聖書 — 口語訳 (1955)

ヨハネの黙示録 22

概要

ヨハネの黙示録22章は、聖書の最後の章です。ヨハネは、神と小羊の御座から流れ出るいのちの水の川、いのちの木、あらゆるのろいの終わり、そして神の御顔を仰ぐ幸いを描きます。続いてイエスご自身が語られます。「しかり、わたしはすぐに来る」。この章は約束と警告を織り合わせ、かわいている人はだれでも来て、いのちの水を価なしに受けるようにと招き、「主イエスよ、きたりませ」という祈りと、すべての人への主の恵みで結ばれます。

この章の5つの区分

  1. 1-5節いのちの川、いのちの木、神の御顔
  2. 6-11節確かな言葉:「わたしはすぐに来る」、ただ神を拝せよ
  3. 12-15節イエスが来られる:初めであり終りである者、都にはいる人
  4. 16-17節明けの明星と招き:「きたりませ」、いのちの水を受けよ
  5. 18-21節最後の警告と、主イエスよ、きたりませという祈り

1御使はまた、水晶のように輝いているいのちの水の川をわたしに見せてくれた。この川は、神と小羊との御座から出て、

2都の大通りの中央を流れている。川の両側にはいのちの木があって、十二種の実を結び、その実は毎月みのり、その木の葉は諸国民をいやす。

3のろわるべきものは、もはや何ひとつない。神と小羊との御座は都の中にあり、その僕たちは彼を礼拝し、

4御顔を仰ぎ見るのである。彼らの額には、御名がしるされている。

5夜は、もはやない。あかりも太陽の光も、いらない。主なる神が彼らを照し、そして、彼らは世々限りなく支配する。

6彼はまた、わたしに言った、「これらの言葉は信ずべきであり、まことである。預言者たちのたましいの神なる主は、すぐにも起るべきことをその僕たちに示そうとして、御使をつかわされたのである。

7見よ、わたしは、すぐに来る。この書の預言の言葉を守る者は、さいわいである」。

8これらのことを見聞きした者は、このヨハネである。わたしが見聞きした時、それらのことを示してくれた御使の足もとにひれ伏して拝そうとすると、

9彼は言った、「そのようなことをしてはいけない。わたしは、あなたや、あなたの兄弟である預言者たちや、この書の言葉を守る者たちと、同じ僕仲間である。ただ神だけを拝しなさい」。

10またわたしに言った、「この書の預言の言葉を封じてはならない。時が近づいているからである。

11不義な者はさらに不義を行い、汚れた者はさらに汚れたことを行い、義なる者はさらに義を行い、聖なる者はさらに聖なることを行うままにさせよ」。

12「見よ、わたしはすぐに来る。報いを携えてきて、それぞれのしわざに応じて報いよう。

13わたしはアルパであり、オメガである。最初の者であり、最後の者である。初めであり、終りである。

14いのちの木にあずかる特権を与えられ、また門をとおって都にはいるために、自分の着物を洗う者たちは、さいわいである。

15犬ども、まじないをする者、姦淫を行う者、人殺し、偶像を拝む者、また、偽りを好みかつこれを行う者はみな、外に出されている。

16わたしイエスは、使をつかわして、諸教会のために、これらのことをあなたがたにあかしした。わたしは、ダビデの若枝また子孫であり、輝く明けの明星である」。

17御霊も花嫁も共に言った、「きたりませ」。また、聞く者も「きたりませ」と言いなさい。かわいている者はここに来るがよい。いのちの水がほしい者は、価なしにそれを受けるがよい。

18この書の預言の言葉を聞くすべての人々に対して、わたしは警告する。もしこれに書き加える者があれば、神はその人に、この書に書かれている災害を加えられる。

19また、もしこの預言の書の言葉をとり除く者があれば、神はその人の受くべき分を、この書に書かれているいのちの木と聖なる都から、とり除かれる。

20これらのことをあかしするかたが仰せになる、「しかり、わたしはすぐに来る」。アァメン、主イエスよ、きたりませ。

21主イエスの恵みが、一同の者と共にあるように。

鍵となる聖句

1-2節
御使はまた、水晶のように輝いているいのちの水の川をわたしに見せてくれた。この川は、神と小羊との御座から出て、 都の大通りの中央を流れている。川の両側にはいのちの木があって、十二種の実を結び、その実は毎月みのり、その木の葉は諸国民をいやす。

