期にエルサレムにいた囚人です。福音書は彼を名の知れた囚人と記します。マルコとルカは暴動と人殺しのために投獄されていたと述べ、ヨハネは強盗と呼びます。ピラトは群衆に、バラバとイエスのどちらを釈放するかを問い、群衆はバラバを求めました。イエスは十字架につけるために引き渡されます。福音書は彼のその後を語りません。キリストが罪ある者の身代わりになられたことを思い起こさせます。

バラバという名前の意味

バラバはアラム語のバル・アバに由来し、一般に「父の子」あるいは「アバの子」と理解されます。福音書は名の意味を説明していません。マタイの福音書27章16節は、彼の出身などには触れず、ただ名の知れた囚人として紹介しています。

バラバの時代背景

バラバの物語は、イエスがピラトに引き渡された朝、過越の祭りの間にエルサレムで起こります。一般的な年代の目安では、紀元三十年ごろです。ピラトは総督で、福音書は彼を、裁判の席に着く者として描いています。夜が明けると、祭司長たちと長老たちはイエスを殺そうと協議し、イエスを縛って総督ピラトに渡しました(マタイによる福音書27章1節から2節)。ヨハネは、彼らが汚れを避けて過越の食事をするために、官邸の中へ入らなかったと記します(ヨハネによる福音書18章28節)。マタイ、マルコ、ルカは、祭のたびに総督が民の願う囚人をひとり許す習わしがあったと伝えます(マタイ27章15節、マルコ15章6節、ルカ23章17節)。この場面にバラバが登場します。受難の物語では多くの名のうちのひとりですが、四つの福音書すべてが彼を記しました。そこにあるのは、よく知られた罪人と、ピラトが罪なしと認めたイエスとのどちらを選ぶかという問いです。

バラバの生涯

  1. 暴動と殺人で知られた囚人

    マタイによる福音書27章16節、マルコによる福音書15章7節、ルカによる福音書23章19節、ヨハネによる福音書18章40節

    マタイは彼を、名の知れた囚人と紹介します。マルコは、暴動の際に人殺しをした暴徒たちと一緒に獄にいたと書きます。ルカも、都に起こった暴動と人殺しのために獄に入れられていた者と記します。ヨハネは一言で、バラバは強盗であったと述べます。つまり福音書は、暴力、反乱、投獄という三つの一致した情報を与えています。しかし、彼の出身も、その後の人生も語りません。

  2. ピラトの前のイエス

    ヨハネによる福音書18章28節から38節

    指導者たちはイエスを官邸へ連れて行き、自分たちは外にとどまります。ピラトは出て来ては中へ戻り、イエスに、あなたはユダヤ人の王かと尋ねます。イエスは、自分の国はこの世のものではなく、真理をあかしするために来たと答えます。ピラトは再びユダヤ人のところへ出て、わたしはこの人になんの罪も認めないと宣言しました。この言葉がバラバの場面の入口です。選択を示す前に、総督自身が、訴えられた人に死に値することはないと確認していたのです。

  3. 祭の習わし

    マタイによる福音書27章15節から19節、マルコによる福音書15章6節から10節

    ピラトは習わしを持ち出します。祭には民の望む者をひとり許すのです。彼はバラバと、キリストと呼ばれるイエスのどちらかを選ばせようとします。マタイとマルコは、祭司長たちがねたみからイエスを渡したことを、ピラトが知っていたと記します。ピラトが裁判の席にいる間、妻が人をよこし、あの義人には関係しないでくださいと伝えました。彼女は夢で、イエスのことで苦しんだのです。総督は幾つもの方面から、目の前の人が無実であると知らされていました。

