聖書 — 口語訳 (1955)
エレミヤ書 1
概要
エレミヤ書1章は、エルサレム陥落の数十年前、ユダの国で預言者が召される場面を語ります。神はエレミヤに、生まれる前から知り、聖別したと告げられます。エレミヤは自分が若すぎて、どう語ってよいかわからないと感じますが、神は御言葉を彼の口に入れ、共にいると約束されます。あめんどうの枝と煮え立つなべという二つのまぼろしは、神がご自身の言葉を見張っておられること、そしてさばきが来ることを告げます。エレミヤは、敵が自分に勝つことはないという確信をもって遣わされます。
この章の5つの区分
1ベニヤミンの地アナトテの祭司のひとりである、ヒルキヤの子エレミヤの言葉。
2アモンの子、ユダの王ヨシヤの時、すなわちその治世の十三年に、主の言葉がエレミヤに臨んだ。
3その言葉はまたヨシヤの子、ユダの王エホヤキムの時にも臨んで、ヨシヤの子、ユダの王ゼデキヤの十一年の終り、すなわちその年の五月にエルサレムの民が捕え移された時にまで及んだ。
4主の言葉がわたしに臨んで言う、
5「わたしはあなたをまだ母の胎につくらないさきに、あなたを知り、あなたがまだ生れないさきに、あなたを聖別し、あなたを立てて万国の預言者とした」。
6その時わたしは言った、「ああ、主なる神よ、わたしはただ若者にすぎず、どのように語ってよいか知りません」。
7しかし主はわたしに言われた、「あなたはただ若者にすぎないと言ってはならない。だれにでも、すべてわたしがつかわす人へ行き、あなたに命じることをみな語らなければならない。
8彼らを恐れてはならない、わたしがあなたと共にいて、あなたを救うからである」と主は仰せられる。
9そして主はみ手を伸べて、わたしの口につけ、主はわたしに言われた、「見よ、わたしの言葉をあなたの口に入れた。
10見よ、わたしはきょう、あなたを万民の上と、万国の上に立て、あなたに、あるいは抜き、あるいはこわし、あるいは滅ぼし、あるいは倒し、あるいは建て、あるいは植えさせる」。
11主の言葉がまたわたしに臨んで言う、「エレミヤよ、あなたは何を見るか」。わたしは答えた、「あめんどうの枝を見ます」。
12主はわたしに言われた、「あなたの見たとおりだ。わたしは自分の言葉を行おうとして見張っているのだ」。
13主の言葉がふたたびわたしに臨んで言う、「あなたは何を見るか」。わたしは答えた、「煮え立っているなべを見ます。北からこちらに向かっています」。
14主はわたしに言われた、「災が北から起って、この地に住むすべての者の上に臨む」。
15主は言われる、「見よ、わたしは北の国々のすべての民を呼ぶ。彼らは来て、エルサレムの門の入口と、周囲のすべての城壁、およびユダのすべての町々に向かって、おのおのその座を設ける。
16わたしは、彼らがわたしを捨てて、すべての悪事を行ったゆえに、わたしのさばきを彼らに告げる。彼らは他の神々に香をたき、自分の手で作った物を拝したのである。
17しかしあなたは腰に帯して立ち、わたしが命じるすべての事を彼らに告げよ。彼らを恐れてはならない。さもないと、わたしは彼らの前であなたをあわてさせる。
18見よ、わたしはきょう、この全国と、ユダの王と、そのつかさと、その祭司と、その地の民の前に、あなたを堅き城、鉄の柱、青銅の城壁とする。
19彼らはあなたと戦うが、あなたに勝つことはできない。わたしがあなたと共にいて、あなたを救うからである」と主は言われる。
鍵となる聖句
「わたしはあなたをまだ母の胎につくらないさきに、あなたを知り、あなたがまだ生れないさきに、あなたを聖別し、あなたを立てて万国の預言者とした」。
神は、エレミヤが生まれる前から彼を知り、聖別されたと語られます。召命は預言者の能力からではなく、神の決断から来ています。この聖句は、一人ひとりの命が神のみ前で尊いことを語るためによく引用されます。
その時わたしは言った、「ああ、主なる神よ、わたしはただ若者にすぎず、どのように語ってよいか知りません」。 しかし主はわたしに言われた、「あなたはただ若者にすぎないと言ってはならない。だれにでも、すべてわたしがつかわす人へ行き、あなたに命じることをみな語らなければならない。 彼らを恐れてはならない、わたしがあなたと共にいて、あなたを救うからである」と主は仰せられる。
エレミヤは、自分は若者にすぎず、語ることを知らないと訴えます。神は彼の弱さを否定されませんが、その言い訳を取り去られます。遣わされる所へ行きなさい。神が共にいるからです。
そして主はみ手を伸べて、わたしの口につけ、主はわたしに言われた、「見よ、わたしの言葉をあなたの口に入れた。 見よ、わたしはきょう、あなたを万民の上と、万国の上に立て、あなたに、あるいは抜き、あるいはこわし、あるいは滅ぼし、あるいは倒し、あるいは建て、あるいは植えさせる」。
神は、エレミヤの口に手を触れ、御言葉を彼の口に入れられます。使命は二つの面を持ちます。抜き、こわし、滅ぼし、倒すこと、そして建て、植えることです。預言者はさばきを告げますが、再建も告げるのです。
主はわたしに言われた、「あなたの見たとおりだ。わたしは自分の言葉を行おうとして見張っているのだ」。
あめんどうと見張るという言葉が似ていることを用いて、神は、ご自身の言葉を行おうとして見張っておられると約束されます。神が語られたことは、必ず実現します。
彼らはあなたと戦うが、あなたに勝つことはできない。わたしがあなたと共にいて、あなたを救うからである」と主は言われる。
エレミヤは攻撃を受けますが、敵が彼に勝つことはありません。神が共におられるからです。この約束は、攻撃を免れるというものではなく、持ちこたえるというものです。
この章に登場する人物
説教が語っていること
エレミヤ書1章についてよくある質問
エレミヤ書1章5節はどういう意味ですか
神は、エレミヤが生まれる前から彼を知り、聖別し、預言者として立てておられたと語られます。この聖句は、エレミヤの召命が神の主導によることを示しています。多くの人は、一人ひとりが神に知られ、望まれているという意味もそこに見ますが、この言葉がまずエレミヤの使命に向けられたものであることも忘れてはなりません。
なぜエレミヤは自分は若すぎると言うのですか
エレミヤは、王たちや民の前で語る力が自分にはないと感じ、自分を「若者」にすぎないと言います。神は彼の弱さを否定されませんが、それを言い訳にしないよう求められます。神が共におられるのだから、彼は行って、神が命じることを語るのです。モーセをはじめ、聖書の多くの人物が同じように反応しています。
エレミヤ書1章のあめんどうと煮え立つなべは何を表していますか
あめんどうは、神がご自身の言葉を行うために見張っておられることを告げます。ヘブライ語で、あめんどうと見張るという言葉は似ています。北から傾いている煮え立つなべは、北の民によるエルサレムへの災いを告げています。二つのまぼろしは、エレミヤの語る言葉が真剣なものであり、必ず実現することを確かめています。
エレミヤ書 1を引用している記事
口語訳(1955年)— パブリックドメイン。