この光景はエデンの園を思い起こさせます。川といのちの木です。聖書の初めに失われたものが、終わりに回復されます。木の葉は諸国民をいやすためのもので、和解した人類を語っています。

5節
夜は、もはやない。あかりも太陽の光も、いらない。主なる神が彼らを照し、そして、彼らは世々限りなく支配する。

もはや夜はなく、神ご自身が光となられます。本文は、すべてを満たす神の臨在を、何の欠けもなく描き、神の民が神とともに支配すると約束しています。

13-14節
わたしはアルパであり、オメガである。最初の者であり、最後の者である。初めであり、終りである。 いのちの木にあずかる特権を与えられ、また門をとおって都にはいるために、自分の着物を洗う者たちは、さいわいである。

イエスはご自分を、アルパであり、オメガであり、初めであり終りである者として示されます。自分の着物を洗う者には、いのちの木にあずかる特権があります。救いは、神の都への開かれた道として示されています。

17節
御霊も花嫁も共に言った、「きたりませ」。また、聞く者も「きたりませ」と言いなさい。かわいている者はここに来るがよい。いのちの水がほしい者は、価なしにそれを受けるがよい。

御霊も花嫁も「きたりませ」と言い、その招きはかわいている者のだれにでも向けられています。いのちの水は無償です。さばきを描いてきた書物は、開かれた門で終わります。

20節
これらのことをあかしするかたが仰せになる、「しかり、わたしはすぐに来る」。アァメン、主イエスよ、きたりませ。

聖書におけるイエスの最後の言葉は約束です。「しかり、わたしはすぐに来る」。それに対するヨハネの答えは祈りです。「アァメン、主イエスよ、きたりませ」。クリスチャンは昔から、希望を言い表すためにこの言葉を繰り返してきました。

説教が語っていること

眠らずにキリストの再臨を待ち望むステファン・ギレは、待降節第一主日に、黙示録22章17節は教会の祈りだと語ります。御霊も花嫁も「きたりませ」と言うのです。日付を計算せずに目を覚ましているよう呼びかけ、日々の暮らしの中で眠り込まないようにと述べます。要約を読む →titleコネクション教会の指導者たちは、聖書の最後の言葉が「しかり、わたしはすぐに来る」(22章20節)であることを思い起こさせます。千年王国についての三つの福音的な読み方を紹介し、意見が違っても分裂しなくてよいと述べ、イエスの再臨を恐れる人を安心させます。要約を読む →携挙のあと、天であなたを待っているものジャン=クロード・ヴィラは、黙示録22章16節を引用し、イエスを輝く明けの明星として、ひそかな携挙を説明します。続いて、キリストの裁きの座を私たちのわざの動機の現れとして、また報いと小羊の婚姻を、前千年王国説の読み方に沿って示します。要約を読む →携挙のあと:患難、ハルマゲドン、そして千年王国同じ牧師は、この読み方に沿って終わりの時の流れを説き、黙示録21章から22章の新しい天と新しい地までたどります。そして、黙示録22章17節の呼びかけ、御霊も花嫁も「きたりませ」で結び、備えていなさいと語ります。要約を読む →

ヨハネの黙示録22章についてよくある質問

黙示録22章20節の「主イエスよ、きたりませ」とはどういう意味ですか

聖書の最後の祈りで、「しかり、わたしはすぐに来る」というイエスの約束に答えています。キリストの再臨と悪の終わりを待ち望む教会の希望を表しています。キリスト教共同体のごく初期の祈りとも響き合い、恐れや日付の計算なしに、待ち望んで生きるようにと招いています。

いのちの川といのちの木は何を表していますか

エデンの園を思い起こさせますが、完成された形です。いのちは神と小羊の御座から来て、罪が閉ざしていたものがすべて開かれます。永遠のいのちと諸国民のいやしの象徴と見る人が多くいます。本文は絵によって描いており、私たちの言葉を超えた現実の象徴として読むことができます。

イエスがまだ来られていないのに、なぜ「すぐに」なのですか

「すぐに」という言葉は、主に、その到来が確かであり、いつでも起こりうることを語っているのであって、計算できるという意味ではありません。それが何を意味するかの理解はクリスチャンの間で異なり、本文自体、目を覚ましているよう求めています。使徒ペテロも、主にとっては一日は千年のようだと述べています。

いのちの水を飲むために来るよう招かれているのはだれですか

17節は答えます。かわいている者、欲しい者です。水は無償です。これは聖書の最後の招きであり、すべての人に向けられ、救いが報酬ではなく賜物であることを思い起こさせます。

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