  4. 説き伏せられた群衆

    マタイによる福音書27章20節から23節、マルコによる福音書15章11節から14節

    祭司長たちと長老たちは群衆を説き伏せ、バラバを許してもらい、イエスを殺すよう願わせました。ピラトがどちらを許してほしいかと尋ねると、返ってきたのは、バラバという答えでした。ではイエスをどうするかとの問いには、みな、十字架につけよと叫びます。ピラトがどんな悪事をしたのかと問うと、彼らはますます叫びました。マルコは、祭司長たちが群衆を扇動したと付け加えます。この選択は自然な高まりではなく、イエスの死を望んだ人々の圧力によるものだと本文は示しています。

  5. ピラトが屈する

    ルカによる福音書23章13節から25節、マタイによる福音書27章24節から26節

    ピラトは祭司長たちと民を呼び集め、あなたがたの訴えることについて、自分もヘロデも、この人に罪を見いださなかったと語ります。群衆は、この人を殺せ、バラバを許せと叫びます。ピラトは三度目にもイエスを許そうと語りかけましたが、彼らの声が勝ちました。マタイによれば、ピラトは群衆の前で手を洗い、この義人の血について自分には責任がないと言います。そしてバラバを許し、イエスをむち打ち、十字架につけるために引き渡しました。

  6. 十字架への道を行くイエス

    マルコによる福音書15章15節から27節

    マルコは、ピラトが群衆を満足させようと思い、バラバを許し、イエスを十字架につけるために引き渡したと書きます。兵卒たちはイエスを官邸の中庭へ連れて行き、紫の衣を着せ、いばらの冠をかぶせ、ユダヤ人の王万歳と挨拶しました。そのあと十字架につけるために連れ出し、クレネ人シモンがその十字架を負います。イエスと共に二人の強盗が、右と左に十字架につけられました。バラバは以後現れません。物語はイエスをゴルゴタまで追い、許された囚人のその後を福音書は語りません。

バラバから学ぶこと

  • バラバが自由になりイエスが罪に定められたことは、十字架の交換を表しています。無実の方が罪ある者の身代わりになられたのです。
  • 群衆の選択は、自分に似たものを、救ってくださる方より選びかねないことを教え、私たちも誰を選ぶのかを問われています。
  • 暴動と人殺しの罪を犯した人でさえ、イエスの犠牲によって解き放たれました。恵みは、その人が何をしたかによりません。
  • ピラトは何度もイエスの無実を認めながら、群衆に屈しました。何が正しいかを知っているだけでは足りず、行動も必要です。
  • 福音書は釈放後のバラバの生涯を語りません。この沈黙を憶測で埋めるべきではありません。

鍵となる聖句

マタイの福音書27章21-22節

ピラトがどちらを釈放するかと群衆に問うと、答えはバラバでした。イエスをどうするかと問うと、みなが、十字架につけろと答えます。この交換の核心となる場面です。

ルカの福音書23章25節

ピラトは、暴動と人殺しのために牢に入れられていた、彼らが求める者を釈放し、イエスを彼らに引き渡しました。有罪の者は自由に、無実の者は引き渡される、身代わりが表れています。

ヨハネの福音書18章38-40節

ピラトはイエスに罪を認めないと言いますが、群衆はこの人ではなくバラバだと叫びます。ヨハネは、バラバが強盗だったと付け加え、この選択の不当さを際立たせます。

バラバについての説教

よくある質問

聖書のバラバとは誰ですか。

バラバはエルサレムの名の知れた囚人でした。マルコとルカは暴動と人殺しのために投獄されていたと述べ、ヨハネは強盗と呼びます。過越の祭りのとき、群衆はピラトにイエスではなく彼を釈放するよう求め、イエスは十字架につけられました。

バラバという名前にはどんな意味がありますか。

バラバはアラム語のバル・アバに由来し、一般に「父の子」と理解されます。福音書は名を説明していません。マタイの福音書27章16-17節の一部の写本には「イエス・バラバ」とありますが、解釈は分かれ、新改訳には見られません。

バラバの物語は聖書のどこにありますか。

四つの福音書にあります。マタイの福音書27章15-26節、マルコの福音書15章6-15節、ルカの福音書23章13-25節、ヨハネの福音書18章38-40節です。いずれもピラトの前での群衆の選択を記し、マルコとルカは暴動と人殺し、ヨハネは強盗と述べます。

