聖書 — 口語訳 (1955)

ヨハネによる福音書 10

概要

ヨハネによる福音書10章で、イエスは二つのたとえでご自分を示されます。羊の門と、良い羊飼いです。盗人や雇い人と対比して、ご自分の羊のためにいのちを捨てると語られます。羊はイエスを知り、その声を聞き分けます。さらに、この囲いに属さない他の羊たちのことを告げ、ご自分のいのちを自ら進んで捨てると宣言されます。宮きよめの祭りで、だれもご自分の手から羊を奪うことはできず、ご自分と父とは一つだと語られ、反対者たちの怒りを招きます。

この章の6つの区分

  1. 1-6節羊飼いは門から入り、羊はその声を知っている
  2. 7-10節門であるイエス:盗人は滅ぼし、イエスは豊かないのちを与える
  3. 11-18節自ら進んでいのちを捨てる良い羊飼い
  4. 19-21節聞く人々の間に生じた分裂
  5. 22-30節宮きよめの祭りで:わたしの羊はわたしの声を聞く、わたしと父とは一つである
  6. 31-42節群衆の拒絶と、ヨルダンの向こうで多くの人が信じたこと

1よくよくあなたがたに言っておく。羊の囲いにはいるのに、門からでなく、ほかの所からのりこえて来る者は、盗人であり、強盗である。

2門からはいる者は、羊の羊飼である。

3門番は彼のために門を開き、羊は彼の声を聞く。そして彼は自分の羊の名をよんで連れ出す。

4自分の羊をみな出してしまうと、彼は羊の先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、彼について行くのである。

5ほかの人には、ついて行かないで逃げ去る。その人の声を知らないからである」。

6イエスは彼らにこの比喩を話されたが、彼らは自分たちにお話しになっているのが何のことだか、わからなかった。

7そこで、イエスはまた言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。わたしは羊の門である。

8わたしよりも前にきた人は、みな盗人であり、強盗である。羊は彼らに聞き従わなかった。

9わたしは門である。わたしをとおってはいる者は救われ、また出入りし、牧草にありつくであろう。

10盗人が来るのは、盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするためにほかならない。わたしがきたのは、羊に命を得させ、豊かに得させるためである。

11わたしはよい羊飼である。よい羊飼は、羊のために命を捨てる。

12羊飼ではなく、羊が自分のものでもない雇人は、おおかみが来るのを見ると、羊をすてて逃げ去る。そして、おおかみは羊を奪い、また追い散らす。

13彼は雇人であって、羊のことを心にかけていないからである。

14わたしはよい羊飼であって、わたしの羊を知り、わたしの羊はまた、わたしを知っている。

15それはちょうど、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。そして、わたしは羊のために命を捨てるのである。

16わたしにはまた、この囲いにいない他の羊がある。わたしは彼らをも導かねばならない。彼らも、わたしの声に聞き従うであろう。そして、ついに一つの群れ、ひとりの羊飼となるであろう。

17父は、わたしが自分の命を捨てるから、わたしを愛して下さるのである。命を捨てるのは、それを再び得るためである。

18だれかが、わたしからそれを取り去るのではない。わたしが、自分からそれを捨てるのである。わたしには、それを捨てる力があり、またそれを受ける力もある。これはわたしの父から授かった定めである」。

19これらの言葉を語られたため、ユダヤ人の間にまたも分争が生じた。

20そのうちの多くの者が言った、「彼は悪霊に取りつかれて、気が狂っている。どうして、あなたがたはその言うことを聞くのか」。

21他の人々は言った、「それは悪霊に取りつかれた者の言葉ではない。悪霊は盲人の目をあけることができようか」。

22そのころ、エルサレムで宮きよめの祭が行われた。時は冬であった。

23イエスは、宮の中にあるソロモンの廊を歩いておられた。

24するとユダヤ人たちが、イエスを取り囲んで言った、「いつまでわたしたちを不安のままにしておくのか。あなたがキリストであるなら、そうとはっきり言っていただきたい」。

25イエスは彼らに答えられた、「わたしは話したのだが、あなたがたは信じようとしない。わたしの父の名によってしているすべてのわざが、わたしのことをあかししている。

26あなたがたが信じないのは、わたしの羊でないからである。

27わたしの羊はわたしの声に聞き従う。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしについて来る。

28わたしは、彼らに永遠の命を与える。だから、彼らはいつまでも滅びることがなく、また、彼らをわたしの手から奪い去る者はない。

29わたしの父がわたしに下さったものは、すべてにまさるものである。そしてだれも父のみ手から、それを奪い取ることはできない。

30わたしと父とは一つである」。

31そこでユダヤ人たちは、イエスを打ち殺そうとして、また石を取りあげた。

32するとイエスは彼らに答えられた、「わたしは、父による多くのよいわざを、あなたがたに示した。その中のどのわざのために、わたしを石で打ち殺そうとするのか」。

33ユダヤ人たちは答えた、「あなたを石で殺そうとするのは、よいわざをしたからではなく、神を汚したからである。また、あなたは人間であるのに、自分を神としているからである」。

34イエスは彼らに答えられた、「あなたがたの律法に、『わたしは言う、あなたがたは神々である』と書いてあるではないか。

35神の言を託された人々が、神々といわれておるとすれば、(そして聖書の言は、すたることがあり得ない)

