聖書 — 口語訳 (1955)
コリント人への第一の手紙 6
概要
コリント人への第一の手紙6章で、パウロはまず、兄弟たちが外部の裁判所で互いに訴え合っていることに驚きます。不正を受けるほうがましだと言います。そして、不義な者は神の国を継げないが、信者は造り変えられたのだと思い起こさせます。誤解された自由に対して、パウロは、体は主のものであり、聖霊の宮であり、信者は高い代価で買い取られたのだと語ります。だから、体をもって神の栄光を現しなさいと勧めます。
この章の5つの区分
1あなたがたの中のひとりが、仲間の者と何か争いを起した場合、それを聖徒に訴えないで、正しくない者に訴え出るようなことをするのか。
2それとも、聖徒は世をさばくものであることを、あなたがたは知らないのか。そして、世があなたがたによってさばかれるべきであるのに、きわめて小さい事件でもさばく力がないのか。
3あなたがたは知らないのか、わたしたちは御使をさえさばく者である。ましてこの世の事件などは、いうまでもないではないか。
4それだのに、この世の事件が起ると、教会で軽んじられている人たちを、裁判の席につかせるのか。
5わたしがこう言うのは、あなたがたをはずかしめるためである。いったい、あなたがたの中には、兄弟の間の争いを仲裁することができるほどの知者は、ひとりもいないのか。
6しかるに、兄弟が兄弟を訴え、しかもそれを不信者の前に持ち出すのか。
7そもそも、互に訴え合うこと自体が、すでにあなたがたの敗北なのだ。なぜ、むしろ不義を受けないのか。なぜ、むしろだまされていないのか。
8しかるに、あなたがたは不義を働き、だまし取り、しかも兄弟に対してそうしているのである。
9それとも、正しくない者が神の国をつぐことはないのを、知らないのか。まちがってはいけない。不品行な者、偶像を礼拝する者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者、盗む者、
10貪欲な者、酒に酔う者、そしる者、略奪する者は、いずれも神の国をつぐことはないのである。
11あなたがたの中には、以前はそんな人もいた。しかし、あなたがたは、主イエス・キリストの名によって、またわたしたちの神の霊によって、洗われ、きよめられ、義とされたのである。
12すべてのことは、わたしに許されている。しかし、すべてのことが益になるわけではない。すべてのことは、わたしに許されている。しかし、わたしは何ものにも支配されることはない。
13食物は腹のため、腹は食物のためである。しかし神は、それもこれも滅ぼすであろう。からだは不品行のためではなく、主のためであり、主はからだのためである。
14そして、神は主をよみがえらせたが、その力で、わたしたちをもよみがえらせて下さるであろう。
15あなたがたは自分のからだがキリストの肢体であることを、知らないのか。それだのに、キリストの肢体を取って遊女の肢体としてよいのか。断じていけない。
16それとも、遊女につく者はそれと一つのからだになることを、知らないのか。「ふたりの者は一体となるべきである」とあるからである。
17しかし主につく者は、主と一つの霊になるのである。
18不品行を避けなさい。人の犯すすべての罪は、からだの外にある。しかし不品行をする者は、自分のからだに対して罪を犯すのである。
19あなたがたは知らないのか。自分のからだは、神から受けて自分の内に宿っている聖霊の宮であって、あなたがたは、もはや自分自身のものではないのである。
20あなたがたは、代価を払って買いとられたのだ。それだから、自分のからだをもって、神の栄光をあらわしなさい。
鍵となる聖句
そもそも、互に訴え合うこと自体が、すでにあなたがたの敗北なのだ。なぜ、むしろ不義を受けないのか。なぜ、むしろだまされていないのか。
パウロは、信者どうしで訴訟をすることは、すでに敗北だと言います。教会の一致と証しを損なうよりも、不正を受けるほうを選ぶように勧めています。
不品行を避けなさい。人の犯すすべての罪は、からだの外にある。しかし不品行をする者は、自分のからだに対して罪を犯すのである。
ここでの動詞は「逃げなさい」であり、「抵抗しなさい」でも「交渉しなさい」でもありません。パウロは、性的な罪は人を自分の体において傷つけるため、その影響において特別な罪だと示しています。
あなたがたは知らないのか。自分のからだは、神から受けて自分の内に宿っている聖霊の宮であって、あなたがたは、もはや自分自身のものではないのである。
信者の体は、聖霊の住まいとして示されています。この宣言は、体に尊厳を与え、信者は自分自身のものではないという考えの土台となっています。
あなたがたは、代価を払って買いとられたのだ。それだから、自分のからだをもって、神の栄光をあらわしなさい。
キリストが払われた代価が、最後の勧めの理由です。体をもって神の栄光を現しなさい。行いは、贖われた者というアイデンティティから生まれるのであって、行いがそれを作り出すのではありません。
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説教が語っていること
コリント人への第一の手紙6章についてよくある質問
体は聖霊の宮であるとはどういう意味ですか
パウロはコリント第一6章19節で、神がかつて神殿に住まわれたように、神の御霊が信者の内に住んでおられると言います。したがって体は単なる道具ではなく、それを贖われた神のものです。自分の体を大切にし、生き方によって神をあがめるようにという呼びかけです。
なぜパウロは不品行を避けなさいと言うのですか
この箇所でパウロは、性を信者とキリストとの結びつきに関連づけているからです。信者はキリストの肢体であり、性的な結合は人格全体にかかわると述べています。「逃げる」という動詞を選んだのは、誘惑と戯れるのではなく、そこから離れるべきだと言うためです。
クリスチャンは他のクリスチャンを裁判に訴えてもよいのですか
この章でパウロはそれを強く戒め、争いは教会の中で、賢明な兄弟たちによって解決するか、あるいは耐え忍ぶことを求めています。その後クリスチャンは、この箇所を状況に応じてさまざまに理解してきました。とくに犯罪の場合や、弱い立場の人を守る場合がそうです。
「あなたがたは、代価を払って買いとられたのだ」とはどういう意味ですか
ここにあるのは、自由を得るために代価が支払われる奴隷のイメージです。パウロにとって、その代価はキリストの死です。信者はもはや自分のものではなく、自分を解放してくださった方のものであり、それが体をもって神の栄光を現す理由です。
コリント人への第一の手紙 6を引用している記事
口語訳(1955年)— パブリックドメイン。