なぜ群衆はイエスではなくバラバを選んだのですか。

福音書ははっきりした理由を挙げます。祭司長たちと長老たちが、群衆を説き伏せ、バラバを許してもらい、イエスを殺すよう願わせたのです(マタイによる福音書27章20節)。マルコも、祭司長たちが群衆を扇動したと記します(マルコによる福音書15章11節)。ピラトは、イエスがねたみのために渡されたことを知っていました(マタイ27章18節)。つまり群衆の選択は、自主的な決断としてではなく、宗教指導者たちに導かれたものとして描かれています。福音書は、ほかの説明を加えず、群衆がバラバよりイエスをよく知らなかったとも述べていません。

バラバは釈放されたあと、回心しましたか。

聖書は何も語りません。四つの福音書は裁判の記事でバラバに触れ、その後は二度と出てきません。マルコはただ、ピラトがバラバを許したと記し(マルコによる福音書15章15節)、ルカは、暴動と殺人のために獄に入れられていて、彼らが願った者を許したと述べます(ルカによる福音書23章25節)。新約聖書の書は、彼の悔い改めも逃亡も、その後の生涯も語っていません。彼について流布している話は聖書の外から来たものです。この沈黙を認めるほうが、それを作り上げるより賢明です。

ピラトはイエスの死に責任がありましたか。

福音書は、ピラトが何度もイエスの無実を述べる姿を示します。わたしはこの人になんの罪も認めない(ヨハネによる福音書18章38節)。死に当る罪はこの人に少しもない(ルカによる福音書23章22節)。彼は手を洗い、この義人の血については責任がないと言います(マタイによる福音書27章24節)。しかし判決を下したのは彼です。マルコは、ピラトが群衆を満足させようと思ったと書き(マルコ15章15節)、ルカは彼らの声が勝ったと記します(ルカ23章23節)。本文は責任が分かれていると示します。イエスを渡した指導者たち、叫んだ群衆、そして屈した総督です。

過越に囚人を許す習わしは本当にあったのですか。

福音書はそう伝えています。マタイは、祭のたびに総督が民の願う囚人をひとり許す習わしだったと記します(マタイによる福音書27章15節)。マルコも同じことを語り(マルコ15章6節)、ヨハネでは、ピラトがユダヤ人に、過越の祭に、わたしがあなたがたのためにひとりを許す慣例になっていると述べます(ヨハネによる福音書18章39節)。この習わしは聖書の記事そのものによって証言されています。起源までは述べられておらず、このページもそれ以上は踏み込みません。物語にとって重要なのは、この習わしが群衆の前での選択を可能にしたことです。

バラバは熱心党員や革命家でしたか。

福音書は彼にそうした肩書きを与えていません。マルコとルカは、彼が暴動と人殺しのために獄に入れられていたと述べ、ヨハネは彼を強盗と呼びます(マルコによる福音書15章7節、ルカによる福音書23章19節、ヨハネによる福音書18章40節)。暴動という言葉は反乱を連想させますが、本文は彼の運動も動機も、マルコが名前を挙げずに触れる仲間以外の共犯者も、はっきりとは記しません。使われた言葉にとどまるのがよいでしょう。本文が示しているのは、彼が皆の目に有罪であり、イエスはそうではなかったということです。

バラバの物語は十字架について何を語りますか。

この物語は、罪人と罪のない方を並べて見せます。暴動と殺人のために獄にいたバラバは許され、ピラトが無実と認めたイエスは十字架につけるために引き渡されました(ルカによる福音書23章25節)。新約聖書は別の箇所で、キリストが罪人のために死なれたと語ります。バラバの話はその具体的な像です。ひとりの人が自由になったのは、別のひとりが十字架への道を行ったからです。福音書はこの箇所でそうした読み方を展開せず、バラバ自身の口にも置いていません。それは聖書全体の光の中で読まれるものです。

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