36父が聖別して、世につかわされた者が、『わたしは神の子である』と言ったからとて、どうして『あなたは神を汚す者だ』と言うのか。

37もしわたしが父のわざを行わないとすれば、わたしを信じなくてもよい。

38しかし、もし行っているなら、たといわたしを信じなくても、わたしのわざを信じるがよい。そうすれば、父がわたしにおり、また、わたしが父におることを知って悟るであろう」。

39そこで、彼らはまたイエスを捕えようとしたが、イエスは彼らの手をのがれて、去って行かれた。

40さて、イエスはまたヨルダンの向こう岸、すなわち、ヨハネが初めにバプテスマを授けていた所に行き、そこに滞在しておられた。

41多くの人々がイエスのところにきて、互に言った、「ヨハネはなんのしるしも行わなかったが、ヨハネがこのかたについて言ったことは、皆ほんとうであった」。

42そして、そこで多くの者がイエスを信じた。

鍵となる聖句

9節
わたしは門である。わたしをとおってはいる者は救われ、また出入りし、牧草にありつくであろう。

イエスは門です。イエスによって入る者は救われ、出入りして牧草を見つけます。このたとえは、救いと、養われる日々の生活の両方を語っています。

10節
盗人が来るのは、盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするためにほかならない。わたしがきたのは、羊に命を得させ、豊かに得させるためである。

盗人は盗み、殺し、滅ぼすために来ますが、イエスは豊かないのちを与えるために来られました。この聖句は、二つの意図を明確に対比させています。

11節
わたしはよい羊飼である。よい羊飼は、羊のために命を捨てる。

良い羊飼いは羊のためにいのちを捨てます。狼を見て逃げる雇い人とは違います。イエスはここで、ご自分の死を、自ら進んで行う愛の行為として告げておられます。

27-28節
わたしの羊はわたしの声に聞き従う。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしについて来る。 わたしは、彼らに永遠の命を与える。だから、彼らはいつまでも滅びることがなく、また、彼らをわたしの手から奪い去る者はない。

羊はイエスの声を聞き、イエスは彼らを知り、彼らはイエスに従います。イエスは彼らに永遠のいのちを与え、だれも彼らをその手から奪うことはできません。

30節
わたしと父とは一つである」。

わたしと父とは一つである、とイエスは父との一致を宣言されます。聞いていた人々はその重みを理解し、石を取って打ち殺そうとしました。

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説教が語っていること

羊と羊飼い、ヨハネ10章に見るあなたの居場所サミュエル・マボーは、ヨハネによる福音書10章1節から16節を、羊、囲い、良い羊飼いという三つのたとえで読みます。羊には導き手が必要であり、地上の囲いは天の囲いを指し示していると語ります。要約を読む →イエスがいのちを回復してくださる 羊飼いの声ダビッド・ポティエは、10章10節から語ります。イエスは、ご自分の羊が豊かないのちを持つために来られました。騒がしさの中でときにささやくように語る、いのちを与える声を聞き分け、従うよう招いています。要約を読む →沈黙とひとり静まる時間 すべてが叫ぶ中で神の声を聞くポッドキャストは10章27節を引きます。わたしの羊はわたしの声を聞く。イエスが実践されたように、静けさと孤独を通して、騒音の中で神の声を見分けることを学ぶよう提案しています。要約を読む →ヨルダン川の向こう岸へ:あなたを縛る場所から抜け出すこの説教は、10章22節から42節を読みます。イエスは、対立の場所を離れ、多くの人が信じるようになる場所へ向かわれます。信仰を妨げる場所から離れるよう招いています。要約を読む →従うこと それがあなたを真の弟子にする力ウィリアム・ンゴムは、10章27節に基づいて、従順の第二の段階を語ります。声に従うことです。毎日の何千もの思いの中で、どれが神の声なのかを問いかけます。要約を読む →

ヨハネによる福音書10章についてよくある質問

ヨハネによる福音書10章9節の「わたしは門である」とはどういう意味ですか

イエスは、救いといのちへの唯一の入口としてご自分を示されます。石造りの囲いでは、羊飼い自身が門の役を果たすことがよくありました。このたとえは、神への道がイエスを通ることを語り、入る者は安全と養いも見いだし、出入りして牧草を見つけると語っています。

ヨハネによる福音書10章10節の豊かないのちとはどういう意味ですか

イエスは、ご自分の来られた目的を盗人と対比させます。イエスは、羊がいのちを持つため、しかも豊かに、すなわち満ちあふれるように持つために来られました。本文は、安楽や成功といった考えの前に、まずイエスが与えるいのちと、イエスとの関係を語っています。

16節の「他の羊」とはだれのことですか

イエスは、この囲いに属さない他の羊がいて、導かなければならず、一つの群れ、一人の羊飼いとなると告げます。多くの人は、そこに異邦人への救いの広がりを見ています。この聖句は、イエスの声を聞くすべての人の一致を強調しています。

ヨハネによる福音書10章28節と29節によれば、救いを失うことはありますか

イエスは、ご自分の羊は決して滅びることがなく、だれも彼らを、イエスの手からも父の手からも奪えないと語られます。本文は、羊飼いが与える安全に重点を置いています。信仰者たちは、人間の自由との関わりについて議論しますが、この箇所は神の真実を強調しています。

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