聖書 — 口語訳 (1955)
ヨハネの第一の手紙 1
概要
ヨハネの第一の手紙は、使徒の証言から始まります。ヨハネは、いのちの言であるイエス・キリストを聞き、見て、手でさわりました。それを伝えるのは、私たちが父と御子との交わりにあずかるためです。続いて、手紙全体の土台が示されます。神は光であって、少しの暗いところもありません。神とともに歩むとは、真理の中に生き、自分の罪を認め、キリストが差し出してくださる赦しを受け取ることです。イエスの血が、すべての罪から私たちをきよめてくださるからです。
この章の3つの区分
1初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て手でさわったもの、すなわち、いのちの言について――
2このいのちが現れたので、この永遠のいのちをわたしたちは見て、そのあかしをし、かつ、あなたがたに告げ知らせるのである。この永遠のいのちは、父と共にいましたが、今やわたしたちに現れたものである――
3すなわち、わたしたちが見たもの、聞いたものを、あなたがたにも告げ知らせる。それは、あなたがたも、わたしたちの交わりにあずかるようになるためである。わたしたちの交わりとは、父ならびに御子イエス・キリストとの交わりのことである。
4これを書きおくるのは、わたしたちの喜びが満ちあふれるためである。
5わたしたちがイエスから聞いて、あなたがたに伝えるおとずれは、こうである。神は光であって、神には少しの暗いところもない。
6神と交わりをしていると言いながら、もし、やみの中を歩いているなら、わたしたちは偽っているのであって、真理を行っているのではない。
7しかし、神が光の中にいますように、わたしたちも光の中を歩くならば、わたしたちは互に交わりをもち、そして、御子イエスの血が、すべての罪からわたしたちをきよめるのである。
8もし、罪がないと言うなら、それは自分を欺くことであって、真理はわたしたちのうちにない。
9もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる。
10もし、罪を犯したことがないと言うなら、それは神を偽り者とするのであって、神の言はわたしたちのうちにない。
鍵となる聖句
すなわち、わたしたちが見たもの、聞いたものを、あなたがたにも告げ知らせる。それは、あなたがたも、わたしたちの交わりにあずかるようになるためである。わたしたちの交わりとは、父ならびに御子イエス・キリストとの交わりのことである。
ヨハネは、見て聞いたことを伝えます。それは、私たちが同じ交わりにあずかるためです。この交わりは、まず父と御子との交わりであり、そこから信仰の仲間との交わりへと広がります。
わたしたちがイエスから聞いて、あなたがたに伝えるおとずれは、こうである。神は光であって、神には少しの暗いところもない。
この章の中心となるメッセージです。神は光であり、少しの暗いところもありません。神の聖さと真実は完全であり、そのことが手紙の残りの部分すべてを照らしています。
しかし、神が光の中にいますように、わたしたちも光の中を歩くならば、わたしたちは互に交わりをもち、そして、御子イエスの血が、すべての罪からわたしたちをきよめるのである。
光の中を歩むとは、神の前で隠しごとなく生きることです。聖書はこの歩みを、兄弟姉妹との交わりと、イエスの血によるきよめに結びつけています。
もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる。
罪の告白を語る聖句です。神は嫌々赦すのではなく、真実で正しい方として赦してくださいます。その約束は、自分の罪を正直に認めるという歩みと結びついています。
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説教が語っていること
ヨハネの第一の手紙1章についてよくある質問
ヨハネの第一の手紙1章5節の「神は光である」とはどういう意味ですか
この表現は、神が清く、真実であり、影がないことを語っています。神のうちには、隠れたものも悪いものもありません。旧約聖書の詩篇などにも見られる主題です。ヨハネにとっては実際的な意味があります。偽りの中で、罪を抱えたまま生きながら、神に近いと主張することはできないということです。
光の中を歩むとはどういうことですか
神の前でも人の前でも、飾らずに透明に生きることです。完全になるという意味ではありません。ヨハネはすぐに罪ときよめについて語っているからです。光の中を歩むとは、光に照らされることを受け入れ、自分の過ちを認め、イエスにあって与えられる赦しを受け取ることです。
ヨハネの第一の手紙1章9節は罪の告白について何と言っていますか
私たちが罪を告白するなら、神は真実で正しい方として、それを赦し、あらゆる不義からきよめてくださるという約束です。告白とは、自分の過ちを小さく見せずに認めることです。赦しは、私たちの告白の出来ばえではなく、神のご性質とキリストの御業に基づいています。
ヨハネの第一の手紙 1を引用している記事
口語訳(1955年)— パブリックドメイン。